19話 やったからにはやられる覚悟を
お茶会が始まってから二十分が経過した頃だろうか。今のところ予想外に、私は誰からもいびられることなく、楽しく談笑に参加できていた。
思わず拍子抜けしてしまう程に、和やかな時間が流れている。
だが、そんな和やかな空気を切り裂くように、慌てた様子の男性が入ってきて、王妃様に駆け寄った。
そして、王妃様に何やらゴソゴソと耳打ちをすると、ハッと驚いた顔をした王妃様が私たちに声をかけてきた。
「皆さん、ごめんなさい。至急、行かなければならない用事が出来たの。でも、お茶会は始まったばかりです。なので、私は席を空けますが皆さんはどうかそのままお茶会を続けてください。楽しんでいってね」
そう言うなり、王妃様は私たちを置き去りにして、急いだ様子で部屋から出て行った。
――どうしたのかしら?
お茶会の途中で主催者が抜けるなんて、余程の何かがあったのよね……。
王妃様が出て行った扉を見ていた私は、すぐに視線を元に戻した。すると、先ほどまでニコニコと笑っていたご夫人方の顔から笑顔が消えていた。
そして、そのことに気付いたと同時に、一気に会場に不穏な空気が漂い始めた。
「ねえ、エミリア夫人?」
王妃様が出て行き、開口一番マーロン伯爵夫人が話しかけてきた。そのため夫人に視線を向けると、彼女はとんでも無い言葉を続けてきた。
「あなた、結婚式で夫役として代理を立てていたでしょう? もしかして、実は愛人だったりするんじゃないの?」
急に下品な話をし始めた彼女に驚き、思わず身体が硬直する。だが、こんな戯言を肯定する訳にはいかず、私は急いで発言を訂正した。
「あの方は、義父のカレン辺境伯が選んだお方なんですよ。愛人だなんて有り得ませんわ。もし気になるようでしたら、是非お義父様にご確認ください」
これは紛れもない事実だ。誰が相手だったのかも知らないのに、愛人だなんてとんでも無い侮辱だ。
でも、こうしてお義父様の名前を出したからには、これ以上は何も言ってこないでしょう……。
そう思っていたのだが、マーロン夫人は更に信じられない言葉を投げかけてきた。
「数年前に、今のあなたみたいに清廉そうな子の不倫が発覚したこともあったのよ? だから、それだけじゃ信用には……って、あっ! もしかして、実はカレン辺境伯とデキてるの?」
――は……?
この人は一体何を言っているの?
頭がどうにかしてるんじゃないの?
あまりにも酷い彼女の妄言に、とてつもなく怒りが募ってくる。だが、私が言い返す前にマーロン夫人の親友であるマイヤー夫人を筆頭とし、皆が口を開き始めた。
「確かに、カレン辺境伯がずっとエスコートしているみたいだし、有り得なくはないかもっ!」
「え!? 義理の父親でしょう? やだわ~、不倫なんて……」
「カレン辺境伯ったら、息子から嫁を寝取るのが趣味なのかしら? いやね~」
もう絶対に許さない。やられたからには、やり返してやるわ。
そう心に決め、私はマーロン夫人に照準を合わせた。
「お義父様は辺境で国を守る夫の代わりとして、私を気遣いエスコートしてくれただけです。不倫だと言われるだなんて、心外ですわ」
一応そうは言ったものの、彼女らが一度狙った獲物をそんな言葉で逃すはずが無かった。そのため、私はすかさず言葉を続けた。
「私の亡き父とお義父様は、刎頸の友と言い合う程の仲でした。なので、友人の娘であり、息子の嫁である私に良くしてくださっているんです。あっ! そうです! お義父様ったら、このあいだ画廊に連れて行ってくださったんですよ!」
ここで私はマーロン夫人に対し、矢を射った。
「そこで見た『レミアットの夕暮れ』『路地裏の逢瀬』『接吻』この三作は、特にインパクトが強い作品でした」
「私も観に行きましたよ! レミアットの夕暮れは初めて見る大きさの絵でしたが、あれは本当に壮観でしたね」
「接吻はタイトルと絵が乖離しているようで、その組み合わせしか考えられない不思議な絵だったわ……」
「路地裏の逢瀬は、二色だけで描かれた作品だそうですよ。二色であの表現力は圧巻でしたわ!」
そう言うと、観に行ったというご婦人方は楽し気に話を膨らませ始めた。そんな中、私はマーロン夫人に対し貴族らしい笑みを向け微笑んだ。
