46話 穏やかな時間
「エミリア様、おはようございます」
そんな声が聞こえ、眠りの世界から呼び戻された私は、うつらうつらしながら目を開けた。すると、目の前には笑顔のティナがいた。
――ティナに起こされるなんて、何日ぶりかしら……。
そんなことを考えながら、私は眠気の抜けきっていない声でティナに言葉を返した。
「ティナ……おはよう……」
「はい! おはようございます! ゆっくり休めたようで良かったです」
そんな元気な声を聞き起き上がると、ここ最近で一番身体が軽く、以前の調子が少し戻ったような感覚がした。
また、鏡で自身の顔を見ると、いつもより血色が良くなっているような気がする。
――今日は心地良い朝ね。
何だか久しぶりに、良い日になりそうだわ。
そんな気分で支度を済ませ、私はジェリーとティナとともに、カリス殿下と約束した時間に馬車へと向かった。
◇◇◇
馬車の見えるところまで来たところで、既に到着しているカリス殿下の存在に気付いた。
そのため、私たちは少し小走りでカリス殿下の元へと駆け寄り、先に来てくれていた彼に声をかけた。
「カリス殿下、おはようございます」
「ああ、おはよう」
そう言うと、カリス殿下は私たちに屈託ない笑顔を見せてくれた。そして、そんな殿下に私は言葉を続けた。
「お待たせしてすみません。本来は、同乗させていただく私たちが先に来るべきですのに……」
約束の時間前とは言え、頼んだ立場なのに待たせてしまった。そのことに罪悪感を抱き謝ったが、カリス殿下は温かみのある微笑みとともに言葉を返してきた。
「全然待ってないよ。日を浴びるのにちょうど良い時間だったから、むしろ今来てくれてよかった!」
この一言に、私たちに気を遣わせまいという彼の気遣いと優しさを感じた。
――今の私にとって、この優しさはかなり沁みるわね……。
マティアス様が帰って来てから、正直私の心は疲労困憊だった。だからこそ、ついカリス殿下の優しさに気付き、感傷的な気分になってしまう。
だが、そんなことを知らないカリス殿下は、笑顔のまま柔らかに訊ねてきた。
「昨日はよく眠れた?」
「しっかり休めました!」
「それなら安心だ」
そう言葉を返すと、カリス殿下は目線を合わせるようにして、今度はジェリーに話しかけた。
「ジェラルドもよく眠れたかな?」
「は、はいっ……」
少しの緊張とともに、モジモジとした様子でジェリーが言葉を返した。すると、カリス殿下は朗らかな声でジェリーに言葉を続けた。
「よし、体調もばっちりそうだね。それじゃあ、まずはジェラルドから乗ろうか!」
それを聞きジェリーは口元を引き締め、カリス殿下にしっかりとした頷きを返した。
――馬車は高いけれど、ジェリーは一人で乗れるかしら?
持ち運べないから補助台もないし……。
そう思いながら、馬車の乗り口に向かうジェリーと殿下たちを追おうとしたところで、見送りに来てくれたパイム男爵が話しかけてきた。
そのため、私はジェリーをカリス殿下に任せ、ティナと共にパイム男爵への挨拶を済ませることにした。
「――それでは、お気をつけて」
「はい。ありがとう存じます」
そんな会話を済ませて、私たちは馬車の乗り口へと足を進めた。すると、既に馬車に乗り喜色満面といった様子のジェリーが、中から顔を覗かせた。
「ジェリー楽しそうね。どうやって乗ったの?」
「カリス殿下がね、僕をひょいって持ち上げて乗せてくれたんだ!」
その答えを聞き、私は思わずカリス殿下の顔を見た。すると、カリス殿下は何てことないように軽くウインクをした後、口を開いた。
「次は、エミリアの番だね。さあ、お手をどうぞ」
そう言うや否や、カリス殿下は私に向かってエスコートするように手を差し出してきた。
正直、殿下にこんなことをさせてしまうということに、少し負い目を感じる。だが、この優しい笑顔で見つめられると、断ることにも罪悪感がある。
そんな感情が私の中でせめぎ合った結果、私は素直にカリス殿下の提案に従うことにした。よって、カリス殿下に感謝の言葉を告げ、私は彼の手を取り馬車に乗り込んだ。
――こんなに色々してもらって良いのかしら……。
椅子に座り、中からカリス殿下に視線を向けると、彼はニコッと微笑みを向けてきた。その瞬間、隣の席に座っていたジェリーがちょんちょんと肩をつついてきた。
「どうしたの?」
奥に座るジェリーの方を向いて声をかけると、ジェリーははにかみながら私の耳に口を近付け、コソコソッと話しかけてきた。
「カリス殿下は王子様みたいだねっ!」
そう言われ、私は思わず吹き出しそうになった。
「ジェリーったら、王子様みたいじゃなくて、王子様よ」
そう小声で返すと、ジェリーは嬉しそうに笑いながら言葉を続けた。
「でも、物語の中の王子様みたい」
そう言われ、確かに言いたいことは分かると思った。そんな時だった。ふと外から、ティナとカリス殿下の会話が聞こえてきた。
「ティナ嬢もどうぞ」
「いえ、どうかお構いなく。私は使用人ですから、一緒に乗るのは……」
なんと、ティナが同乗を断る声が聞こえて来たのだ。
確かに使用人と乗る貴族は少ない現状がある。それに王族も一緒となれば、なおさらの申し出だった。
――長い道のりだし、ティナも一緒に乗せてあげたいわ。
でも、カリス殿下の馬車だから私には決定権が無い……。
だけど、相手はカリス殿下。
話の通じる人だし、頼むだけ頼んでみましょう!
