17話 社交期の始まり
――奥様。
私がそう呼ばれるようになってから、約一年の月日が流れた。それから約半月後、花津月の頃から葉月の中頃まで続く社交期がようやく終わりを迎えた。
この社交期は結婚してから初めてのものだったが、私は王都に行かなかった。
なぜなら、父親が亡くなった場合、一年間社交の場に出ず喪に服すことが貴族女性のマナーや美徳とされているからだ。
私の父が亡くなったのは、昨年の愛逢月。
よって、喪が明けるのが社交期の終わり間際になってしまい、残された社交の期間は半月ほどになってしまう。
シーズン中とはいえ、社交期が終わる前に領地に帰る貴族も多い。
――そんななか、逆行するように王都に行くことは、かえって悪手なのでは?
そう考え至った私は、今回の社交期に王都には行かないことにしたのだ。
ちなみに、お義父様はこの考えに納得してくれ、「社交面は俺に任せておけ」とそれは頼もしい手紙を送ってきてくれた。
私はそんなお義父様の誠意に報えるよう、社交期に備えてあらゆる布石を打つことにした。
そのために私が特に力を入れたのは、ヴァンロージアの特産品として、砂糖とリラード縫製の商品の販路を拡大することだった。
そして、その目的を叶えるための作戦の名前、それは『ビオラ、フル活用大作戦!』だ。
その作戦の内容は至ってシンプル。ビオラに砂糖を皆に宣伝してもらったり、リラード縫製の服を着てもらったりして、広告塔になってもらうのだ。
また、この作戦の肝は、ビオラ本人が宣伝しているつもりが無いというところにある。
ビオラは本当にお茶会が大好きで、よく人を家に招く。招かれる側もだが、招く側の方が好きな子なのだ。
そんな彼女は自身がお茶会の主催者のとき、貴重な品が手に入れば招待客に必ずそれらを提供する。
その理由は、皆に楽しんでほしいから。ただ、それだけだ。
そのため、いくら貴重でもビオラは出し惜しみなんて妥協は一切しない。
そんなビオラに砂糖を贈るとどうなるか……。
――間違いなく、砂糖をふんだんに提供するわ。
そして、意図せず砂糖を招待客に宣伝しまくるに違いない。
ビオラは天然の塊だもの……。
砂糖は高価なため、甘いスイーツなどは滅多に食べられない。それは高位貴族であっても変わらない。
では、それほどに貴重な品を提供されたとき、大多数の招待客たちはどう行動するか……。
もう、その答えは明確。彼女らは、あちこちに自慢して回るのだ。そしてその話が回り回ることで、ヴァンロージアの砂糖事業が貴族中に知れ渡ることになり、販路拡大の道が見えてくるのだ。
また、ドレスを贈った場合も同様の効果が見込める。
なんせ、ビオラは今や社交界の花。どんな服を着ていても注目されるのだ。
それに、ビオラは相当嫌いでない限り、プレゼントされた服は必ず着る。そのため、ビオラにリラード縫製のドレスを贈ったら、社交の場に着て行くことは確実だ。
しかも、あの子はなぜか必ず私が贈ったプレゼントを人に自慢する。
よって、社交界にリラード縫製の名が知れるのも時間の問題ということになるのだ。
「ねえ、ティナ。お兄様にも贈った方が良いわよね? 燕尾服とかどうかしら?」
「良いですね! もういっそのこと、ビオラお嬢様とペアルックになさってはどうですか? 二人とも大喜びすると思いますよ」
言葉にはしないが、ティナはビオラやお兄様を嫌っている節がある。少し皮肉めいた言い方をするティナを窘めながらも、確かにその手はありかもしれないと思った。
――だって、本気で喜びそうだもの。
進んで着て宣伝しまくる未来しか見えないわ……。
ということで、私はブラッドリー侯爵家にヴァンロージア産の砂糖と、リラード縫製のドレスと燕尾服を贈った。
――どうか、社交期にこの種まきが芽吹きますように。
そう祈りながら、私は領地経営に取り組み、社交期に向けて準備も着実に進めた。
そして月日は流れ、とうとう結婚してから二回目の社交期が始まった。
◇◇◇
「ついに戻ってきたのね……」
花津月になり社交期が始まったため、現在私は王都にあるカレン家の別邸に来ていた。社交期の間、私はしばらくこの別邸で生活をすることになる。
ちなみにジェリーだが、医師に長時間の移動はまだ控えた方が良いと言われ、領地に一人でお留守番することになった。
心苦しいが、ジェロームとデイジーもいるし、ジェリーのお気に入りのクロードがいるからどうにか耐えてくれるだろう。
そう信じて、私はティナと荷運びのための最低限の人数で王都に戻ってきた。
お義父様は会うなりヴァンロージアの管理に対する礼と、ライザの本性を暴いたことに対する礼を伝えてきた。
ライザの件については、以前これでもかと言うほどの感謝状が届いていたが、口頭で直接礼を伝えたかったらしい。
亡き妻の最側近侍女であり、マティアス様とイーサン様の乳母としての役割を務め上げた人物ということで、かなり信頼を寄せていたそうだ。
だからこそ、ジェリーに虐待をしているとは思いもしてなかったと、何度も嘆いていた。
こうしてお義父様との再会を迎え王都に来たものの、私には一つ問題があった。
それは、社交の場の同伴者となるはずの夫が不在ということだ。
だが、その問題はすぐに解決した。すべてのエスコートをお義父様が引き受けてくれたのだ。
そのうえ、お義父様は私をパーティーや演劇、画廊といった様々な場所に連れて行き、その場その場で事業相手になる人を紹介してくれた。
こうしたお父様の素晴らしい人脈もあり、清和月になった頃には砂糖事業は販路拡大に成功していた。
そのうえ、リラード縫製の支店を王都に出す話も出始めていた。
――何だか、順調な社交期の滑り出しじゃない?
ずっとこんな調子が続けば良いのだけれど……。
そんなことを考えていた、ある日のことだった。ティナが慌てた様子で手紙を持って来た。
「奥様! お手紙が届いております!」
「ティナったら、そんなに慌ててどうしたの?」
――ティナがこんなに慌てるなんて珍しいわね。
誰からかしら……?
そう思いながら受け取った手紙は、一介の貴族から届いたとは思えないほど荘厳さ漂う手紙だった。開けなくても、それなりの人物から届いた手紙だと分かる。
初めての出来事に、思わず心臓がドクンと音を立てる。そんな状態の中、私は他の手紙よりもずっと慎重かつ丁寧に封を開け、中から便箋を取り出した。
そして、一度深く深呼吸をし、便箋に綴られた美しい文字を目で追った。
「ど、どなたからでしたか? 内容はなんと……?」
手紙を最後まで読み終えると、心配そうにティナが訊ねてきた。そのため、私はティナに緊張と震えを抑えながら言葉を返した。
「王妃様から……お茶会のお誘いだそうよ」
王妃様とのお茶会メンバーと言えば、高位貴族の御夫人がほとんどだ。きっと参加者の中で私が最年少になるだろう。
集まりそうな面々を想像するだけで、気が遠くなる。
――きっと、令嬢ではなく夫人としての私を試されるんだわ。
相手は立場を笠に着て、好き放題何でもかんでも言うモンスターよ。
絶対に油断は許されない。
気を引き締めないと……。
こうして、たった一通の手紙によって、恐ろしい魔物たちが跋扈しているであろうお茶会に行くことが決定してしまった。