8話 リアとジェリー
ジェラルド様の部屋の前にやって来た。そして、コンコンコンコンッとドアを叩き声をかけた。
「ジェラルド様、エミリアです。ドアを開けても良いですか?」
そう訊ねると、室内からトタトタと小走りする音が聞こえた。かと思えば、目の前の扉がガチャッと開いた。
「……本当に来たんだ」
ぶっきらぼうに言う彼だが、室内から聞こえてきた足音を聞く限り嫌がってはいないように感じた。天邪鬼な彼が、少し可愛らしく思えてくる。
「はい、ジェラルド様とお話ししたかったんです」
「……っ! ふ、ふーん。じゃあまた問題出してあげる。入りなよ」
目を泳がせながら言葉を発した彼は、私を室内に入れ椅子まで案内してくれた。すると、自身も椅子に座るなり彼は問題を出し始めた。
今日の問題は昨日とは異なり、地方の特徴や地形の問題だった。
◇◇◇
問題を出し始めてから約三十分後、ジェラルド様は目を真ん丸にして呟いた。
「な、なんで分かるの……?」
この三十分で出された問題は、すべて私が実家で学んだ内容だった。父や領地の助けになればと思い、身に付けた知識ばかりだった。
「領民を守りたくて、勉強したんですよ」
ジェラルド様にそう伝えると、彼はハの字眉になり不思議そうな顔をした。
困った顔のはずなのにこんなにも可愛いだなんて、末恐ろしい子だ。そんなことを思っていた時だった。
「守るってどういうこと?」
ポツリとジェラルド様が呟いた声が部屋に響いた。あまりにも話が通りつい年齢を忘れそうになるが、ふと彼はまだ五歳だと思い出す。
そんな五歳の大人びた彼に、私なりの守り方を教えることにした。
「ジェラルド様は、領民の命は誰が握っていると思いますか?」
「領主?」
「はい、そうです。では、領主が領地や領民の守り方を知らない人だったら、その土地やそこに住む人々はどうなると思いますか?」
ちょっとざっくり言いすぎただろうか? この質問に、ジェラルド様は少し考え込んだ様子を見せた。
だが彼は、少し不安げな様子ながらも控えめに言葉を紡いだ。
「争いが起きる……? あと、領民が苦しむ」
「その通りです。では、領主が領地や領民を守るための知識が豊富な人だったら、その領地はどんな領地になると思いますか?」
この問いに対し、自信なさげな様子を見せながらもジェラルド様は即答した。
「何か問題が起こっても、何とかなりそうとか?」
「そうですね。つまり、領主の知識次第でその領地の命運が大きく左右されるのです。だからこそ、自領の人々に苦しい思いをさせたくなくて、自分なりに勉強しました」
私は勉強が好きと言うわけではない。だが、アイザックお兄様やビオラを見ているとこの先が不安で、私がブラッドリーの領民を守らなければならないのだと、謎の使命感を抱いていた。
だからこそ、私はこうして知識を身に付けたのだ。
ただ、昨日と今日で問題の系統が違ったため、ジェラルド様は困惑したのだろう。少し前のめりな姿勢で口を開いた。
「でも、昨日の問題は小説なのに答えてた……絵本とか小説は勉強じゃないよ?」
「そう思いますか?」
――私も同じことを言ったことがあったわね……。
そんな過去をしみじみと思い出し、微笑みながらジェラルド様に問いかけた。
すると、彼は私の質問に「うんっ」と力強く答えた。初めてこんな溌溂とした彼を見たかもしれない。
「では、もっと本を読んでみてください。想像以上に知識は絵本や小説にも散らばっているんですよ」
「そうなの?」
「はい。それに、小説や絵本では自分とは違う考えをする人を知ることも出来るんですよ?」
そう告げると、「うわぁ~」と声を漏らしながら、ジェラルド様は翡翠のような目をキラキラと輝かせた。
三十分前までの彼とはまるで別人だ。子どもらしい姿も見せるのだと思いホッとした。
そして、そんな彼は好奇心のままに質問をしてきた。
「でも、それだけ知識を付けても長男じゃないから領主になれないよね?」
その通りだ。だからこそ、たくさん悔しい思いをしてきた。
なぜ長男というだけでお兄様が当主になるのだろうか……。私は別に当主になりたいわけではない。だが、お兄様よりも私の方がまだマシだろうと思う。
しかし、この国の法律上どう足掻こうと女は当主になれない。その現実に理不尽だと嘆いた日は数知れない。
ただ、少しだが私がこの知識を生かし、領地経営に関与できる機会はあった。
「私は母を亡くしております。そのため、母の分も領主である父のサポートをしようと思い、知識を付けたのです。それに、嫁ぎ先でもその知識は生かせますからね」
お父様は生前、女である私にも領地経営に関する相談をしてくれた。
そして、それを知ったお義父様はマティアス様の代理という形で、私にヴァンロージアの領地経営権を委任してくれた。
知識が無ければ、お義父様も任せてくれなかったはずだ。
また、任せてくれたからこそ、ヴァンロージアで裁量権を行使することも出来た。
