【25】 潜入
コーキはどこだ?
マーメリズとラクトは教会の荘園に、労働者の振りをして潜り込み、キュービの見つけた洞窟までたどり着いていた。
洞窟の入口は小さく、言われなければ気づかないくらいのものであった。
コーキも付いて行きたがったが、そこはキュービが止めた。
相手は神である。贄の片割れがやって来たら、全てを奪いに来るかもしれない。その時に対抗できる手段を、人は備えていない。
狐のフリをしたキュービは、洞窟の入口で待機することになった。万が一他に侵入者が入らないよう見ていると、見張りを請け負ってくれたのだ。
ラクトが不思議そうにキュービに尋ねた。
「やけに協力的だよな。お前、そういう奴だったか?」
「わしとコーキは、今や呑み友だよ?
三日に一回は呑んでるよ?」
「……そうなのか?」
「嫌な臭いしてた呪いもコーキから消えたし。わしはおおらかだから、元呪い保持者だって偏見ないし?」
「ああ、そう」
「ホントは剣先がブレるから酒は呑むなって、コーキは剣の師匠に言われてたらしいけど。
今や本職は呪術研究者じゃん。まあ、いっかーって」
「……あいつは」
「酒はさ、一人より二人で呑む方が楽しいわけ。
コーキとは話も合うし、あいついい奴じゃん?
今後の呑んべえタイムのために、わしだって一肌くらい脱ぐもんね」
マーメリズは無言でキュービをわしわし撫でた。
キュービは気持ちよさそうに目を細めていた。
そんなキュービだが、洞窟に入る時には、心配そうにつぶらな瞳を二人に向けていた。
□ □ □
ラクトを先頭に、マーメリズは洞窟の中に踏み込んで行った。火魔法で辺りを照らしながら進んで行く。足元はかなり悪く、マーメリズは何度もラクトの手を借りることになった。
分かれ道がいくつもあり、地図をしたためながらの行程なので、なかなか進んだ気にならない。何度目かの行き止まりに当たった時、二人は同時に目を見交わせた。自然と休憩を取る事を決めた。
当たり前のように寄り添って座り、水筒を回し飲みする。ラクトに触れている部分が温かくて、マーメリズは安心した。ラクトの温度はいつも心地いい。
「マーミィ、疲れてない?」
「大丈夫ですよー。
でも、洞窟はやっかいですね。足元は悪いし、地図を作らないといけないし、迷っちゃったら終わりですもんね」
「本当にいるんだよな、エンバイ神」
緊張感のあるラクトの顔が、火魔法の明かりに照らされていた。端正な顔が引き締まっている。こんな時に思うことでは無いが、綺麗な顔だな、とマーメリズは思った。
洞窟の中は静かである。
時折水の滴る音がするくらいで、物音は何も無い。
マーメリズは辺りを見回した。湿った岩肌が複雑に空間を作っていた。所々に闇が潜んでいる。茶色から黒にかけての色合いしかない世界は、自然と心を沈ませていくような気がした。
「……こんな所で一人でいる神様は、寂しいでしょうね」
「……コーキもいるけどな」
「コーキは意識がないように見えました。お話することもなく、人形のように置かれているだけです」
「なんで外見だけを持って行ったんだかな」
「わかりません」
「意識も持って行けば、うるさいくらい喋るのにな」
マーメリズは吹き出した。
確かにコーキはよく喋ると、普段の生活を思い出したからだ。洞窟の中は随分賑やかになったことだろう。
「神は、賑やかなのは嫌いなのかな」
「そんなことないと思いますよ。神様に捧げるお祭りって、賑やかなの多いですし」
「……ああ、カカルス教の祭りも盛大にやるもんな」
「毎日歌を捧げますし。
静かに祈るのはどちらかと言うと、人間が神様にお願いを聞いてほしいからじゃないですかねえ」
マーメリズの話を聞いて、ラクトがイタズラを思いついたような顔をした。青い目が煌めいている。
マーメリズに期待を込めた目を向けた。
「聖女見習いは、聖歌も歌うよな」
「そりゃあもう、下っ端は声出さないと叱られます」
「マーミィの歌、聞きたい」
マーメリズはげっと思った。
ラクトがわくわくした顔でこちらを見ている。
それがたまらなく可愛い、と思う自分を持て余しているマーメリズであった。
「……人前で歌うなんて、小っ恥ずかしいことできませんよ」
「俺しかいないじゃん」
「ラクトがいるじゃないですか」
「俺だけに聞かせてよ」
「聞かせられるようなもんじゃありません」
「鼻歌でもいいよ。ねえ、マーミィ」
「ラクトは……もうちょっとクールな子じゃありませんでした?」
