【27】それぞれの旅立ち
最終話です。
ようやくここまでこれました。
タインは呪いを計る装置をコーキから外した。目の前に落ちてきた、銀色の髪を面倒そうに払う。
呪いの数値はいずれもゼロ。呪われていた当初は針が振り切れていたから、完全にコーキから呪いは消え去ったと言える。
厚みのある上半身を晒していたコーキに、タインはシャツを投げつけた。
受け取ったコーキは、ゼロの並んだ結果の表を眺めている。薄茶色と炎色の髪をかき上げた。三八歳相応の太い笑みが浮かんだ。
「見事に、なんにも残ってねえな、呪い」
「うちの聖女様に感謝しとけ」
「してるよー。何言ってるの?」
「お前の軽薄な態度からは、そう見えないな。
しかし、昔に比べて細くなったな、コーキ」
自分より充分分厚い筋肉を纏ったコーキに、タインは目をやった。タインの中では聖騎士団長時代のコーキが、コーキの標準だった。
コーキはシャツを着ながら器用に肩を竦めた。
「鍛え直してるけど、若い時ほどすぐには戻らないな。八年のギャップやばい」
「年を感じるってか。いい気味だ」
「うるせー。お前、同級生だろが。
それでも、今んとこおれの天下だもん。おれに適うやついないもん」
コーキが元に、一応戻ったという情報を得て、コーキには聖騎士団から復職のオファーがすぐに来た。
コーキは当初それを一蹴したが、現聖騎士団長は粘り強かった。屋敷に何度も訪れてコーキの復職を願い続けた。
そのせいで、マーメリズともすっかり茶飲み友達となってしまい、用もないのに屋敷に来るようになってしまった。学校から帰ったラクトが、マーメリズと楽しくお茶しているおっさんを見て、怒り狂ったのは記憶に新しい。その怒りをぶつけられたコーキは、いい迷惑である。
コーキは今、週二のペースで聖騎士団の武術指導員として勤務していた。
ところで、とタインが切り出した。
「ヘレン司教の話は聞いたか?」
「もう司教じゃねえな。司教職は剥奪されたから。
かなり病が重いらしいな」
「未知の病らしいぞ。全身の皮膚が爛れては再生するのを、異常な速度で繰り返すらしい」
「神の怒りに触れてるからな、治らないだろ。
自分の力ではなく、他者の力を利用してのし上がろうとするからだ」
「それこそ、自業自得だな」
二人ともニベもない。コーキに至っては当然だ。
ヘレン司教のせいで彼の人生は狂わされている。
散々な目に合わされてそれでも生き延びているのは、コーキのしぶとさに他ならない。
「それもまた、あの聖女様の底力のせいだよな」
「なんなんだろうな。神まで手懐けるとは」
「なあ、コーキ。
本当に彼女の感情は、神に捧げられたのか?」
懸念を含んだタインの瞳が、黒縁メガネの向こうから翠色に光っている。
タインの言葉に、コーキは軽く頷いた。
女性を蕩けさせる顔を持つ男は、つまらなそうに顔を撫でた。
「おれの顔見ても、何の反応もしなくなった。
以前はめちゃくちゃ派手なリアクションで、超面白かったのに」
「……お前、楽しんでたな」
「顔見ただけで壁に張り付くんだぜ?
