54話 エミリアへの感謝たち〈マティアス視点〉
彼女に大嫌いだと言われた。
その次の日、ジェロームが俺に父上から届いたという手紙を差し出して来た。
その手紙には、結婚に至った経緯や、エミリアの結婚以前、またブラッドリー家の状況が記されていた。
また、結婚後に彼女がヴァンロージアに来てから行った施策や取り組みについても、詳らかに書き綴られていた。
昨日彼女は、嫁ぎたくないのに嫁いできたように言ってきた。その答え合わせのような内容が、手紙に記されている。
その文字を追うたびに、彼女の侍女にぶつけられた言葉を思い出し、酒の影響かは分からないが、とにかく頭が痛んだ。
だが、一つ分かったことがある。
彼女は……エミリアは、ただひたすらに真っ当かつ清廉に生きてきた人間だったということだ。俺の考える王都の女とは、似ても似つかぬような人間だった。
父上からの手紙を読み進めていくたびに、父上の脚色を抜きにしても、彼女がヴァンロージアを献身的に支えていたのだと痛感した。
こうして、何枚にも渡り綴られた報告書のような手紙は、読み進めていくたびに俺の震えをより強いものにしていった。
手紙ベースの書き方のため、ジェロームから受け取った報告書を読んだ時と違い、より感情が揺さぶられる。
後悔、動揺、焦燥、恐怖、正当化したい気持ち、正当化してはいけないと思う気持ち。
そんな感情が入り乱れた俺の心は、真っ先に彼女を求めた。
「ジェローム。彼女は今どこにいるっ……」
彼女に何が何でも会わなければならない。ジェロームなら、すぐに彼女の居場所を教えてくれるだろう。
そう考え訊ねたが、目の前にいるジェロームは顔を顰め、答えに迷ったような様子を見せた。
――なぜすぐに答えない?
っまさか、イーサンのところに!?
……いや、流石にそれはないだろう。
だが、すぐに答えられることなのに、ジェロームは何でこんな表情をしているんだ?
打てば響くように答えが返ってくると思っていただけに、俺の中で急速的に疑念が蓄積されていった。
その結果、なかなか答えないジェロームに痺れを切らしもう一度問いかけようと口を開いた。だが声を発する直前、ジェロームの口から先に声が聞こえた。
「奥様はジェラルド坊ちゃまと共に、王都へ行かれました」
「…………は?」
聞き間違いだろうか。こんなにも急に王都に行く、しかも、病弱なジェラルドまで連れて行くだなんて有り得ない。
そんな思いから、俺はジェロームに質問を投げかけた。
「そんな急に王都に行く準備なんて出来ないだろう? 母上は王都に行くとなれば、準備に十日はかけていた。本当はどこにいるんだ!」
「大奥様は、大奥様。奥様は奥様です。準備にかかる期間は違いますし、王都に行った、これが事実であり現実なのです」
その言葉を聞き、俺の中の焦燥感はより強いものになった。
――このままここにいてはいけない。
彼女に謝らなければ。
いくら俺にも事情があったとはいえ、彼女にも事情があったんだ。
それに彼女は男ではなく、貴族令嬢だったんだ……。
そう思ったときには、俺は必要最低限の物だけを持ち、部屋から飛び出していた。だが、そんな俺を止める人物が現れた。
「マティアス様、ちょうど良かったです。こちらをお読みくださ――」
「すまないが、今すぐ行かかねばならないんだ。また今度――」
「奥様のところですよね?」
エミリアを指す奥様という言葉を聞き、俺は足を止めて呼び止めてきたクロードに振り返った。クロードの後ろには、見知った顔の使用人が二人いる。
――名前は確か……ビアンカとナヴィだったか。
普段接点も無いのに、三人揃って俺に何の用が……。
不審な気持ちで三人に目をやると、クロードが口を開いた。
「奥様のところに行かれるのでしたら、なおさらこちらをお読みください」
「は? 何を――」
そう言うと、クロードは手に持っていた大きな箱を俺に押し付けてきた。そして、俺はその箱を反射的に受け取ったが、思わずその重さに驚いた。
「先程から読めと言っていたが、何だこの重さは……。何が中に入っているんだ?」
