55話 エミリアならば〈マティアス視点〉
領民からエミリアに宛てた手紙を読む中で、失っていた昨日のエドとの会話も思い出した。
「彼女は今や王都では、賢妻だと有名になっている。マティアスにとっては不快な話だろうが、仮にマティアスが戦死したら、彼女と結婚するのは自分だと狙っていた男も多い」
「俺の妻だと知ったうえで、そんなことを言っているのか?」
「っああ……。でも、その話を聞いて安心したんだ。マティアスがミア以外の人と結婚できたんだって。それに、姉上も彼女ならマティアスの妻として納得するだろう」
そう言うと、エドはエミリアの王都での噂をつらつらと語っていた。その内容の一部は、まさに領民からの手紙に書かれていたことと同じだった。
そして、この手紙を読み終えた俺は、酷く後悔していた。
なぜ彼女の話にもっと耳を傾けなかったのか。
どうして敵と認識し、徹底的に彼女に辛辣に当たったのか。
彼女の良い面を知っても、それを受け入れることを罪だと意地を張ったのか。
尽くしてくれた彼女に、なぜ労わりの言葉一つかけず、傷付ける言葉ばかりをかけたのか。
貴族令嬢の人生を、どうして男基準で考えてしまったのか。
戦場ではイレギュラーを常に念頭に入れ考えるのに、なぜ彼女を一括りに王都の女とまとめてしまったのか。
考えてもきりが無かった。父上たちが悪くとも、彼女自身には非は無かったのだ。
それなのに俺は、ミアや俺自身を蔑ろにされた気分になり、彼女にとにかくつらく当たった。
――彼女と会って話をしなければ……!
言い訳もせずに謝らなければならない。彼女が俺のためにどれだけのことをしてくれていたのかを、いま改めてようやく実感した。
その思いが込み上げ、俺はジェロームを探して声をかけた。
「今から王都に向かう!」
「もう日も沈みますし、せめて明日に……」
「そんな悠長なことは言っていられないんだっ……。早く彼女に謝らなければならない!」
「っ! ……承知しました。では今から御者に――」
「いや、馬で行く。挨拶も出来ずに済まないとエドに伝えてくれ。エドは明日の朝戻るはずだ。よろしく頼む」
「はい。そのようにお伝えいたします」
その答えを聞き、俺は最低限の荷物だけを持って、馬に乗り駆けだした。
だから俺は、「私は狡い人間です。すみません、奥様」なんて呟いたジェロームの言葉を知る由も無かった。
それから数日後、王都に向かう道でイーサンと遭遇した。そのとき、イーサンには父上のところに先に行けと言われた。
しかし、いざ屋敷に到着すると、一刻も早くエミリアと話がしたくて、エミリアの場所を聞き出し彼女の元へ直行した。
◇◇◇
そして、現在に至る。
俺の腕を捻り上げ掴んだ父上は、書斎に到着するなり、掴んだ腕を振り払うようにして、俺のことを突き飛ばした。
そして、怒声を浴びせてきた。
「イーサンからエミリアに何をしたのか、全て聞いたぞ! 大事な友人の娘……俺の娘も同然のエミリアに何てことをしたんだっ……!」
今の父上は、見たことも無いほど目を吊り上げ、今にも人を殺しそうな顔をしている。だが、そんなに怒ってくる父上を見ると、つい言い返したくなった。
「すみませんでした。ですが、結婚しないと言っていた俺の結婚を勝手に決めたのは父上です。父上も同罪でしょう」
そう告げると、父上は一瞬面食らったような顔をしたものの、先ほどよりも顔に刻まれた皺を深めながら、言葉を返して来た。
「ああ、そうだとも。だからこそ、その責任として今からお前の性根を叩き直すと言っているんだ」
そう告げた父上の声は、先ほどよりも落ち着いていた。かと思えば、一呼吸置いた父上は再び怒声を発した。
「イーサンからミア・オルティスのことも聞いた。お前がエミリアを苦しめたのは、全てあの女が理由か!?」
「そうです」
「なっ……。あの女は死んだんだ! それに、あの女はろくでもない女だと何度言ったら分かる。エミリアの方がずっと辺境伯夫人に相応しいだろうが!」
そこまで言うと、荒い息をした父上はエドについても言及を始めた。
「あの女の弟も、姉ばかりを信じて、妾の子を疎んでいたという理由で母親を信じぬ阿呆者! 姉は命を賭けたのに嘘なわけ無いとほざいている戯け! 何でまだあいつと――」
「ミアやエドのことを悪く言うのは止めてください! ただ……俺はエミリアが出て行ってから考えが変わりました」
そう、俺は変わったんだ。そんな気持ちを込めて、父上から目を逸らさずジッと見つめた。
すると、父上は片眉を上げ怪訝そうな顔をした。そんな父上に、俺は言葉を続けた。
「……今まで俺はエミリアに、結婚を認めた覚えはないと言っていました。しかし、それは前言撤回します。ミアのようには愛せずとも、エミリア、彼女との結婚であれば認められるし受け入れられます」
