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73話 一筋の光と暗雲

「少し落ち着いた?」



 涙が引き始めた頃、カリス殿下が心配を覗かせながらそっと訊ねてきた。その言葉で、私の意識はハッと現実へと引き戻された。



――信じられない。

 こんなに泣くつもりなんて無かったのに……。



 自身の醜態が脳内をフラッシュバックし、思わず現実から目を覆いたくなる。しかし、そうするわけにもいかない。

 そのため、今更取り繕えないことは承知の上で、私は姿勢を正し、改めて殿下に向き直った。



「申し訳ございません……殿下。お見苦しい姿をお見せしました」

「謝ることじゃないよ。ずっと耐えていたんだ、無理もない」

「っ……ありがとうございます」



 嫌な顔一つせず、むしろ気遣いの言葉をかけてくれる殿下。そんな殿下の優しさに気付き、私は素直に感謝の念を伝えた。



 すると、殿下は頷きながら一度深い呼吸をし、張り詰めた雰囲気を溶かすように穏やかな口調で声をかけてきた。



「ちょっとお茶でも飲もうか」



 そう言うと、殿下は自身の目の前にあるティーカップを手に取り、それを口元へと運んだ。そして、一飲みするとこちらに視線を向け、私にも飲むようにと目配せしてきた。



――飲めば少しは気持ちを切り替えられるわよね……。



 殿下に促されるまま、私も自身の目の前に置いてあるティーカップを手に取り、ゆっくりと口元へ近付けた。



 そのときだ。ふと殿下の視線が薄らいだことに気付いた。そのため、私はティーカップに口をつける前に、それとなく横目で殿下を見やった。



 するとそこには、いつの間にかティーカップをソーサーに戻し、膝に肘を突いて両指を絡め、思案顔になっている殿下がいた。

 しかし、ジッと見たせいだろう。殿下は、ん? と何かに気付いた様子で、こちらに視線を戻そうとした。



――不躾過ぎたわ。

 誤魔化さないと……。



 何となく、この視線に気付かれたくない。

 そう考え、私は何事も無かったようごく自然を装い、手に持ったティーカップに口をつけ、そのまま残り少なくなっていたお茶を飲み干した。



 こうして、飲み干したカップをソーサーに戻したところ、間もなくカリス殿下が話しかけてきた。



「あのさ、エミリア。言いづらいと思うが、一つ確認しておきたいことがあるんだ」



――言いづらいこと……?

 何かしら?



 私に言いづらいことを確認したいと言いながら、殿下の方が気まずそうな顔をしている。

 しかし、私にはその理由の見当がつかない。

 となれば、聞くしかあるまい。



「どういったことでしょうか?」



 そう素直に訊ねると、カリス殿下は一度自身の手で口元を隠した。



 だが直後、気まずさから吹っ切れたように口元から手を外し、淡々と私の質問の答えとなる確認をしてきた。



「エミリア。君はマティアス卿と関係を持ったことはあるか?」

「関係……ですか?」



 突然関係と言われても何についての関係か分からない。



――私とマティアス様で関係を持つ?

 一体どういうこと……?

 でも、今この話の流れで訊かれる関係っていうと……。



 自身の脳内で推理を広げていく。そして、その関係が何を指しているのかを理解した瞬間、私は急いでカリス殿下へ問いの答えを返した。



「っ! いいえっ……。も、持っておりません」



 つい、挙動不審な言動になってしまう。

 だが、殿下はそんな私の様子を気にすることなく、私の答えを聞くと、先ほどよりもずっと真剣な表情になり口を開いた。



「それなら、白い結婚として主張するんだ。今の状況から抜け出すには、その方法が最適だ」

「白い結婚ですか……?」

「ああ」



 呆けた様子で私が漏らした言葉に、殿下は肯定の意を示した。その直後、殿下は続けて白い結婚についての情報を話し始めた。



 ◇◇◇



――なら要するに、白い結婚を主張して離婚をしたら良いということよね?

