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72話 耐え続けた少女

 ジェリーが居なくなったこの部屋には、沈痛な空気が流れ始めた。これから話す内容を考えたら当然のことだろう。ただ、そのような空気の中、私はある問題について考えていた。



――カリス殿下は放っておけないと言うけれど、殿下を巻き込む話ではないわ。

 だってこれは家門内での問題だもの……。

 それに、カリス殿下は一国の王子。

 本来こんなことに巻き込んで良い人じゃない。

 ジェリーは怒るだろうけど、我慢してはいけないとか……そう言う問題じゃないわ。



 ……思わず、軽く歯を食いしばってしまう。膝上で重ねた手にも、自然と力が入る。

 そんな中、ついにカリス殿下が声をかけてきた。



「エミリア。何度も言っているが、知ってしまったからには僕は見過ごせない。だから――」

「大丈夫です。気にしないでください」

「は……?」



 心配してくれているのは分かるが、カリス殿下を巻き込めない。そのため、私は困惑の表情を浮かべるカリス殿下に、さらに言葉を続けた。



「心配をおかけし申し訳ございません。実は一昨日、マティアス様に謝罪していただきました。だから本当に大丈夫なんです」



――こう言ったら引いてくれるわよね?

 心配をかけないように、もっと毅然としないと……。



 そう思っても、思わず口元が強張っているのが自身でも分かる。しかし、心配をかけまいと、私はカリス殿下へと顔を向け、心の内がバレないよう軽く口角を上げた。



 今まで同じ状況でも、お兄様やビオラ、マティアス様の前ではこうして乗り切ってこられた。だから、カリス殿下の前でも毅然とした態度を貫き通せばきっと……。



 そう思っていたが、カリス殿下は私の考えとは裏腹な反応を示した。



「本気で言っているのか?」



 心臓を鷲掴みにされたと錯覚しそうなほど、低くてそれは冷たい声が部屋に響いた。



「で、殿下……?」



 いつも優しい微笑みを浮かべている殿下。その殿下の表情からは今、一切の笑顔が抜け落ちていた。代わりに、その表情からはいつもは無いはずの怒りが感じ取られる。



 そんな殿下はというと、先ほど漏らした私の声に反応し、動揺する私の目を躊躇う様子もなくジッと見つめてきた。

 その目に見つめられると、私の心のすべてを見透かされているような気分になってくる。



――どうしたら良いの……?



 あまりにも想像に反する反応に、私は戸惑いが隠せない。必死に考えを巡らせるが、現状を打開する方法なんて浮かんでこない。時間が経つごとに、焦りが募る。



 すると突然、カリス殿下が表情に浮かばせる怒りが鳴りを潜めた。そして、おもむろにカリス殿下が口を開いた。



「エミリア」

「はい」

「君の顔にそう書いてくれていたら、僕もその言葉で安心出来たよ。でも、君の顔はそう言っていない」

「えっ……」



 その言葉を聞き、自身の心臓がドクンと跳ねるのを感じた。それと同時に、私はカリス殿下の視線から避けるよう反射的に軽く顔を下げた。



 今までずっと、誰にも気付かれなかった。鈍感なお兄様やビオラ、マティアス様だけじゃない。お父様や、ずっと一緒に居るティナだって気付かなかった。



 それなのに、カリス殿下は私の表情と言葉の繋がりをはっきりと否定した。やはり心を見透かされていたのだと、動揺が全身を駆け巡る。



 するとそんな中、殿下から顔を逸らした私の耳に、殿下の更なる言葉が飛び込んできた。



「エミリア……君のつらい気持ちに気付かないわけないじゃないかっ……」



 酷く優しい、それでいてどこか痛みを感じるような声だった。

 その切なさを滲ませた声を聞き、私は思わず息を呑んだ。ティナがいるであろう背後からも、息を呑む声が聞こえてくる。



「ねえ、エミリア」



 名前を呼ばれ、思わず視線が泳ぐ。そんな私に、殿下は現実を突き付けながら、自身の強い意思を告げてきた。



「僕は怒ってるよ。君が自分で自分を傷付けているから。常態化した自己犠牲は美徳でも何でもない。……ただ、エミリアが自己犠牲せざるを得なかった状況だったことも理解できる。僕はそこから君を救いたいんだ」



