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16話 マティアスという男

「ジェリー、今日の勉強はお休みよ」



 それは、今から5分前のこと……



「リア……待ってたよっ……。今日は、何の勉強をするの……?」



 約束した時間にジェリーの部屋に行くと、笑顔で駆け寄って来るなりジェリーが訊ねてきた。

 しかし、私はそんな今日のジェリーの様子に、ある違和感を覚えた。



――呼吸が浅いし、何だか辛そうだわ。

 それに、笑顔と言えば笑顔だけど、無理に笑ってるような……。

 もしかして、具合が悪いのでは……?



 子どもは自身の体調の違和感に鈍いと聞いたことがある。とりあえず、座らせた方が良いだろう。

 そう考え、私はジェリーの手を引き彼を長椅子に座らせ、自身もその隣に座った。



「ジェリー。お勉強を始める前に、ちょっとおでこを触らせてくれる?」

「えっ、うん……」



 言質はとった。そのため、私は少し戸惑った様子のジェリーの小さな額に指の甲を当てた。



 すると予想通り、彼は発熱しているということが判明した。ジェリーの顔を改めて見ると、いつもより頬が赤らんでいるような気がする。何となく、目元もとろんとしている。



「ジェリー、熱があるわ。つらくはない?」

「んー……よく分かんない……」

「そうなのね。……頭とかお腹とかどこか痛いところはない?」

「痛くないよ。でも、なんかクラクラする……」

「クラクラするのは、おそらく熱のせいだと思うわ」



 今のところ、咳や鼻水といった分かりやすい風邪症状は出ていない。

 しかし、元々病気がちな子。熱が出ているからには安静は必須だろう。ということで、私はジェリーに今日の予定を伝えた。



「ジェリー、今日の勉強はお休みよ」



 そう告げた瞬間、ジェリーの下顎が重力に逆らえなくなったかのように落ちた。

 このときのジェリーのショックを受けた可愛らしい顔は、しばらく忘れることが出来ないだろう。



 そして勉強は急遽取りやめ、ジェリーの体調を診てもらうべく医師を手配した。その結果、咳や鼻水の症状が出づらいタイプの軽い風邪だろうとの診断が下った。



「ごめんね、リア……」

「どうして謝るの?」

「せっかくリアと勉強できたのに、無理になっちゃった……」

「良いのよ。体調が悪いときはちゃんと休まないと。そうでしょう?」

「うん……」



 言葉では肯定するが、ジェリーの表情には不服さが滲み出ている。とはいえ、ジェリーは素直な子。診察が終わると、大人しくベッドに横たわった。



「免疫力を高めている途中です。風邪をひきやすいでしょうが、安静にすれば治りますのでご安心ください」

「良かったです。早急な往診対応をしてくださりありがとうございます」



 大事には至っていないということで一安心した。そのため感謝を伝え、医師の見送りは使用人に任せた後、私はジェリーが眠るベッド脇の椅子に座った。

 そっとジェリーに視線を向けると、私を見つめる切なげな瞳と視線が絡まった。



――私がいたら、この子もゆっくり休めないはず。

 様子を見るために居ようかと思ったけれど、部屋を出た方が良さそうね……。



「ジェリーは今、丈夫な身体になっている途中なの。だから、きちんと安静にしていたら治るそうよ」

「そうなんだ。よかった……」

「私がいたら眠れないでしょう。今から執務室に戻るから、ゆっくり休んでね。ジェリーが起きた頃、また来るわ。それじゃあおやすみな――」

「……行かないでっ」

「えっ……」



 聞き間違いだろうか。

 引き止められるとは思わず、驚いて声が漏れてしまった。



 すると、そんな私を見たジェリーは慌てたように口を動かし始めた。



「き、気にしないでっ……。ぼ、僕、何も言ってないから!」



 そう言うと、頭の上まですっぽりと布団の中に入り込んでしまった。

 どれだけ嘘をつくのが下手なんだろうと、つい笑いそうになる。というか、笑ってしまった。



「ふふっ、ジェリー」

「……?」

「勉強は出来ないけれど、せっかくだし眠る前に一冊本を読みましょうか?」



 布団の中に潜り込んだ彼にそう声をかけると、ひょっこりと布団から顔を出した彼はそれは嬉しそうにはにかんだ。

 そのため、私はジェリーが眠れるようにと一冊軽めの本を選んで読み聞かせを始めた。



「……おしまい」



 そう締め括りジェリーを見ると、彼の眼はパッチリと開いている。眠りの導入にしたかったのに、まったく眠くなさそうだ。

 かくして、私の読み聞かせ作戦は見事に失敗してしまった。



――どうしたらジェリーは眠るのかしら?

