反魂法デスレース
「ハッ!マジか!やったぞ!成功だ!ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃはー!」
男は歓喜のあまり声をあげて笑った。
死んだ自分の魂を現世に返し、他者の肉体に入れる禁呪である反魂法が成功したのだ。これが喜ばずにいられようか。
男の名は東能克留。
不摂生や薬物で30代にしてボロボロになった東能の肉体に癌が発見されたのは数ヶ月前のことだ。
それを知ったときの東能には絶望しかなかった。
しかし元は神職に繋がる古い家系にあり、道を外れるまではその手の修行をさせられてた東能は、昔実家の倉庫で様々な呪法を記した古い書物を見たことを思い出した。
(もうこんなもんにでも縋るしかねえ)
東能は密かに実家の倉庫からその本を持ち出し、折よく開かれた同窓会で、働かずに実家の資産を食いつぶして生活しているという元同級生に密かに呪を掛けた。
それから49日目の夜に当たる今夜、東能が首を括って自殺することで呪を発動させ、元同級生の肉体に自分の魂を入れることに成功したのだ。
元同級生の魂は肉体から追い出されたわけではないようで、体内で眠ったような状態になっているのが感じられる。
そこから元同級生の記憶が読み取れるため、バレないように振る舞うことはそう難しくなさそうだった。
(……と、これで終わりじゃねえんだよな。仕上げにかからねえと)
反魂により現世に戻した魂を他者の肉体に完全に定着させるためには最後の儀式を行う必要がある。
その儀式とは
1、里浦神社へ行き、神前で印を結び呪文を唱える。
2、そこから干向神社へ行き、同様に印を結び呪文を唱える。
3、その後、里浦神社まで戻ってその鳥居をくぐる。
といったもので、この一連の儀式を一刻(約2時間)程で終わらせる必要があった。なお、移動手段に乗物を使用することは禁じられている。
元同級生の魂の記憶からこの家の構造や里浦神社までの道を読み、東能は浮き立つ心を抑えられぬまま、急ぎ足で元同級生の寝室から飛び出した。
◇◆◇
里浦神社での儀式の後、徒歩で数十分をかけて干向神社へ行き、同様に儀式を済ませた。
幸いと言おうか、元同級生は暇と金にあかしてスポーツジム通いなどをしており、家から里浦神社までと里浦神社から干向神社までの距離を合わせた数キロの道のりを歩いても疲労はほとんど感じられなかった。
あとは里浦神社に戻るばかりと干向神社の鳥居を出て石段を半ばまで下りたところで、東能は後方から何者かが歩いてくる気配を感じとった。
(何だ突然!?今まで誰の気配も無かったはずだぞ!?)
驚いて振り返り視線を向けると、神社の宮司のような白装束をまとった長身の若い優男が立っていた。
(この神社の職員か?だとするとこんな真夜中過ぎに神社をうろつくこっちが不審者って扱いになるかもしれねえ)
そう考えた東能は『怪しい者ではありません』アピールのために、相手にわかるようやや深めに会釈してその場を離れようとした。
が、
「お待ちください」
「え?俺ですか」
突然その優男に声を掛けられる。賽銭泥棒とでも疑われたのだろうかと東能は焦る。
「はい、ちょっとこれから私とご同行いただけませんでしょうか」
「いや、ご同行って。だいたいあんた誰なんです?」
「これは失礼いたしました。私はこの神社の関係者で北構と申します」
『北構』。その姓を聞いて東能は嫌な予感がする。実家の同業でかなり格上の家だった。
「まあ、初めましてではないんですけどね。昔この稼業の集まりで顔を合わせて以来でしょうか。東能克留さん」
それを聞いた東能は北構に背を向け一気に石段を駆け下りだした。
◇◆◇
(逃げ切ってやるーっ!)
