5話 結婚なんて認めない〈マティアス視点〉
「指揮官殿!」
外から俺に呼びかける兵の声が聞こえた。
「入れ」
「失礼します!」
「どうした? ん……? それは手紙か?」
「はい。総司令官……いえ、御父上から私用の手紙が早馬で届いたので、お届けに参りました」
「私用だと……?」
私用の手紙を送るなんて父上らしくない。しかも早馬と来た。カレン家内で、何かトラブルが起こったのかもしれない。
――まさか、ジェラルドに何かあったんじゃ……!
ジェラルドは俺の五歳の弟だ。家に居る時はよく面倒を見ていたが、それも約一年前のこと。
ただ、この一年のあいだジェラルドに関する情報は、何も送られてこなかった。そのため、元気に過ごしているものだと勝手に安心していたのだが……。
「御苦労。仕事に戻ってくれ」
そう伝え、俺は受け取った手紙を急いで開封した。そして、便箋を開き内容を見たところ、暗号文まで使ってとんでもないことが書かれていた。
【マティアスとブラッドリー侯爵の長女エミリアの婚儀が、愛逢月の十七日に行われる。
よって、この手紙が届いた頃か、その数日後にはお前はもう既婚者だ。
お前に嫁ぐエミリアは、私が誰よりも信頼し、信用している恩人のブラッドリー侯爵の娘だ。貴族子女の鑑のごとく品行方正な娘だと、この父が保証しよう。
またエミリアは我々と違い、軍営育ちではない。ガラス細工よりも丁重に扱わねばならんぞ。
あと、最新情報も含めた手紙を改めて出し直すが、一応こちらも伝えておく。
そちらの戦況が、ここ一年から二年の間に変わる可能性が高い。どうやら、バリテルアの暴君が病を患ったようだ。
もし、そのまま病気が進行し万が一があれば、次のバリテルアは幼帝が玉座に就くことになる。そのうえ、今のところ帝位を譲る目星も無いようだ。
よって、あちらは数年以内に国内が混乱状態に陥る。
そうなれば、わが国には二つの選択肢が生まれる。その混乱に乗じ国土を広げるか、和親条約や不戦条約を結ぶかだ。
そして、我がティセーリンの王は後者でことを進めようとしている。まだ確定ではないが、そうなれば辺境の情勢も大きく変わる。
だからこそ、油断せず現在の職務を遂行しろ。
もしことが上手く運べば、お前とエミリアが通常の貴族のような結婚生活を送る未来も近いだろう。
そのころには、エミリアがヴァンロージアの本邸で女主人として、上手く家の切り盛りと領地経営をしてくれているはずだ。
マティアス、改めて結婚おめでとう】
書かれている内容が信じられなさすぎて、息の仕方すら忘れかける。当然、そんな俺は怒りを制御することなど出来なかった。
「っ何だと……ふざけるな……!!!!!!」
あまりにも馬鹿げた内容を見て、叫びとともに思わず手に力が入る。そして、怒りのまま手紙を握りしめ、そのまま地面に叩き付けた。もう気が遠くなりそうだ。
すると、俺の怒声に驚いたのだろう。同空間に居たイーサンが、驚いた顔をしながら話しかけてきた。
「兄上、どうしたんだ!? 父上はなんて?」
そう言いながら、イーサンは俺の足元に落ちている手紙を拾った。
「いくら腹が立っても、こんなにグシャグシャにすること無いじゃないか。一体何が書かれてたんだ?」
そんな呑気なことを言いながら、イーサンは皺を丁寧に伸ばしてから手紙を読み始めた。それからしばらくし、イーサンは戸惑った様子で声を漏らした。
「あ、兄上……結婚したのか?」
「ふざけたことを言うな! 俺は誰とも結婚なんてしてない!」
「でも手紙にはそうと……。今まで何も聞いていなかったのか?」
「当たり前だ! 知ってたらそんな知らない女と結婚なんてするわけないだろう!」
有り得ない。有り得な過ぎる。こんな勝手があって良いものか。それに、婚姻を結ぶだけでなく、婚儀を行うとはどういうことだ? もう、さっぱり理解できない。
――俺がいないのに一人で結婚式を挙げるとでも言うのか!?
