27話 数奇〈マティアス視点〉
ついに、ヴァンロージアに戻ってきた。久しぶりに見る街並みに、懐かしい我が屋敷。それらを見るだけで、遠い記憶が呼び起こされ、感慨深い気持ちになる。
だが、この地は以前とは一つ異なることがある。それは、俺の妻だと名乗る女がいるということだ。
そのことを考えるだけで、言いようのない不服な思いが溢れそうになる。
だが、俺はこの家、そしてヴァンロージアの主。そう言い聞かせ、意を決して屋敷の扉を開けた。
「マティアスお兄様! おかえりっ!」
そんな声が正面から聞こえてきた。声の方を見れば、同年代よりずっと小柄ながらも、確かに以前よりも成長したジェラルドの姿が視界に入った。
――しばらく会わない間にこんなに成長してたんだな……。
そんなことを考えていると、ジェラルドは勢いよく俺に向かって走って来た。昔は少し運動するだけで熱が出たり、辛そうにしていたから、思わず心配になった。
そのため、ジェラルドが抱き着いてきた勢いを生かして、そのまま抱き上げて声をかけた。
「身体が弱いのに、そんなにはしゃぐな。落ち着け」
そう声をかけると、首に腕を回してギューッと抱き着いていたジェラルドは、距離を置くようにして俺の顔を見た。
その顔を見て、本当に俺は戻って来られたんだという実感が湧いた。
「ジェラルド、ただいま」
そう声をかけると、ジェラルドがそれは嬉しそうに笑うものだから、俺もつられてジェラルドを見て笑っていた。
こうして和やかな時間が始まる、そう思ったとき、使用人とは異なる服を着た見たことの無い女が近寄ってきた。そして、俺の前まで来ると礼をして頭を下げた。
――こいつがっ……。
「……っおかえりなさいませ、マティアス様。あなたの妻になりました、エミリアでございます。無事ごきか――」
あなたの妻。
その言葉を聞き、一気に頭に血が昇った。だが、今はジェラルドがいる。
どんなに腹が立ったとしても、ジェラルドの前で怒鳴り散らすわけにはいかない。
それに、俺はこの女の気性が分からない。もし、言い合いにでもなったら困る。
そう考えた末、喋っている途中だということは無視して、何も言葉を返すことなく、その場を離れることにした。
怒りを鎮めるため、そしてジェラルドに自身や目の前の女が荒らげる姿を見せないようにするためだ。
だがこうして離れている最中、ジェラルドが驚きながら「リアが話してるよ!」と言い、俺の肩をねえねえと叩いてきた。その反応に、俺の中の怒りはより増幅された。
――リアだと?
あの女、ジェラルドをこれほどまでに手懐けていたのかっ……!
ジェラルドに、あの女の本性を教えなければっ……。
俺はジェラルドを抱き上げたまま、ジェラルドの部屋にやって来た。
そして、椅子に座らせて、俺はジェラルドにエミリア・ブラッドリーという女について教えることにした。
「ジェラルド、お前はあのおん……っエミリアに騙されている」
「リアは僕のことを騙したりしないもんっ!」
「何でそう言いきれる」
「だってリアはとっても優しいんだよ?」
「人を騙すのに、優しくないわけないだろう?」
そう言っても、ジェラルドはリアは優しいから騙すわけないの一点張りだった。そのため、俺はジェラルドに別角度で、あの女の話をすることにした。
「エミリアは俺と話し合いもせずに、嫁いできたんだ。そんな勝手に嫁いで来る人間が良い奴なわけがあるか」
「それは……。でも、本当に悪い人じゃないよ?」
「少なくとも、俺にとっては悪い人だ」
「そんな、グスッ……そんなことないもんっ……。リアは悪い人じゃないよぉ。優しいもん……!」
そう言うと、ジェラルドは泣き出してしまった。
――どうしたら分かってくれるんだ?