全力で走る東能の後ろから北構が追ってくる気配がする。
走りにくいであろう和装だというのにほとんど足音を立てないので気配で察するしかないのだが、確実に付いてきているのが分かる。
東能は名を当てられた瞬間、それを否定して誤魔化すことを放棄した。その判断は間違いなかったと断言できる。何故かはわからないが北構は自分の正体を確信していた。
(クソッ、やっぱり追ってきやがった)
北構家で神職を務める者が、この世の理を乱す反魂法の成功など許すはずがない。
そして、追ってきている男が家格の高さだけではなく、霊能者個人として自分より格上であることを東能は感じ取っていた。
恐らくは噂で聞いた北構家の若手有望株。
確か北構絋とかいう奴だったか。
あいつに追いつかれたら魂をこの肉体から引き剥がされ、成仏させられてしまうことは間違いない。
だが、東能は三つの理由から意外に自分に勝機があると考えていた。
その理由の一つが、追ってくる気配があの優男一人しかないことだ。
代々優秀な霊能者を輩出し、それなりに権力のある北構家とはいえど現代社会の一構成団体でしかない。
なので『反魂の罪を犯した者を捕まえようとしてました』などという理由で数十人を動員して捕り物騒ぎを起こすわけにもいかない。
地元の警察くらいは抱き込んでいるかもしれないが、騒ぎを大きくしてネットで拡散でもされたらさすがに隠蔽しきれなくなる。
また、二つ目の理由としては北構家は司法や警察といった事情を除いても必要以上の犠牲を出すことを忌避する傾向があったことだ。
今回でいえば東能の魂をあの世に送り返すにしても、極力この元同級生の魂や肉体を犠牲にしない方法を選択する。
その証拠に後ろから礫などの飛び道具で攻撃したりしてきていない。東能を成仏させることだけを考えればそれが手っ取り早いにも関わらずだ。
そして自分の勝機に繋がる三つ目の理由というのが
(元同級生の身体能力がこれほどとはな。嬉しい誤算ってやつだぜ)
元同級生が身体を鍛えていたのは知っていたがそのレベルは東能の想像以上だったのだ。
東能は古流に伝わる独特な走法で走っていたが、それは追いかける北構も同じこと。並みの体力だったらとっくに追いつかれていただろう。
やがて後方の北構の気配が薄くなっていく。
(おお!少し引き離せた!?このまま逃げ切れるか!)
だがそこで、やや遠くの十字路に塀の陰から人影が出てきた。人影は若い大男のようだ。大男は十字路の真ん中まで来ると東能の方を向いて立ち止まった。
(待ち伏せされたか!?いやしかし……)
北構と違いTシャツとジーンズにキャップを被っている大男がどういう立場なのか分からず戸惑う。
すると、その大男が身体の陰に隠していた右手を前に出す。その手には棒状の物が握られているのが見えた。
(?)
次の瞬間、大男がその棒状の物を振り上げ東能に向かって「ウオオオオオオッ!」と咆哮を上げた!
(!やはり北構の手の者!?いやただの強盗なのか!?)
東能の持つ古流の体術と元同級生の身体能力をもってしても武器を持った大男を簡単に制する自信は無かった。大男に手間取ってる間に北構に追いつかれる確率の方が高いだろう。
そう判断した瞬間、東能は大男への対処を諦め、道を右に折れて路地へと飛び込んだ。
(多少遠回りになるが仕方ねえ。土地勘はあるんだ。絶対逃げ切ってやるぜ!)
大男への対処に迷った僅かの間に速度が落ちてしまったせいか、背後からまた迫ってきた気配を感じた東能は気を引き締めて加速する。
路地に入ったことで少し遠くなってしまったが、その後も目的地の里浦神社に向かって東能は走り続けた。
と、先程のように後方の北構の気配が薄くなっていった。
(今度こそ振り切って……ってまたかよ!)
さっき塀の陰から大男が現れたときと同じシチュエーション。ただ、先程と違って塀の陰から出て十字路の真ん中でこちらに向き直ったのは人間ではなく、低く唸り声を上げている大型の黒犬だった。
気付いたときには東能はまた進路を変えて脇道に走り込んでいた。
(無理!人間ならまだやれる可能性はあるけど大型犬て絶対無理だろ!)
