50話 君が僕にかける魔法〈カリス視点〉
ヴァンロージアや、その周辺領が厳冬の食糧難を解決した方法がパイムイモだと知った。
そのため、社交期に王都に来ていたパイム男爵に頼み、周囲には遊びに行くと思い込ませ、僕はパイム領に視察に行くことにした。
だが、まさかそこでエミリアに会えるなんて、ゆめゆめ思わなかった。彼女が来たことは、本当に予想外の出来事だった。
しかも、再会した彼女は挨拶よりも先に、気付けば僕の腕の中にいた。エミリアと分かる前に、反射的に受け止めたからだ。
だからこそ、腕の中の人物の顔を見た時、ずっと会いたいと思っていた僕の願いが見せた、エミリアの幻覚かと思った。
でも、彼女は幻ではなく現実だった。
そのことに気付く前の僕は、まるで白昼夢に浸っているような感覚で、彼女と見つめ合っていた。
何やら受け答えをして話をしたが、正直熱に浮かされたような感覚で、目の前にいる彼女のことで頭がいっぱいだ。
しかし、ふと彼女に体勢を指摘され、一気に意識が現実へと引き戻された。そのため、僕は謝りながら体勢を戻した。
――この想いを彼女に悟られるわけにはいかない。
危なかった……。
そう思いながら話をしていると、突然彼女がジッと僕のことを見つめてきた。その視線により、僕は感情を見透かされているのではないかと焦った。
そこで、僕は何とか平静さを装うための方法を考えた。その結果、ある案が浮かび、余裕があるように見えるよう笑いかけながら、僕を見つめる彼女に声をかけた。
「そんなじっと見られると照れるな……。そう言えば、こんな服装で会うのは初めてだね。どう? 似合ってる?」
そこまで言ったくせに、僕は急速的に自身の言動が恥ずかしく思えた。そのため、発言を誤魔化すために冗談だと言おうとした。
それなのに、僕のこの痛々しい発言に対し、彼女が純真な瞳で「はい……とても……」と答えるものだから、僕の心臓は壊れたように鼓動が早まり、顔にも急速的に熱が集まった。
そんな突然の再会の後、パイム男爵家で馬車の調達が出来ず、彼女が王都に行けずに困っていることが判明した。
それを知り、咄嗟に僕の馬車に乗ることを提案した。困っていると思ったからだ。
だが、その提案をした後に、エミリアと数日一緒に過ごすことになると気付いた。
そして、そのことに気付いた僕はと言うと、叶わぬ夢が目の前にいることにより、到着まで心臓が持つか不安になった。
彼女のほんの一挙手一投足が、一瞬で僕の心に魔法をかけると分かっている。そのため、出発当日は領民の手伝いをしたり、素振りをしたり、水風呂に入ったりと、とにかく心頭滅却のために出来る限りを尽くした。
それでも、彼女の前で気持ちがバレないかと不安だった。しかし、そんな僕の心を平穏にしてくれる救世主的存在が現れた。
それは、ジェラルドだ。彼はカレン辺境伯家の三男で、エミリアの義弟にあたる。
正直、僕にとってジェラルドは突き付けられたくない存在だった。僕ではない、他の男と結婚した証の一部のように思えたからだ。
だが、心の内はどうであれ、それはジェラルドを避けたり冷たくしたりする理由にはならない。
それに、お互い愛称で呼び合う程、エミリアとジェラルドは仲が良く、エミリアはとてもジェラルドのことを大切にしているようだった。
だからこそ、僕はエミリアが大切だと思っているジェラルドには、出来るだけ楽しく過ごしてほしかった。
そのため、まずは不安そうなジェラルドと打ち解けようと、僕は彼とかしこまらずに話すことにした。
そして話の中で、王都に行く理由がジェラルドの誕生日が近いからと知り、僕の宮に招待しようと伝えた。
自分で言うのも変な話だが、どんな評判の王子であれ、王子の宮に行ったということ自体が一種のステータスになるし、何かの記念になれば良いと思ったからだ。
