59話 時限爆弾
――ついに到着してしまった……。
そう心で呟きながら、私はマティアス様とともに降車した。
毅然とした態度を意識してはいるが、上手く取り繕えているのか心配になってくる。
しかし、逃げるわけにもいかず、私は腹を括り会場に向かって、その重い歩を進めた。
「エミリア、もう少し掴んでも良いぞ?」
マティアス様の腕に私が添えた手の範囲は、ほんのわずかだ。そのためか、私をエスコートするマティアス様が、不思議そうに声をかけてきた。
だが、現段階で私はマティアス様に思い切り腕を絡ませるなんて無理だ。
その理由はいたって単純。絶対に感情が顔に出てしまうと分かっているからだ。
それに、マティアス様もマティアス様で、何故そんな態度を取れるのか、理解が出来ない。
しかし、このことをそのままマティアス様に言う訳にもいかない。よって、私は嘘では無い言い分を、咄嗟に彼に返すことにした。
「この方が楽なんです。今日は、この体勢にさせてください」
「そ、そうだったのか。なら、このままにしておくと良い」
予想外。そんな感情が湧くほど、マティアス様はすんなりと私の言い分を受け入れた。
今のマティアス様と接してみると、別人格と話しているとしか思えないくらいだ。
ただこの会話以降、マティアス様が喋ることは無かった。もちろん、私から話しかけることも無かった。
こうして、静まり返った気まずい空気の中、私たちは会場入りした。その瞬間、大勢の視線が私たちに降り注いできた。
この痛いくらいの視線から、一瞬で今夜私たちが注目されているのだと分かる。
――ここまで人に注目されるなんて初めてよ。
絶対に、粗相だけはしないよう気を付けないと……!
そう思っていると、さっそく近くにいる人物が話しかけてきた。
「お久しぶり、エミリア様」
自身の名前を呼ばれ、その声の聞こえた方向に視線を向ける。するとそこには、お義父様に事業相手として紹介されたドーソン侯爵夫妻が立っていた。
ちなみに、声をかけてきたのは夫人の方だ。
「ドーソン侯爵様、ドーソン夫人、お久しぶりです」
動揺しているなんて思えない。そんな笑顔を作り出し、私は彼らに挨拶を返した。
すると、ドーソン夫妻は呼応するように、にっこりと微笑みかけてきた。その直後、侯爵がハッとした表情になり、私の隣に目を向けて口を開いた。
「マティアス卿もお久しぶりです。お噂通り、王都にいらしていたのですね!」
「はい、お久しぶりです。……まさか、私のことが噂になっているとは」
「当然ですわ。辺境を守った英雄ですもの。辺境伯も卿のようなご令息がいらして、さぞ誇らしいことでしょう」
その夫人の言葉を聞き、私の胸はツキンと痛んだ。だが、そんな私に隙を与えないとでも言うように、夫人は間髪入れず話を振ってきた。
「ところで、エミリア様。今日着ているドレスは、もしかしてリラード縫製のものかしら?」
「左様でございます」
そう、このドレスはリラード縫製のものだ。こうして見ただけで分かるということは、リラード縫製のブランディングと宣伝が上手くいっている証拠だろう。
なんて思っていると、質問してきた夫人は私の肯定の意を聞くなり、あからさまに目の色を変えた。そして、先ほどとは異なる戦略的な顔付きをし、声のトーンを少し上げて言葉をかけてきた。
「リラード縫製の服は、王都で今一番注目されているでしょう? ビオラ嬢が着ているドレスがとても素敵で、ずっと欲しかったの。でも、あなたのドレスを見たら、もっと欲しくなったわ」
そこまで言うと、夫人は侯爵に視線を向けた。すると、侯爵は苦笑しながらも代弁するように、言葉を引き継いで話しかけてきた。
「リラード縫製は人気で、今予約待ち状態なんだ。……よければ、エミリアさんの伝手で、優先的に作るよう頼んではもらえないだろうか? もちろん、金額は弾むよ」
そう言うと、ドーソン夫妻は私に期待の眼差しを向けてきた。
もちろん期待に応えたくない訳では無い。しかし、この頼みを聞いたら、予約制度の意味が無くなってしまう。
――うーん、どうしましょう……。
あっ! これなら!