咄嗟に進路を変えたことでまた速度が落ちたのか北構の気配が迫ってくる。
(クソッ、いっそ救けを求めて警察呼んでもらえば北構も手が出せなく……いや、駄目だ)
警察沙汰にでもなったら東能も事情聴取なんかで時間内に里向神社まで行くことができなくなる。
追う方も追われる方も、警察に介入されたり騒ぎになったりして困るのは同じなのだ。
(やっぱ自力でいくしかねえのか……)
遠回りになってしまったが少しでも里浦神社に近づこうと角を曲がる。
また待ち伏せされているかと不安だったが幸い邪魔は入らなかった。
(大男や黒犬と北構が争ったような気配はしなかった……やはりあいつらは俺の足止めに北構の家が差し向けたものだったのか?しかし完全包囲されてるわけでもないようだな。)
東能は自分がまだ詰んでいないことを信じて脚に力を込めた。
◇◆◇
走り続けて遂に東能は里浦神社の鳥居まであと100m程のところまで来た。
あの後更に3回、黒犬に待ち伏せされたが、その度に進路を変えてどうにか逃げ切ってきたのだ。
あとは一直線に鳥居に向かうだけなのだが、その途中に十字路がある。
(これまでのパターンでいけばあの十字路に出てくるんだろうが……)
このまま直線で最短距離を行くべきか、先読みして一つ手前の路地に飛び込むべきか迷っていると塀の陰からゆっくりと出てくるものがあった。
(やっぱり待ち伏せ……って、え!?人形!?)
出てきたのは等身大の女性の人形だった。ひな人形のような硬質な顔で振袖をまとったその人形はカタカタカタ……と江戸時代のからくり人形を思わせる独特な揺れる動きで十字路の中央まで移動して東能の方に向き直った。
「クソがっ!」
東能は罵って路地に向かう
と、路地に入るところで
「馬鹿が!」
「グウッ!」
東能は路地の入口の陰に隠れて待ち伏せしていた北構に蹴りを喰らわせた!
「ハッ!やっぱりかよ!」
「絋さん!」
後ろからあの大男の野太い声がした。
そう、最初の十字路で東能が路地に入った後、北構と大男は入れ替わり、大男が東能を追いかけ、北構は先回りして路地の入口で待ち伏せしていたのだ。
(あの時ちょっと距離が開いたのも俺があいつを引き離せたんじゃなくて、気配で入れ替わりがバレないようにわざとやったんだろうな。危うく引っ掛かるとこだったぜ)
そして何度も十字路に待ち伏せを置き、東能に『路地に入り込んで逃れる』パターンを繰り返して最後にそこに罠を張って捉える計画だったのだろう。
「ハッ!じゃあな!」
北構は倒れてこそいないが蹴りのダメージか動きは鈍く、大男は動揺して追う速度が緩んだ。
その隙に東能は一気に鳥居に向かって走る。
「……よし!」
東能の予想どおり、からくり人形はただ東能を路地に誘導するためだけの木偶だった。人形の横をすり抜けてもなすすべもなくその場に立っているだけで何も仕掛けてはこなかった。
後ろから北構と大男が迫るのを感じながら
「しゃああああああああ!!」
東能は里浦神社の鳥居を潜り抜けた。
◇◆◇
「ハア、ハア…………ふう」
鳥居を潜り抜けた後、呼吸を整えて振り返ると十数メートル離れて北構と大男が立っていた。横にはあの黒犬もいる。
「……よう、これ以上俺に何か仕掛ける気かい?」
反魂法は完成したはずだが一応聞いてみる。
「いえ、何もするつもりはありませんよ」
北構はそう返答した。実際、それ以上強引な手段に出そうな雰囲気は感じられなかった。
だが、失敗した後にしては落ち着きすぎているように見えた。
(まさか時間切れか!?)