そう思い、馬車の中から声をかけようとしたその時、カリス殿下がティナに声量を弱め、言葉を返した。
「何も気にせず、ぜひ一緒に乗ってくれ。ティナ嬢は使用人というより、もうエミリアと友人みたいなものだろう? ティナ嬢がいてくれたら、エミリアも退屈しないはずだ」
そう言うと、カリス殿下は元の声量に戻し、ティナにも手を差し出した。
「さあ、どうぞ」
そう言われ、ティナは驚いた顔をしながらも、言われるがままカリス殿下の手を取り、馬車に乗ってきた。
するとティナが乗り込んですぐ、彼は何事も無かったかのように馬車の中に向かって口を開いた。
「ジェラルド、良ければ僕の隣に座らない?」
そう声をかけられ、ジェリーは驚きの表情を見せた。しかし、少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに頷きを返し、ジェリーは殿下が指示した席にちょこんと座った。
その後、殿下も馬車に乗り込み座席に座り、私の正面がカリス殿下、隣がティナという配置になった。
こうして、私たち四人が乗った馬車は、王都に向かってゆっくりと進み始めた。
◇◇◇
馬車が進み始めてから五分が経過した頃だろうか。ずっと落ち着かない様子でモジモジとしていたジェリーがおもむろに口を開いた。
「あの、カリス殿下……」
「ん? どうした?」
優しく微笑みかけられ、ジェリーは話を続ける勇気が出たのか、多少緊張した様子を見せながらもゆっくりと言葉を続けた。
「カリス殿下は、第三王子殿下ですよね?」
「よく知ってるなぁ」
「はい、リアが――」
感心したような反応を見せたカリス殿下につられ、つい気が緩んだのだろう。自身の発した言葉に気付き、ジェリーはハッと慌てて両手で口元を抑えた。
そして、少し気まずそうに言葉を続けた。
「エミリアお義姉様が……色々教えてくれたんです。それで、僕と同じ三男だって知って……」
その言葉を聞き、カリス殿下は合点がいったというような表情を見せた。かと思うと、嬉しそうに笑いながらジェリーに言葉を返した。
「そうだよ。ジェラルドと一緒だね。そうだ。ずっと思ってたんだけど、ジェラルドはエミリアのことを、リアって呼んでるのか?」
「っはい……」
呼称について触れられ、ジェリーはドキッとしたような反応を見せた。だが、カリス殿下は笑顔のままジェリーに声をかけた。
「リアのままでもいいよ。しばらく一緒だし、気楽に接してほしいな。僕に対しては、エミリアと話す時の話し方でいいよ」
「い、いいんですか……?」
「ああ、ジェラルドの話しやすい話し方で良いよ。あと……ちなみに、エミリアは他に僕のことを何て教えてくれたんだ?」
そんな会話を聞いても、私は何も心配していなかった。おかしなことを教えたつもりなど無いからだ。
――ジェリーはちゃんと覚えてくれているものね。
そう思いながら、私はジェリーの答えに耳を傾けた。すると、ジェリーは緊張が解けた様子で口を開いた。
「この国には、王子様が三人いて、第三王子殿下のお名前がカリス様だと教えてもらいました」
そこまで言うと、ジェリーは突然満面の笑みでカリス殿下に言葉を続けた。
「あと、カリス殿下は優しくて、とても面白い人だって教えてもらいました!」
その答えを聞き、私は思わず口を出した。
「ちょっとジェリー……」
そう声をかけると、ジェリーはきょとんとした顔をした後、嬉しそうに笑いかけてきた。この笑顔を見ると、何も言えない。教えたままを言っただけの彼を責めるのもおかしな話だ。
なんて思っていると、ジェリーの隣に座るカリス殿下は、少し悪戯な笑顔を見せながら口を開いた。
「エミリア、そんな風に思ってくれてたんだ?」
そう話しかけられ、もう私は開き直ることにした。
「だって事実ですものっ……」
そう答えると、カリス殿下は一瞬だけ面食らったような表情を見せた。だが、すぐにいつもの余裕のある表情を取り戻し、「そうか……ふふっ、嬉しいな」と声を漏らした。