からかいたくなるじゃん」
「それはちょっと……面白い」
「だろ?」
「そうは言っても……」
タインは見慣れた男前を睨めつけた。
この男は滅多に本音を漏らさない。
煙に巻くばかりで、本音がどこにあるのかわからなくなるのだ。
「コーキ、実は惚れてなかったか」
「はあ?」
「あの娘にさ。あれでなかなか味のある子だ」
「……」
「ミーナにベタ惚れしてた頃の、お前に似てたぜ」
コーキは嫌そうにタインを見た。
この旧友は、コーキの過去を知りすぎている。
「……しれっと、元嫁の名前出すなよ」
「つついた方が面白いだろう」
「最悪だな、お前」
「コーキ程じゃない。
その道では敵無しのお前が本気だせば、確実に落とせただろ?」
「タインお前、よく考えろ。
その流れでいくと、割と愉快な未来を描くことが出来る」
コーキが瞳を揺るがせた。
免疫のない女性がその場にいたら、それだけで討ち死にしたかもしれない。それくらいに、この男の容姿は整っている。
「うまいこと落とせちゃって、一生を共にしようとするわな。そうすると、タインはおれの義父様になるんだが」
「……!」
「なあ、そんな未来で良かったか?」
「……やめろ。虫唾が走る」
「じゃあ、言わせんな、バーカ」
顔をしかめたタインをコーキは笑った。
笑っただけで甘さが漏れる。ある意味天然だよなと、タインは思う。
そして、その部分は受け継がなかった、コーキの息子を思い浮かべた。端正な顔立ちは受け継いだが、印象は冷淡な男だ。
生まれた頃から見ているが、気がつけばタインの身長を超えていた。
甘えた表情がいつしか剥ぎ取られていて、一線を超えた世界を冷徹に分析しながら対処する、大人気ない子供になっていた。
幼かった頃は、タインですら肩車くらいしてやっていたというのに。
タインには、ラクトに対して何かしら負い目のように感じている部分がある。
タインに子供はいないが、それに向ける感情くらいは、ラクトには持っていた。
「……ラクトは相変わらずか」
「ああ。
もうすぐ卒業だから真面目に学校行ってる。途中で聖騎士候補生になったから、出席日数がヤバいんだ」
「お前も、よく聖騎士にラクト入れたよな」
「どっちかってーと、向こうからの打診だな。一回訓練所つっこんだら気に入られた。
吐いても泣かずに立ち上がる根性見せた若手は、久々らしくて」
「相変わらず聖騎士団の訓練はエグイな」
「それが伝統と格式だと思ってるフシはある」
元聖騎士団団長は平然と言っているが、若かりし頃のコーキだって相当こてんぱんにやられていたことをタインは知っている。久々に会ったコーキの、聖騎士団への毒舌は相当なものだった。聞いているだけで耳から毒が回りそうだった。
コーキは時計を見た。ラクトの学校が終わる時間だ。
「今日学校帰りに、街で荷物受け取れって言っておいたから、そろそろ来るんじゃね?」
「彼女迎えにか」
「ああ。どうせ一緒に行くんだろ。それはもう、ベッタベタの甘い顔して」
「お前がそれを言ってやるなよ。笑っただけで甘味がだだ漏れる男が」
「おれはそういう顔だもん。ラクトのあれは自制心効かなすぎ」
コーキは肩頬を上げてシニカルに笑った。
目尻に笑いジワができる。
壮絶な美貌でも、きちんと歳はとっていた。
「まあ、幸せそうで、何よりだけどね」
□ □ □
王立呪術研究所は、一般の受付窓口がある。
呪物と思われたものの持ち込こみや、呪詛を受けた場所の報告などができるようになっているのだ。
暫く前までタインの悩みの種は、その窓口に呪術関係の悩み事を持ち込む、一般人の存在だった。
自分に降りかかった現象を呪われているのではないかと思い、呪いを払って欲しいという相談だ。大抵は錯覚なのできちんと話せば納得して帰っていくが、思い込みの激しい人間は一定数いる。そういった人間の話に付き合っていると、窓口の業務が滞ってしまうのだ。
タインは自分の養女を窓口の脇のスペースに据えた。机と椅子を置いただけの、簡単相談窓口にしたのだ。
当初は黒いローブを着た綺麗な女性がにこにこしながらタダで話を聞いてくれるということで、老人が大挙として訪れてしまった。そのため相談は呪いに限ることと、相談料として有料化することで、相談窓口はそれなりに安定した。
それでも長蛇の列ができることもあるので、今では完全予約制となっている。プライバシーに配慮して衝立も用意されて、今ではその空間は『聖女の部屋』と呼ばれていた。
「……それでは、俺の脱毛は呪いのせいではないんですね?」
「そうですねえ。呪いの気配も感じませんし。
心を落ち着けて、お茶でも飲むのが良いかと思われます」
「でも、これ以上ハゲが進むと、婚活にも影響が出ると思うんですよ!」
「そうですか? 頭髪を気にしない女子なんて、いっぱいいますよ?」
「……本当に?」
「ええ。結局どれだけ自分を好きでいてくれるかの方が大事じゃないですか。見た目なんて二の次ですよー」
「こんな俺でも好きになってくれる女子、いますかっ?!」
「必ず。
そのためには、あなたの心が大事です。
――優しくあってください。おおらかであってください。真面目にお仕事に取り組んでください。
そんなあなたを見ている女の子が、きっといるはずです」
「……聖女様っ。それはきっとあなたのことではっ!
