15話 一縷の望みは露と消え(2)〈マティアス視点〉
「兄上、ジェロームから手紙が届いてるよ」
ある日、イーサンが手紙をヒラヒラとさせながら、軍指揮官室にフラッと入ってきた。
「ん? ジェロームから? まさかっ……!」
その言葉を聞き、一年と数ヶ月前に送った手紙を思い出した。
ジェロームにあの女を監視しておけと頼んだのだ。きっと何かあったから連絡したに違いない。
――もしかしたら、この手紙に離縁の口実になることが書かれているかもしれないぞ!
「俺が以前ジェロームに頼んでいたことがあったんだ! きっとそれに違いない!」
そう言ってイーサンから手紙を受け取り、俺は急いで中に入った便箋を開いた。
そして、その便せんに羅列された文字を読み、その書かれた内容を見て自身の目を疑った。
「おい、イーサン。ジェロームは洗脳されているのか……?」
「は? 何言ってるんだ。貸してみろ」
そう言われ、素直にイーサンに手紙を渡した。
「見間違いじゃないか、読んであげるよ。どれどれ……」
そう言いながら、イーサンはジェロームからの手紙を読み上げ始めた。
【旦那様に許可をいただいたので、約一年前の手紙の返事を送らせていただきます。
結論から言いますと、マティアス様の心配に反し、エミリア様は素晴らしい手腕をお持ちの女性です。怪しい人間や毒婦など以ての外です。
まず、エミリア様が来られてからヴァンロージアは大きく変わりました。屋敷に関して言いますと、使用人の質が上がりましたし、労働環境も著しく改善されました。
他にも、厳冬のため昨年から今年にかけて、冬の食糧難が非常に心配されていました。しかし、エミリア様の手回しにより、飢餓どころか食料に困る者は、領民誰一人としておりませんでした。
また食料関係ですと、エミリア様の発案により始めた四輪作が大成功し、領地では今年、未だかつてないほど作物の収量が増加する予測が出ております。
既に現時点の農作物の収量は、例年の同じ時期を大幅に上回っております。
しかも、退役戦闘魔法使いの人々と協力し合い、なんと大量の砂糖を製造することにも成功いたしました。これはとんでもない快挙で、砂糖の販路が広がり次第、領地は更に豊かになることでしょう。
それら以外にも、エミリア様は学堂をお作りになられました。その目的は子どもの教育でした。
しかし、大人からも学びたいという声が出ました。
そのため、それに応じる形で大人にも子どもにも学堂を開放した結果、領民たちの識字率が底上げレベルで向上いたしました。
その他、エミリア様は縫製業にも注力しており、リラード縫製と領外から注目を集めるための企画を進めております。現時点で、企画の進捗状態は良好です。
きっと社交期が始まったころ、蒔いた種が芽吹くことでしょう。
最後に、マティアス様が心配しておられましたジェラルド坊ちゃまについてです。ジェラルド坊ちゃまは、エミリア様がいらっしゃってからというもの、体調を崩す機会が大幅に減少いたしました。
そのうえ、以前よりも明るく朗らかになられました。現在エミリア様がジェラルド坊ちゃまにあらゆる勉学を教えており、ジェラルド坊ちゃまも楽しそうに過ごしております。
よって、エミリア様は現在ヴァンロージアにおいて必要不可欠なお方になっております。領民からの人気も非常に高いです。
マティアス様が今のヴァンロージアを見たら、きっと大変驚かれることでしょう。
こんなに素晴らしい奥様はそうそういらっしゃいません。どうか、色眼鏡で見ることなく接して差しあげてください。
この言葉が届きますよう切に願います】
そう締め括られ、この手紙は終わっていた。
「すごい女性だな……。これじゃまるでヴァンロージアに降臨した女神じゃないか……」
イーサンが唖然とした表情で声を漏らした。そんなイーサンに、俺は情報を共有することにした。
「お前よりも歳下だぞ」
「そうなのか? あの女の話はするなとか言いながら、実はちゃんと調べてたんだな。まあ、知ってたけど……」
「敵を知ることから戦は始まるだろ。だから調べただけだっ!」
どこを読んでも、エミリア・ブラッドリーの褒め言葉しかない。もしこれが事実だとしたら、相当すごいことだ。
だが、それはあくまで自身にかかわりが無ければの話……。
素直に感謝すべきことだ。そんなことは分かってる。だが、それだと妻と認めざるを得なくなってしまう。
――いったい何がどうなっている!
ジェロームはこの一年間何をしていたんだ……!?
ジェロームは完全にエミリアを女主人として受け入れているようだ。
絶対的な信頼を置き味方だと思っていたジェロームに、裏切られたような気分になる。一縷の望みを賭けていただけに、絶望感も桁違いだ。
それと同時に、俺の妻だと名乗るエミリア・ブラッドリーという女に、本来俺が愛した女が君臨するべきだった大切な場所を侵されているような感覚にもなる。
「とにかく早く辺境の攻防が終わることを祈るしかない。早くヴァンロージアに戻らなければ……」
このままでは、取り返しが付かなくなる。だって、今はもう結婚の手紙が届いてから二度目の小春月だ。
――せめて年端月までに終わってくれっ……。
早く戻らなければ。
でないと……!
そう願ったが、年端月になっても辺境の防衛義務の解除通知は来なかった。