 でも、それは……。



 確かに離婚は現状打破という観点で見ると、合理的な手段だ。

 しかし、この状況で突然離婚と言われても、すぐに対応出来るほどは頭が追い付かない。

 だが、そんな私にカリス殿下は話を続ける。



「肉体関係を持っていなかったら、白い結婚として認められる」



――そう聞いたことがあるわ……。



「そして、白い結婚の場合、離婚が認められる可能性がかなり高い」



――それは分かるんです。

 だけどっ……。



「白い結婚だと主張したら離婚できるし、この状況からも――」

「ちょっと待ってください」

「どうした? 何か気になることがあった?」



 私が声をかけると、カリス殿下は一度話を止め、私の顔を心配そうに見つめてきた。そのため、私は彼に急いで心に渦巻く懸念を伝えた。



「もし離婚できるとして、私がそんなことをしたら、ヴァンロージアやブラッドリーの人々は……?」



――それに何より、ジェリーの問題だってある。

 私に心を開いて信頼してくれているし、やっと心の傷が治り始めたばかりよ。

 そんなときに、私がいなくなったらっ……。



 確かにつらいと弱音を吐いてしまった。だが、冷静に考えればこのつらさから逃げてはいけない現状がある。

 そんな思いで、私はカリス殿下に問いかけた。



 すると、殿下は私の言葉を受け、切なげに眉を寄せた。かと思えば、懇々と言い聞かせるような口調で話し始めた。



「エミリアはエミリアの人生を生きる権利がある。君は十分、人のために動いている。だからその分、自分のためにも生きてくれ。人ばかりを優先するな」

「そういうわけには……。今、ブラッドリー家はカレン家と姻戚関係になったからこそ、辺境伯の支援を受けられている状態です」



 現在、アイザックお兄様がブラッドリーの領主を務められているのは、お義父様の力添えあってこそだ。

 事実、お兄様の手腕だけではとても及ばないであろう領地経営が、きちんと為されている。



 こうして、確実に安泰の道を見つけたのに、領地が荒れるリスクを負ってまで、再びその道を壊す勇気は私には無い。

 自分でも情けないとは思うが、お兄様が法的な裁量権を握っている限り、きっと無理だろう。



 そう考えながら、私は更に言葉を続けた。



「それに、ヴァンロージアの人々も私を信頼して受け入れてくれています。やっと領地が安定して肥沃になる過程の今、領主夫人である私が混乱を招いてしまったら……」

「……ったか?」

「えっ……」



 カリス殿下のグッと感情を堪えたような声が、微かに耳に届いた。そのため、反射的に声を漏らして口を閉ざすと、カリス殿下が真っ直ぐに私を見据えて、もう一度口を開いた。



「ヴァンロージアの人々はそんなに弱かったか?」



 その問いに対する答えが、頭の中に様々浮かんでくる。しかし、すぐに言語化できずにいると、カリス殿下は言葉を続けた。



「エミリアは、人々が自分を信頼してくれたと言ったよな?」

「はい……」

「じゃあ、エミリアもヴァンロージアの人々を信頼してみないか?」

「しん……らい……」



 カリス殿下の口から出た言葉は、私にとってまさに青天の霹靂だった。



――信頼していないという訳ではないわ。

 なのに、どういうこと……?