慌ててスマホで時刻を確認する。が、時間には相当な余裕があった。
少しホッとしたところでそれを見ていた北構が東能に声を掛ける。
「『時間』は問題ありませんよ」
(?時間以外に何か問題あるのか?儀式の手順も呪文もちゃんと書かれたとおりにやった。反魂法は間違いなく成就しているはずだ。)
そんな東能の考えを読んだかのように再び北構が東能に声を掛ける。
「書いてあることはやり遂げたんでしょうね。でも『書くまでも無いので書かなかったこと』についてはどうでしょう?」
(こいつ何言ってんだ?……)
北構の謎かけのような言葉に東能の不安が濃くなる。
そこでひとつ引っ掛かった。
(あのとき何故俺はこいつの仕掛けた最後の罠に気付いた?)
気付いたきっかけはあそこで待ち伏せしていたのがからくり人形だったからだ。
多少からくりで動いたところで、犬と違ってそこに運んだり動かす準備をしたりする人間が潜んでいるのではないかと思ったためだ。
(あの最後の待ち伏せは俺を捕まえるための罠だと思っていた。もしかして違ったのか!?人形を使ったのはわざとだった!?)
そこで更に東能は気付く。
(そもそも何でこいつは最初に『後ろから』俺に声をかけてきた?)
東能の正体と目的を知っていたなら里浦神社に向かうことは分かっていたはず。ならば前から来てその道を塞ごうとするのが普通だ。
(最後の罠だけじゃなかったのか!?)
「まさか……お前らに誘導されていた……?」
「ええ、こちらの呪を施した道を通っていただかなければなりませんでしたので、必要に応じて貴方の進路を曲げさせていただきました。ただ、最後の直線だけは貴方が疑心暗鬼に陥って自分で道を変えてしまいそうだったので、『罠を張った』と装って路地を塞いで貴方に直進していただきましたが」
見抜いたつもりが誘導されていたことを知って東能は愕然としていた。
そこに突然直接金棒で撃たれたかのような衝撃が東能の魂を襲う。ダメージで立っていられず東能はその場に膝をついたときに北構が言った『書くまでも無いので書かなかったこと』が何だったのかに気付いた。
「……そうか『道』か……」
儀式に場所の移動が含まれる呪法では、その際に通る道が決められているものも多い。
この反魂法を完成させるにも里浦神社と干向神社の間の決められた道を通る必要があった。
それがなぜ書いていなかったかと言えば、それが神社間の最短ルートを通る一本道だったためわざわざ書かなかっただけだったのだ。
そして先程、北構が「何もするつもりはありませんよ」と言った理由も分かった。北構の誘導どおりの道を通って鳥居を潜った時点で反魂法は破られていたのだ。
「気付かれたようですね。まあ、もう間に合いませんが。貴方が走りぬいた里浦神社までの道は、生者の魂を目覚めさせ、死者の魂のみをあの世に送る……魂を在るべき状態へ還す『還り道』。抗うことはかないません」
(クソッ、全部最初から……ガアアアア!)
やがて東能の魂は元同級生の肉体から引き剥がされ、あの世へ強制的に連れられていったのだった。
◇◆◇
元同級生は目を覚まして驚いた。そこが野外の見知った場所だったからだ。
(!?……里浦神社の境内!?なんでこんなところで!?今日は普通に……あれ?今日夜ってどうしてたっけ?)
「おや、気が付かれましたか?」
「え!?」
混乱する元同級生に話しかけてくる者がいたので驚いてそちらを見ると白装束の優男が立っていた。
「この神社に勤めております北構と申します。外でお酒を召されて迷い込んでしまわれたようですね。いえ、この神社では時々あるんですよ」
「え、ええと、そうだったかな……」
元同級生は記憶を探ろうとするが酒のせいか記憶に霞がかかったようで思い出せない。
「今から車を出してお送りしますのでナビをお願いします」
「え、いや、そこまで甘えるわけには」
「いえいえ、帰り道、何かあってはとこちらも心配ですしね。足元もまだ定まらないご様子ですし、送らせてください」
それもそうかな、と元同級生は意識のはっきりしない頭でこの優男の申し出に乗ることを決めた。