俺、この前あなたを見かけた時からずっと……!」
「!!!
私に触れるのは禁止ですっ! この前も、一人出禁になったばかりなんです。あの、手を離して……!」
相談者は呪術研究員の慣れた手つきにより場外へ放逐された。若い男性の相談者の場合、窓口の研究員が近くで待機する習慣になっていた。それはそれでタインの頭を悩ませている事案であった。
マーメリズは衝立の中で眉を寄せ、口を尖らせて考えていた。
……言い方がマズかったのでしょうか。この間も同じような展開で相談者が手を握ってきましたし。この調子でいくと相談者の間にも衝立が用意されるかもしれません。さすがに顔も見ないで相談を受けるなど、おこがましい……。
マーメリズが悩んでいると、衝立の向こうから見慣れた金色と炎色の髪が覗き込んできた。学校帰りのラクトだ。
切長の青い瞳がマーメリズを捉えていた。
「今ので終わり?」
「はい。終わりました。
……見てました?」
「男が連れ出されるとこは」
「あー……私、お話し聞くのまだまだ下手ですね。
なんでだか、途中で興奮される方がたまにいて。
もうちょと、優しい言葉で返してみればいいですかねえ」
「……相手に下心がある限り、逆効果」
「ええっ?!」
「表で待ってる。支度してきて」
「ああ、はい。すぐに……」
「それと……」
ラクトはマーメリズの手を見ていた。
気のせいか、殺気を放っているかのようだった。
「石鹸で綺麗に洗ってきてね、その両手」
「は、ははははい……」
普段は甘いラクトの目は、全く笑っていなかった。
マーメリズが支度を整えて窓口の入り口へ向かうと、ラクトは壁に寄りかかって本を眺めていた。背の高い学生服の青年を、遠巻きにして女性が何人も見つめている。いつもの光景だが、マーメリズは少し怖気付いてしまう。
こんなに目立つビジュアルの人の、隣が私ですいませんと思ってしまうのだ。なので、いつもおずおずとラクトに近づいていく。
「お、お待たせしました」
「マーミィ!」
ふわっと甘い顔でラクトはマーメリズとの距離を詰めてきた。いつものことだが、マーメリズにとってはたまらない瞬間でもある。クールな見かけのラクトがマーメリズを見ただけで唐突に甘い顔に変貌する。
それはもう、めちゃくちゃ可愛いのである。
ラクトが手を伸ばしてくるので手を繋ぐ。それだけで幸せな気分になれる。
マーメリズはラクトを見上げた。
「……また、背が伸びました?」
「どうかな」
「コーキ、ラクトに背を抜かされた時、すごく悔しがってましたね」
「ああいうとこ、大人気ないよな、あいつ」
「うーん。やっぱり、背が高くなった気がします。ラクトを見上げる角度が、急角度です」
「確かに制服のズボンの裾、ちょっと短いんだよな。肩もきついし」
「でももうすぐ卒業ですしねえ」
「今更、買い替えしたくない。なんとかもたす」
「聖騎士訓練所の訓練が効いてるんでしょうか。
そういえば、最近はちゃんと歩いて帰って来られるようになりましたね」
「……今度こそ、あの先輩共、潰す」
最近のラクトはボロ屑になるまで打たれるだけではなく、多少反撃もできるようになってきたらしい。相手の隙をつくのが爽快、とコーキに話しているのを聞いたことがある。反撃された先輩たちの報復も苛烈らしいが。
街を歩くと、益々自分たちへの注目度が上がっている気がするマーメリズである。スタイル抜群の金髪碧眼男子が、目を引かない訳がないのである。その連れだってだけで、自分までじろじろ見られるのは、勘弁してほしいものである。
私は無害ですよー。超イケメンと手を繋いでるのが、こんなに地味でフツーの女ですみません。
と心の中で謝っていると、ラクトがちょっと顔を寄せてきた。
「マーミィ、知ってる? 最近吟遊詩人の歌の流行りが変わってきたって」
「……初耳ですね」
「もうさ、炎の兄弟はほとんど歌われてないんだって。見かけないからかな」
