23話 夫の帰還
私とティナたちが、王都からヴァンロージアに戻ってから三日が経った。
そんなある日のこと、一緒にランチを食べているジェリーが少しモジモジした様子で、あるお誘いをしてきた。
「ねえ、リア」
「どうしたの?」
「今日リアと一緒にお花を植えたいんだ。……来てくれる?」
私の選択は、もちろん行くの一択だ。こんなかわいいお誘い、聞かないなんてありえない。
しかし、植える花があるのだろうか? そんな疑問を抱き、私はジェリーに訊ねてみた。
「もちろん良いわよ。だけど、植えるお花はあるのかしら?」
「うんっ! あるよ! マティアスお兄様とイーサンお兄様を喜ばせたいから、帰って来るまでに用意してほしいってクロードに頼んでおいたんだ!」
そう言うと、ジェリーはにっこりと微笑み、「やったー」と喜びながら、先ほどよりもずっと美味しそうにご飯を食べ始めた。
◇◇◇
「今日はこの花壇に寄せ植えをしますので、こちらにある苗をお好きなようにお植えください」
庭園の一角に行くと、クロードが既に花植えの準備をしてくれていた。あまりにも溶け込んでいて気付かなかったが、今日植える花壇はクロードが作ったお手製のミニ花壇らしい。
話を聞くと、寄せ植えしても大丈夫な組み合わせのものを、事前にジェリーと図鑑で選んで発注していたという。なんて、用意周到な人物なのだろうかと、思わず感心してしまった。
――ジェリーがこんなにも懐く使用人が出来るなんて、本当に嬉しいわ。
人を信じられるようになって、本当に良かった……。
そんな感慨に耽りながら、クロードに手順を教えてもらい、私とジェリーは花の苗を植える作業を進めていた。すると、隣にいたジェリーが楽しそうな声で話しかけてきた。
「リア! 見て見て!」
「ん? 何か面白いものでも見つけたの?」
そう声をかけながらジェリーの方に顔を向けると、陽だまりのような笑顔で笑いかけてくるジェリーと目が合った。
そんな彼を見てほっこりしかけたその瞬間、彼は笑顔のままズイッと私の眼前に手を差し出して来た。
その瞬間、その手の上に乗っているミミズと目が合ってしまった。いや、目は無いのだけれど。
「――っ! キャッ!!!!」
「クネクネ動くんだよ? 面白いでしょ!?」
「そ、そ、そっ、そうね。でも、ジェリー。わた、わたし……」
ミミズは大の苦手なの! そう叫びたいが、ミミズを気に入っているジェリーには言いづらい。
花を植える時にミミズが出てくることは覚悟していた。だが、こうして眼前に突き付けられるのは話が違う。
それに逃げようにも、立ち上がった瞬間にミミズが飛んできたりくっついたりしたらと考えてしまい、そんな訳無いとは思うが、逃げようにも逃げられなくて困り果てていた。
すると、そんな私に救いの手を差し伸べてきた人物がいた。
「ジェラルド様、奥様はミミズが苦手なようです。ミミズも土にいたいでしょうから、戻してあげてください」
「えっ、そうなの……!?」
驚きの声を上げると、ジェリーは花壇にミミズを戻した。そして、すぐに私に向き直り目に涙を溜めて声をかけてきた。
「嫌がらせしたかったわけじゃないんだ。リアっ……ごめんね……」
「喜ばせようとしてくれたんでしょう? ジェリーは嫌がらせする子じゃないって知ってるわ。私も苦手って言い出せなくてごめんね」
そう言葉をかけるも、ジェリーはシュンと落ち込んでしまった。そのためこの雰囲気を変えようと、私はジェリーに言葉を続けた。
「そうだ! ジェリー知ってる? ミミズがいるってことは、この土はとっても栄養があるってことなのよ?」
「そうなの?」
「ええ! クロードがきちんとお世話をしてくれているからいるのよ。良い発見が出来たわね!」
そう言いながら、私はクロードに視線を向けた。すると、クロードは耳を赤らめ気まずげに視線を逸らした。だが、そんなクロードにジェリーは興奮した様子で声をかけた。
「クロードすごい! 何でも出来るんだね!」
そう言うと、はしゃいだ様子でクロードにすごいすごいと何度も声をかけ始めた。クロードは恥ずかしそうに眉間に皺を寄せ、助けを求めるような目でこちらを見つめてくる。
