57話 心は置き去りのままに
きっと目の前の人物たちは、私の心境なんて気付いていないのだろう。そんな複雑な想いが胸を占める私に対し、今度はお義父様が口を開いた。
「この愚か者や私のせいでエミリアを傷付けることになり、本当にすまなかったっ……。ただ、水に流せとは言わないが、どうかマティアスとヴァンロージアを守ってほしい。エミリア、頼む」
そう言うと、お義父様は一度上げていた頭を再び深く下げた。
「お義父様、顔をお上げください。それに、跪くのもおやめください。……マティアス様もです」
「だが――」
「負担なんですっ……」
本当はこんなに強い言葉を使いたくはなかったが、思い切って告げた。かなり勇気を出し強く言ったせいで、胃が締め付けられるように痛む。
すると、本気でやめて欲しいという私の想いが伝わったのだろう。お義父様とマティアス様はその場に立ち上がった。
この部屋から少しでも早く立ち去りたい。そんな思いが込み上げて来ていたため、私も彼らと連動するように立ち上がり、背の高い二人を見上げて言葉を告げた。
「私たちの今までのことは、許す、許さないの問題ではありません。……マティアス様」
「なんだっ……?」
気遣うように優しい声で返事をされ、思わずゾッとした。本当にマティアス様じゃないみたいだからだ。
しかし、私はその動揺を悟られぬよう意識し、言葉を続けた。
「私たちには守るべき民がいるのです。私は別にあなたと恋愛をするつもりで、結婚したわけではありません。……あなたに愛人が居ようが、お慕いする方が居ようが、領主としての責を果たすのでしたら、私は一向に気にしません」
「愛人なんて作るわけっ……!」
先ほどとは一転し、一瞬怒ったと錯覚するほど険しい顔でマティアス様が言葉を放った。
だが、そんなマティアス様の反応に思わず私の肩が跳ねたせいか、マティアス様は慌てた様子で声をかけてきた。
「お、怒ったわけではないんだっ……。驚かせてすまない。ただ、愛人を作る気はないと知って欲しかったんだ……」
――この言葉が嘘じゃないことは分かるわ。
だって、あなたにはミア・オルティスがいるものね。
そんなことを考える自分に、つい嫌気が差す。そのため、私はそんな自分の嫌な面を振り払うように言葉を返した。
「っ左様ですか。……とにかく、私たちが民にとって、良き領主夫妻であり続ける暮らしを送ると約束してください」
――もう今のタイミングを逃したら、言う機会が無くなってしまうかもしれないわ。
割り切って本心を彼に伝えましょう……。
そう自身を奮い立たせ、私は今でも少し恐怖を感じるマティアス様に想いを告げた。
「それと、今回の謝罪についてですが、私は言葉よりも行動でしか謝罪の誠意を理解できません。なので、今謝罪に対する返答は控えさせていただきます」
「ああ、分かった。これからは行動でエミリアに誠意を伝えよう。俺も領民にとって良い領主夫妻である暮らしが出来るよう、行動を改める。……っ今までずっとすまなかった」
そう言うと、マティアス様は傷付いた様子で顔を歪めた。
――なぜあなたがそんな顔をするの?
そう思っていると、お義父様が唐突にとんでも無い提案をしてきた。
「エミリア、こんなタイミングで言うことではないかもしれないが、明日の舞踏会はマティアスと一緒に行ってくれないか?」
「えっ、一緒に……ですか?」
あまりに唐突な申し出だったため、頭が真っ白になってしまう。だがそんな私に、お義父様は言葉を続けた。
「きっと国王にはマティアスが王都にいることが伝わっているはずだ。二人が王都に来ているというのに、エミリアだけが参加したら…………賢いエミリアなら分かるだろう。すまないが、明日はエミリアのためにもどうか二人で参加してくれ」
「――っ!」
よくよく考えると、マティアス様は中の見えない馬車ではなく馬で来た。よって、マティアス様を知る人物がその姿を見ていれば、今頃マティアス様の居場所は周知の事実だ。
それに何といっても、彼は国民にとっては辺境を守り抜いた指揮官であり、英雄だ。そんな彼が王都に来たことが、噂にならない訳が無いのだ。
――もし明日私だけで舞踏会に行ったら、確実に私の評判だけが悪くなる。
なんてタイミングで来たの……。
私が王都に居ることは知られているし、王室舞踏会だから行かない訳にもいかない。
選択肢なんて、有って無いようなものじゃない……。
マティアス様と二人で参加するなんて、想像するだけで何が起こるか不安だ。
しかし、断るわけにもいかず、私がお義父様に返せた言葉は、分かりましたの一択のみだった。
すると、お義父様は私の返事を聞き、あからさまに安堵の表情を見せ言葉を続けた。
「エミリア、本当に今回はすまなかった。これからも、どうかよろしく頼む。君に甘えてばかりの父子ですまない。……疲れさせてすまなかった。部屋でゆっくり休んでくれ」
そう声をかけてきたかと思えば、お義父様は私に対するものとはまるで別人のような声音で、マティアス様に話しかけた。
「マティアス、エミリアを部屋まで送ってさしあげろ。夫としての役目だ」
「はい、承知しました」
――夫としての役目?