すると、ジェラルドは想像以上に喜んでくれた。その反応に、僕も思わず嬉しくなった。
そして、過ごす時間が増えるたび、ジェラルドはエミリアが子どもを育てたら、こんな子どもになるんだろうなという体現のような存在に思えてきた。
そんな子ども、可愛がらないわけがなかった。
移動の終盤には、すっかり僕に懐いてくれたため、僕のジェラルドに対するモヤモヤは完全に払拭され、ますます情が湧いた。
そんな心境を経て、僕らは無事王都のカレン家に辿り着いた。
降車した瞬間、ロベル卿を見て僕の心には緊張が走った。ロベル卿も完全に僕を見て緊張していた。
しかし、エミリアたちはロベル卿の異変には気付いたものの、僕の様子に気付いていなかったため、そのまま安心して別れた。
◇◇◇
到着してから一夜明けた今日、ついにエミリアとジェラルドが僕の宮にやって来る。
ジェラルドがピアノを好きだと言うから、ピアノを置いている部屋に招待できるようセッティングした。
そして、二人を出迎えるために外に出てから、用意した部屋のピアノを思い浮かべていると、ふと過去の思い出が頭を過ぎった。
実は、僕はもともとあまりピアノを弾く人間じゃなかった。しかし、そんな僕がピアノを弾くようになる転機が訪れた。
僕が十八歳、エミリアが十六歳になる年のことだった。
その日、僕はエミリアの兄のアイザック卿に招待され、ブラッドリー家のパーティーに行った。行った理由はもちろん、エミリアがいると聞いたからだ。
そして会場に着くと、パーティーの招待客の一部が、僕のことを中傷している声が早速聞こえてきた。
聞くに堪えないこの中傷は、すべて僕の筋書き通りのものだった。この中傷こそ、僕がきちんと役を演じられている証拠なのだ。
……なぜ、こんなことをしているのか。
普通だったらそんな疑問が湧くだろう。馬鹿みたいだと思う人もいるはずだ。だが、僕にはそうする術しか思いつかなかった。
そうと言うのも、王太子である僕の一番上のコーネリアス兄上が、なぜか次男のジュリアスと三男の僕を酷く警戒しているのだ。
そして、その警戒はどんどん異常さを増してきていた。そのため、僕はコーネリアス兄上の座を奪い取るつもりはないとアピールするために、十五歳の頃から遊人を演じていた。
だが、やはり僕は一国の王子だ。そんな立場に生まれたからには、ノブレス・オブリージュの精神が叩き込まれている分、完全な遊人にはなれなかった。
女好きで話にならないという路線も考えたが、しがらみが逆に増えることが目に見えて分かる。よって、さすらうかのようにふらふらしている人間を演じることにした。
すると、うまい具合に皆が狙い通りの噂を流し始めた。
ふらふらとしていて、何をしているか分からずロクなやつではない。
関わって損はあっても、得は無い。
民に交じって、下々と慣れ合う貫禄のない王子だと馬鹿にもされた。
その他、聞くに堪えない誹謗中傷もあった。しかしその分、コーネリアス兄上は徐々に正気を取り戻していったため、今も兄上を騙すための演技を続けているのだ。
したがって、僕はパーティー会場で中傷が聞こえても、気付いていないふりをしながら笑っていた。
とはいえ、ずっと自身の中傷を聞いていると気分が良いわけは無く、疲れるには疲れる。
僕にだって、一応感情くらいはある。
だから、僕はそれとなくバレないように、こっそりパーティールームから抜け出した。
誰にもバレない自信があったからだ。
しかし、予想外なことにそんな僕に気付いた存在が居た……エミリアだった。
「エミリア……」
僕の口から、彼女の名前が零れ落ちた。すると、彼女は安らかに微笑みながら、「少しお時間大丈夫ですか?」と声をかけてきた。
そう聞かれても、答えは一つしかない。エミリアに想いを寄せている僕が、彼女のこの誘いを断るわけが無いのだ。