――本当にお義父様が寛容な方で良かったわ。
これでこの屋敷も、皆が働きやすい環境になりそうだもの。
なんて考えていると、突然ジェラルド様が顔をギュッと歪めた。かと思うと、手首の内側で涙を拭いながら泣き始めてしまった。
あまりにも予想外の出来事だったため、びっくりしてオロオロしてしまう。
「ど、どうされましたか!?」
私は慌ててジェラルド様の傍に膝を突き、背中を撫でながら顔を覗いた。
すると、ジェラルド様は大粒の涙を零しながら、今まで堪えていた思いを爆発させるように声を出した。
「ぼくと……こんな風に話してくれる人……うぅ……いなかった……。ううぅ……ずっと……グスッ……つべたくして……っごめんねぇ……」
突然謝りながら泣き始めてしまったジェラルド様。話してくれる人がいなかったとはどういうことだろうか。
今の言葉はきっと、彼の心の悲鳴が漏れ出たものに違いない。そのため、背中をさすりながらジェラルド様に声をかけた。
「いいんですよっ……。それより、誰とも話をしなかったんですか?」
「うぅ……みんな気味悪がって……グスッ……話してくれなかったんだ。こんな年齢で……ううっ……言ってることがおかしいって……」
誰がこんなにも幼いジェラルド様に、そんな心無い言葉をかけたのだろうか。道理で、ジェラルド様もこんなに心を閉ざすわけだ。
そう思っていると、ジェラルド様は更に苦しそうな声を絞り出した。
「それに、お父様も僕を置いて出てった。グスッ……きっとお母様が僕を産んで死んだから、っ僕のことを恨んでるんだ……」
そんなことないわ! そう声をかけようとした。
しかし、ジェラルド様は私が声をかけるよりも先に、とんでもない言葉を続けた。
「ライザも僕のことを自分の母親を殺した……ううっ……人殺しって言ってた。っ……僕はみんなの嫌われ者だから、誰も本当は関わりたくないって。僕、傷つきたくなくて、みんなを遠ざけてた……グスッ……」
――なんて人なの……!?
ライザは確かマティアス様とイーサン様の乳母で、今はジェラルド様の世話役をしているはず。そんな人が、こんな酷いことを言うなんて人として有り得ない。
そりゃあ人間不信にもなって、お義父様にも恨まれてると思っても仕方ない。人の温もりも、とうの昔に忘れてしまったのだろう……。
その思いを、こんな小さな子が一人で抱え込んでいたことがショックでならない。私はあなたを嫌っていない。これ以上傷付かないよう守ってあげたい。
そう込み上がった想いを止められず、私は今の体勢のまま、正面からジェラルド様を抱き締めた。
「お義父様は、ジェラルド様のことを恨んでいませんよ」
「そんな嘘つかなくて良いよ……」
「嘘じゃないですよ。お義父様は愛おしがって、ずっとジェラルド様に会いたがっていました」
本当のことだ。証明はできないが、どうか伝わって欲しい。
そう願い、そっと腕を緩めジェラルド様の顔を見ると、パチクリと開かれた翡翠の双眸と目が合った。
「……ほんとうに?」
「ええ、本当ですよ。約束します! それに、誰も話し相手がいないなら、ぜひ私の話し相手になってください。ジェラルド様なら大歓迎です!」
笑いかけながら伝えると、ジェラルド様はパアッと顔を綻ばせ嬉しそうにはにかんだ。
するとその直後、ジェラルド様は飛び付くように首に抱き着いてきた。
正直苦しいが、ジェラルド様が笑顔ならそれで十分だ。そう思いそのまま抱き留めると、ジェラルド様は私の首元に顔を埋めたまま呟いた。
「ねえ、お義姉様って呼んだ方が良い?」
「そんなに堅苦しくなくて良いですよ」
お義姉様と言われ、ついキュンとしたのはここだけの秘密だ。ビオラに言われるのとは全く違う。
すると、ジェラルド様はそっと顔を上げ、モジモジとしながら提案をしてきた。
「じゃあ、僕たちだけの呼び方がいいっ……」
もちろんその願いは叶えてあげたい。しかし、僕たちだけの呼び方と言っても、何があるだろうか。
――私は今まで基本的にエミリアって呼ばれてきたし……。
あっ! 一つあったじゃない!
「では私のことは……リアと呼んでください」
私が六歳の頃に亡くなった母は、私のことをリアと呼んでくれた。その呼び名を、ふと思い出したのだ。
辛うじて母の記憶がある年齢になっていて、良かったと思った瞬間だった。
「リア……リア……ふふっ! じゃあ僕のことは、ジェリーって呼んでっ。リアは僕に敬語を使っちゃダメだよ」
ジェリーと呼ぶことに加え、ちゃっかり敬語禁止まで付け加えるあたり彼は策士だ。だが、幼い策士のこの要望に応えない手はない。
「分かったわ、ジェリー。じゃあ、今日の夕食は一緒に食べる?」
「うんっ……一緒に食べる!」
こうして夕食を共にする言質はもらった。
そのため、ジェロームに二人分の夕食の用意を頼み、私は一旦部屋に戻った。
そして、ジェラルド様もといジェリーの使用人を選定し直すことにした。