別にそんなことは、求めていないのだけれど……。
お義父様とマティアス様の間で会話が繰り広げられている。その内容を聞き、私は思わず二人に声をかけた。
「ティナもいますし、部屋には一人で帰れます。どうか私のことはお構いなく……! 行きましょう、ティナっ……」
そう告げ、私は「失礼します」という言葉を残し、ティナを連れて足早に部屋から出た。だが、そんな私を彼は追いかけてきた。
「エミリア、待ってくれ!」
「家の中ですし、わざわざ送っていただかなくて結構です。気持ちだけ受け取りますからっ……」
「エミリアはもう俺のことを嫌っているかもしれない。だが、俺はエミリアと少しでも関係を修復したい。どうか、せめて部屋まで送らせてくれっ……」
部屋まで送るだけで修復する関係ならどれだけ良かったか。
そんなことを思ったが、断ることすら疲れたため、私はマティアス様に部屋まで送ってもらうことにした。
送ってもらうと言っても、喋らず隣り合わせで歩くだけなのだが……。
そして、長いようで短い沈黙が続く中、私たちは目的だった私の部屋の前に辿り着いた。
そのため、私はマティアス様に向き直り、彼に言葉をかけた。
「では、失礼します」
「あ、ああ……」
彼の返しを聞いて、彼の戸惑いや狼狽が伝わってきた。だが、そのことを私が気にしたところで意味が無いと割り切り、部屋の中に入ろうとした。
だがその瞬間、ふと私の右手首が握られる感覚がし、私の心臓はドクンと跳ねた。その直後、私は必死に感情を押し殺し、極めて冷静に声を発した。
「……どうされましたか?」
「いや、その……明日の舞踏会だが、一緒の馬車で行ってくれるだろうか?」
「当然です。周囲は私たちを夫婦と認識しているのに、別れて同じ会場に行く方が有り得ませんので」
「そ、そうだよな……。馬鹿なことを聞いた。すまない……」
まったく気持ちの切り替えなんて出来ていない。私にとっては、ヴァンロージアでマティアス様に会った最後の気持ちがずっと続いている。
だからこそ、急に親切みを出したり、優しく接したりしてこられても、マティアス様にはつっけんどんな返しをしてしまう。
その一方で、マティアス様は私が素っ気ない返事をするたびに、自分が人にかけた言葉は忘れたかのように、感傷的な表情をする。
――私が冷たすぎるの?
お義父様が一番大事なのも結局はマティアス様だし、私の立場は砂の城のようなもの。
これ以上私が強硬な態度をとったら、私の方が悪者になる可能性が高い。
もう何が正解なのかも、これからどうしたら良いのかも分からないわ……。
今までの態度と一変し、弱弱しく下手に出るマティアス様の態度が、私の心にある罪悪感を遠慮なく突いてくる。そんな心境を、私は今すぐ打開したい。
よって、私は早く室内に戻るべく、マティアス様が掴んでいる右手首に左手を滑らせ、マティアス様の手を外させた。
「い、嫌だったか……? すまないっ。エミリアの断りなく掴んで悪かった」
「……はい。それでは、失礼します」
そう声をかけ、私は彼に背を向けて室内に入ろうとした。だが、私の耳に耳を疑うような言葉が入り込んできた。
「せ、せっかくだから、もう少し話でも――」
この言葉を聞いて、私は思わず彼を睨んでしまった……と思う。
あまりの彼と私の心境の乖離を感じ、苦しさが込み上げた状態で、反射的に振り返り彼の顔を見たからだ。
今日初めて、彼の顔を正面からしっかりと見た気がする。
――送るだけと言ったのに、どうしてすぐに去ってくれないの?
今日はもう彼と離れたい。
彼がここから立ち去る理由を作らないと……。
そう考えた結果、彼をこの場から離れさせる一つの方法を思いついた。そして、私はその策を実行すべく、すぐに彼に声をかけた。
「すぐに戻りますので少々お待ちください」
そう伝えると、彼は怪訝そうな顔をしながらも、一応頷きを返した。そのため、私は室内に入り、引き出しからあるものを取り出し、入り口に戻ってそれを彼に渡した。
「これは何だ?」
「ジェリーが怪我をした時に塗る、打撲に効く軟膏です。顔にも塗って良いものです。使ってください」
彼の顔はお義父様につけられた傷が残っている。その傷を治すために部屋に戻る口実を作れば、きっと立ち去ってくれると判断したのだ。
「きちんと塗れば、舞踏会までには少しマシになると思います。処置は早い方が良いので、すぐに塗ってください。……っそれでは」
「あ、ありがとう……エミリアっ……」
彼のその言葉を最後に、私は完全に部屋に閉じ籠った。
――何であなたはそうしていられるの?
私の心は置き去りのままなのに……。
薬を受け取ったマティアス様が、初めて私に向けた控えめな笑顔や感謝の言葉を思い出し、胸が苦しくなる。
いつもの地を這うような怒り声とは異なり、ジェリーと接するときの声を向けられたことで、私の心には深い悲しみが襲って来た。
こうして、マティアス様の態度と反比例するように私の気持ちは沈み、そのまま舞踏会の日を迎えた。