こうして一頻り笑った後、カリス殿下は話題を変えた。
「そう言えば、どうして王都に向かってるんだ?」
そう問われ、私は戸惑った。お義父様のところに行くことばかりを考えていて、関係者以外に王都に行く理由を何と説明するかを考えていなかったからだ。
――でも、事業のためにもう一度来たと言ったら、本当の理由は誤魔化せるわよね。
そう思い、それを伝えようとした。だが、私が口を開くよりも先に、ジェリーがカリス殿下の問いに答えた。
「あっ、ぼっ、僕がもうすぐ誕生日だから、お父様に会いに行く途中だったん……です」
確かにその通りではあるが、そう話すという打ち合わせは一切していなかった。
――よく、すぐに思いついたわね。
ジェリーは私よりもずっと機転が利く子ね。
そう思いながらジェリーを見ていると、ジェリーの言い分を信じたらしいカリス殿下が、ジェリーに質問を投げかけた。
「王都に来るのは、今回がもしかして初めて?」
「はい……」
ジェリーは少し緊張した様子で答えた。もしかしたら、自身の発言を不審がられていないか心配しているのかもしれない。
だが、カリス殿下はジェリーの心配とは裏腹に意気揚々とジェリーにあることを告げた。
「それはめでたいなぁ。じゃあ、招待してあげるよ。僕の宮にね」
そう言うと、カリス殿下は茶目っ気たっぷりの笑顔をジェリーに向けた。
するとその瞬間、ジェリーは緊張の箍が外れたように、顔一面に笑顔の花を咲かせた。
「ほんとに!? カリス殿下のお家に行けるんですか!?」
「ああ、そうだよ」
「やった~! 嬉しい!」
「そんなに喜んでもらえるなんて、僕も嬉しいよ」
先ほどまで一生懸命敬語を使っていたが、興奮して敬語が付いたり外れたりしている。
だが、カリス殿下がジェリーの言葉遣いを気に留めることはなく、ジェリーと楽しそうに笑い合っていた。
それからしばらくし、カリス殿下がジェリーに唐突に訊ねた。
「エミリアはとても優しいだろう?」
「うん! 優しくて大好き!」
「ははっ、そうか。好きと素直に言えるなんて、素敵な関係性じゃないか。それに、話をして感じたんだけど、ジェラルドの優しさはエミリア譲りだね」
「殿下ったら……」
カリス殿下の発言により、何だか急に恥ずかしさが込み上げた。きっと、赤面しているだろうという程に、顔に熱が集まるのを感じる。
そんな私は、カリス殿下につい口を挟んだ。
だが、殿下は「本当のことだから仕方ないさ」とサラッと私の言葉を受け流し、ジェリーに言葉を続けた。
「ジェラルドは、エミリアと普段どう過ごしてるんだ?」
そう問われたジェリーは、はしゃいだ様子で質問に答え始めた。
「お勉強をしたり、一緒に遊んだりしてます。そのなかでも、一番楽しい時間はピアノです!」
「ピアノか。それは楽しそうだね。じゃあ、僕の宮に来たときに聴かせてくれる?」
「それは、ちょ、ちょっと緊張するけど……。カリス殿下のためなら……」
そう言われ、カリス殿下はときめいたような顔をして、ジェラルドに「今から楽しみだ」と笑いかけていた。
その後、私たちは数日かけて移動を続けた。
カリス殿下は移動中、ジェリーを気にかけ親しく話してくれていた。
それに、ジェリーが大人のような会話も出来るとすぐに察し、変に子ども扱いをすることなく、笑顔で対等に接してくれた。
そのお陰で、最初こそ警戒をしていたものの、ジェリーはあっという間にカリス殿下に懐いた。
そして宿に泊まるときも、カリス殿下と同室で過ごすほどに仲良くなった。
私としては、カリス殿下がジェリーをお風呂に入れてくれ、寝る支度もすべてしてくれたため、本当に大助かりだった。こんなに至れり尽くせりで良いのだろうかと思うほど、カリス殿下はさまざまな手助けをしてくれた。
こうして、私たちは常に和気藹々とした日々を過ごしながら移動を進め、あっという間に王都に到着した。