「二人きりのときはそんなもん必要ない」
さりげなく二人きりとか言われ、マーメリズはいささか焦った。ラクトは「好き」を伝えてからかなり踏み込んでくるようになった。その事にマーメリズはまだ慣れないでいる。
じとっと見返しても、ラクトは可愛い期待顔のままだ。
勝てるわけないです、とマーメリズは負けを認めた。
「……少しだけですよ」
「うんっ」
「歌は褒められたことないんです」
「俺はマーミィの声好きだから大丈夫。本当は膝枕で聞きたい」
「おうちじゃないんで、それは却下です」
うちではいいんだー、ラクトが嬉しそうにニヤついている。マーメリズは自宅のソファでラクトを膝枕しながら歌っている自分を想像した。死ぬほど恥ずかしかった。
絶対やらないと心に誓って、曲を考えた。
「では、神を讃える曲を……ラクト、顔近いんでちょっと離れて」
「えー、なんでー?」
「なんでって……ほんと、そういうとこ、あなたたち親子ですよね」
「俺、あんまりコーキに似てるって言われた事ないけど」
「ラクトは世間に、猫被った姿しか見せてないでしょ! 素はコーキにそっくりですよ」
マーメリズはラクトを押しやって物理的に距離を空けた。ラクトはしぶしぶそれに従う。
何度も歌わされた聖歌を思い出した。
すっと、息を吸い込んだ。
マーメリズの声は澄んで高い。
声量がないので大きな声は出ないが、洞窟なのでよく響いていた。
滑らかな旋律が洞窟内を満たしている。
ラクトは歌うマーメリズを見ていた。歌う彼女は何ものも犯しがたい、神秘的な雰囲気をまとっていた。穢れのない美しさとはこういうことをいうのかと思い、そんな人が自分の彼女かと思うと誇らしい。顔がデレっと崩れてしまう。
うっとりと歌声に聞き惚れていると、あらぬ所からため息が聞こえてきた。
ここには自分と歌っているマーメリズしかいない。
ため息をつくような、第三者がいるはずがない。
ラクトは慎重に辺りを見回した。
行き止まりだったはずの岩が透けていた。
ラクトはそっとマーメリズの手を握った。歌を止めかけたマーメリズに続けるよう目配せして、透けた岩を指差した。
岩を目にしたマーメリズは、瞠目してラクトと目を見交わせた。
透けた岩の先には二人分の影が見えていた。
一人は椅子に座り、一人はその脇に立っている。
立っている影は少女のように見えた。髪は長く、膝の裏に届きそうだ。マーメリズの歌声に耳を傾けているのがわかった。
マーメリズは声を強めた。歌はちょうど神に訴えかける内容のところだった。
あなたの栄光に授かる世界はあなたの全て。
神よ、聞いてください。
あなたを讃える気持ちが届きますように。
少女が透けた岩に踏み込んだ。
ラクトとマーメリズはすかさず岩に入り込んだ。
透けた岩に見えていた場所は、単に空間となって広がっていた。
マーメリズが少女の前にひざまずく。それを見て、ラクトも片膝をついた。
「……エンバイ神でいらっしゃいますか」
「……うむ。
聖女より聖歌を捧げられるとは、いつぶりであろうか。懐かしゅうなって来てやった」
「ありがとうございます」
マーメリズは頭を下げた。
洞窟をいくら探索しても、辿り着けないはずだ。エンバイ神がその気にならなければ、会うことすらできなかったのだ。
エンバイ神はもはやその全貌を顕にしていた。
十歳くらいの少女の体に、長い金茶の髪。顔はヒョウである。じっとマーメリズを見据えている。
その後ろ隣に、椅子に腰を下ろした大きな人影があった。しっかりと鍛えられた体躯に薄茶と透き通った炎色の髪、壮絶に整った顔面。大人のコーキである。
ラクトがコーキに視線を止め、エンバイ神を睨みつけた。
「して、聖女は何をしに現れた」
「エンバイ神に、お願い事を致したく」
「嫉妬と羨望の神に、何を願う」
「あなたの傍らにいます人間を、お返し願いたいのです」
「嫌じゃ」
エンバイ神はコーキの腕を取り、抱きしめた。
イヤイヤとかぶりを振る。
「これは妾に捧げられたものぞ。妾のものじゃ」
「その契約は不正の可能性があります。もう一度ご確認いただきたいのです」
「このような綺麗な人間は、どの神も持っておらぬ。妾しか持っておらぬのじゃ」
「エンバイ神さま……」
「人も神も、妾を嫉妬し羨望するじゃろう。それが妾の糧になる」
「神様の力が人の思いの力というのは、存じております。そちらの人間をお返しいただければ、私が毎日あなたに祈りと歌を捧げましょう」