ラクトが炎色の髪をなびかせてニヤリと笑った。
コーキの寝落ちもなくなり、ラクトがずっとコーキの傍にいる必要もなくなった。必然的にラクトとコーキが一緒にいる場面は減っていた。
さらにコーキは大人の姿を取り戻している。
吟遊詩人の歌の題材は、世間からそっと姿を消していた。
ラクトは含み笑いを浮かべて、マーメリズに身を寄せた。
「最近の流行りの歌は、奇跡の聖女ってやつで」
「はあ………………はあっ?!」
「黒いローブのダークブラウンの髪をした美しい聖女が、様々な奇跡を起こすっていう、どっかで聞いたことのある内容の歌でさ」
「はああああああっ?!」
「色んな国で歌われてるらしいぜ。聞きに行く?」
マーメリズの目が据わった。
繋いでいない方の手のひらから、小さなファイアボールが生まれていた。
「……行きましょう。行って燃やしてしまいましょう」
「マ、マーミィ、燃やすのはマズイかな」
「では、氷漬けなら文句ないですね」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
ラクトは焦って辺りを見回した。助けになるものはなにもなかった。マーメリズがここまで劇的に反応するとは、思っていなかったのだ。
マーメリズの繋いでいない手のひらに氷の礫が生まれ出すのを見て、ラクトは自分に暗示をかけた。ここで事件が起こる前に、どうにかしなくては。
俺は、羞恥心を捨てた男。
ラクトは往来を歩きながら、マーメリズの頬を捕らえて自分の唇を押し付けた。街を歩く人々から、「きゃあ」と「ヒュー」が同時に聞こえた。
ラクトは己に暗示をかけ続けた。
恥ずかしくない、恥ずかしくないぞ!
顔は赤くなっている気はするが。
「ラ、ラクト?!」
「ぎ、吟遊詩人の歌がきっかけで、君がこの国に来たみたいにさ」
「……」
「吟遊詩人の歌がきっかけで、俺たちみたいに出会える人達かいるかもしれないから」
「……はい」
「出会いのチャンスは、残しておいた方がいいと思うんだ」
マーメリズはラクトを見上げて、照れた笑顔でコクンと頷いた。
それを見たラクトの心臓は、ぎゅうぎゅうに絞られた。付き合って一年たつというのに、いまだにこういう気分になる。いい加減慣れてもよさそうなのに。
――俺の彼女、めっちゃ可愛い。
おかげで、目的の店を素通りする所だった。
ラクトの目的の店は刀剣の専門店だった。小さな店構えだが、客の数はそれなりにいる。その道では老舗のお店なのだそうだ。
マーメリズは邪魔にならないように、店の外で待つことにした。
冒険者ギルドの傍であるが、こういう店があることは知らなかった。そもそも黒魔道士のマーメリズには縁のない店だ。物珍しくて、店の外からしげしげと眺めていると。
「……マーーーメリズさあああん」
冒険者ギルドの受付のお姉さんが、マーメリズのものすごく間近に立っていた。声をかけられるまで気配を感じなかった。
わしっと、黒いローブを掴まれたマーメリズは、殺気を放っているお姉さんをたじたじと見つめた。
「ど、どうされました?」
「どーいうことですか、マーメリズさあああん」
「どういうこと、ですか?」
「私、見ました。今、見ました」
お姉さんはぐぐっとマーメリズの顔に近づいてきた。殺気が顔に刺さる気がした。
「なんでラクトくんが、マーメリズさんのほっぺにちゅーしてるわけですか!」
「ぐはあっ、見てたんですかっ?!」
「見てましたとも。目撃者多数ですよ!」
「そ、それはそうですよね。往来ですもんね」
「何がどうして、そういうことになってんですかっ!」
「えーと、あれは。私がブラック化するのを防ぐためのビックリ作戦で」
「はいっ?!」
「放っておくと割と被害甚大なことになりかねない局面でしたので、ラクトも必死になったといいますか」
「何ですって?!」
「いえ、ですからね……」
