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109話 果たされた約束

 月日は流れ季節は巡り、私たちが結婚してから八年が経った。この年月の間に、フリーデンアイトはこの国一番の発展を遂げた土地に成長した。



 農作物の収量は国随一を誇り、民たちが飢餓になる心配はない。各分野の事業も一気に発達を遂げ、領内の経済状況は非常に潤っている。



 こうしたこともあり、フリーデンアイトはお金に困る領民がグッと減った。それに金銭的不安があったとしても、救貧院や任意の出捐制度によって救済措置が取られている。

 そのためか、この八年で犯罪率もグッと減った。



 その他にも様々な取り組みを重ねてきた結果、フリーデンアイトは平和の誓いを立てるという領の名の由来を体現した土地を実現していた。



 そして現在、私は諸処の仕事に取り組んでいる。この平和を守るため、大公妃に休む暇など無いのだ。



――今書いている王都の貴族宛の手紙を書き終わったら、ビアンカのところに行って……。



「エミリア、ちょっと良いだろうか? 確認したいことがあるんだ」

「ええ、大丈夫ですよ。どうなさったのです?」



 手紙を書く手を止めて、室内に入ってきたカリス様に向き直る。すると彼は当たり前のように私の頬に軽いキスを落とし、私が座る長椅子の隣に腰を掛けた。



「この手紙読んでよ」

「こちらは……ローゼンタール公爵からですか?」

「うん」



 カリス様はそう言うと、疲れたという様子で深いため息をつき、私にその手紙を差し出した。それを受け取り、手紙の内容を読み進める。



――この人、本当にしつこい人ね……。



 手紙の内容は、領の境界線問題についてだった。フリーデンアイト大公領とローゼンタール公爵領は隣接している。ローゼンタール公爵は、その隣接地のフリーデンアイト側の一部の地域を、本来はローゼンタール領だと主張しているのだ。



 まさに難癖である。そこは決してローゼンタール公爵領ではない。仮にそうだったとしても、何十年もその地域の領地管理をしていなかったことになるというのに……。



「この行為が、自分の首を絞めている自覚がないのでしょうか?」

「恐らくね。それで聞きたいんだけど、もうこの件は僕が手を引いても良いよね?」

「ええ、官制に合わせたら良いだけの問題です。境界の証明資料もカリス様が御用意なさっておりますので、大丈夫だと思いますよ」



 そう答えると、カリス様は満足げに嬉しそうな笑みを浮かべた。



「だよね! じゃあこの件は補佐官に任せよう! エミリア、ありがとう」



 その言葉とともに、彼は私を包み込むように抱き締めてきた。

 何年経っても愛情表現が変わることの無い彼に、最近では感動さえ覚えている。そんな私の耳元に彼は口を寄せると、甘い低音で私の鼓膜を震わせた。



「エミリア、愛してるよ」



 そう言って、彼は私の耳に掠るようにキスを落とす。だが、こういうことを八年間も続けられたら慣れるというもの。



「ありがとうございます」



 笑顔でそう返すと、カリス様は何だか複雑そうに顔を歪めた。そして、耐えかねた様子で口を開いた。



「エミリア、私もって言っても良いんだよ?」

「では、私も……」



 わざとそう答えると、カリス様は非常にもどかしそうな顔をする。そのタイミングを見て、私はネタばらしをするように彼に声をかけた。



「冗談ですよ。私もカリス様を愛しております」



 ね? と彼に微笑みかければ、途端に彼の顔は光が差し込んだかのように明るさを取り戻す。だが、その後の反応が今日はいつもと違った。



「エミリア?」



 私の名を呼ぶ彼の目が妖しく輝いている。その瞬間、私は悟った。



――ああ、逃げられない。



 そう思うと同時に、カリス様は愉しそうに言葉を続けた。



「ちょっと僕をからかいすぎだよ? 今一度、君に僕の愛をしっかり教えてあげないとね?」

「えっ……それは十分――」

「いや、足りない」



 そう言うと、カリス様は私の両頬に手を滑らせた。絶対に離さない。そんな意志を感じる手に包み込まれ、私の鼓動は急速に早まっていく。



 そして流れるように彼の顔が一気に近付き、そのまま彼は私の唇に口づけを落とした。優しく柔らかいその一回のキスで、私の心は彼に引き寄せられる。



 だが次が来ない。



――からかった仕返しに、わざと大袈裟に言ったのかしら?



 そう思った次の瞬間、私は己の油断を思い知ることになる。

 彼が再び唇を押し当てたのだ。しかも先ほどとは違い、その唇はまったく離れる気配がない。



 苦しさに耐えかね酸素を求めて口を開けば、すかさず熱い彼の舌が口腔に入り込んでくる。こうして侵入してきた舌は、私のすべてを知り尽くしたかのように上顎や歯列をなぞり、私の弱いところを容赦なく攻める。