 早く身体を休ませてあげたいんだけど……。



 そう思いながら、ジェリーが眠りにつくための策を色々と考えていた。すると、そんな私に対しおもむろにジェリーが口を開いた。



「読み聞かせなんて、お兄様以来だ……」

「お兄様が読み聞かせしてくれたの?」

「うん。二人とも読んでくれたけど、特にマティアスお兄様が読んでくれてたんだ……」



 とても意外だった。偏見の目で見て申し訳ないが、軍営育ちのマティアス様やイーサン様が子どもに絵本を読み聞かせする姿が想像つかない。というか、想像も何も、顔すら知らないのだが……。



 まあそれはどうでも良いとして、男性が子どもに絵本を読み聞かせをすること自体が極めて稀な貴族社会。しかも、軍営育ちの人が読み聞かせているというのだから、驚きも倍だった。



――マティアス様は本当に弟想いの方なのね……。

 血の気が多いと聞いていたから不安に思っていたけれど、ジェリーの話を聞く限りとても優しい誠実な人に聞こえるわ。



 私は他人(ひと)から聞いた情報だけを元に作り出したマティアス様の姿を想像しながら、勝手に脳内で一人感心していた。

 すると、そんな私にジェリーが話しかけてきた。



「初めてリアに会った日、不朽を読んでたでしょ?」

「ええ、そうだったわね」

「マティアスお兄様の好きな本なんだ。お兄様は毎回あの本を読み聞かせてくれたんだ」



 前言撤回。やっぱりマティアス様は優しくてもちょっぴり、いや、かなり変わった人だ。

 マティアス様がこの家に居た頃と言えば、ジェリーが三歳か四歳くらいだろう。不朽はそんな年齢の子が理解できる本じゃない。

 そもそも、読み聞かせるような本でもない。



 だが、そんな突っ込みをジェリーに入れるわけにはいかない。そのため、引き続き私はジェリーの話に集中した。



「僕ね、あの本で文字を覚えたんだ」

「前にそう言っていたわね。でも、どうやって覚えたの?」



 以前聞いたことはあるが、タイミング的に詳しく聞けなかった。ただ、不朽だけで文字を覚えたが故に、読みレベルが虫食い状態ということだけは知っている。



 そのため、これを機に覚え方の詳細を訊ねてみることにした。

 すると、少し予想外の答えが返ってきた。



「マティアスお兄様が何回も読んでくれて、分からない言葉は一から全部教えてくれたんだ」



 とんでもない英才教育だ。しかも、その英才教育がある意味成功していると言うのだからすごい。



――言葉の意味を教えたところで、その説明の意味が分からないループに嵌まる年齢でしょうに……。

 説明されて理解できるジェリーはすごいわ。

 いや、理解させているマティアス様がすごいのかも?



 この三兄弟の次元に私はとても付いて行けそうにない。とんでもない家に嫁いできたのかもしれない。

 そんな風にヒヤヒヤとしていると、そんな私に反しジェリーは落ち着いた様子で言葉を続けた。


 

「あとね、逆に僕がマティアスお兄様とイーサンお兄様に本を読んで覚えたんだ……。何回読んでも毎回笑って聞いてくれたんだよ? もう一度お兄様たちに会いたいなぁ……」



 とても寂しそうな声でポツリと呟いた。そんな彼は、眠くなってきたのか話はするもののうつらうつらとしている。



 ……そろそろ頃合いだろう。



 そう考え、私はもう少しで眠りそうなジェリーに囁くように声をかけた。



「必ず会えるわよ」

「そうかな……?」

「ええ、大好きなジェリーのために帰って来るはずだもの」

「っ! そうだったら良いな……僕も二人が大好き。リアも大好き。四人で一緒に暮らしたいな……」

「じゃあ、そのためにも元気にならないとね。ジェリー、楽しいお話をきかせてくれてありがとう。そろそろ寝ましょうか」

「うん……」



 そう返事をしたかと思うと、ジェリーはそのまま眠りについた。そのため、私は起こさないようにそっと部屋を出て、書斎に戻りジェリーとの話を振り返った。



「ねえ、ティナ。マティアス様はとても優しい人みたい。血の気が多いなんて聞いていたけれど、そこまで不安にならなくて良いのかもしれないわ……」



 結婚はしたくなかったし、結婚生活も悲観的なものを想定していた。

 だが今、私は人生で一番楽しい時間を過ごしている。それも、死ぬまでずっとこんな生活が続けば良いのに……と思う程の楽しさだ。



 ティナやジェロームをはじめとし、使用人たちは皆明るく優しい人ばかり。ジェリーという弟のような息子のような癒しの存在もいる。



 それに何より、とても大変だが領主代理としての仕事はとてもやりがいがあって面白い。領地が目に見えて良くなっていく達成感がたまらないのだ。



 ただ、そこには肝心の夫となるマティアス様が存在していない。そのため、帰ってきたらどうなってしまうのかとずっと不安だった。



 でもジェリーの話を聞いて、望まぬ結婚だったものの、マティアス様とはうまくやっていけるのかもしれない。そんな淡い期待を胸に抱いた。



 その後、その思いが砕け散ることになるなど、このときの私は知る由も無い。 

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