90話 仮面越しのあなた
マティアス様たちが出て行き、謁見の間は静寂に包まれる。そんな中、真っ先に声を発したのは、この場において最高位である陛下だった。
「ふむ……エミリア嬢」
「っ……」
懐かしい呼び名で呼ばれ、心が妙に騒めく。その理由は至って明白。夫人という立場ではなくなったと、実感させられたからだ。
私を夫人と呼んでいた人々や奥様と呼んでいた人々の顔が、対比のように想起させられる。
そんな私をジッと視線で捉えながら、陛下は言葉を続けた。
「少し話をしないか」
「お話……ですか?」
予想外の提案を受け、思わず拍子抜けといったように驚いてしまう。だが陛下は落ち着き払った様子で「左様だ」と告げると、私以外の室内に残る人間すべてに退室命令を出した。
こうして、この部屋には私と陛下の二人だけが残った状況になった。すると陛下は、早速と言った様子で口を開いた。
「此度の件について、私もいろいろと考えさせられることがあった。例えば……領主権についてだ」
「……」
意味ありげに陛下が私に視線を向ける。陛下は私の結婚理由を完璧に把握しているということが、ありありと伝わってくる。
だが、陛下の言葉にどのような言葉を返せばよいか分からず、私はその言葉の続きを待った。
「実はちょうど、そなたが私の元へと申し出に来る前に、コーネリアスからある議案が提出された」
突然コーネリアス殿下の名前が出てきたため、思わず頭を捻る。しかし、舞踏会で彼と話した内容を思い出し、まさかのまさかと思いながら、その内容を確かめることにした。
「もしや、女性の領主権に関わる議案でしょうか?」
「何だ。カリスから既に聞いたのか?」
「……カリス殿下ですか? いえ、殿下からはそう言った話は何も伺っておりません」
コーネリアス殿下が提出した議案について、なぜ私がカリス殿下に聞いているという発想になるのだろうか。
そもそも、カリス殿下とコーネリアス殿下はあまり親しくしていなかったはずだ。
そう思ったが、ふとある予感が脳内を過ぎった。
――もしかして、和解したのかしら……?
舞踏会の夜、コーネリアス殿下はカリス殿下やジュリアス殿下との仲を修復させることを望んでいた。もしかしたら、その望みが叶ったのかと期待し陛下を見つめる。
すると陛下は私の表情を見て「その表情からしても……何も知らぬようだな」と一人で納得するように独り言ちた。そして、極めて冷静さを貫いたまま詳細について語り出した。
「実は舞踏会以降、コーネリアスから話があると言われたんだ。そこで場を設けたところ、女性にも領主権を認めるべきだという議案を提出すると言われた」
行動が早いという訳でなく、実はずっと前から構想があったのかもしれない。そう思えるほどのコーネリアス殿下の実行力を感じ、ひっそりと心で驚く。
「陛下は賛成されたのか、伺ってもよろしいでしょうか?」
「私か? そうだな……。言い方が難しいが、私は反対だった」
反対ではなく、反対だったということは、考えが変わったということだろうか?
そう思いつく私の疑問を解消するように、陛下は言葉を続ける。
「反対だった理由は、性別の問題ではない。現在は長男が家門を継ぐが、長子が女性だった場合、家督相続の新たな争いが起きる可能性があると思ったのだ」
きちんとした規定をしていなかった場合、確かに陛下の懸念通りの事が起こる可能性は高いだろう。
現在は長男と定まっているが、女も良いとなれば早く生まれた順だという人も出てくるかもしれない。
――そういった女性は少ないでしょうけど、前例が出来れば世は変わるものよ。
領主を巡って兄弟同士で殺人をする家門だってあるもの。
そこに女性まで加わったら、平和が乱れる家門も無いとは言い切れない……。
「確かに陛下の仰る通り、その懸念は生じると思います。となると、コーネリアス殿下はその問題に関してどのような手立てを考え、議案を提出なさるのでしょうか?」
「それは、コーネリアスでなくカリスが考えたんだ」
「カリス殿下がですか?」
「ああ」
そう言うと、陛下は気のせいかもしれない程度に口角を上げ、その続きを述べた。
「カリスは、基本は長男のままという原則の下、家門内の話し合いで決定、それでも決まらなければ王が認めた場合に限り女性を領主にするという案を出したんだ」
「陛下の許可次第……ですか」