 カリス殿下も、私が信頼していないと思って言っているわけではないだろう。

 だからこそ、言葉の真意を考えあぐねていると、殿下は「エミリア、こっちを向いて」と声をかけてきた。



 そして、私は言われるがまま殿下の方を見た。すると、視線が交わったその瞬間、殿下が訴えかけるように口を開いた。



「エミリアはヴァンロージアで盤石の基礎を築いた。その基礎があるからこそ、人々もそれを基準に、自身の頭で考えながら生きていけるようになっている」

「っ……」

「それに、ヴァンロージアの執事長は有能だと聞いたし、今はマティアス卿やイーサン卿だっている」



 その言葉を聞いて、私は頭を殴られたような感覚になった。



――そうだわ。

 今は二人が帰って来たし、私が嫁ぐ前はお義父様の管理下とはいえ、もともとジェロームが取り仕切っていたのよ……。



 状況が違うとは言え、私が嫁ぐ前も領地は問題なかった。改善点は多くあれど、最低限は保たれていた……。



 そんな現実が硬直していた思考に叩き込まれ、自身の自惚れに気付かされる。



 ヴァンロージアが発展したのも、すべて私だけの力という訳ではない。

 発展させたのは人々の力であり、これから発展するかも人々の力にかかっているのだ。



 もちろん、領主が主導者たる人間でなければならないのが前提だが、今はお義父様に加え、成人済みの息子が二人もいる。



――それなのに私、自分が居ないとって自分を過大評価しすぎ――。



「エミリアがいなくても困らないという訳じゃないよ。事実、エミリアがここ数年頑張ったからこそ、土地や人々が強くなれたんだ」



 私の思考を遮断するように、カリス殿下が柔らかい声音で話しかけてきた。かと思えば、殿下は「な? ティナ嬢?」と私の背後に声をかけた。



 その名前を聞き、私は反射的に背後にいるティナの方へと振り返った。

 すると、振り返った私の顔を射抜いたティナが、零れそうな涙を堪えながら、必死に口を開いた。



「はいっ……。エミリアっ様は、本当にずっと頑張ってきたんです……。だから、ヴァンロージアは領地改革に成功したしっ、人々も生き生きと暮らせているのですっ……」



 その言葉を聞き、私は今までの想いがグッと込み上げ、思わず自身の唇を食んだ。

 すると、カリス殿下はティナに礼を告げながら、再び私へと話を振ってきた。



「ほら、エミリアの一番近くにいた人がそう言っているんだ」

「はいっ……」

「それに、エミリアの功績を貴族たちは皆認識している。なんせ、カレン辺境伯がずっと自慢していたからな。それに、アイザック卿やビオラ嬢も、ある意味君の功績を広めていたと言える」



 そう言うと、カリス殿下は先程よりも少し声を低めて言葉を続けた。



「だからこそ、ブラッドリー家はカレン辺境伯に頼る必要はなくなる」

「ど、どういうことですかっ……?」



 カレン辺境伯に頼らなくても良くなるなんて、願っても無い話だ。

 そのため、聞き零してはならないと耳を傾けカリス殿下を凝視すると、殿下はほんのり口角を上げ口を開いた。



「君はヴァンロージアで数々の改革を成し遂げた。しかも、君の力を元に領地全体を発展させたということは周知の事実。だから、白い結婚を理由に離婚したとしても、その実績を材料にブラッドリー家の裁量権を――」

「おい」


 話の流れから、一筋の希望を見出し始めた。

 その瞬間、聞き覚えのある冷酷な声が、カリス殿下の話を遮った。



 ……心臓を握られたような感覚と共に、悪い予感が脳裏を過ぎる。



――まさか……。



 声の主に、酷く心当たりがある。そのことに気付き、私の身体中から恐怖が湧き上がってきた。



 だが、この感情を本人に悟られてはいけない。そんな意識の下、ゆっくりと声が聞こえた方向である扉の方へ顔を向けた。



 すると、案の定そこには鬼の形相になったその人物がいた。

 そして、私と目が合うなり、その人物は地を這うような低い声で話しかけてきた。



「エミリア。……これは一体どういう了見だ?」

お読み下さりありがとうございます<(_ _)>


以下、補足です。読まなくても構いません。(気になる方だけお読みください)


(補足)エミリアの此度の結婚は、実家の領地を守るために女性が出来る数少ない方法です。(この作品の世界線において)

 またエミリアは、貴族として生まれたからには、という「在り方」と「責任」の考えが、他の貴族より強い子です。

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