10話 エミリアの領地改革(1)
ジェリーとディナーの時間を過ごした後、私は急いでお義父様にジェリーとライザについての報告文書を書き送った。
そして次の日になり、私はヴァンロージア領内に目安箱を設置するように命じた。
もちろん、屋敷内にもだ。
また、約束通りジェリーとの勉強も始めた。
そんなこんなで、残ってくれた使用人たちとも交流を深めて約二週間が経った。
そんなある日、この領地で最も腕が良いと評判の縫製職人の代表者を、私は屋敷へ呼び出した。
「……エミリア・カレンと申します。本日はお忙しいところ、足をお運びいただきありがとうございます」
「いえ、とんでもございません! わっ私、リラード縫製の代表を務めております、ウォルト・リラードと申します」
「ウォルトさんですね。これからよろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそっ……! ところで奥様……どういったご用件で私をお呼びになられたのでしょうか?」
私は彼を知らないが、当然彼も私のことを知らない。しかし、彼にとっては私の方が立場が上だからだろうか。私よりも年上なのに、緊張で怯えたような表情をしている。
そんな彼には悪いが、その彼の様子が内心ドキドキと緊張していた私を冷静にしてくれた。
そのため、落ち着いた状態で私は彼に話しかけた。
「ぜひリラード縫製の方々に、我が屋敷で働く使用人たちの新しい制服を作っていただきたくお呼びしました」
「新しい制服……? わっ、私たちがですか!?」
「はい。あなた方の縫製はとても丁寧ですし、物持ちも良いと聞きました。そのため、ぜひ作っていただきたいのです」
そう言うと、ウォルトさんは林檎のように顔を赤面させながら、慌てたように口を開いた。
「王都の高級ブティックでなくても良いんですかっ!?」
「はい。使用人にとっては仕事着ですから、高級さよりも利便性の方が重要なんです。そこに素敵なデザインが加われば最高です」
そこで、私は新しい制服の完成イメージと、ディテール部の図をウォルトさんに見せた。
書類の補足欄に絵が得意だと書いていた、使用人のナヴィに頼んで描いてもらったのだ。
「このようなデザインのものを作れますか? 使用人の希望をまとめ、夏はこちらで冬はそちらを想定しているのですが……」
そう伝えると、ウォルトさんは眼鏡をかけてじっくりと絵を見つめた。そして、眼鏡をはずしたかと思うと、満面の笑みで話しかけてきた。
「作れます! 絵を見て、使用人の方たちが何を求めているのか、おおよそ把握いたしました。ですが……本当によろしいんですか? 今まではずっと王都で注文していたようですが……」
作れると言ってくれて一安心した。次は、私が彼の不安を払拭する番だ。
「同じものを作れるのでしたら、わざわざ王都にお金を流しません。このヴァンロージア内でお金を回し、領地を活性化させたいんです」
「領内でお金を循環させるということですか?」
「はい、その通りです。また、あなた達の作った品の評判が王都に広まれば、領外からも収益を得られるようになります」
ここに来る前、お義父様が隣国のバリテルアと我が国ティセーリンの緊迫状態も、あと一年から二年ほどで解消される可能性が高いと言っていた。
そうなれば、もともと肥沃で広大なヴァンロージアは、最大のポテンシャルを発揮するときがやってくる。
そのときに向けて、私はヴァンロージアを豊かな領地にしておきたい。それには3つの理由がある。
1つは、結婚したからには自身の領民となった人々に、豊かな暮らしを提供する使命があるから。
2つは、マティアス様たちのように前線に出ている人々が、帰って来て安心出来る土地にしたいから。
3つは、私がマティアス様たちにとって、害の無い人間だと証明したいからだ。
これらの望みを叶えるべく、私はこの領内の大改革を進めなければならなかった。
そして、このリラード縫製への依頼はその第一歩だった。
「私は来て日が浅い人間です。しかし、使用人たちから話を聞き、あなた方の腕を信頼しています。まずは、冬の制服の製作をお願いできますでしょうか?」
その問いに対し、彼は意欲に満ちた表情で口を開いた。
「お任せ下さい。リラード縫製総出で、必ずや満足いく制服をお作りするとお約束いたします!」
「ありがとうございます」
「あの……奥様。使用人方の制服ですが、合服はどういたしますか?」
夏服と冬服の話しか出ていなかったが、きっと合服も合わせて一新した方が良いだろう。
「では、合服もお願いします。私よりも使用人の方が求めている要素を答えられると思います。ぜひ、使用人にどんな制服が良いか聞いてあげてください」
「はい! 承知いたしました。奥様や使用人の方のご期待に沿えますよう、全力を尽くします!」
――彼はきっと、王都の貴族たちに好かれるでしょうね。
商才と言うよりも、人を惹きつけるオーラや表情があるわ。
製品も良かったら、きっと彼は王都で通用する人材になれるだろう。
そう思いながら、緊張など忘れたように嬉しそうに微笑む彼を見て、私はクスリと笑ってしまった。
そしてウォルトさんが帰ったあと、ヴァンロージアの家具屋がやって来た。今日来てもらうよう、昨日のうちに頼んでおいたのだ。
家具屋を呼んだ目的は、使用人たちの劣化したベッドを一新するためだ。
この約二週間、使用人たちと話をすることで、私は彼らを知ろうとした。すると、その会話の中で面接や書類では分からなかった彼らの悩みが見えてきた。
その一つが、ベッドの劣化だったのだ。
より詳しく話を聞くと、寝られはするが壊れたまま使っている者。寝返りを打つ度にミシミシと音が鳴り、目が覚めてしまうという者がいた。
そこで、実際に使用人の部屋に行って見せてもらったが……
――私だったら、出来ればこんなベッドで寝たくないわ。
大切な使用人のベッドなんだから、お金に困ってないのなら替えるべきよ!
