48話 ジェリーのおねだり
昨日、お義父様と話してからどっと疲れてしまった私は、それからずっと心ここにあらずの状態になっていた。
話の最後に、明後日舞踏会があると言われたから、それが余計に疲れに拍車をかけたのかもしれない。
だが、一晩眠ったおかげか、私の頭の中は少し整理がつき始めていた。
そんなこんなで、現在私はジェリーとカリス殿下の宮に行くための準備を進めている。
すると、そんな私の手伝いをしていたティナが、神妙な顔付きになりおもむろに口を開いた。
「エミリア様、今日帰ってきたらお話ししたいことがあります」
「話? 今じゃなくて良いの?」
「はい。ヴァンロージアを出てから、今日が初めてきちんとお話を出来る機会だと思います。この話は、ぜひ時間に余裕があるときに聞いていただきたいです」
「もちろんよ。じゃあ、帰ってきたら話してちょうだい」
そう言葉を返しながら、私は心の中で様々な思いが錯綜していた。
あんなにも神妙な顔をするほどの話とは、一体どんな話なのか。何かずっと相談したいことがあったのだろうか。
まず、そんな考えが思い浮かんだ。
また、それと同時に罪悪感も覚えた。というのも、王都に来るまでに話せた話かもしれないと思ったからだ。
王都に来るまでの道でジェリーと同室に泊まった日に、ティナと二人きりになる機会は無かった。
一方で、カリス殿下にジェリーを預けた日は、二人きりになれたはずだ。だが、私はジェリーが居ないということで、ある意味気が緩み、すぐに眠ってしまった。
そんな私を見て、きっと気を遣って話を控えていたのだろう。
そう思うと、ティナの見せた神妙な顔とリンクし胸騒ぎがした。
◇◇◇
現在、私たちは馬車に乗ってカリス殿下の宮に向かっている。そんな中、隣に座ったジェリーがはしゃいだ様子で話しかけてきた。
「リアと一緒に行けて嬉しい! 楽しみだね!」
「ふふっ、私は楽しそうなジェリーを見られて嬉しいわ」
本当に楽しそうに浮かれているジェリーが可愛すぎて、私はジェリーにそんな言葉をかけた。すると、ジェリーは血色良くはにかんだ。
だが、何かを閃いたような顔をしたかと思うと、ジェリーは唐突に私の腕を軽く引っ張り、耳元に手を添え囁いてきた。
「僕は嬉しそうなリアが見られて嬉しい。リア、いつも大好きだよっ」
そう言うと、ジェリーは目を合わせてにっこりと笑いかけてきた。その顔を見て、私は人差し指の甲でジェリーの頬をくすぐり、「私もジェリーが大好きよ」と返した。
こうして、私たちは和やかな気持ちのまま宮へと向かった。
宮に到着すると、カリス殿下自らが出迎えてくれた。そして、殿下はジェリーと手を繋ぐと、楽しそうに建物の中へと案内してくれた。
◇◇◇
「うわぁ! 真っ白だ!」
案内された部屋に入るなり、ジェリーは驚いた声を出した。だが、それも無理はない。部屋の中には、真っ白なグランドピアノが設置されていたのだ。
ヴァンロージアにあるピアノは、よくある真っ黒なピアノだ。そのため、初めて見る白色のピアノは、ジェリーにとって予想外の色だったのだろう。
すると、そんなジェリーの反応を見て、楽しそうに笑いながらカリス殿下が話しかけた。
「初めて見た?」
「うん! 芸術品みたい……これ本当に弾けるの?」
「もちろん! そうだ、ジェラルドのピアノを聴いてみたいな。弾いてくれるかな?」
そう声をかけられ、白いピアノに興味津々の様子を見せていたジェリーは、気恥ずかしそうにしながらも頷いた。そして、私に向かって声をかけてきた。
「リア、一緒に弾いてくれる?」
「わ、私も?」
「うん! リアと一緒に弾きたい!」
そう言われ、カリス殿下の顔を見ると、カリス殿下は「それは楽しみだ」と言い、楽しそうに微笑んだ。
そのため、私はジェリーの頼みということもあり、ジェリーと横並びに座って連弾を始めた。
