61話 友人の悩み
耳に流れ込んでくる優雅なワルツの音楽。その音に合わせて踊りながら、私は目の前の男性について考えていた。
――コーネリアス殿下はいったい何を考えていらっしゃるの?
どうして私の相手に名乗り出たのかしら?
どれだけ考えても、これだという答えが全く思いつかない。そのため、表情から何か読み取れる要素はないかと、コーネリアス様の顔にさりげなく視線をやった。
そのとき、ふと彼が目の下に薄らとクマを抱えていることに気付いた。それに、初めて見た時から感じていた印象通り、今日も哀愁を漂わせている。
……何だか写し鏡を見ているような気持ちだ。
そう思った刹那、コーネリアス殿下が話しかけてきた。
「私が君の相手を申し出た理由が気になるかな?」
「えっ……」
まさか、自分からいきなり核心に触れる発言をするとは思っておらず、思わず反応が遅れてしまった。しかし、コーネリアス殿下がそんな私の様子を気に留めることは無い。
「君の素晴らしい評判は、ここ最近何度も私の耳に入ってきたよ。だから、そんな君に訊ねてみたいことがあって、相手を申し出たんだ」
「訊ねたいこと……ですか?」
コーネリアス殿下の人物像が分からないため、何を訊ねられるのだろうと、不安でつい身構えてしまう。
だが、続くコーネリアス殿下の声は、私の不安を緩和するような優しい声色だった。
「実は、友人の悩みに答えられなくて困っていてね……。でも、君からその答えのヒントを得られそうな気がしたんだ」
「そんな……。殿下は私のことを高く見積もり過ぎではないでしょうか? ご期待に沿ったお答えが出来るかどうか……」
「そんなに謙遜しなくて良い。期待に沿おうなんて深く考えず、ただ、君の率直な意見を聴かせてほしい」
少し掠れた声。それは、どこか懇願を思わせる、彼の心の隙間から漏れ出た声のようだった。
そのため、私は思わずハッと殿下の顔を直視した。直後、ふざけの色無く、真っ直ぐに私を見つめる殿下と視線が交わった。
そのせいだろう。気付けば、私の口からは「承知しました」という言葉が発されていた。
すると、殿下はフッと僅かに強ばる表情を緩め、例の友人とやらの話を始めた。
「その友人は長男で、家系を継がなければならないんだ」
その言葉を聞き、私の脳内にはアイザックお兄様が思い浮かんだ。きっと、アイザックお兄様なら有り得そうにない悩みを抱えている人の話なのだろう……。そう何となく察せる。
「……彼には数人弟が居てね、その弟たちはさまざまな才能に特化しているんだ」
「才能に特化……ですか?」
「ああ。この分野はあいつだったら、こっちの分野はこいつだったら、自分よりももっとずっと上手くやることが分かっていると、そう言っていた」
そこまで話すと、コーネリアス殿下は表情に少し暗い影を落とした。そんなコーネリアス殿下の様子に気付き、私の中でその友人と言われる人物の推理が始まった。
「友人は友人で、基本的に何でもそつなくこなすタイプなんだ。だが、特別秀でた面や、飛びぬけた長所や才能があるわけではない。それなのに、長男という理由だけで家督を継ぐことに、不安を感じているんだ」
――自分よりも秀でている弟がいる自覚がある。
だから、生まれた順番のせいで、自身が家督を継ぐことになって不安なのね……。
私がその人と同じ状況だったら、確かに悩んでしまうだろう。そう共感の念を持ちながらコーネリアス殿下を見つめると、彼の唇が確かに震えた。
その光景を見た途端、推理中の私の脳内をある疑念が過ぎった。
――このご友人の話って、コーネリアス殿下の兄弟関係にも当てはまるわよね。
このご友人は、コーネリアス殿下自身のお話?
