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6話 女主人として最初の試練

 出発から八日が経ち、私たちはヴァンロージアに到着した。どうやら、お義父様が馬に魔法をかけてくれていたようだ。

 そのため、想像よりずっと早くに到着し、私たちはとうとうカレン辺境伯の本邸へと足を踏み入れた。



 執事長を筆頭とした、使用人たちによる出迎えは壮観だった。お義父様が早馬で事前に伝えてくれていたから、準備してくれていたのだろう。



 こうした出迎えの後、執事長は慌てる様子なく上品な笑顔を携え、私たちを部屋へと案内してくれた。



「お嬢様っ……いえ、奥様。皆さんお優しそうで良かったですね!」

「ティナ、油断は禁物よ。もう少し様子見しないと……安易に判断できないわ。隙は見せちゃダメよ」

「……っ! はい、承知いたしました」



 本当は私だって優しい人たちだと思いたい。だけど、どこの領地においても、嫁が使用人から軽んじられるのは良くある話だ。

 その結果、初手で舐められ家での立場を失った女主人を何人も知っている。夫が家に居なければ、尚更そういった状況に陥りやすい。



 だからこそ、執事長以外の使用人とは出迎え以外のコミュニケーションを取っていない今、まだ気を緩めるわけにはいかなかった。



「じゃあ、とりあえず食事を摂るわ。執事長は案内役を手配すると言ってたわよね?」

「はい。既に部屋の前に居られるようです」

「では、行きましょうか」



 腹が減っては戦は出来ぬ……お父様がよく言っていた言葉だった。この言葉に従い、私は腹ごしらえをしようと部屋から出て、扉付近にいた案内役の使用人に声をかけた。



「これからよろしくお願いします。ダイニングまでの案内をお願いいたします」



 そう声をかけると、使用人はぶっきらぼうに言葉を返して来た。



「じゃあ、付いてきてください」

「あなた、奥様に向かってその言いか――」



 今の話し方を聞き、ティナは腹が立ったのだろう。だが、ここで怒りを見せるのは得策ではないため、手でそっとティナの言葉を制止した。



「……ここがダイニングです。早くお座りください」

「ありがとうございます」



 偉そうな使用人の態度に、腹が立たないわけではない。だが、私には考えがあるため、その後も他の使用人を観察した。



「これからよろしくお願いします」

「あっ! 奥様! こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!」



 そう言って、嬉しそうに笑い返してくれる人もいる。その一方で……



「はぁ……はい、どうも」

「チッ……今忙しいんです。話しかけないでくれますか?」 



 そう返してくる使用人もいた。何なら、言葉を返しすらしない人もいる。

 どうやら同じ屋敷の使用人でも、私を快く迎え入れてくれる人と、そうでない人の二種類の人間がいるようだ。



 しかも、夫のマティアス様が居ないことを良いことに、全く悪感情を隠そうともしない。

 だが、まあ良い。それならば、こちらもこちらで好きにやらせてもらう。



「ティナ、執事長にこう伝えて。大広間に使用人を全員集めてくれと」



 その伝令が上手くいったのだろう。執事長に準備が整ったと言われ大広間に行くと、多くの使用人が集まっていた。



「使用人は全員揃っていますか?」

「はい。今日は奥様がいらっしゃる日でしたので、全員揃っております」

「そうですか。ありがとうございます」



 辺境とは言え侯爵家に準ずる辺境伯家。ブラッドリー家と同数程度の使用人がいた。そのうちの一定数は、値踏みするかのような冷たい視線を私に向けてきている。

 そんな使用人たちに、私はある課題を課すことにした。



「ブラッドリー家から参りました。マティアス様の妻のエミリアと申します。早速ですが、あなたたちに書類提出をしてもらいたいと思います」

「「「「「――っ!」」」」」

「各々の出身と経歴、この屋敷でどのような仕事をしてきて現在に至るのか、また要望や補足等を紙にまとめて提出してください。期限は明日の正午です。虚偽が判明した場合は処罰の対象になりますので、真実のみをお書きください」



 そう告げると、大広間には使用人たちのどよめきが広がった。しかし、そんなことを気にしていられない。



「執事長、あなたは彼らのこれまでの賞罰と、人格や評価についてまとめて提出してください」

「承知いたしました」



 その執事長の返事に対し、使用人たちの約半数はしかめ顔をしている。だが私が解散を命じたことで、使用人たちはそれぞれの持ち場へと戻って行った。



「執事長」

「奥様、ぜひジェロームとお呼びください」

「分かりました、ジェローム。お願いがあるのですが……」

「はい、何なりと仰せください」

「ジェラルド様にご挨拶したいんです。案内をお願いできますか?」



 早めに会っておきたい。そう思い、執事長もといジェロームにお願いすると、彼は切なげな表情で「もちろんでございます」と言い、ジェラルド様の部屋へと案内してくれた。



「こちらが、ジェラルド坊ちゃまの部屋です」

「ありがとうございます」



 扉の向こう側にどんな子どもがいるのかが全く想像がつかない。そのため、緊張しながらコンコンコンコンッと部屋のドアをノックした。

 そして、しばらく間が空き返事が聞こえた。



「……なに?」



――なに? だなんて、随分と素っ気ないのね。

 反抗期かしら……?