「お前など、嫉妬も羨望も、大して持ってはおらぬではないか」
マーメリズはビクリと体を竦めた。
聖女教育の中で、聖女見習いは「欲しがるな、羨むな」と徹底的に教育される。マーメリズ自身も、自分の中でそのような感情が希薄なことに自覚はあった。
エンバイ神はラクトに目を向けた。
獰猛なヒョウの顔が、しっかりとラクトを捉えていた。神は白い牙を見せて舌なめずりをした。
ラクトは負けじとエンバイ神を見据えた。
「その男の方が、極上の嫉妬と羨望を持っておる」
「……」
「剣の技量、魔法の技量、大人としての度量、周囲からの声望、経済力、女の扱い、どれもこれもが及ばないか」
「……!」
「ああなりたいが、なれない。……苦しいな。
傍にいるのに、追いつかない。……哀れだな。
もう何年も、そんな思いに囚われておるな」
「……くっ」
「妾が全部喰ろうてやろうか。お主の中から嫉妬と羨望が消えてなくなるぞ」
「……!!!」
「お前を、楽にしてやる」
ゆっくりと手を伸ばしてきたエンバイ神を、ラクトは振り払った。
目はエンバイ神を見据えたままだ。
ラクトは胸に拳を当てて、言葉を紡いだ。
「嫉妬も羨望も、その感情は俺のものだ。
あんたがそれを糧にしているように、俺も俺の感情を糧にして強くなる。神になど、やらん」
「なんと……」
「楽になどならなくていい。這いつくばってのたうち回って、俺は生きる。そうやって強くなる。
……俺はそれを、親父から学んだんだ」
「……」
「だからあんたには、何もやらない」
ラクトが唐突に吹き飛んだ。
背後の岩に激突する。
ベキっと嫌な音がした。
崩れ落ちたラクトにマーメリズが駆け寄った。ラクトは油汗をかきながら自分にヒールをかけていた。
「ラクトっ!」
「大丈夫……あばら骨やっただけ」
「あばら骨骨折って、大怪我ですからっ!
なんで煽るようなこと言うんですか!」
「あいつ、むかつく」
「それだけで?」
「神だからって、何でも思い通りになると思ったら、大間違いだって、知らしめてやりたい」
「そんな、無茶な」
「少なくとも、俺の感情はあいつにはやらん」
ラクトは一瞬真っ直ぐな目でマーメリズを見た。すぐにエンバイ神を警戒する。
マーメリズがドキンとするくらいの真剣さだった。
「嫉妬や羨望には、君を思う気持ちだって混ざってるんだ。君を好きになってから、ずっとそれと戦ってきた。
そんな大切なもの、喰われる訳にはいかない」
ラクトが言い終わらないうちに激しい旋風が巻き起こった。細かい石つぶてが二人を襲う。ラクトはマーメリズに覆いかぶさった。
「妾が喰ろうてやろうというに、それを断るとは。愚かな人間じゃ」
マーメリズとラクトのすぐ傍で、エンバイ神が独りごちている。頼りなさげな小さな体で、先程はラクトを吹き飛ばしたのだ。
マーメリズは思わず竦む。その体をラクトは抱き寄せた。
エンバイ神は二人を見下ろしていた。
ヒョウの瞳は、感情を表さない金色をしていた。
「……お主ら、番か。もしくはもうすぐ番うのか。
いずれにしても、つまらん。つまらんのう」
エンバイ神はマーメリズを覗き込んだ。長い髪がマーメリズの体に掛かった。金色の目が舐めるようにマーメリズを見定めていた。
「大して美しくもないのに、よくもまあ。何を持って誑かしたのだ、女よ」
「……」
「男の方はまずまずの見かけではないか。何もこんな女を選ばずともよいものを。
男、目が腐ってるのではあるまいな」
「……」
「随分深くのめり込んでおるな、男。こんなものまで渡したのか。お前の情欲が見えるようじゃ」
マーメリズが首に下げていたネックレスが、いつの間にかエンバイ神の手に渡っていた。
ラクトのくれた、妖精の石の嵌ったネックレスである。透き通った青い石が輝いていた。
エンバイ神がマーメリズを憐れむように見た。
「あ……!」
「男の目と同じ色の石か。
男の目がそなたを鎖で縛っているかのようじゃな」
「返してください!」
「何を好んで縛られている? そなたの自由は許さんと宣言しているかのようじゃ」
「そんなことないです!」
「哀れな女だ。妾が解放してやろう」
エンバイ神の手の中で、ネックレスが脆い音を立てた。銀色の細工部分が粉々になり、チェーンもろとも崩れていく。青い石だけが神の手に残っていた。
ふん、とエンバイ神は青い石を眺めた。
「妖精の気配かの」
「……」