するとマーロン夫人は私と目が合うなり、サッと顔が青ざめ急にオドオドとし始めた。
そして、先ほどまでの勢いはどこへやら、急に黙り込んでしまった。
――やっと黙ったわ。
これ以上、お義父様と私について変なことを言ったら、絶対にこれ以上で返す……。
でも、これで今日は取り合えず乗り切れたわね。
なんてことを思っていたが、お茶会はそう甘くなかった。今度は、マイヤー夫人が私を攻めだしたのだ。
「ところで、エミリア夫人。夫君とはお会いになられたのかしら? 私の仕入れた情報では、ずっと辺境にいて会っていないと聞いたのだけれど?」
ここで下手に嘘をついたら、より大きな攻撃をされる可能性が高い。ここは素直に答えよう。
「はい。仰る通りまだ会っておりません。夫は国防の最前線で働いていますので、そちらの活動に注力してもらっているんです」
「そんなの綺麗ごとでしょう?」
「……と言いますと?」
「いくら指揮官とはいえ、少しの間一人居なくなったくらいで、駄目になるような組織じゃないでしょう? あなたに会いたくないんじゃないの?」
イーサン様が居るからこそ、一瞬帰って来るくらいできるのでは? と、私も考えたことがかつてはあった。
だが、ジェリーやジェロームからマティアス様の話を聞いて、その一瞬のせいで何かが起こってはもう遅いという責任感から、彼はずっと辺境の最前線にいるものだと思っていた。
――会いたくないという彼の気持ちも分かる。
だけど、本当にそれが理由で帰って来ないんだとしたら……かなりショックかもしれない。
そう思ったが、そんな気持ちを暴露する訳にもいかない。そのため、私は咄嗟にそれらしい言葉を返した。
「夫は責任感のある人です。それに、自身の地位の重みを誰よりも理解しています。だからこそ、身を挺しこの国を守るために常に辺境に留まっているのです」
「まあ仮にそうだとして、あなたは夫が帰って来ないから不満なんじゃない?」
「夫が家を空けている理由は、国を守るためだと分かっております。そんな夫に対して、不満なんて感情は一切ございません」
――国を守ってくれているんだもの。
むしろ、ありがたいくらいだわ。
そんなことを思って答えたが、この答えはマイヤー夫人にはお気に召さなかったらしい。めげずにまたも言葉をかけてきた。
「痩せ我慢をしているだけでしょう? ここにいる人の前では、そんな嘘つかなくていいのよ。素直に答えてみて?」
「素直にと言われましても、嘘も何もすべて本当のことですので……」
苦笑のような微笑みを向けながら、マイヤー夫人を見つめ返した。すると、彼女の目に怒りが宿ったのが分かった。
「あなたね……そうやって素直じゃないと捨てられるわよ。それに、目上に対してそんな傲慢な態度、私たちだから問題ないけど、男はそういう態度を嫌うのよ? ねえ、皆さん?」
「愛嬌も無い女も疎まれるわよ」
「結婚式にも来ないくらいの人だから、疎む以前の問題かもしれないわね」
「子どももいないんでしょう? それなのに今から愛想を尽かされたら、女としても妻としてもおしまいよ?」
聞き流せば良いはずの言葉なのに、いちいち心に刺さってくる。何でこんな攻撃を食らってしまうのかと、弱い自分に嫌気が差す。
「別にあなたに意地悪したい訳じゃないのよ? これは全部、あなたのためのアドバイスなの! こうならないように、意識を改善させていきましょうっていう話をしているのよ」
まるで赤子を宥めるかのように私に話しかけると、マイヤー夫人は優雅ににっこりと微笑んだ。今の私にとって、彼女のその笑顔は悪魔の笑みそのものに見える。
――どの口が言ってるの?
他人の夫婦関係に口を出す前に、自身を振り返ってみるべきよ。
はあ……なんて言ったら、これ以上夫婦関係について何も言われなくなるの!?
何を言っても、ああだこうだと言ってくる人たち。そんな彼女らに、私はどんな言葉を返そうかと必死に頭をフル回転させていた。
そんなとき、王妃様が出て行った扉が突然開く音がしたと同時に、扉の方から男性の声が聞こえてきた。
――この声はっ……。
反射的に扉の方へと視線を向けた。
すると、見覚えのある人物が私の視界に映った。