78話 不朽の約束
カリス殿下は、後から追いかけると仰っていた。だが、カリス殿下の方が後から到着したら、ややこしいことになる可能性もある。
そのことを考慮し、私はカリス殿下が先に到着して自然な形で合流できるよう、あえて遠回りの道を御者に指定した。
そんないつもより長い道のり。その間、私がずっと気にしていたのは、隣に座るジェリーだった。
ジェリーと乗る馬車は、いつだって和やかな雰囲気に包まれている。ジェリーが楽しそうにお喋りをしてくれるからだ。
しかし、当然ながら今日の車内は、沈鬱とした空気が広がっている。いつもだったら気にならない馬車の走行音も、車内が静かなためか今日は酷く脳内に響く。
こんなことになってしまったのはどうしてだろうか。そんなことを自然と考えてしまい、さまざまな思いが脳裏を過ぎる。と、そんな中、私の左腕に寄りかかる体重を感じた。
「ジェリー……?」
もたれかかってきた彼の名を呼び掛けた。すると、ジェリーは上目遣いで、ただ私の目をジッと見つめ返してきた。
その視線を受け、私の手は自然とジェリーの右手を握り締めていた。すると、ジェリーは私の左手を強く握り締め返すと私から視線を逸らし、ただ前だけを見つめ始めた。
そして、どちらも喋ることなく、ただ互いの手を握り締めたまま、馬車は目的地である王城へと到着した。
「無事着いて良かった。まずはジェラルドから降りようか」
馬車から降りると、後から到着することが分かっていたという様子のカリス殿下が、馬車の降り口に立っていた。そして扉を開けると、流れるようにジェリーを馬車から降ろし、続いて私の降車もエスコートしてくれた。
「移動しようか。僕について来てくれ」
カリス殿下はそう告げると、私たちと歩幅を会わせながら歩き、来賓室へと案内してくれた。来賓室は、ジェリーと私だけが通され、使用人たちは一緒に入ってこなかった。
「エミリア。僕は今から、父上に話を通してくる」
そう告げるや否や、カリス殿下の視線が私の隣に居るジェリーに降り注いだ。刹那、殿下はすぐに私に視線を戻し、言葉を続けた。
「父上は今、コーネリアス兄上との話が終わった頃だろう。……半刻ほどで戻る。その間に、少しジェラルドと話すといい」
最後の方は少し声を潜めながら話をすると、カリス殿下はジェリーの頭を大きな手で優しくポンポンと撫でた。そして、そのまま大丈夫だと言うように目配せしながら一度頷くと、陛下の元へ向かうべく、殿下は来賓室から立ち去った。
こうして、この部屋には私とジェリーだけが残った状態になった。
「ジェリー、座りましょうか」
そう声をかけ、ジェリーと共に長椅子へと移動し、二人で横並びに腰かけた。隣に座るジェリーは、家を出た時と比較し、だいぶ落ち着きを取り戻していた。
だが、ジェリーが本心では不安でたまらないことは確かだ。そのため、私はジェリーに軽く向き直り、気を引き締めて声をかけた。
「ジェリー。私がここに来た理由を説明するわね」
この言葉を聞き、ジェリーは浅く頷きながら、両の手の拳を強く握りしめた。そのことに気付きながらも、私はジェリーに決然たる現実を告げた。
「私がここに来たのは、陛下にマティアス様との離婚の申し出をするためよ」
「っ……」
息を呑むジェリー。だが、彼は私の考えを分かっていたのだろう。キュッと口元を引き締めると、ジェリーは慌てることなくジッと私の目を見つめ返してきた。
そして、私はそんなジェリーに話を続けた。
「離婚の意志を曲げる気はないわ。でも……っジェリーと離れたいわけではないの。捨てるなんて、考えてすらいないことよ」
マティアス様がジェリーに吹き込んでいた話が脳裏を過ぎり、思わず胸が詰まって、言葉に閊えてしまう。
すると、強張った表情をしていたジェリーは、途端に口元を震わせ始めた。そして、出来るだけその震えを出さないようにした様子で、ジェリーが口を開いた。
「うんっ……分かってる。だって、リアが誰よりも僕を愛してくれてるって、僕が一番知ってるもんっ……」
ジェリーはそう言うと、私の手にそっと自身の手を重ねてきた。その言動は、私の心を大きく揺り動かした。
――皆に嫌われていると思いながら日々を過ごしていた子が、自分から愛されていると言ってくれた。
そう思えるようになったのねっ……。
傷付いたジェリーに何をしてあげられるだろうか、どうしたら彼の心の傷が癒えるだろうか。そんな試行錯誤の中、ガヴァネスや家族として、どんなに忙しかろうとジェリーとの時間を作ってきた。
毎朝一緒に、使用人たちに挨拶をして回ったこと。勉強をしたり、一緒にピアノを弾いたりしたこと。本を読み、一緒にお花を植えたこと。
お義母様のお墓参りに行った思い出や、互いに誕生日を祝い合った思い出。
雷の日は、怖がるジェリーと一緒に眠った。まだ大人が怖い気持ちが強かったころのジェリーが体調を崩した時は、デイジーと交代で夜通しでも看病をした。
ティナも入れて三人で買い物に行って、ジェリーとティナの着せ替え人形になった思い出。貴族らしさよりもジェリーの好奇心を優先して、冬になり庭に積もった雪に二人で一緒に飛び込んだり、雪だるまを作ったりして遊んだ思い出だってある。