そのためクロードを助けるべくジェリーに声をかけ、寄せ植えの作業を再開した。そして、私たちは無事綺麗な花壇を完成させることに成功した。
「花植えすっごく楽しかったね!」
「楽しかったわね! 完成した花壇もすごく綺麗だったわ。ジェリーは芸術肌ね!」
手を洗った私たちはそんな会話をしながら、手を繋ぎ屋敷の中に戻ろうとしていた。すると、どこからともなく表れたジェロームが、非常に慌てた様子で声をかけてきた。
「お、お、お、お、奥様!」
「そんなに慌てて、どうしたんですか? ジェローム?」
「たった今早馬が来まして、もうすぐでマティアス様とイーサン様がご到着なさるようです!」
身体が軽くなり心が沈むような、そんな不思議な感覚が一気に襲ってきた。
血の気が引くような不安を感じながらも、僅かながらに感じるワクワク感。
そんな複雑な感情の波にのまれながらも、ジェリーの声が耳に届き、私はハッと我に返った。
「お兄様が帰って来るの!?」
「左様ですよ」
「つ、土仕事をしていたから、汚れても良い服なんです。私、今すぐちゃんとした服に着替えてきま――」
そう言いかけたところ、浮かれた様子のジェリーがつぶらな瞳を私に目を向け、声をかけてきた。
「リアは可愛いからそのままでいいよ!」
「そう言う問題じゃ……」
「奥様。どちらにしろ、着替えていたら間に合わないと思います。今すぐ玄関に行きましょう!」
この際格好は仕方ない……。そう踏ん切りをつけ、私はジェリーとジェロームと共に玄関へと急いで移動した。
すると、既に多くの使用人たちが集まっており、その光景を見て一気に物事が現実味を帯びた。またそれと共に、私の中の緊張感が急激に高まった。
――マティアス様はどんな人かしら?
お義父様みたいにクマのような感じだと思っているけれど、ジェリーと同じ血が流れているということは、可愛らしい顔なのかしら?
だけど、顔よりなにより問題は性格と相性よ。
どうか、どうか、どうか、良い人でありますようにっ……。
少しでも気を緩めれば、気絶しそうなほどに不安と緊張感でいっぱいだった。そんな中、ついに私の目の前にある玄関の扉が開かれた。
「おかえりなさいませ」
皆がそう声を発し頭を下げたため、私も皆と同じタイミングで反射的に頭を下げた。すると、そんな私の耳に嬉しそうなジェリーの声が聞こえてきた。
「マティアスお兄様! おかえりっ!」
その声が聞こえた直後、タタタタッっとジェリーが走る足音が聞こえた。かと思うと、落ち着きのある凛とした優しい声が耳に届いた。
「身体が弱いのに、そんなにはしゃぐな。落ち着け」
その声につられ、私はゆっくりと顔を上げた。
すると、そこには「ジェラルド、ただいま」と言いながら、抱き上げたジェリーに優しく微笑みかけている男性が目に入った。
ジェリーより少し濃いミルクティーベージュの髪色に、同じ翡翠色の目を持ったその男性。その彼は背が高くスラっとして、眉目秀麗という言葉がピッタリの顔立ちをしていた。
――この人が……マティアス様……?
いざ目の前にしたら、どうして良いか分からず心の中で焦ってしまう。鼓動が全員に聞こえているのではないかと錯覚するほど、心臓がバクバクと鳴るのを感じる。
だが、どんなに緊張していても、自己紹介はしないといけないだろう。
ということで、私はジェリーがマティアスお兄様と言うその人物に歩み寄り、全身全霊の勇気を振り絞って声をかけた。
「……っおかえりなさいませ、マティアス様。あなたの妻になりました、エミリアでございます。無事ごきか――」
お辞儀をするように頭を下げながら挨拶をしていた。
だが挨拶の途中であるにもかかわらず、私の姿など見えていないと言うように、マティアス様はそのままジェリーを抱っこして歩き始めてしまった。
「えっ、リア……!? マティアスお兄様! リアが話してるよ! ねえってば!」
そう言っているジェリーの声だけが、誰もいない空間に頭を下げている私の耳の奥に響き続けた。




