38話 動き始めた時間
マティアス様にはもう期待しない。心が駄目になってしまう前に、仲良くなれたらなんて思いながら抱いた、この初心な感情に見切りをつけよう。
そう決心したとき、同室にいたティナが話しかけてきた。
「奥様、ハーブティーでもお飲みになりますか?」
「そうしようかしら。ティナも一緒に飲みましょう」
――ティナも私のせいでストレスがかかっているはずだもの。
そんな気持ちからティナを誘うと、ティナは嬉しそうに「はい!」と満面の笑みで返事をして、準備をすると言い部屋から出て行った。
だが、出て行ってすぐにティナが難しい顔をして戻ってきた。
「あら? ティナ、どうしたの?」
「実は、部屋の外にマティアス様がいらして、奥様にお話があると……」
「何の用かしら?」
「分かりません。ですが、お嫌でしたら全力で私が追い返します」
そう言うと、ティナはギュッと拳を握り締めた。その様子から、私が指示すれば力技を使ってでも追い返す気があると伝わってくる。
だが、そんなことをさせる訳にはいかない。
それに、話だけなら追い返すまでのことも無いと思い、私はマティアス様を部屋に入れるようティナに伝えた。
すると、ティナが声をかけに行ってから直ぐに、マティアス様が部屋の中に入ってきた。
そして、開口早々に謝ってきた。
「ティータイムの時はその……勢いとはいえ、言い過ぎた。言って良いことにも限度があった。すまなかった……」
――あんなにも怒っていた様子だったのに、この数時間でいったいどういう風の吹き回し?
でも、勢いで言い過ぎたってことは、きっとあれが本音だったのよね……。
その現実に直面した瞬間、私は気持ちがよりスーッと冷めた。
この謝罪が、気持ちに見切りをつけた後で良かった。期待しないと決めた後で良かったと心の底から思った。
なぜなら、必要以上のダメージを食らわなくて済んだからだ。
仲良くなれないと分かっているからこそ、許すか許さないかなんてことで悩む必要もない。
結局、法律上の妻は私だから、マティアス様の気持ちに考慮して認めてもらおうなんて、これ以上考える必要もない。
時は金なり。考えるだけ、時間の無駄だ。
ただただ、私がこの謝罪に反発さえしなければ、人としての距離は縮まらなくても、結局は今の立場を継続することは出来るだろう。
だったら、ここは荒波を立てない無難な言葉を返すのがベストなはず。
そう考えた結果、言葉が口を衝いて出た。
「私も突然出て行ってすみませんでした。謝罪に来てくださり、ありがとうございます」
そう告げた後、これ以上話すことも無いだろうと思い、私はマティアス様の合槌を確認した後、言葉を続けた。
「今日はもうお疲れでしょう。おやすみなさい」
そう声をかけると、マティアス様は面食らったように目を瞬かせた。かと思うと、座っていた椅子からスクっと立ち上がり口を開いた。
「では……失礼する……」
まるでうわ言のようにそう言い残すと、マティアス様は目も合わせずそのまま部屋を出て行った。
そのため、私は何の時間だったのかと思いながら、ティナとハーブティーを飲み、寝支度を済ませて就寝した。
◇◇◇
「奥様、お手紙が届いておりますよ」
ティナにそう言われ手紙を受け取ると、送り主はリラード縫製のウォルトさんからだった。
そしてその手紙には、頼まれていた例のモノがそろそろ完成する。恐らく一週間後程度で、届けることが出来るだろうという旨が書かれていた。
その例のモノ、それはマティアス様とイーサン様が帰還してきた祝いにと用意したぺリースだった。
私が王都から帰って来てすぐウォルトさんのところに行った際、頼んでおいたのだ。
――まさか、マティアス様とこんな関係になるだなんて、頼んだときは思っていなかったもの……。
立場的に、イーサン様に渡してマティアス様に渡さないわけにはいかない。
それに状況次第だろうけど、先にイーサン様に渡す訳にもいかないわよね……。
せっかく作ってもらったが、受け取ってもらえるかすら怪しい。
そのため、一週間後に届くペリースをどうしようか。
そんな問題を抱えながら、私はジェリーの部屋に行った。
すると、ジェリーは花の咲くような笑顔で、私のことを迎え入れてくれた。そして、私は昨日の謝罪をし、聞けなかった話をたくさん聞かせてもらった。
こうして、私は一時間ほど心安らぐひと時を過ごした。
◇◇◇
ジェリーに癒された後、私は部屋に戻ろうと廊下を歩いていた。すると、対面からイーサン様が歩いてきた。
「あっ! エミリアさん!」
そう私を呼んだかと思うと、イーサン様は私の元へと駆け寄ってきた。そして、心配そうな表情と労わるような声音で話しかけてきた。