「俺たち付き合ってるけど、何?」
ラクトが普段の冷淡な表情のまま、二人の間に割り込んできた。手には布に包まれた剣を抱えている。
受付のお姉さんは「久々の、生ラクトくんっ」と、目を輝かせていた。
ラクトはお姉さんに冷たい一瞥を投げかけて、マーメリズの肩を抱いた。マーメリズに目を向けると、すぐにトロンと目が甘くなる。同一人物とは思えない豹変の仕方だった。
「マーミィ、行こう」
「あわ。は、はい!」
ラクトに促されて歩き出すマーメリズの背中で、「嘘ぉん」というお姉さんの声が聞こえた。
なんかすみません、とマーメリズは早足になった。
屋敷までの帰り道で、ラクトは布に包まれた剣を確かめていた。ラクトの身長にしては短く感じる。
マーメリズは剣士ではないので、その辺の事が分からない。短い剣での鍛錬でもあるのか。
「……ラクトには短くないですか? 短剣にしては長いようですし」
「これ、コーキに頼まれたんだ。剣を新調したから取りに行ってこいって」
「ああ。コーキは今日は研究所で検査って言ってましたね」
「呪いが解けて一年たつからな。念の為の検査らしいけど」
「この剣は、コーキのですか?」
「うん。でも、この長さってさ……」
「そうですよね」
なんとなく確信を持ちながら、マーメリズとラクトは林を抜ける小道に差し掛かった。
二人は当たり前のように立ち止まり、キスをした。
二人で帰る時、いつもここでキスをするのが恒例だった。何せ屋敷には、いろいろと、いる。
ラクトのキスは、今では優しいだけではなくなったが、マーメリズはやはりラクトのキスが好きだった。ラクトの想いを伝えてくれるキスだからだ。
唇を離すと、極上の甘い青い目がうっとりとマーメリズを見つめている。この瞬間もマーメリズは大好きだった。ラクトのこの顔を見る特権は、マーメリズだけのものである。蕩けるような気分になる。
たまらなく愛しくなって、マーメリズは背伸びしてラクトに口付けた。ラクトは勿論、優しく応えた。
「カミュ、好きだよ」という言葉に、マーメリズは体の芯が溶かされるようだった。
□ □ □
屋敷に帰ると、リビングが騒がしい。
二人が覗きこむと、十歳男児と狐に似た白いもふもふが宴会をしていた。
酒瓶は2本目を開けたところである。
幼い姿のコーキが、マーメリズとラクトを認めて手を上げた。
「よう、おかえりー! 遅かったな」
「……なんで酒、飲んでんだ?」
「だってさ、さっきキュービが神のお告げしてさー」
「今日の晩メシ、エビとイカのフリットじゃん? もう呑むしかないじゃん?」
「マーミィ、ポテトフライ付けてー。ケチャップたっぷりー」
のうのうとのたまっているコーキに、ラクトが冷たい視線を投げている。コーキの小さな体を睨めつけた。
「で、なんで子供の姿でいるんだよ」
「ほらあ、大人の姿になるには気合いが必要じゃん? 大人の姿の時に気ぃ抜くと子供に戻っちゃったじゃん? 人って楽な方に流れるよねー」
「そんなんでいいのか、お前」
「なんか、変な戻り方したよね。中途半端なさ」
コーキはエンバイ神から大人の姿を取り戻したが、かなり不安定になっていた。意識して維持するようにしていれば大人の姿を保てるが、ふと気づくと縮んでいる。結局子供の姿の方が安定するようであった。
しかし――
「それを補ったのが、ドラゴンの宝玉だったんじゃねえのか? やっとできたー、とか喜んでたの昨日のことじゃん」
「あ、これねー」
コーキはテーブルに投げ出していた指輪を手にした。指輪にはコーキの中からマーメリズが取り出した、邪竜の宝玉が嵌っていた。すっかり浄化された宝玉は、白い透明感のある石に見えた。
「宝玉の霊力でもって、大人の姿を維持できるようになったんだろ?」
「おれ、すごいよね! 霊力をコントロールできるようになってきたからね!」
「自画自賛はいらねーから。