「ああ。やはり誰でもなれるという綺麗事では争いしか生まない。よって、基本を設けたうえで、それでもなおという場合に審査する形を提案された」
そう告げると、陛下はやるかたなしといった様子ではぁ……と息を吐き出し、どこか遠くを見つめた。その視線の先には、なぜかカリス殿下がいるような気がする。
「……少々浮かぬ顔をされているように感じたのですが、カリス殿下の提案に何か思うところがあるのでしょうか?」
正直、私はこの方法を合理的だと思った。争いの発生率を下げ、かつ領主になりたいと願い出る女性の本気度がある程度証明されるからだ。
男性は何もしなくても領主になれるのに対し、女性は安易に領主になれない仕組みを差別だと指摘する人も中にはいるだろう。
だが、男女で業務内容を区分けされ円滑にいっている現状を、少なくともこの国では敢えて打ち壊す必要はないと思う。
――だから、陛下も問題は感じていないと思ったのだけれど……。
顔色を窺うように陛下に目をやる。すると、陛下はきょとんとした顔をした後、フッと軽い笑みを零した。
「誤解させてしまったようだな。私はカリスの提案に異存はないんだ。ただ……」
珍しく笑みを浮かべた顔に、またしても影が落とされる。だが、陛下は吹っ切れたようにその続きを口にした。
「カリスの性格に甘えて長年苦労を強いてしまったのだと……そう痛感したんだ」
「っ……」
表情こそ変えないものの、その目に切なさと痛みが帯びる。かなり大きな後悔を抱えているのかもしれない。そう思える陛下の表情は、見ている私の胸にも痛みを宿した。
――コーネリアス殿下や陛下の話を聞かなかったら、ここまでカリス殿下が辛い立場にあるなんて気付かなかった。
それなのに、私のことをここまで助けてくれたなんて……。
私は自分自身のことで必死だった。だけど、カリス殿下は自分自身も難しい立場にいながら、私のことを助けてくれた。
いつも余裕があって頼りになる、理想の兄のような人だと思っていた。でも、私はそんな彼の実質を知らないままでいたのだと、今更ながらに思い知らされる。
世間だけでなく、王家の中でまで苦しい環境があるとは思っても見なかったのだ。
――私はカリス殿下の表面的な部分しか分かっていないんだわ。
仮面越しの殿下しか知らなかった。
だから彼がここまで困っているとは、気付いてあげられなかった……。
気付いたからとて、私に出来ることがあるかは分からない。だが、彼の痛みにも気付いてあげたかったと、ふとそんな思いが心に込み上げた。
そんな私は、自身で質問をしておきながら陛下に返す言葉を見失っていた。すると、気付けば陛下が目の前にやって来ていた。
「エミリア嬢。先ほどのことは気にしなくて良い。ただ今回言いたかったことは、今後女性の領主権が条件次第で認められるようになるということだ」
陛下からほんのりと漂うアガーウッドとジャスミンの香りにより、言葉に温かみが加わり、仄かに感傷の念が緩む。考え込み軽く目を伏せていた私は、陛下のこの言動を受け視線を上げた。
その途端、腕を組み軽く頭を傾けた陛下は、サラッと重めの言葉を続けた。
「そなたが領主になっても良いのだぞ?」
「私が領主にっ……?」
「ああ。まあ、必要とあらばだがな」
「もちろん承知しております。ですが、お恥ずかしながら兄はようやく領主として成長を始めたところですので、現時点では私は補佐を務める所存でございます」
「そうか。まあ、今のところそれが賢明だろうな」
そう告げると、陛下は組んでいた腕を解きその手を腰に当てた。そして「話が長くなりすぎた」といって私に謝ると、ハッと何かに気付いた表情をした。
「っ……まだ血が出ていたのだな」
陛下の視線を辿り自身の指を見やれば、血判のために切った指先から血が滲み出ている。先ほど止まったと思っていたが、また傷口が開いたのかもしれない。
――部屋に戻ったら手当てしないと……。
そう思っていると、陛下は私の考えを見越しているように口を開いた。
「手当をするのだろう? ならば、カリスのところに行くと良い」
「カリス殿下のところにですか……?」
元よりお礼のつもりで行くつもりだったが、手当のために行くとはいったいどういうことだろうか。
そんな疑問を抱えたまま私は陛下に見送られ、陛下から指示を受けた使用人の背を追い、カリス殿下の元へとやってきた。