いや、まさかな……。
だが仮にそうだとすれば、その女の頭は完全にイカれている。
「おい、イーサン。普通、婚儀を行うとはどういうことを指すと思う?」
「え……結婚式をするってことだろ? それで、指輪交換をして誓いのキスを――」
「そんなことまで言えとは言ってない……!」
感情を逆撫でられ怒声を飛ばすと、イーサンは呆れたような顔をした。自分も当事者になりかねないというのに、何でそんな表情をしているのだろうか。
「イーサン、お前他人事だと思ってそんな顔をしてるのか?」
「他人事も何も、父上の行動力を知ってるだろ? もう手出しも何もできない段階じゃないか」
「だが、こんなやり方はおかしいだろ!?」
あまりにも人権が無視され過ぎている。人を何だと思っているんだと、父上にも相手の女にもその親にも腹が立つ。
だが、激高している俺に反し、イーサンは極めて冷静な様子で口を開いた。
「兄上……まだ夢なんて見てるのか?」
「……っ!」
「結婚は家と家の結び付きを強化するものであって、愛なんて二の次だ。貴族の、しかも長男として生まれたからには、これはもう宿命だ。分かってただろう?」
イーサンは飄々とした様子で簡単に言ってのけるが、俺はとてもそうは思えない。そんな宿命、背負いたくて背負った訳じゃない。
しかも次男のイーサンに言われるからこそ、妙に癪に障る。
――俺はこんな結婚をするわけにはいかない。
絶対にダメなんだっ……。
「宿命なんて知るか……! 俺には、唯一と決めた女がいるんだ……!」
「兄上! その人はもう諦めろと――」
「黙れ……っ俺はあいつらと約束したんだ! そんなことを言うなら、出て行ってくれ!」
身を焦がすような恋をしたことの無いイーサンに言ったところで、俺の気持ちを分かるわけがない。
自分は関係ないといった様子で、高みから俺の感情を愚かだと諭すだけだ。そんな奴の顔を、今は見たくなかった。
すると、何を言っても無駄だと悟ったのだろう。イーサンは困ったような顔をしてそのまま出て行った。
「何が結婚おめでとうだ……クソっ……」
一度決めた誓いを破るわけにはいかない。そう思っていたのに、父上は勝手にどこの馬の骨とも知れぬ女を俺の妻にしたという。
だが、俺は絶対にこの結婚を認めない。絶っっっっっ対に認めるものか……!
こんな不合理な結婚を承諾した女だ。きっと何か策略があるに違いない。このままじゃ、ジェラルドも危険だ。
――戦地と本邸間で手紙を行き来させないようにしていたが、今回ばかりは致し方ない……。
ジェロームに、女をよく見ておけと手紙を出さなければ!
ジェロームならば、安心して女の監視を任せられる。それに、ジェラルドにはライザも付いている。自ら行動できないことがもどかしくて仕方ない。
でも俺が本邸に戻るまで、少なくともジェロームなら上手くやってくれるはずだ。そう信じて、俺はジェロームに手紙を書いた。
そして忘れることなく、父上にも怒りの抗議文を書き始めた。こうして手紙を綴るうちに、手紙にあった女の名前がふと脳内を過ぎる。
「ブラッドリー……最近どこかで聞いたような……」
思い出そうとすれば、思い出せると思う。だが、俺の人生をめちゃくちゃにした女のことなど、これ以上考えたくもない。
そのため、女のことよりも父上への抗議文の作成に集中し、書き終えた手紙を伝令兵に渡した。
一度父上にキレたことはあった。だが、それを上回る日が来ると今日までの俺は思ってもみなかった……。
◇◇◇
「エミリア・ブラッドリーか……。どうか彼女が、兄上を変えてくれる女性であると願うしかないな」
そんなことをイーサンが独り言ちているなど、俺は知る由も無い。