そのため、疑問に思いながらも彼女に大丈夫だと返すと、彼女は付いてくるように言い歩き出したため、僕はその彼女の背中を追った。
そして、ある部屋に入ると彼女が口を開いた。
「ここは誰も来ないので、この時間に一人で来るには少し怖かったんです。カリス殿下が居てくださって良かった!」
明るい声で彼女がそう話しかけてくるが、僕は頭の整理が追い付かず彼女に問いかけた。
「どうしてここに……?」
そう訊ねると、彼女は少し遠い目をしながら言葉を返した。
「実は、このパーティーにちょっと疲れてしまったんです。なので、気分転換をしようと思ってここに来ました」
そう言うと、彼女は部屋の中にあったアップライトピアノに歩み寄り、僕の方へと振り返って言葉を続けた。
「疲れたと思うときに、いつも弾く曲があるんです。短調だし暗い雰囲気もあるんですけど、不思議と心が落ち着くんです。これも何かの縁ですし、一曲付き合ってください。下手かもしれませんが……」
そう言いながら、彼女は気まずさ交じりにはにかみ、僕に好きなところに座れと言ってきた。そのため、僕は彼女の顔が見える位置である、ピアノの横の床に片足を投げ出すようにして座り込んだ。
すると、彼女はそんな僕の不作法を見て目を見開いた。
だが、注意をするでもなくクスっと笑い、彼女はピアノ椅子に座り、一度深呼吸をしてからある曲を奏で始めた。
その曲は、僕が初めて聞く曲だった。神秘的かつ幻想的、また音域が幅広く、切なくも美しい静と動を兼ね備えたようなその曲を聴き、演奏が終わった頃には、嘘みたいに本当に気持ちが落ち着いていた。
彼女が僕にかけた魔法のようだった。
ただ、こうして美しい旋律に圧倒されていた僕だったが、ふと彼女が椅子から立ち上がる音で我に返った。
そして、僕は我に返るなり反射的に立ち上がろうとしたが、僕が動くよりも先にエミリアが僕の隣にフワッと座り込んだ。
衝撃だった。
こんな風に床に座り込む令嬢を初めて見た。他の貴族が見たら、下品だと罵るかもしれない。特に、女性だったらなおさらだ。
それにもかかわらず、彼女は僕と目線を合わせるために、マナーを無視して床に座った。かと思えば、僕の顔を横から覗き込み、不思議そうな表情をして、何でいつも笑っているのかと訊ねてきた。
僕はと言うと、エミリアが何も気にしていないように床に座ったことと、唐突に芯を突く質問をされたことにより、きょとんと呆けた顔をしてしまった。
だが、僕をここに連れて来てピアノの演奏を始めたことも踏まえ、やはりエミリアは僕の心の疲労に気付いたのだと察した。
その途端、エミリアの優しさが胸に広がり、思わず笑みが零れた。
そして、僕は聞かれたことに答えるため、エミリアに笑う理由を告げた。でも、そこには少し誤算があった。
理由を話すたびに、エミリアが安心感のある笑みを浮かべながらも真剣に聞いてくれるものだから、ついつい本音を言い過ぎた。
そのため、僕は自身の言葉が少し恥ずかしくなって、「キザすぎてちょっと恥ずかしいな〜」と照れくささを誤魔化した。
でも、そう言いながらエミリアの顔を見るだけで、自然と頬が緩んだ。
もちろん、ピアノの効果はあっただろう。
しかし、等身大の素の僕を受け入れてくれるエミリアの存在こそが、僕の憂いをあっという間に吹き飛ばしてくれたのだ。
ただその過程で、エミリアがピアノを弾くことを、疲れた心を癒す一つの手段にしていると知った。
そのため、僕は思い立ったが吉日とばかりに、すぐにピアノを学び直し始めた。
……僕がピアノを弾くようになったきっかけは、エミリアだったのだ。
そんな過去の思い出に浸っていると、ついにエミリアとジェラルドがやって来た。
もう一話、カリス殿下視点です。