もしかして……と思うが、とりあえず今は話の続きを聞くことに専念するしかない。
そう思ったその時、殿下はゆっくりと形の良い唇を動かした。
「それと同時に、友人は家督を継ぐ存在でなくなったら、いよいよ自分の価値が無になると思っている」
ほんの少し、殿下の手に力が入ったのが分かった。しかし、殿下は私にあくまで他人事のように話を進める。
「だから、友人は、劣等感があるくせにその座に縋ってしまう。そんな考えのせいで、弟に迷惑をかけ、かなり酷いことをした自覚もあると……そう言っていた」
その発言の直後、殿下は一呼吸置いた。かと思えば、彼は説明を始めて以降、初めて感情をむき出しにした声を発した。
「だが、彼は弟を苦しめたいわけじゃないんだっ……。私はその友人に何と声をかけたら良いのだろうか? あなたの考えを聴かせてほしい」
正直言って、重すぎる内容だ。それに、この友人の正体は恐らくコーネリアス殿下自身。気軽に答えられる内容ではない。
だが答えないわけにもいかない。
そのため、必死に思考を巡らせ、私なりの答えを導き出し、それを殿下に伝えることにした。
「言い方に賛否あるのは重々承知ですが、そのご友人は、いわゆる完璧主義者なのではないでしょうか?」
「っ確かに……そうかもしれない」
――多少自覚はあるのね。
それなら、話がしやすいわ。
「私は、何かだけを完璧にする人よりも、網羅的にそつなくこなせる人の方が、ある意味オールラウンダーとして、貴重な存在だと思います」
「オールラウンダー?」
「左様です。ですので、お話を聞く限り長としての素質があるのは、御令弟よりもむしろ、そのご友人だと思いました」
「えっ、わ……ゆ、友人が?」
「はい。そのように思います」
本当に率直な意見だった。別に、コーネリアス殿下に媚びるためについた嘘ではない。
しかし、殿下はにわかに信じがたいというような表情で、質問を重ねてきた。
「そ……そうか。ただ、友人がオールラウンダーだとしても、何かの分野で一位になるほどのことは無い。それはどうカバーする?」
「私がもしその方の立場でしたら、御令弟たちの才能が特化している分野は思い切って任せるか、分担してその問題を解消させると思います。そして、自分はまとめ役を担います」
そこまで言って、一応大丈夫とは思うが補足も付け加えた。
「もちろん、御令弟が信用できる人物だったらの話ですが……」
そう、信用できなければ、結局何も上手く回らないのだ。なんて思っていると、殿下は気まずそうな声を漏らした。
「信用は出来るが……そんなにも友人の都合良く頼んでも良いのだろうか? 今までつらい思いをさせたんだ。虫が良すぎるんじゃ……」
「その通りです」
「――っ!」
この言い分だけ聞くと、虫が良すぎるとは思う。しかし、この話が本当にコーネリアス殿下のことならば、国民の生活もかかった話になるだろう。
そうとなれば、カリス殿下は無碍に切り捨てることは無いはずだ。
――カリス殿下は遊び人と言われているけれど、内面は合理的で冷静な人よ。
きっと彼なら、私情と仕事は切り分けて協力してくれるはず。
それに、コーネリアス殿下の奥様のシエナ妃殿下が臨月だから、尚更大勢を困らせるような判断はしないはずだわ。
ジュリアス殿下は分からないが、少なくともカリス殿下ならそうするはず。そう考え、私は殿下に言葉を続けた。
「確かに虫が良すぎます。しかし、今までのことを詫び、心情を明らかにし、真摯な態度で頼めば、聞き入れてくださるのではないでしょうか?」
真っ直ぐとコーネリアス殿下を見つめながら告げた。すると、彼の大きく見開かれた目と視線が交わった。そのため、私は殿下に念を押した。
「ただし、詫びて終わりではありません。そのうえで、御令弟のためになる贖罪をすることが大切だと思います」
「ああ、私もそれには同意だ。今まで酷いことをした分、これからは弟を全力で守り助けなければならないということも加え、友人に伝えてみるよ」
そう言うと、コーネリアス殿下の表情が一気に和らいだ。まるで、拘束から解き放たれたかのようにスッキリとした様子だ。
そして、ふっと目を細めたその優しい笑顔は、私の中のコーネリアス殿下の印象を変えるには十分だった。