 そしてやっと舌が出て行ったかと思えば、彼は私の唇をはむはむと啄み始めた。その間、カリス様は右手を頬に添えたまま、左手で髪を梳かすように私の後頭部を撫でている。



 その手つきからは愛おしいという気持ちが痛いほど伝わってきて、私は完全に彼の口づけに蕩かされてしまった。



「ふう……。どう、エミリア? 僕の愛が伝わった?」



 ようやく口づけを終えた彼が満足そうな表情で訊ねてくる。そんな彼に、私はのぼせたような状態で、ようやっと言葉を返した。



「っ……ずっと前から、伝わってます」



 そう告げながら、隣に座る彼の肩に頭を載せるようにもたれかかる。そしてさらに言葉を加えた。



「だから、こうしてあなたにだけ甘えているんじゃないですか」



 いくら親しくても、臣下に甘えを見せるわけにはいかない。

 唯一対等な立場で私と同じものを背負っている、そのうえで愛し合っている彼だからこそ見せられる甘えだ。



 すると、私の言わんとすることを理解したのだろう。カリス様はもたれかかる私の頭にキスを落とすと「もっと甘えてくれ」と嬉しそうな声で笑ってみせた。



 今日はいつもより少し過激なやり方ではあったものの、まあたまになら悪くない。そんな思いで、休憩も兼ねて遠慮なく甘えようと、私は姿勢を直し再び彼にもたれかかった。



 そして、ふと気になったことをカリス様に問うてみた。



「さきほど補佐官に任せると仰っていましたが、誰に任せるんです? ジェフリー卿ですか?」



 ジェフリー卿はカリス様の補佐官の中で最年長。非常に仕事ができる優秀な人物がゆえに、必然的に請け負う仕事量が多くなりがちだ。



――ジェフリー卿なら簡単に処理するでしょうけれど、他にも仕事があるのよね……。



 負担が大きくなり過ぎないかと心配になってしまう。そんな私に、カリス様は意外な返しをした。



「任せるのはジェフリー卿じゃないよ」

「では誰になさるのです?」

「明日新しく来る補佐官に任せるつもりだ」



 その答えを聞き、心がすっと晴れるような気がした。



「来たばかりなら、慣れるのにちょうど良い仕事ですね! 皆、受け持ちの仕事で手一杯でしょうし、それが一番良いと思います!」

「ああ、エミリアならそう言ってくれると思ったよ」



 そう言うと、カリス様は見守るような温かい表情に微笑みを浮かべた。

 その後、それぞれの仕事に取り掛かろうということで別れたのだが、そのときのカリス様は妙にウキウキとした足取りで部屋を後にした。



 ◇◇◇



「もうそろそろ、約束の時刻ですね」



 次の日になり、私はカリス様と謁見の間に来ていた。もちろん、新しく来る補佐官に挨拶をするためだ。



「どのような方がいらっしゃるのでしょう?」

「僕に訊くよりも、実物を見た方が早いよ。もうすぐ来るから」



 そう言うと、カリス様はそうだろ? というようにウインクを飛ばして来た。



 こうして選ばれる補佐官は、カリス様が試験を設けて選び抜いた逸材ばかり。だから心配するよりも、一度会って話したら実力を実感するという意味なんだと思う。



――けど、別に教えてくれたって良いのに……。



 そう思っていると、謁見の間の扉をノックする音が聞こえた。



「失礼いたします」



 男性の声が聞こえ、私は扉へと向き直る。きっと彼が補佐官だろう。恐らく年齢で言うと、若い部類に入る人に違いない。



 なんて考察をしている間に、カリス様が入室許可を出したことで扉が開き、補佐官となる人物が目に入った。その瞬間、私の時間は止まった。



 扉を開けて入ってきた人物は、それは見目麗しいスラっとした長身の美青年だった。

 その青年は無駄一つない所作で私たちの方へと歩み寄ると、僅かに口角を上げた。そして、輝く翡翠の瞳で私を射貫いた。



 途端に焼けるような熱さが目元に込み上げ、止めることの出来ない湧き水のように勝手に涙が流れ出す。



 こんなの、あまりにも想定外だ。八年前に会ったきり、手紙のやりとりでしか交流の無かった彼がここにいるなんて、誰が想像できるのだろうか?



 流れる涙を拭う余裕も無く、確かに昔の面影を感じる彼を見つめる。すると、その青年は驚いた顔をしながらも、フッと優しそうな笑みを浮かべ口を開いた。



「本日よりフリーデンアイト大公様ならびに大公妃様にお仕えすることになりました。ジェラルド・カレンでございます。補佐官として、精一杯努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします」



 そう言うと、彼は見本そのもののように美しい礼をした。

 その姿を見て、私はカリス様に視線を向けた。すると作戦が成功したとでも言うように、それは嬉しそうな笑みを浮かべた彼が目に入った。



 よし、この人からは後でじっくり話を聞こう。そう気持ちを切り替え、視線を戻す。その瞬間、彼が口を開いた。



「リア……やっと会えたね。約束、ちゃんと守れたよ」



 その言葉を聞き、私は気付けば少女のようにその場から駆け出していた。そして、笑顔で手を広げて待つジェリーの胸へと飛び込むように抱き着いた。



「ジェリーっ……会いたかったわっ……」

「うん、僕もだよっ……。リア、お待たせ」



 こうして涙を流す私を、ジェリーは宥めるように抱き締めてくれた。そしてそんな私たちを、カリス様の優しい瞳がそっと見守っていた。

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