【7】正しい情報を伝えましょう
誤解を生まないようにね!
夕方になり、マーメリズとコーキは帰路についていた。二人の影が長く道に伸びている。マーメリズの影の方が少しだけ長かった。
憑依事件の後、コーキは実験結果の記録だの実証の数値の検証だの、マーメリズには分からない専門的な内容を研究員たちと話していた。
偉そうな十歳の男の子の周りに、真剣な表情の男女が群がっている。一種異様な光景だった。
二度ほどコーキが寝落ちしたが、コーキは先程反省の態度を示したにも関わらず、マーメリズの膝を意地で確保することにしたらしい。半分眠った顔でマーメリズのローブをつんつんとつついてきた。
おれ眠いんだという幼い顔で近寄られると、その辺に転がす方が鬼畜な気がしてしまう。
結局、研究員たちの生暖かい目を感じながら、コーキを膝枕してしまっているマーメリズがいた。
屋敷までもうすぐ、といった所で、コーキがマーメリズに声をかけてきた。
コーキの大きな黒い目が、マーメリズを見上げてきている。
「これから度々研究所へは行くことになると思うけど、マーミィは大丈夫そう?」
「今日みたいな憑依とか、頻繁にあるのは困りますけど」
「ないない! 今日は特別間が悪かった!」
先程の騒ぎは、新たに持ち込まれた呪物のチェック中に起こったのだそうだ。想定より強い呪物で、女性はあっという間に取り込まれたらしい。
そばで作業していた研究員も、異変を全く感じなかったというから、本当に瞬時に起こった事だったのだろう。
「タインも、そこは相当反省してたから。チェックの仕様ももう一度見直すらしいよ」
「そうしていただけるとありがたいですねえ。二度と味わいたくない経験でした」
「早めに対処できたから。
マーミィ、呪いの影響残らなくてよかったね」
何気なく言ったコーキの言葉に、マーメリズははたと思う。自分はどうやって呪いを取り除かれたんだったか。
マーメリズの口に、コーキの感触が残っている。
熱い唇と、舌で絡み取られる何かの感触が。
生々しい記憶を解説しようとすると、何か弊害があるような気がした。
「……ラクトさんには、何て話せばいいんでしょうねえ」
「……え?
いや、ちょっと待って。マーミィ、あれ、ラクトに話す気でいたの?」
「そうですよー」
「嘘だろっ」
コーキがマーメリズを振り向いた。明らかにドン引きしている。
ちょっと焦った様子でマーメリズを見上げてきた。
「別に、ラクトに話す必要なくない?」
「でもラクトさん、今日どんなだったか普通に聞いてくると思いますよ?」
「そこは! なんとなく話さない方向でさ」
「話さないほうが不自然じゃないですか?」
「……えーと、じゃあマーミィ。
試しにラクトに話すつもりで、今日の出来事言ってみようか。
さん、にぃ、いち……ハイ」
「ラクトさーん、私今日呪いに取り込まれちゃいました!
コーキが私の口の中に自分の舌突っ込んで、呪いを絡めとってくれたんですよー。助かりました!」
「マーミィ、言い方っ! 絶対ダメなやつ!」
コーキの勢いに、マーメリズは思わず仰け反った。
コーキはぶるぶる顔を振って、NOをマーメリズに伝えていた。
マーメリズを恨めしげに見てくる。
「……そんな風にラクトに言ったらさ。おれ、絶対口きいてもらえなくなるから」
「……?
なんでですか?」
「なんでって、マーミィ……」
「だって、あれは、医療行為みたいなものですよね?
ちゅーとは違うじゃないですか」
コーキはマーメリズを、まじまじと見つめた。
ちょっとおかしな間を感じるくらい、まじまじと見つめてきている。
幼い顔でまじまじまじと見つめられ、マーメリズの方が居心地が悪くなってしまった。
「コーキ?」
「……マーミィの言う、ちゅーってさ。口にちゅってするだけのやつ?」
「他にちゅーってあるのですか?」
「……………。
イロイロあるよ」
「ええっっ?」
コーキはちょっと大人びた風情でマーメリズを見つめた。少年が大人を見る目ではなく、大人がたじろぐ様な目をしている。
マーメリズは、少しどきりとした。
「……前から思ってたんだけど。
マーミィって時々、ものすごく世間知らずだよね」
「な、な、な……」
マーメリズは慌ててばたばた手を振った。
黒いローブも派手にはためいている。
思わぬところで図星を指されて、顔が赤くなっていた。
慌ててコーキに反論する。
「そ、そんなことないですよ! 世間の酸いも甘いも経験済みですよ!」
「ないわー。その反応、ないわー」
「ちゃんと王都まで一人旅出来ましたしっ! いっぱしのオトナというやつですからっ!」
「へえええ」
慌てまくって騒がしいマーメリズを、コーキは静かに見つめている。深い闇を覗いたような瞳が、じっとマーメリズの真実を探っている。
あどけない表情を浮かべながら、コーキはマーメリズに一歩近付いた。
「マーミィはさ」
「……はい?」
「どこから来たの?」
マーメリズはコーキを見返した。
いつものコーキではない、思慮深い大人の顔をした少年がいた。
マーメリズの反応を、ただ静かに待っている。
風がマーメリズのダークブラウンの髪を煽り、一瞬彼女の表情を消した。何の感情も映さない瞳が、まぶたの下に隠された。
すぐにくるりと顔を変え、マーメリズは柔和な笑みを浮かべた。
「ちょっと、遠い所から、ですよー」
「……そう」
「それよりも、ラクトさんにはどう話せばいいですかね。困りましたね」
「だから、いいよ、話さなくて」
「対策を練らないと、私はペラっと喋っちゃいますよ?」
「……マーミィ、おれにも、そんな未来が見えた気がする」
「そうでしょう? 私、困ったことに正直者なんですよね」
「それって、正直っていうか、ただ黙ってられないだけっていうか……」
「とりあえず、これだけは決めておきましょう。
私とコーキがちゅーしたってことは、ラクトさんには内緒の方向で……」
「……誰と誰がちゅーしたって?」
背後から冷気を伴った声が聞こえてきた。
夕日を浴びてキラキラの金髪が、すぐ後ろに立っていた。学校帰りのラクトだった。
ラクトが軽蔑を満載に乗せた視線を、コーキに送ってきた。何しやがってんだてめえ、とその表情が伝えている。
コーキの顔が引きつった。
「違う違う違うって、ラクト! 誤解だから! そういうんじゃないから!」
「そういうんじゃないキスって、何も思い浮かばねえな」
「ラクトさん、あのっ!
コーキはとってもお上手でしたからっ。なんといいますか、技術の勝利とでもいいますかっ」
「…………はああああ?」
「マーミィっ! それフォローじゃない! 火に油注いでっからっ!」
「だって、一発で終わったじゃないですかあ!」
「だから、マーミィ、言い方! ホントにダメなやつ!」
「コーキ、お前なあ……!!!!!!」
その後、誤解が解けた後も、しばらくコーキはラクトに口をきいてはもらえなかった。
マーメリズはラクトの嵐が過ぎ去ることを祈りつつ、当分の間コーキに膝枕することはなく、その辺に転がし放置することにした。