「聖地を守護する妖精の気配がする。あやつらは人嫌いなはずじゃが。
人間が何故、妖精の石を……」
「………………おい、そこの道理の通らないガキんちょの神」
マーメリズがゆらりと立ち上がった。
立ち上がれば、エンバイ神より背は高い。
黒いローブから黒いオーラが立ち上るようであった。
マーメリズは据わった目で、ヒョウの顔をした神を見下ろした。
「……おまえ、やっていいことと悪いことがあんだろが」
「な、なんじゃ? お主、急に人が変わったような……」
「黙って聞け!」
「は、はいっ」
「……あーあ、降臨した」
ラクトがゆっくりと後ずさって胡座をかいた。
のんびり自分にヒールをかけながら、見学に徹することにしたらしい。
エンバイ神はそんなラクトとマーメリズを交互に見比べている。片や黒いオーラを放ち怒りを止める気のない女。片や全く緊張感のない怪我をした男。
これってどういう状況だと、せわしなく視線が左右に行き来していた。
「人が大事にしてるものぶっ壊しておいて、私を解放してやろうってのは、どんな了見だ、ああ?」
「……!」
「おまえの壊した物は、ラクトがやりたくもねえことやってでも、誠意を伝えたい思いで頑張って作ってくれた、世界に一つしかない心の結晶なんだよ! 事情も知らねえ奴がほいほい壊していい代物じゃねえんだ!」
「……そんなの、知らぬし」
「知らねえ奴が簡単に手ぇ出してんじゃねえ!
言い訳もしてんじゃねえ!」
「ひいぃぃっ」
「神だかなんだか知らないが、人の気持ちを踏みにじっといて、のうのうとしてんな。
あんたら神は、人の気持ちがあって存在してんだろが。お前が糧にしている嫉妬と羨望だって、人の気持ちだ。
テメエのメシのタネを、蔑ろにしてんじゃねえぞ!」
エンバイ神は座り込んで口をパクパクさせていた。
目は涙目である。
マーメリズは無言でエンバイ神を見下ろしていた。無言の圧がすごい。殺気を放った据わった目は、エンバイ神から離れなかった。
エンバイ神は、横目で胡座をかいているラクトに助けを求めた。ラクトはヒールをかけ終わったのか、上半身をねじって調子を確かめている。
「お、おい、男! なんとかせい!」
「なんとかせいって、身から出た錆じゃん」
「まさかこんなことになるとは思わんかったのじゃ! この聖女、悪魔か?」
「聖女が悪魔かって、すげー矛盾した質問してるよ、神様」
「そんなことどうでもいい!
この聖女、妾から遠ざけろっ」
「見返り」
「はっ?」
「その、見返りは?」
マーメリズは直径一メートル程の青い炎の玉を作り上げた。いつものファイアボールに霊力を混ぜ込んだものだ。神にもダメージは与えられるだろう。
据わった目はやはりエンバイ神を向いていた。
「うわあ、マーミィ本気だ」
「ななな、なんだったか? お主らの目的はなんだったか?」
「あそこで座ってる、きれーな人間の解放」
「か、解放するっ」
「それと……」
「まだあるのかっ?!」
「あんたと契約した人間との、証拠を出してほしい」
「契約の証拠だな! わかった、出そう!」
「神に二言は?」
「無いわッ! 早く止めろ! 殺られる!」
ラクトは人の悪い笑みを浮かべて、エンバイ神に頷いた。すぐに、マーメリズに向き直る。
マーメリズには甘さをだだ漏らした笑みを向けた。
マーメリズに向けて両手を広げた。
「マーミィ、来て」
マーメリズの手から青いファイアボールが、ぱしゅっと音を立てて消えた。いそいそとラクトの傍に寄ると、泣きそうな顔でラクトの肩に頭を預けた。ダークブラウンの小さな頭がラクトに寄りかかっていた。ラクトがマーメリズの頭を撫でた。
「……ラクト、ネックレスが壊れてしまいました」
「うん。また作るよ。だから落ち着いて」
「あれは、世界で一個しかないのに……」
「次に作るのだって、世界に一個しかないよ」
「今度は模擬デートだめですよ。私、ちゃんと怒りますよ?」
「バイトして稼いで作る。マーミィいるのに、模擬デートなんて、俺もやだ」
「ラクトは優しいです。でも無理して高いのはよして下さいね?」
先程まで降臨していた何かは、影も形もなく消えていた。オーラを放っていた黒いローブは、細い女の体を覆っているだけだった。
エンバイ神は隣でくっついている人間を見た。
途端にいちゃこらし始めた二人を白い目で眺めた。
甘いものを食べすぎた後みたいな、胸焼けを感じていた。
あと、ほんの少しです。
うわあ、終わっちゃうなあ。