「ジェロームから昨日のこと聞いたよ。本当にごめんね。大丈夫……?」
そう言うと、イーサン様はより心配の色を強め、まるで捨てられた子犬のような表情で私を見つめてきた。
そのため、私は無関係のイーサン様には心配をかけまいと、昨日あったありのままを話した。
「大丈夫ですよ。昨日、マティアス様も謝りに来てくださいました」
「えっ!? ほんとにっ!?」
「はっ、はい。なので……もう気にしておりません」
イーサン様があまりにも驚いた反応をするものだから、私もついビクッと驚いてしまった。しかし、冷静さを取り戻して言葉を続けた。
「夫婦としてやっていくのですから、受け流すことも必要です。仲良くとは言いませんが、安寧な関係にしたいのに、いつまでも相手の行いを責めても平和は訪れませんから。……割り切ることにしたんです」
流石に弟のイーサン様に対して、見限ったとは言えなかった。
そしてイーサン様に、だから安心してほしいという思いを込めて微笑みかけると、イーサン様は眉間の皺を少し薄め、呟くように声を漏らした。
「……俺より歳下なのに、ずっと大人だね」
「そうならざるを得なかったから……ですかね」
イーサン様が相手だったからか、つい本音の一部が漏れた。
すると、イーサン様は何かを懸念するような表情をしながらも、柔らかな口調で声をかけてきた。
「エミリアさん。無理しなくていいからね。俺が盾になるし、何も我慢する必要はない。兄上のエミリアさんに対する態度には、敬意や感謝が一切無い。もっと言いたいことがあったら言って、怒っても良いんだよ?」
「っありがとうございます……。ですが、本当にもう大丈夫です」
そう言葉を返した時だった。突然イーサン様の名前を呼ぶ声が、イーサン様の向こう側から聞こえてきた。
そのため、イーサン様の肩口から向こう側を見やった。
すると、初めて見るほどの満面の笑みを見せたマティアス様が、こちらに駆け寄ってきているのが見えた。
「イーサン!」
「あ? なんだ?」
私を背中で隠し庇うようにしながら、イーサン様はマティアス様の方へと向き直った。
そして、いつもより荒っぽく、少し怒ったような口調でマティアス様に返事をした。
だが、マティアス様はそれを気にするでもなく、そのまま興奮した様子で、意気揚々と話し始めた。
「あいつが、王都から帰って来てるんだよ!」
「はあ? あいつ? ……って、エドワード卿のことか?」
「ああ、早めに帰ってきているらしい。それで、領地に到着して、俺らが帰ってきたって聞いて手紙を送ってくれたんだ」
「えっ……そうなのか……?」
私には何の話をしているのか、さっぱり分からない。エドワード卿はたくさんいるし、一体どのエドワードの話をしているのだろうと、頭の中でエドワード探しを始めた。
すると、そのタイミングでマティアス様と、イーサン様越しに目が合った。
だが、マティアス様は何を言うでもなく、驚くような発言を始めた。
「前線にいたせいで行けなかったら、ちゃんと挨拶もしないといけない……。俺一人で、今からオルティス領に行ってくる」
あまりにも唐突なその発言に、私は思わず驚いて質問を投げかけた。
「い、今からですか? オルティス領に、何をしに行くんですか?」
「俺の友人に会いに行くんだ」
ぶっきらぼうながらも、一応質問したことに対する答えは返して来た。すると、そんなマティアス様に今度はイーサン様が質問をした。
「いつ帰って来るんだ?」
「ここから近いし、滞在期間含めて一週間後くらいになると思う。もしかしたら、そのときにエドワードも一緒に来るかもしれない」
その言葉を聞き、私の頭は二つのことでいっぱいになった。
――えっ!? この家にお客様が来るの!?
しかも、オルティス家ってまさか……。
その家門の名前を聞き、私は王妃様に招待されたお茶会での会話を思い出し、心臓がドクンと鳴った。
◇◇◇
「いやー。それにしても、王都から時間もかかりますのに、まさか領地まで付いて来てくださるとは!」
「お話を耳にして以来、ずっと気になっていたんですよ」
「それにしても、どこでパイムイモの話を聞いたんですか?」
「ヴァンロージアの食糧対策に役立ったと知る機会があったんです」
「なんと! そうでしたか。いやぁ、何でも知っておられるのですね」
「いえいえ、とんでも無い。領地に着いたら、たくさん学ばせていただきます」
「なんと謙虚な方だ! あなたのような英明な方なら、私たちも大歓迎ですよ、カリス殿下」
パイム領の場所(位置関係)を覚えていますでしょうか?




