4話 いざ、ヴァンロージアへ
お父様は、倒れたその日の夜に目覚めた。
「良かった……目が覚めたのねっ……」
「バージル、大丈夫か!?」
医師からは、目覚めない可能性もあると言われていた。そのため、私とお義父様はお父様が目覚めたことに、安堵しながら声をかけた。
いくら安堵したとは言え、お義父様の声は大きすぎるのだが……。
すると、お父様はそんなお義父様を見て苦笑した。そして、そのまま流れるように視線を移し、私に話しかけてきた。
「……エミリア」
「はいっ、どうされました?」
「せっかくのウェディングドレスだったのに……っごめんな」
お父様は罪悪感を抱いていたのだろう。そう呟くと、ギュッと目を閉じ眉間に皺を寄せ、動きの鈍い手で額を覆った。閉じられた目の隙間からは、涙が滲んでいる。
「良いんですよ。お父様が生きてくれているんですから」
「そうだぞ、バージル。ウェディングドレスくらい、俺がいくらでも買ってやる」
「何回も嫁に出す気はないぞ……ゴホゴホッ……」
冗談を返しながらも、苦しそうに咳をする。そのとき、本当にお父様はもういよいよ……そんな予感がした。
そして、お父様は私の結婚式が終わった二日後、私が結婚したことに安心したかのように、静かに息を引き取った。
そんなお父様の最後を看取ったのは、たった一人、私だけだった。
「エミリア……ありがとう……。命を懸けてエミリアの幸せを祈る……愛してるよ」
そう言葉を残したお父様の最後の顔は笑顔だった。長生きしてほしいと願ってはいたが、遠い辺境の地に行ってしまった後ではなく、ちゃんと看取ることが出来て良かった。
こうしてお父様が亡くなったため、私は結婚式の二日後から喪に服すことになった。カレン辺境伯も、一緒にお父様の死を悼んでくれた。
「エミリア、もう少し王都に滞在してから、ヴァンロージアに行っても良いんだぞ?」
「私はマティアス様に嫁いだ身です。彼の代わりに、私が領地運営を管轄しなければ……。お義父様の恩に、一刻も早く報いたいのです」
恩に報いたい気持ちは本音だった。姻戚関係だからと、お義父様は葬儀に関すること全てに、非常に協力してくれたのだ。
アイザックお兄様だけでは、あのような葬儀を準備し回し切ることは、到底不可能だったはず。
それに、今行けるというときに行かないと、いつ何が起こるか分からない。
そのため、予定通りに辺境の地ヴァンロージアに行くことを決意した。
すると、お義父様はその決意に理解を示し、ならばと辺境にいるご子息の話を始めた。
「私には息子が三人いる。マティアス、イーサン、そしてジェラルドだ」
「はい、存じ上げております」
嫁ぐ相手の家だから、そんな情報ぐらいは当然知っている。何で突然そんなことを?
そう思っていると、お義父様は微笑みながら頷いた。
そして、とても優しい懐かしげな表情をしながら、彼らについて話し始めた。
「マティアスは今年で二十三歳だ。エミリアと六歳違いなことは知ってるよな?」
「もちろん、存じ上げております」
「あいつは血の気が多いところもあるが、とにかく義理人情に厚い男だ。軍営では部下に最も慕われている。とても頼れる男だ」
――血の気が多い人が夫なの……?
何だか不安だわ……。
でも、義理人情に厚くて頼れる人?