私が忙しいときに、手伝いと称して部屋にやって来たジェリーが、一生懸命本を運んでくれたことや、クロードと共に作った花束をプレゼントしてくれたこと。
苦手な食べ物が出たら、シレっと私のお皿に載せてくるジェリー。だけど、私もその食べ物が苦手だと言うと、私の分まで食べる勢いできちんと平らげるジェリー。
挙げたらきりがないほど、この二年弱の間にはジェリーとの思い出が詰まっている。
ジェリーに少しでも元気になって欲しい。そう思って過ごしたこの年月、気付けば私もかなりの元気をジェリーからもらっていたのだ。
――出来ることならもっと大きくなるまで、傍で見守っていてあげたかったっ……。
思い出と共に切なさが込み上げ、感極まり涙が溢れそうになる。
すると、ジェリーはそんな私を見て反動を使いスクっと立ち上がると、私の正面へとやってきた。
「ねえ、リア。リアが僕に愛を教えてくれたんだよ? だから、僕も愛を以て……っリアに言いたいことがあるんだ」
そう紡いだジェリーは、目に涙を溜め切なげながらも、軽く口角を上げてどこかスッキリとしたような表情をしている。
そんなジェリーを見て、私はこの先の言葉を何となく悟った。
「……っ教えてくれる?」
そう訊ねると、ジェリーは小さなその手で、片手ずつ私の両手を掬い上げた。そして、掬い上げた手に力を入れ、口を開いた。
「僕としばらくお別れしよう」
「っ……!」
ジェリーから告げられたその錨のついた矢のごとき言葉は、私の胸に刺さり深く沈む。選ばざるを得ない道、そのことを強く痛感したからだ。
だが、しばらくとはどういう意図で言ったのだろうか。そう思っていると、ジェリーは更に言葉を続けた。
「幾重の季節が過ぎ去ろうと、揺るがぬ掛け替え無き想い。今もなお朽ちぬその想いは、この身が果てようとも変わらぬ。確乎不抜の信念すらも超越する境地、その不朽を見つけし者こそ誠の強を得る。彼もそうだ……」
諳んずるジェリーが、私にも促すように一つ深く頷いた。そのため、私はジェリーにつられるように、その続きを紡いだ。
「「長くも短き人生の中、人間誰しも別離がある。されど不朽を見つけし者は、紆余曲折あれ、自らの誠の強で願いを叶える。彼は、この長い旅路で不朽を見つけた。そんな彼が彼女と再会できたのは、誠の強を得たことによる必然だったというわけだ」」
ジェリーと共に諳んじ終え、私の心臓はドクドクと音を立て鳴り始めた。そんな中、ジェリーが声をかけてきた。
「不朽を見つけて、今度は僕がリアに会いに行くよ」
「ジェリー……」
私の方が子どもだと錯覚しそうなほど男前なジェリーの発言を聞き、思わず彼の名を漏らしてしまう。だが、まだジェリーの方が子どもだったみたいだ。
「だからっ……グスっ、リアと別れるのはすっごく、すっごく悲しいけど、ちょっとだけ……っお別れしよう。僕、必ず、っ……堂々と、リアと会えるようにする、から……ううっ……」
ついに堪えきれないと言った様子で号泣し始めたジェリーは、衝突とでもいうかのような勢いで、正面から思い切り飛び込むように抱き着いてきた。そして、私はそんなジェリーを受け止め、鎖骨辺りに顔を埋めて涙を流す彼を、包み込むように強く抱き締め返した。
「早く見つけるからねぇ……ううっ……」
「うんっ……私も大好きなあなたに会いたいわ」
「僕もだよぉっ……。絶対に、僕から会いに行くからねっ……うぅっ……待っててねっ……グスッ……」
「ジェリー……ありがとう。待ってるわっ。必ず会いましょうねっ……」
離婚したとしても、ジェリーと会うことは不可能ではないだろう。
だが、ジェリーの強い決心や想いが痛いほどに伝わり、彼は必ず不朽を見つけて会いに来る。そんな確かな予感がした。
◇◇◇
「リア、お願いがあるんだ」
先程まで泣いていたジェリーが泣き止み、私の隣に座り直して話しかけてきた。
「お願い? 何かしら?」
こんな状況でのお願いなら、どんなお願いでも叶えてあげたい。そんな思いで訊ねると、ジェリーは少しモジモジとした様子で口を開いた。
「今日は、僕もリアもお城にお泊りするでしょう?」
「恐らくそうなると思うわ」
「あのね……リアと一緒に寝たいんだ。お兄さんになるなら本当は駄目だと思うけど、今日はリアと一緒に寝たいの。リアお願い……今日、一緒に寝てくれる?」
七歳になったらお兄さんになるから、雷が鳴っても一人で寝てみようと約束していた。だからこそ、雷でも何でもない日に私と一緒に寝ることは、ジェリーも駄目だと思ったのだろう。
しかし、ジェリーのこのお願いを拒否するという選択肢は無かった。私が幼いジェリーの願いを叶えられる、最後の機会だと思ったからだ。
そのため、私は笑顔でジェリーに返事を返した。
「もちろん。今日は一緒よ! ジェリー、約束しましょうか」
そう言って、ジェリーに小指を差し出す。すると、ジェリーはパァーっと顔を明るくし、慌てた様子で私の小指に自身の小指を絡めた。
――どうか、ジェリーが幸せに生きられますようにっ……。
約束とは関係のない願いが、思わず胸に込み上げる。そんな中、約束を終えた私たちは、互いに絡ませた指を解いた。
するとそのタイミングで、来賓室の扉がノックされる音が聞こえた。
そのノックの正体、それは陛下が私を呼び出しているという知らせだった。