「今日からこの家で暮らすことになった、エミリアです。ジェラルド様へご挨拶に参りました。ドアを開けてもよろしいですか?」

「……っいいよ」



 ジェラルド様の部屋の中から、少し投げやりな言い方で入室を許可する返事が聞こえてきた。お義父様の話も併せて考えると、想像以上に繊細な子かもしれない。



――この子の場合、特に初対面が肝心なはず……。

 今この瞬間、この子に嫌われたらおしまいだわ。



 そんなことを考えながら、私はそっとドアを開けて部屋の中を覗いた。すると、ベッドの上に座り本を読んでいる男の子が目に入ってきた。

 明るいミルクティーベージュの髪色に、それは美しい翡翠の目をしている。すると、その翡翠の瞳がスッと私たちの方へ向いた。



「あっ……ジェロームもいたんだ」

「はい、左様でございます。ジェラルド坊ちゃま、こちら、マティアス様の奥様になられたエミリア様ですよ。ジェラルド坊ちゃまのお義姉様です」



 このジェロームの説明に驚いたのだろう。ピクッと少し肩を揺らした後、ジェラルド様は私を真っ直ぐに見つめた。かと思えば、彼は直ぐに投げやりな言葉を発した。



「っ! あっそう。僕のことは放っておいていいよ」



――そんな訳にはいかないわ。

 何か会話の糸口を見つけないと……。



「ジェラルド様」

「なに?」

「今お読みの本は、ローワン・グリシャムの不朽(ふきゅう)ですか?」



 今ジェラルドが手に持っている本は、とても5歳児が読むような本ではない。随分と難しい本を読んでいる。


 私は10歳でも理解できなかった。なんて過去を振り返り訊ねると、本に視線を戻していたジェラルド様は驚いた顔で私を見つめた。



「分かるの……?」

「ええ、私も実家で読んでおりました」

「じゃあ、『人は泡沫(うたかた)(すが)るものだ』って台詞がある理由を説明してよ。本当に読んでたら言えるはずだよ」

「ハテニアの台詞ですね」

「う、うん」



 私を試したいのだろう。きちんと答えたら、ジェラルド様も少しは安心してくれる気がする。



「ハテニアの台詞の続きは、『だが、不朽を見つけた者こそが誠の強を得る』ですよね?」



 そう尋ねると、ジェラルド様は私をジッと見つめながら、控えめに頷いた。



「この台詞は、ハテニアが敵のエルメギにかけた言葉です。もし今先程私が言った部分だけだと、ハテニアは人の儚さや弱さを知らず、強さという概念に固執した人間だと取れます。実際、登場人物も皆ハテニアをそう見ています。しかし、本当のハテニアは人の想いに寄り添える繊細な心を持つ人間でした。それをエルメギや読み手にこの時点で示唆(しさ)するために、あえてその台詞を入れたのだと解釈しました」

「ふ、ふーん。嘘じゃないみたいだね。……ねえ」

「どうされました?」

「っ問題出してあげるから……また来なよ」

「はい……ではまた明日来ますね!」



 少し心を開いてくれたと思っても良いのだろうか? ジェラルド様のこの小さな歩み寄りに嬉しさを感じながら、私は部屋を後にした。

 そして、自室に戻る道中ジェロームに訊ねた。



「ジェラルド様は、誰に対してもあんなご様子ですか?」

「はい……ですが、今日の発言にはびっくりしました。普段は誰も寄せ付けず、あんなに心を開いて下さりませんので……」



 病弱だから、多くの人と話をする機会が少ないのかもしれない。先ほどのように一人で部屋に籠る時間が続けば、あんな態度になってしまうのも理解できる。

 もしかしたら、想像以上にずっと寂しい思いをしてきたのかもしれない。



 ただ、私には一つの疑問があった。誰がジェラルド様に文字を教えたのかだ。5歳であんなに難しい本を勝手に読めるようになるわけがない。

 そもそも、簡単な本だとしても文字を知らなければ読めるはずが無いのだ。



 ジェロームに訊ねたら、躊躇いなく教えてくれるだろう。だが、もう少し心を開いてくれた時、ジェラルド様本人に聞いた方が良いような気がする。



「私、ジェラルド様に毎日会いに行きますね」



 そう告げると、ジェロームはホッとした様子で少し涙ぐみながら頷き微笑んでくれた。

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