ふと、あることを思い付いた。
そのため、彼らにそれを告げようとしたが、その前に隣にいたマティアス様が口を開いた。
「現在の予約を後回しにし、注文を受けるよう言伝することは、領主として出来かねます」
「――っ!」
「しかし、リラード縫製は近々王都にも店舗を構える予定です。その出店の際、優先的に予約を受け付けるよう、リラード縫製の代表に私から言伝をしておきましょう」
その言葉を聞いた途端、一瞬曇ったドーソン夫妻の表情は一気に晴れ上がった。それと同時に、私の心は波風を立てていた。
――私の考えと全く一緒だったわ。
ちゃんと事業計画にも目を通していたのね……。
何でこんなにも心がモヤモヤするのだろうか。
私に話しかけてきたのに対し、マティアス様が答えたからという訳ではない。
ただ、そういうことはきちんと把握していたのかと思うと、妙に落ち着かないのだ。
しかし、今ネガティブな思いを増幅させても、何も良いことはない。
そのため、私はこの気持ちをギュッと胸に封じ込め、微笑みを絶やすことなく、また別の参加者たちと話を始めた。
◇◇◇
さっきの人は、砂糖を多く買うから少し金額を下げてくれと頼んできた。その前の人は、ドーソン夫人のようにリラード縫製の話をしてきた。
そのほかも、事業の話を持ち掛けてくる人ばかりだ。
マティアス様にも反応しているが、皆が予想外なほど、事業の方ばかりに関心を寄せている。
そんな印象を抱き、私は心の隅で少しホッとした。
しかしそんな中、私には現在直面している問題があった。
――舞踏会なのに主催者の陛下たちがまだ来てないから、踊る前に社交疲れしてしまいそうよ……。
マティアス様とずっと一緒にいないといけないから、ストレスもかかるし……。
いつ豹変するか分からないもの……。
マティアス様と一緒にいる現在は、まるで時限爆弾を抱えているような気分だ。
そう思っていると、ふと目の前にメベリアの領主である、アトラス伯爵夫妻が現れた。
すると、彼らは急いだ様子で私たちの元へと駆け寄ってきた。
「マティアス卿、初めてお目にかかります。……夫人、お久しぶりです。あなたにずっとお礼が言いたかったのです」
いきなり現れたアトラス夫妻。そんな彼らに、突然お礼が言いたかったと言われたが、特別何かをした覚えは無い。
――お礼って何かしら……?
思い当たるものを色々と心の中で考えてみる。そして、ある一つのことが思い当たったと同時に、隣にいたマティアス様が口を開いた。
「もしや、妻が行った食料寄付のことでしょうか?」
マティアス様が私を妻と呼ぶなんて、不意打ちすぎだ。とても変な気分になる。
違和感がありすぎて、何だが気味悪く落ち着かないのだ。
だが、アトラス夫妻がそれらのことを知る由もない。そのため、二人はマティアス様の言葉を肯定するように笑顔で頷くと、それは嬉しそうに言葉を続けた。
「はい! 左様でございます! あの時、我々は厳冬の影響で餓死寸前でした。そんな中、唯一食料を送ってくださったのが、夫人だったのです。他領にも関わらず、本当にありがとうございます」
言いたかった礼。それは、私の予想通りのものだった。
よって、私は他領だと気にするアトラス伯爵に、思ったままの言葉をかけた。
「他領といえど、同国の民を助けることに変わりありません。それに、私たちに助けられる余裕があったからこそ、助けられたのです」
「その余裕を持たせることも、夫人の手腕あってこそでしょう。夫人には、感謝してもしきれません」
「ありがとうございます。ですが、正直なところ私は何も特別なことはしておりません」
「と言いますと……?」
私の発言に、アトラス伯爵夫妻は不思議そうな顔を向けてきた。そんな彼らに、私はただただ事実を告げた。
「他者を助けられるような環境を作ってくれたのは、ヴァンロージアの民たちで、食料寄付に最も貢献したのも、実質は彼らなのです」
「確かに……。でも、助けるという選択をしたのは夫人です。他領の民のため、ここまでして下さったのは夫人だけなのです」
そう言うと、アトラス伯爵は何かを思い出すように苦し気な表情をした。
そのため、そんな伯爵に私は率直な思いを伝えた。
「今回はメベリアでしたが、私たちが困ることもあり得ます。片方が困っていて、もう片方に余裕がある。そういう時は、他領であっても助け合って良いのではないでしょうか?」
そう告げると、二人とも頷き出し、伯爵が口を開いた。
「その通りですっ……。ただ、メベリアはヴァンロージアに何かあった際、必ずお助けすると約束させてください」
「ありがとう存じます」
そう言葉を返した時だった。会場に大きな声が響き渡った。
「国王陛下、王妃様、並びにコーネリアス王太子殿下、ジュリアス第二王子殿下、カリス第三王子殿下のご入場です」