別に泣かせたかったわけじゃないのにっ……。
「……っいきなり驚かせて悪かった。ごめんな、ジェラルド。泣かないでくれ」
「リアを悪く言うお兄様なんて大っ嫌い! この分からずや!」
「――っ! ああ、そうかもな……。ごめん。少し頭を冷やしてくる」
そう言い残し、俺はジェラルドの部屋から出た。
ジェラルドから大嫌いなんて言われる日が来るとは思っていなかった。
あまりにもショックすぎて、どんな表情をしていたのかさえ分からない。
そして、絶望に飲まれながら部屋の入口に居た使用人にジェラルドの様子を見ておくよう頼み、俺は自室の方へと歩き出した。
すると、真向かいからイーサンが歩いてきた。
きっと、ジェラルドの部屋に行くのだろう。そう思ったが、俺に用があったらしく、イーサンは俺と反比例するように楽しそうな様子で話しかけてきた。
「あっ、兄上ちょうど良かった。ジェラルドが花を植えたんだって。見に行こうよ」
ただの花だったら何とも思わない。だが、ジェラルドが植えた花なら話は別だ。
それにこの花を見ることで、気まずくなったジェラルドと会話するきっかけを掴めるかもしれない。
そう考え、俺は暗い気持ちを抱えたままイーサンの誘いに乗り、庭園へと向かった。
「久しぶりだな、クロード」
「お久しぶりです。マティアス様」
クロードは元々軍人だったが、怪我をして戦場に立てなくなったため、使用人として屋敷で雇うことにした俺の戦友だ。
そんなクロードと再会することができ、マイナスに傾いた俺の感情は少し回復の兆しを見せた。
そして、目的の花壇へと歩きながら軽い話をしている中で、ふと気になることがあり、俺はクロードに質問をした。
「クロード、それは……新しい制服か? よく似合ってるじゃないか」
「ああ、これは奥様が用意してくださったんです。使いやすく改良されて、とても快適ですよ」
そう言うと、いつも無表情のクロードが珍しく薄らと微笑んだ。
――奥様だと?
あいつは俺の妻じゃないのに……!
クロードもあいつの事を知っているはず。
なのに、そんなことを言うのか?
そう思ったが、イーサンに話しかけられ弁明する機会を失った。
「兄上、これがその花壇のはずだ。見てみろよ!」
そう言われ見て見ると、そこには小さくも立派な花壇があった。
これをあんなにも幼かったジェラルドが……そう考えると、今クロードに何か言うよりも、こちらに集中すべきだという判断が勝った。
「なあ、クロード」
「はい」
「これはジェラルドが植えたんだよな?」
「そうです。マティアス様とイーサン様を喜ばせたいと、花選びからされましたよ」
それを聞き、俺は思わず驚いた。
「花選びから……? 俺らのためにか?」
「はい」
俺はただ指示通りに植えただけかと思っていたが、まさか花選びからしているとは思わなかった。
それ以前に、俺たちのために作ってくれたということが、本当に嬉しかった。
あの小さな手で頑張って植えた姿を想像するだけで、心の底から嬉しさが込み上げてくる。
だがそれと同時に、ここまでしてくれた愛する弟に大嫌いと言わせてしまった罪悪感が、心で渦を巻き始めた。
そんな俺に、感動して嬉しそうに花壇を眺めていたイーサンが話しかけてきた。
「兄上、この花壇は花束みたいで綺麗だな」
「ああ。本当に綺麗だ。それに何と言っても、この花が一番良いな。全体に統一感を出している。まとまりが出て完璧だ。さすがジェラルド。俺の好みをよく分かってる」
そう言うと、横からクロードが話しかけてきた。
「マティアス様、この花は奥様が選んで入れたものです。ジェラルド様と決めたもの以外、一応他の花も用意しておいたので……」
「………………そうか」
俺の心臓は一気に氷点下まで凍りついた。
出来ることなら時間を巻き戻したい。
今の発言をすべて無かったことにしたい。
だが、発してしまった言葉を無かったことにするのは不可能だった。