会ってみないと分からないタイプね……それがよりにもよって、夫だなんて……。
マティアス様は、アイザックお兄様と同じ生まれ年。だからこそ、六歳という年の差が頼りになる人の判断基準にはなり得ないと知っている。
そのため、お義父様のこの情報だけでは何とも心許ない気持ちになってくる。だがそんな私に、お義父様は話を続けた。
「次男のイーサンは十九歳で、とにかく穏やかで優しい。だが、自分の意見はしっかり言う。それに、気遣いの出来る男だ。よって軍営では、軍司令官のマティアスの補佐役を担っている」
どう考えても、マティアス様よりイーサン様の方が理想の結婚相手だろう。
わざわざ結婚した後にそんな情報を伝えてくるなんて。一種の嫌がらせだろうか? まあ、そんな訳はないが……。
「そして、三男のジェラルド。私は本当にジェラルドが気がかりなんだ」
「どうしてですか?」
「ジェラルドはまだ五歳だ。それに、病弱なうえ生まれた時に母親を亡くした。だから、兄二人と違い母親に縁が無いんだ……」
お義母様が約五年前に亡くなったことは知っていた。しかし、ジェラルド様の出産で命を落としたとは知らなかった。
「では……マティアス様とイーサン様は軍営にいますし、今ジェラルド様はヴァンロージアの本邸に一人ということですか?」
「ああ、そうだ。本当は王都に連れてきたかったが、身体も弱く病弱なジェラルドは道中耐えられないと思って、泣く泣く本邸に置いてきたんだ」
どうやら、ジェラルド様は家族のいない環境で過ごしているらしい。そんな彼の境遇を考えると、少し心が痛む。
すると、お義父様はとある頼みごとをしてきた。
「エミリア、君にお願いがある」
「はい、何でしょうか?」
「どうかジェラルドを気にかけてやってくれないか? きっと一人で心寂しい思いをしているはずだ。母とまでいかずとも、姉のように優しく接してやってほしい」
「当然です。ジェラルド様も新しい家族ですから……。私の辺境でのお話し相手になってもらいますねっ」
話し相手に関しては冗談めいたように言ったが、内心はそれなりに本気だった。
というのも、辺境のヴァンロージアに行くのは、正直怖いし、寂しい。
それにティナは付いてきてくれるが、知らない人ばかりの土地に行くこと自体、私にとってはとても勇気がいることだ。
実質、ヴァンロージアには誰一人味方と言える人はいない。すべて、一から人間関係を築き上げなければならない。
その環境で、大人と違って純真そうな五歳のジェラルド様がいる。そのことは、私が気を緩められる瞬間があるという、救いのように感じたのだ。
だがそんな私の心情を知らないお義父様は、感動した様子で口を開いた。
「……っ! バージルは本当に良い娘を育てたな。これなら安心して、エミリアにヴァンロージアを任せられそうだ」
「ありがとうございます。実は、私からもお願いがあるのですが……」
ホッとした様子のお義父様に私がしたお願い……それは領地経営に関することだった。
本来であれば、領地経営はマティアス様の仕事なのだ。だからこそ、私がどこまで介入して良いかについては、現当主の許可が必要だった。
そのため、ある程度好き勝手して良いかと訊ねたところ、返ってきた答えは私の予想を上回った。
「領地に利が出るなら好きにやってくれて構わないぞ! バージルからエミリアの手腕はよく聞いていた。むしろ、好きにやってみてくれ。楽しみだ!」
思った以上に、お義父様は肯定的だった。お兄様だったら、女が調子づくなと一蹴したに違いない。やはり、辣腕家は器が違う。
そしてその後は、私が引き継いだ父の遺産の話をし、遺産は私の個人資産として持っても良いということになった。
――本当に懐の深い方なのね。
お父様が一番信頼していた理由も、これなら理解できるわ……。
お義父様ありがとう!
この件もあり、私の中でお義父様の好感度はグッと急上昇した。
そして他にも、領地経営と家の切り盛りに関する話を済ませ、ついにヴァンロージアに向かう日が来た。お兄様とビオラも見送りに来た。
「私は王都からずっとお姉様の幸せを願ってるわね」
「俺も幸せを願ってる。お前が去ると寂しくなるな……。だからビオラ、絶対王都に居てくれよ?」
「当たり前じゃない。怖いところは嫌いだも~ん」
本当に張り手でもかましてやろうか。そう思ったが、体裁も手も傷付くのが嫌でやめた。
「それでは、また。次回は喪中だから分からないけれど、少なくとも喪が明けた年のシーズンになったら一度戻ってくると思うわ」
「分かったわ。元気に過ごしてお手紙ちょうだいね! 絶対よ!」
彼女の情緒は謎すぎる……。だが、涙を流しながら手紙をくれと言うビオラに一応頷きは返しておいた。
そして私は、兄妹の会話を邪魔しないようにと、少し離れたところにいたお義父様に近寄った。
「行って参ります。どうか、ブラッドリー家のことをよろしくお願いいたします」
「安心しなさい。それじゃあ、気を付けるんだぞ。エミリア……息子たちの代わりに、ヴァンロージアを頼む」
「はい、承知いたしました。それでは」
こうして、私は侍女のティナと二人で馬車に乗り込んだ。
長年過ごした地を離れ、知らない土地に行く。それに夫は軍営に居るため、いつ家に帰ってくるかも分からない。何なら顔も知らない。
ティナに心配をかけたくなくて気丈に振る舞っているが、本当は不安でいっぱいだ。皆が私を受け入れてくれるかも心配だ。
そんな気持ちに包まれた私の乗った馬車は、ついにヴァンロージアへと進み始めた。
お読み下さりありがとうございます!
次回、マティアス視点です(*^^*)