そこまで告げると、父上は怒髪天を衝くほどの怒りの形相をし、怒鳴りつけてきた。
「受け入れるとか認めるとかそう言う話ではない! どれだけお前が上から目線なんだ! そこからまず間違っている! ジェラルドでも分かることが、なぜ分からない!」
「っ……! そう、ですね……」
父上の言葉を聞き、俺は今のジェラルドを思い浮かべた。
……ジェラルドのことを大事だとは思っている。しかし正直なところ、最近の俺にとってジェラルドが弟という感覚は薄まっていた。
というのも、『エミリアの息子』そんな言葉がぴったりなほど、ジェラルドがエミリアに染まっているように思えたからだ。
しかも、色素の薄いジェラルドの髪色は、光に当たるとエミリアの髪色にグッと近付く。そのせいで、余計にそんな思考が働いてしまう。
――ただ……ジェラルドがあんなに真っ直ぐに成長したのも、エミリアのお陰なんだよな。
以前ジェラルドが、エミリアは怒ると怖いけど、怒った時もとっても優しいと謎の発言をしていた。
恐らく、ジェラルドのことをただ猫可愛がりして、甘やかしていただけではなかったのだろう。
ジェラルドと接するだけでも、彼女の人となりが十分察せられると今更気付く。
そして、俺は何を意固地になっていたのかと、再び悔悟の念が押し寄せてきた。
だが、気持ちを切り替え父上に、今の俺の考えを告げた。
「父上。俺は、他の女は無理でも、エミリアとならば夫婦関係を続けたいと思っております」
そこまで言うと、父上が声を発することはなく、その代わり眉間の皺をグッと深めた。そんな中、俺は言葉を続けた。
「そのために、まずは彼女に謝罪をしたいと思います」
「イーサンからは、以前も謝ったのに同じことを繰り返したと聞いたが? お前の謝罪にはどれだけの意味と価値があるんだ?」
父上のその言葉に、図星を突かれた感覚になり、思わず心臓がドクンと跳ねた。
しかし、俺は今回こそは本気で心を改められたと思う。
ここ数日、今回の結婚についてずっと考えていたのだ。
俺にとってエミリアとの結婚は、ミアとの誓いを破ることになり、ミアを裏切るも同義。
それは俺にとって、酷く抵抗を感じるものだった。自身のこれだけは貫くと決めた信条を、圧し折るということになるからだ。
一方、エミリアにとって俺との結婚は、領地を守るために、貴族女性の義務として自身の意思に関わらず決まったもの……。
それに、彼女の年齢や性格を察するに、自由な恋愛なんてしたことも無いはず。
楽しいとは言えない人生を送ってきたのだろう。
……冷静に客観的視点に立って考えると分かる。この結婚で傷付いたのは、俺だけではなかったのだと。
いわば、この結婚はそれぞれの痛み分け。
そして、その相手は清廉潔白で謹厳実直、なおかつ温厚で佳人かつ純潔のエミリア。
そのうえ、彼女はミアと通ずる部分があるときた。
そう考えると、この世界で唯一彼女ならば、俺も夫婦としてやっていけると本気で思った。
そのため、俺は謝罪する決意をはっきりと口にした。
「はい……イーサンの説明通りです。だからこそ、俺の謝罪に意味や価値が無いと思われるかもしれません。ですが、今回は本気で心を改めました。彼女に誠心誠意謝罪をしたいのです」
そう言葉を返すと、父上は怒りというよりも、難し気な表情へと相貌を変化させた。そして、しばらくの沈黙の後、おもむろに口を開いた。
「許されないことも有り得る」
「はい、承知しております」
「簡単に言うが、お前の今までの言動を知る限り、その言葉の信用度も薄い。謝ったとしても、エミリアも同じことを思うだろう。それでも、彼女に向き合えるのか?」
「はい。そのことも承知の上です。自己満足だと言われても、彼女には謝らねばならないことをしたので、謝罪したいのです」
その言葉の後、部屋は静寂に包まれた。長いようで短い沈黙が続く。そんな中、父上が俺の目を見つめ静かに話し始めた。
「俺は以前、お前にエミリアを傷付けるようなことをしたら、当主としての未来はないと忠告したはずだ」
父上への抗議文に対する返信を思い出し、心臓がバクバクと音を立て始めた。すると、父上は同じトーンのまま少し間を置いて言葉を続けた。
「……次は絶対に無い。もしまた何かしたら、本当にお前の代理と次期当主の権利を剥奪して、全部イーサンに移す。分かったな?」
「はいっ……。承知しました」
その言葉を聞くと、父上はその後も俺に対し説教を続けた。
それから、一時間が経過した頃、父上は俺たちがいる部屋にエミリアを呼び出した。
次話、エミリア視点に戻ります。