なんで大人の姿になんねーのか、っての」
「指輪付けてみて、思い出したんだよね。
おれ、指輪嫌いなの」
コーキが指先でクルクル指輪を回した。
ドラゴンの宝玉も、白くクルクル回っている。
「結婚したての頃、結婚指輪嵌めたまま聖騎士の実践訓練してたら、バキッと割れちゃってさー」
「……おい」
「嫁がすげー怒って手がつけられなくて、しばらく家に入れて貰えなかった。……あ、ラクトのかーちゃんな」
ラクトは瞠目した。自分の母の話をコーキの口から聞くのは初めてだったのだ。
コーキはなんでもない顔をしている。昔を思い出すように宙を眺めていた。
「よく考えたらあの時妊娠したてで、気が立ってたんだな。おれもそんなの当時わかんないからさ。
指輪はめたら、あん時のささくれた気分思い出した。だから指輪嫌い」
「……」
「おれ、若かったなー。今なら多分うまくやれんのにな」
キュービがコーキのグラスに酒をついだ。
黒いくるくるの目が、おかしげに細められていた。
「はーん、珍し。コーキが反省してやんの」
「完全に終わったことだからな。取り返しつかないことだから、反省くらいしてやる」
「よく言うわ。未練たらたらじゃないのー?」
「ないね」
「ほんとに? マジで、本気で、ほんとに?」
「おれにはラクトがいたからね」
コーキが父親の顔して微笑んでいた。
幼い、十歳くらいの見かけの少年は、ラクトのよく知っている父親の姿だった。いつもラクトの傍にいたのは、あどけない顔で笑っているコーキだった。
コーキはラクトを見ることもせず、キュービを相手に話している。
「ラクトの成長を見られなかった、あいつの方が可哀想だ。赤ん坊のラクトしか知らないからな。
おれは全部見てきた。十八年見てきた。
それだけは自信持って言えるもんね」
「人間ぽいね、コーキ」
「おれ、人間だっての」
「わしから見たら、だいぶ人間離れしてるけど」
「聖獣に言われる筋合いはないね」
全くだ、とホワイトドラゴンと人間離れした人間が、笑いながら酒を酌み交わした。
そこへ、大きな皿に大量の揚げ物を載せたマーメリズが、台所からやって来た。テーブルにどんどんっと皿を置く。
「超っ早で作ってきました。今日はリビングでごはんにしますか」
「キュービ、つまみがきた!」
「わし、イカ! イカがいい!」
「気をつけてください、熱いです」
「わちゃー! わちゃー!」
「酒で冷やせ!
……やめろ、そっちは、高い酒! がぶ飲みすんな、キュービ!」
「くはっ、至福っ」
「てめえ、おれの秘蔵のバケラカン二五年物を……」
「コーキ、この前わしのメッカラン三十年物、勝手に開けたよね」
罵り会うコーキとキュービの後ろで、ラクトが立ちすくんでいた。ラクトはじっと、コーキの後ろ姿を見ていた。
マーメリズは首を傾げてラクトの傍に寄った。
呆然としたラクトの様子を窺う。
「ラクト?」
「マーミィ、俺……」
「どうしました?」
「うん……」
ラクトはマーメリズに近づいて、彼女の肩に額を落とした。屋敷内でそんなに密着したことがないマーメリズは、思わず硬直した。
ラクトは自嘲するようにマーメリズに言った。
「……俺、割と恵まれてたみたいだよ」
「ラクト……」
「自分はないものだらけだって。足枷ばっかりだって、ガキの頃からずっと思ってたけど」
「……」
「ないものもいっぱいあったけど、揺るがないものがすぐ傍に、必ずいたよ」
「……はい」
「俺、気づくの遅えなあ……」
コーキはラクトをチラリと見た。
ラクトの様子を見て、ニヤリと含み笑いをした。
そのままおもむろにリビングの窓を全開に開いた。
空に向かって全力で叫んだ。
「おれの息子が、エロくなってるー!!!」
「……!」
「育て方間違ったー!!!」
「コーキ! てめえが言うな!」
「だって、おれのラクトは何かってーと、とーちゃん抱っこ、ってやって来る子だよ?