 かつて君の存在が僕を救ってくれたように……。



 そんな言葉が耳に届き、私は自身の耳を疑いながら、思わずカリス殿下に顔を向けた。すると、悲痛さを孕んだ真剣そのもののカリス殿下と視線が交わった。



 そして、殿下はもう逃がさないとばかりに真っ直ぐに私を見据えると、切なさを滲ませた声色で言葉を続けた。



「つらいと君がそう一言言ってくれれば、僕は持てる力の全てで君を助ける。お願いだ。これ以上我慢して、自分を犠牲にしないでくれ」



――どうしてそこまで……。



 カリス殿下の言葉が、私の心の隙に侵食してくる。駄目だ駄目だとこれまで堪えてきたものが、一気に崩壊しそうだ。



 私が今まで犠牲になれば全部上手く収まっていた。それなのに、私が逃げてしまったら? そう考えると、すべてが不安でたまらない。



 ジェリーのこと、使用人のこと。私を認め、領主夫人として慕ってくれているヴァンロージアの人々。そして、実家であるブラッドリー領の人々。

 私の行動一つで影響が出る人々が心に過ぎり、酷く心が揺さぶられる。それと同時に、心が悲鳴を上げているのが自分でも分かる。



――本当はつらくてたまらない。

 だけど、言えない。

 怖いっ……。

 ああ、どうしたら――



 そう思った瞬間、爪が食い込み血が出そうなほど固く握った自身の手に、そっと温かいものが触れた。



 ……カリス殿下の左手だった。

 そして、その温かい手は私の固く握りしめた左右の手を解き、私の両手を包み込んだ。



「カリス、殿下……」



 勝手に彼の名が口から零れ出る。すると、カリス殿下はそんな私に対し、先程までの感傷的な声色とは異なる、凛とした声で告げた。



「逃げても良い。僕が君の逃げ場になる。何かあればすべて僕のせいにすれば良い。何があっても、絶対に僕がエミリアを守る」

「……っ!」

「後悔は一生続くが、勇気は一瞬だ。僕は、エミリアに自分のための人生を歩んで欲しい。お願いだ、エミリアっ……」



 目頭が熱くなると同時に、視界に透明の膜が張られ始める。

 そしてついに、私の心の澱は堰を切ったように想いとして溢れた。



「本当はつらい。ずっと……っつらかった。言えなかったけど、ずっと……耐えてっ……」



 それ以上は、もう喋れなかった。すると、カリス殿下はうんうんと頷きながら、声をかけてくれた。



「勇気を出してくれてありがとう。エミリア……っ必ず助けるよ」



 どうやって助けるつもりなのかは、全くわからない。だけど、カリス殿下の助けるという言葉を聞いただけで、とても頼もしく感じ安心できた。

 だからだろう。透明の薄膜が張られた視界が一気に滲み、張り詰めた糸が切れるように、どっと涙が溢れてきた。



 そのとき、スッとカリス殿下がハンカチを差し出してくれた。そして、私はというとそれを受け取り、気が緩んだせいか子どものように泣いてしまった。



「今までずっと一人で抱えてきたんだな」



 泣いている私に向かって、カリス殿下がそう声をかけてきた。それに対し、私は不敬を承知ながらも、ハンカチを目に当てたまま、うんと頷きを返した。すると、殿下が「よく頑張ったな」と言葉を返したのが耳に届いた。

 そのときの声が、掠れを帯び僅かに震えていたのが妙に印象に残った。

ここまでお読みくださりありがとうございます。


ブクマやご感想をしてくださった方、嬉しいです。ありがとうございます(﹡ˆ﹀ˆ﹡)


また、誤字脱字報告をしてくださる方。本当に助かっております。ご指摘下さり、ありがとうございます<(_ _*)>


今話でお分かりかと思いますが、エミリアはめちゃくちゃ頑固です。そう生きざるを得なかったエミリアの心を溶かすのは、本当に大変なのです。

また、当然ですがティナは後ろで大号泣しています。


裏話、失礼いたしました。

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