62話 革新の光芒
「ふふっ、エミリア夫人」
コーネリアス殿下が愉し気に笑いながら、私の名を呼んだ。
「はい……?」
「今日はあなたのお陰で、実に良い気分だ」
「そのように思っていただけたのでしたら幸いです」
踊り始めた当初とは異なり、晴れ晴れとした笑顔を見せた殿下。その表情を見ると、私には分からない殿下の苦悩があったのだと強く感じる。
――私がその苦悩を、少し緩和できたということかしら?
もしそうだとしたら、それがカリス殿下たちのためになったと願うばかりね……。
他人でなく兄弟だもの。
そうあって欲しい。そんな感情が私の心に広がり行く中、殿下がふと独り言ちるように声を漏らした。
「ブラッドリー侯爵には悪いが、君が領主という世界を見てみたかったな」
心臓がドクンと跳ねた。まさか次期国王ともあろう人物が、従来の固定観念をひっくり返すようなことを言うとは思ってもみなかったのだ。
ただ、これは殿下のちょっとした気まぐれで出た言葉だろう。そう思い、殿下のその言葉に無理矢理笑顔を作って答えた。
「っ……私は女ですから」
「女性だからなんだ?」
先ほどまで晴れ晴れとした顔をしていた。そんな殿下が、私の発言一つで目の奥の色を変えた。
笑っているのに笑っていない。気楽な雰囲気に見せかけて、私たちの周りだけ真剣な空気で包まれている。
そう感じるほど、殿下の発した言葉には重みがあった。思わず息を呑んでしまうほどだ。
すると、殿下はそんな私に笑顔のまま、至極真面目なトーンで話を始めた。
「この国は、特に貴族の間で男性優位の思考が根付いている。女性にとっては生き辛い部分もあるだろう」
「っ……」
「……私はね、相応しいのであれば女性が領主になる選択肢があって良いと考えている。そんな世界は望んでいないか?」
女性が領主になれる世界。この国に生まれてから、そんな世界が訪れるなんて考えてもみなかった。
だが、もしそれが実現するとしたならば……。
心臓の波打ちを強く感じる。そんな中、私の表情を読み取ろうと、殿下が軽く頭を傾げた。そして私は、その視線で促されるままに答えた。
「領主権に性別を問わない世界、それはそれで新たな問題や課題が生じるでしょう。……ですが、きっとある者の心を救うことにもなると思います」
女性が領主になっても良い世界だったら、私がマティアス様に嫁ぐ必要は無かった。アイザックお兄様はビオラが大好きだから、きっと忙しい領主の仕事は私に任せたはずだからだ。
そうとなると、お義父様にブラッドリー領を守ってもらう必要も無い。よって、私がマティアス様と結婚しなければならないという状況も生まれなかった。
――女性として生まれたことが嫌だと思ったことは無いわ。
ただ、もし女性に領主権があったら、私の場合、ここまでつらい思いをしなかったかもしれないのよね……。
たらればを考えたところで意味はない。そう思ってあまり考えないようにしていたことを、初めて言葉にしたような気がする。
そんな私に、コーネリアス殿下は凛とした眼差しで「そうか」と合槌を打った。そして、最後にもう一つと質問を投げかけてきた。
「あなたがヴァンロージアに領民誰もが通える学堂を作ったと聞いた。その意図は?」
意外な質問だった。なぜそのような質問をするのだろうと疑問に思う。だが、訊かれたことに対する返答を優先することにした。
「有能な人材を増やすためです。それに、学びの場を設けることは、人々の生活の豊かさにもつながると思ったのです」
「豊かに……?」
「はい。知識が増えれば、問題解決能力も上がりますし、生き方の選択肢も増えます」
「確かにその通りだな」
「はい……。ですので、平民である領民たちにも教育機会を拡充し、ゆくゆくはそれらが領地全体の繁栄に繋がればと思い、学堂を設置いたしました」
――こういった答えで良かったのかしら?
充分な答えになっていただろうかと少し不安になる。しかし、殿下は私の不安を払拭するかのように、満足げな表情で微笑み口を開いた。
「なるほど……。その話を聞けて良かった。今度はおと――」
殿下が話をしている途中だったが、ちょうどそのタイミングでワルツが終わった。
そのため、私たちは足を止め、とりあえず互いにダンス終わりの一礼を交わした。
その後、殿下が再び口を開いたが、その口から出た発言は、先ほど言いかけた言葉とは違う内容だった。
「それでは楽しい時間をありがとう。見て見ろ。もうマティアス卿が迎えに来ているぞ」
そう言われ、殿下の視線を辿れば、王妃様と共にこちらに歩いてくるマティアス様が視界に映った。
その光景を見て、私の心にはモヤモヤとした複雑な気持ちが充満する。
マティアス様が一歩、また一歩と近付くたびに、自然と自身の手に力が入るのが分かった。
――今度こそ、マティアス様と踊るのね。
まだ心の整理なんて全然できていないのに……。
逃げ場はないというように、勝手に周りから塗り固められ、外堀を埋められているような感覚がする。その感覚を少しでも遠ざけたい。
そんな思いで、私はマティアス様たちから視線を逸らし、コーネリアス殿下に話しかけた。
「殿下っ……」
「どうした?」
「先程、何か言いかけておられませんでしたか?」
「ああ! 別に大したことじゃないんだ。ただ、今度は弟たちも交えて君とそういった話をしてみたいと言おうとしたんだよ」
「そ、そうだったのですね……」
軽く言うが、一介の貴族が王子たちと政治的な話をするだなんて、異例中の異例だろう。思ったよりも、コーネリアス殿下は革新的な人なのかもしれない。
そう思っていると、殿下が客観的に見て違和感のない程度に少し屈み、私に顔を近付けてきた。そして、小さくポツリと呟いた。
「……気付かないふりをしてくれてありがとう」
「えっ……」
驚いて、横に立っている殿下に顔を向けた。すると、言葉を発することなく、ただ優しく微笑む殿下と目が合った。
その瞬間、殿下がいる方とは反対側の手を、暖かい何かが包み込んだ。
「エミリア、待たせたな」
……マティアス様だった。
彼はいつの間にか、コーネリアス殿下に王妃様を預け、私の手をそっと掬い上げた。その流れで、彼はそのまま殿下に声をかけた。
「コーネリアス殿下、妻と踊っていただき、誠にありがとうございました」
「いいや、礼を言いたいのはこちらの方だ。実に楽しい時間だった。ありがとう」
そう言うと、コーネリアス殿下はカリス殿下の面影を感じるような笑顔を私に向け、王妃様を連れてその場から去って行った。
その瞬間、私はマティアス様と二人きりになってしまった。だが、正直マティアス様と踊る気分には到底なれない。
そのため、私は奥の手その一を使うことにした。
「マティアス様」
「どうした?」
「あの……少々休憩したいので、今からテラスの方に行ってもよろしいでしょうか?」
「そうか。では、俺も一緒に――」
恐らく、一緒に行くと言おうとしたのだろう。だが、マティアス様がその言葉を言いきることは無かった。
「お姉様〜!」
「エミリア~!」
そう。あの二人が、私を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。