弾いた曲は、イーサン様に披露したことがある連弾曲だった。そして、間違えることなく弾き終えると、カリス殿下はすかさず拍手をしながら称賛の言葉をかけてくれた。
「本当に上手で驚いたよ! 二人の音色は心が癒されるし、和むね。素敵な演奏をありがとう」
そう言うと、カリス殿下は嬉しそうに笑うジェリーを抱き上げた。
すると、カリス殿下の抱っこが好きなジェリーは、喜び興奮した様子でカリス殿下にあるお願いを言い始めた。
「カリス殿下、お願いがあって……」
「ん? どんなお願いかな?」
「リアと連弾できる曲を増やしたいから、出来れば明るい連弾曲を教えてほしいんだ……」
そこまで聞くと、カリス殿下は笑いながらも少し困った表情で言葉を続けた。
「教えてあげたいんだけど、僕が弾ける連弾曲は一曲しかないんだ。ただ、ジェラルドはまだ指が届かない曲だから――」
「弾けなくても、聴いてみたい!」
いつもなら控えそうなところ、ジェリーは被せ気味に願いを押し通した。
――ジェリーがこんなにおねだりをするなんて、滅多にないことよ。
きっと、それほどまでにカリス殿下に気を許しているということなのよね……。
そう思いながら、私は二人を見つめていた。
すると、カリス殿下は左手でジェリーを抱えたまま、右手でメロディーを弾き始めた。かと思うと、突然弾き止め私に向き直って訊ねてきた。
「エミリア、この曲分かるかな?」
「はい」
「……っ良ければ、一緒に弾いてくれるかな?」
「えっ……は、はい。私で良いのでしたら……」
「良かった〜! 上と下どっちが良い?」
「どちらかと言えば、上でしょうか?」
そう答えると、殿下は「じゃあ、僕は下を弾くね」と破顔しながらジェリーを下ろした。
そして、先ほどまで私が座っていた左側の椅子に座った。
いざ、こうしてカリス殿下と横並びに座ると、思った以上に殿下との距離が近い。そのせいで、腕がちょっと当たると思わずドキッとしてしまった。
だが、その気持ちを表情に出さないように隠し、私はカリス殿下と演奏を始めた。
――これって、私が一緒に弾いて良い曲だったのかしら?
この曲は歌曲……。
歌詞を知っているからこそ、何だか気まずいわ。
この曲は軽快なメロディーのわりに、歌詞はかなり熱烈なラブソングだ。だからこそ、最初は気まずく緊張していた。
しかし、カリス殿下とは初めて一緒に弾いたと言うのに、間や音の強弱が理想通りで、弾いていて気分が高まってきた。
そして、弾き終わった頃には楽しく明るい気分になり、気まずさなんて忘れたかのように、私はジェリーに笑いかけた。
すると、ジェリーは私と目が合うなり、感動したように拍手をしながら口を開いた。
「同じワルツなのに全然違う! リアは上手だし、カリス殿下はかっこいい!」
そう声をかけられ、カリス殿下は驚き目を見開いた後、目を細めてジェリーに言葉を返した。
「照れるなぁ。嬉しいことを言ってくれるね」
そう笑いながら、ジェリーに照れると言うカリス殿下。そんな彼を見ると、確かに珍しく耳が赤くなっていた。
――カリス殿下でも、子どもに褒められて照れることがあるのね。
何だか彼の意外性を垣間見たと思ったそのとき、再びジェリーがカリス殿下相手におねだりを始めた。
「僕もっとカリス殿下の曲聴いてみたい! あと一曲だけ弾いてほしいな……」
このジェリーの言葉を聞き、いくらカリス殿下とはいえ、王子相手にこんなにおねだりをして良いのかと、少し不安が過った。
しかし、カリス殿下は全く嫌がるそぶりを見せず、ジェリーの願いに返事を返した。
「早めの誕生日プレゼントの一つとして、僕のお気に入りのうちの一曲を、ジェラルドに贈ろうか」
「うわぁ~! やったー!」
ジェラルドが発したこの喜びの声に、カリス殿下は優しい微笑みを見せた。
するとその直後、とても穏やかな表情である曲を弾き始めた。