そう声を漏らすと、目の前のクロードは背後にいたビアンカに視線で指示を出した。それにより、ビアンカが口を開いた。
「こちらは、学堂の子どもたちが発端となり、領地民たちが奥様にサプライズとして用意していた感謝の手紙です」
「感謝の手紙……?」
突然出てきたサプライズや感謝の手紙という言葉に理解が追い付かず、俺は戸惑いの声を漏らした。すると、そんな俺を見て補足説明をするように、ナヴィが声をかけてきた。
「マティアス様がご帰還なさったため、一馬力で領地を支えてくださった奥様に、領地民たちが感謝を込めて手紙を書いたのです」
その説明を聞き箱の中を覗くと、大量の紙が見えた。これらの一通一通が感謝状だとするならば、とんでもない数だ。そのことにただただ驚いていると、再びクロードが口を開いた。
「手紙を書くのは任意で、奥様に読んで欲しい人は目安箱に入れるという、領地民たちが考えたサプライズでした。奥様は、必ず目安箱の投書に目を通されますので……」
そこまで言うと、いつも無表情に近いクロードが、少し苛立った様子で顔を軽く歪ませ、言葉を続けた。
「本当は奥様に読んでいただきたいです。しかし、奥様を追いかけられるのでしたら、その前にマティアス様がお読みになった方がよろしいでしょう。本当の奥様を知ることができますよ」
そう言うと、クロードたちは言いたいことは言ったというような顔をして、振り返ることなくそのまま去って行った。
そして、その場に残された俺は、箱の中の数枚の手紙に目を通そうと、重たい箱を抱えて自室に戻った。
◇◇◇
箱の中に入った手紙を読み始め、早数時間が経過した。
当初は、数枚だけ読んだらだいたいを把握できるだろうと考えていた。だが、手紙一つ一つにそれぞれの想いが綴られており、気付けばすべての手紙に目を通す気持ちに変化していた。
『エミリア様のお陰で、こうして字が書けるようになりました。ありがとうございます。就ける仕事の幅が広がりました』
『複雑な計算なんて出来ないと思っていましたが、エミリア様が老若男女誰が行っても良い学堂を構えてくださったおかげで、今では学堂で教えられるほどになりました。今の充実した生活はエミリア様のお陰です。ありがとうございます』
『エミリア様が行った改革のお陰で、畑仕事も楽になり、生産性も向上しました。辺境から帰ってきた夫が驚いていましたよ。是非、今度畑に来てくださったときは、夫を紹介させてください』
『魔法使いの僕たちが、普通の人として生きられる道を作って下さりありがとうございます。一生ついて行きます』
『エミリア様が補助金や助成金の制度を設けてくださったおかげで、夢だった店を開業することが出来ました。本当にありがとうございます』
『リラード縫製に勤めている者です。エミリア様のお陰で、今では嬉しい悲鳴を上げるほど、仕事が舞い込んできております。そのため、給与も増えましたし、領民の働き口も拡大され皆万々歳です。ありがとうございます』
『実は最近、隣領のメベリアで体調が優れず倒れてしまったんです。ですが、ヴァンロージアの人間だという理由で、本当に良くしてもらいました。エミリア様が、メベリアの食糧難の際、唯一支援をしてくださったからだそうです。エミリア様には、間接的に助けられました。ありがとうございます』
『目安箱が設けられてから、領地が一気に変わり、本当に暮らしやすくなりました。マティアス様と結婚してくださった方がエミリア様で本当に良かったです。この地に来て下さったこと、心より感謝申し上げます』
『孤児院でずっと暮らして来ましたが、こんなに文字を書いたり計算をしたり出来る日が来るとは思ってもみませんでした。普通以上の普通の暮らしを孤児の私に与えて下さり、本当にありがとうございます』
他にもたくさんの手紙が書かれている。どれもこれも、エミリアのお陰だと、そんな内容のことが綴られていた。
そして、最後手にした手紙には、時折反転した拙い文字で、『エミリアさまだいすき』と書かれていた。
その手紙に、俺の胸は酷く軋んだ。
いつもお読み下さり、本当にありがとうございます(*^ ^*)✨
もう1話、マティアス視点続きます。