もう即決だった。算盤を弾くまでもなく、私は使用人たちのベッドも一新することにした。働く上で、睡眠の質はかなり重要だからだ。
こうして私はヴァンロージアに来て早々、給与アップ、制服改良、ベッド買い替え、その他にも様々な使用人の悩みの解決に取り組んだ。
したがって、使用人の労働に関する改革はしばらく様子見しつつ、次に打つ手を考えることにした。
◇◇◇
ドンッ!
机の上に大きな箱が乗せられた。すると、その箱を持ってきたジェロームはいつもの上品な笑顔で言った。
「奥様、こちらが目安箱の中身です」
「まあ、こんなにも入れてくれたんですね!」
箱の中を覗き込むと、様々な字体で書かれた紙が100枚弱ほど入っている。
「奥様……入れて欲しかったんですか?」
困惑した表情でティナが訊ねてきた。要求や不満を持っていなければ、投書されない。だからこそ、ティナは「入れてくれた」という発言の意味が分からなかったのだろう。
「少し誤解させてしまったわね。私は皆の要求や不満を知りたかったの。もしそれを解決出来たら、皆が安心して暮らせるじゃない?」
「はい。そうですが……。知りたいから入れて欲しかったと言っても、こんなにあるだなんて……」
ティナはとても不安気な顔をしている。ジェロームもティナの発言に触発されて、険しげな表情で箱を一瞥した。
「意見を言いたくても、言ったら殺されるかもしれないと思って、何も言えない領もあるのよ?」
「――っ!」
「だけど、こんなにも投書する人がいるってことは、カレン家が領民に信頼されている証じゃない……」
意見を言っても殺されない。それだけでは無い。人は言って改善してくれそうになければ、言うことすら諦めてしまう。
だが、こんなにも投書する人がいるということは、カレン家が領民の要望に応え改善してきた積み重ねがあるのだろう。
ヴァンロージアの女主人になったからには、私がその期待を裏切る訳にはいかない。もしかしたら、書いている人が違っても内容は同じかもしれない。反対に、全て違う要求や不満かもしれない。
だがその声一つ一つが領民の声であり、それに応えていくのが領主としての役目だろう。
大変な事だが、決して放置してはいけない。人の命がかかっているからだ。
「領民がカレン家を信頼してくれているなら、カレン家の一員となった私は、その信頼に応えなければならない。そうでしょう?」
ティナを見ると、泣き出しそうに震える口をへの字にしながらうん! と頷いた。
私が嫁ぐにあたって、ティナも色々と思うところがあったのだろう。たくさん心配をかけている自覚はある。
だからこそ、これ以上心配をかけなくても良いように、行動と成果で伝えていこう。そう心に誓いながら、箱の中の紙を一枚手に取った。
――これは……本人に直接話を聞いてみた方が良さそうね。
この目安箱の投書の署名は任意のため、匿名で出しても良い。しかし、この手紙をくれた女性は署名してくれていたため、私は女性を呼び出した。
「投書を読みました。子どもたちに教育を受けさせたいのですね」
「はい……ですが、私たちには教えるほどの学がありません」
そう言う彼女は、どうやら親たちを代表して投書した様だった。
「ここには学堂が無いんですね……。先生を出来そうな人はいますか?」
「一人しかいないんです」
――一人しかいないなら、子ども全員には教えられないわ。
でも、あの方法なら……!
こうして、女性から様々なヒアリングをして別れた後、私は使用人のビアンカ・スミスを呼び出した。
ビアンカは最初に書類を提出してくれた、とても優秀な使用人だ。
「ビアンカ、お願いがあります」
「お願い……ですか?」
何を言われるのだろうと不安そうな顔をしているビアンカ。そんなビアンカに、私は頼みを告げた。
「実は学堂を開こうと思っているんです。そこで、あなたには勉強を教える先生になってほしいんです。出向という形になりますがどうでしょう?」
「えっ、私がですか……!?」
まさに青天の霹靂とでもいうように、彼女は唖然とした顔をしている。しかし、私にとっての最たる適任者は彼女だった。
「ええ、あなたならきっと子どもにとって良い先生になれると思うんです。受けてくれますか?」
「っもちろんです! 精一杯お勤めいたします!」
「ありがとうございますっ……。今後また詳細について報告します。受けてくれて本当にありがとう」
ホッとしながらビアンカを見ると、自信に満ち満ちた様子のビアンカがニコッと微笑んでくれた。
賢さと明るさを兼ね備えた彼女なら、きっと子どもたちの良き師となり領民たちにも好かれるだろう。
こうして、また領地改革が一歩進んだ。その責任感とときめきを胸に留め、私は再び目安箱の投書のチェックを始めた。