ずっとおれのこと追っかけてくる、超可愛い子なんだぞ」
「ぶっ……」
「マーミィ、笑うなよっ」
「他人には全然懐かないくせに、とーちゃんがいいとか言いながらおれにだけ懐く、凄まじいツンデレなんだからな」
「……どんだけチビの頃の話してんだ?」
「なあ。そんなに急いで、でかくならなくてもいいんだけど」
「親の本音がダダ漏れだな、おい」
「とりあえずさあ。
おれをじーちゃんにするのは、もうちょっと待ってくれる?」
コーキがあどけない顔のまま幼い口調で言うので、マーメリズは何を言っているのか分からなかった。
いち早く気付いたラクトが、完全に真っ赤になった。それを見てマーメリズも気付いた。気付いてしまった。
ラクトに負けず劣らず真っ赤になった、マーメリズ。
コーキは赤い二人を見てニヤついた。
実に楽しそうだった。
そして、ああそうだと、ついでのように話し出した。
「おれ、ちょっと遠出するから。キュービ連れて」
「!
……唐突だな」
「そうでもないよ。剣を新調したのもそのためだし」
「子供サイズの剣か」
「子供の姿で行こうと思ってさ。大人の姿より目立たないし、動きやすい。
必要な時は指輪の力借りて大人になればいいし」
「どこに行くんだ?」
「マーミィの故郷。シーサイ国」
マーメリズは目を見開いた。
自分の故郷の景色が脳裏に浮かんだ。
コーキが、自分の故郷に行く。
キュービが黒い髭をそよがせた。白いもふもふの聖獣は、シーサイ国との国境近くで祠に封じられていた。あの国との接点が、ないこともないだろう。聖女や霊力に、やたらと詳しい獣だ。
「わし、昔シーサイ国にいた事あるからね。まあ、当時はそんな名前の国じゃなかったけど。
あの辺は霊力を中心にして色んなことが回ってたから、コーキには珍しいんじゃないの? わしも力になれるかもだし」
「霊力についてと、聖女について、あとは呪いの扱いについて調べたい。
国からの許可も、この前下りたから」
「……内乱は終わってますけど、この国ほど治安はよくないですよ」
「お陰様で、剣の腕だけは、誰にも負けない」
幼い姿のコーキは、大人のような強い笑みを浮かべた。
確かにこの男を倒せる人間は、この世にはいないかもしれない。
ラクトは気を引き締めた。
コーキがいないなら、マーメリズを守るのはラクトしかいない。そして、守るくらいの自信はつけてきた。
いつまでも、コーキに守られている訳にはいかないのだ。ラクトはラクトの力だけで生きぬきたい。
少しでも早く力をつける。色んな力を蓄えてやる。したたかに生きられる男になる。
そしていつか、コーキを超えてやる。
以前のように、果てしない先に見える背中ではない。手を伸ばせば届くくらいの距離に、いつでもコーキはいたのだから。その背中を、ずっと見てきたのだから。
俺は、やれる。
「……分かった。
行って来い、コーキ」
「ああ。
行ってくるわ、ラクト」
「帰った頃には、お前から一本取れるようになっとくからな」
「はあん? 何言ってるの?
……できるもんなら、やってみな」
親子は笑みを含んだ顔のまま対峙した。
ぱあん、とハイタッチの音がした。
マーメリズは透き通った炎色の髪を持つ、親子を見つめた。
背の高いクールな印象の息子と、十歳の見かけでそれを逆手に使う父親。似てないようで中身は似通っている二人が、初めて離れて別の道を歩み出す。
今、その踏み出す一歩目を見ているのだと、マーメリズは思った。口元が柔らかくほころんでいた。
自然と両手が組まれ、祈りの形になっていた。
マーメリズはダークブラウンの頭を少し下げて、瞳を閉じた。心を鎮めて、言葉を口にした。
「二人のために、祈ります」
― 終 ―
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
読み専の時は分かりませんでしたが、いいね、評価、ブクマ、ものすごくうれしいです。一瞬脳みそが昇天しました。
大好きな彼らに、エンディングを授けられたことに安堵しています。
またお会いできたら、嬉しいです。




