【18】聖域の森の神殿 2
マーミィ、風邪ひくなよー!
――畳んで置いていたはずの、黒ローブがなくなっていた。
「ら、らくとー」
「どうした?」
「……緊急事態発生です。私のローブがありません」
「はあ? なんでっ?!」
「わかりませんっ。確かにそこに置いたのにっ。
替えの着替えなんて持ってきてありませんっ」
「そりゃそうだよな! 半日で来れる距離だし」
「あとですねっ。さ、寒いですっ!」
「そっちの方が問題だな!」
ラクトが自分のマントを脱いで、後ろへ差し出した。マーメリズの方は見ないようにしてくれている。
「と、取り敢えず、これで身体包んで!」
「あ、ありがとうございますぅ」
マーメリズはザバッと聖水から飛び出し、ラクトのマントで体を包んだ。ラクトは身長があるので、マントはマーメリズを包むくらいの大きさは十分にあった。
「……ラクト、もう大丈夫です」
「……俺、振り向くよ。いい?」
「平気ですぅ」
ラクトが振り向くと、自分のマントにくるまった、濡れ鼠のマーメリズがいた。髪からぽたぽた水が垂れている。
「た、タオルあるよね?」
「はい! 私のマジックバッグの中で」
「勝手に開けるけど、いいっ?」
「どうぞ、やっちゃってくださいいい」
ラクトはタオルを探し出し、マーメリズの髪を拭きあげる。寒さのせいだろう。マーメリズが小刻みに震えていた。
ラクトは青い唇をしたマーメリズを目にして、腹を括った。
マーメリズを抱き上げその場に座る。自分の体に密着させるようにして抱き締めた。
「マーミィ、ごめん! 温める方法これしか思い浮かばない」
「よいのです! もう、寒くて寒くて……」
「火が焚ければいいんだけど、燃やすものもないし」
「そもそも屋内で火は危険かもです!」
しばらくそのまま、二人はじっと座っていた。
徐々にマーメリズに血の気が戻ってきた。
ラクトの鼓動が聞こえる距離だ。
マーメリズは、ことんと頭をラクトに預けた。
「……ラクトは温かいですね」
「……こんな状況だからだろ」
「それだけじゃないですよ。ラクトは優しいから、もっと温かく感じるのです」
「別に優しくない」
「優しいです。それは、いっぱい優しさをもらってる私が言うので間違いは無いです。反論は許しません」
「……なんでそこ、厳しいの」
ラクトは腕の中のマーメリズを意識した。
柔らかい身体が密着している。
濡れた髪がいつもより色っぽく見える。
成り行きでこんな事になっているが、ラクトはそれを喜んでしまっている自分を否定できないでいた。
マーメリズに向いたこの気持ちには、もう答えが出ているのだと、もういい加減認めろよ、と自分の中の一部が訴えていた。
そんなことは分かっている。それは分かっているのだが――
――だけど……これって、めちゃくちゃ勇気いるじゃん!
大人の聖騎士に魔法剣全力で振り抜くより、勇気いるじゃん!
ラクトはマーメリズを見ないようにしながら、呟いた。
「……俺は、誰にでも優しいわけじゃ、ないよ」
「そうですか?」
「マーミィがそう感じるなら、それは俺にとって特別だから」
「え……?」
「特別な、人。特別大切な……人」
「……特別、ですか?」
「うん。……えーっと、だから……」
「んふぉーい、おふふふはーん!」
背後から奇妙な発音の声が聞こえてきた。
同時に何かを引きずる音がする。
振り返ると、黒い布を咥えて引き摺る、白い狐に似た生き物がこちらに近づいてきていた。
「……キュービっ?!」
「んふぁ。やっぱ、そうだった。これ、マーミィのでしょー? 匂いがそうだもん。わしの鼻に間違いはないの」
「なんでここにいるんですかっ?!」
「君らの跡つけたに決まってるじゃーん?
勝手にこそこそしてるからさ、わしを除け者とか許されないじゃん? しかも聖域とか、わしの管轄じゃん?」
「あー……お前、聖獣だったね、そう言えば」
「うっそー、そこ忘れる? 聖なるわしの正体忘れちゃう?」
「……それについては、普段の言動について、胸に手を当ててよく考えてみたほうがいい」
「酷くない? ちょっと、ラクト、酷くない?
軽くバチ当てていい? 胡麻煎餅食べたら必ず前歯に挟まる、っていうバチ当てていい?」
「地味な嫌がらせすんじゃねえ」
嫌そうに顔を歪ませたラクトの腕の中で、マーメリズが顔を輝かせた。黒い布に目を奪われている。
「キュービ、それは私の黒ローブですねっ! どこにあったのでしょう?」
「階段の下の所。ここに住み着いてる妖精が、イタズラしたんだね。妖精心くすぐられたみたいよ? なんせ、人が来るのが数十年ぶりで」
「妖精さんの、イタズラですか……」
「そこの金髪男子の反応が面白すぎてツボらしいよ。今現在も爆笑中」
「……なんだと、こら」
「わし睨むのやめてー! わし関係ないし! 妖精のツボついたのラクトだし!」
キュービはマーメリズの前まで黒ローブを引き摺って来て、傍の泉に目をやった。
途端につぶらな黒い目が輝き出した。
前脚が顔の前で、合掌の形になっている。
「うそーん、これ、聖水じゃない? 濃度の濃い聖水じゃない?」
「あ、はい。私たちの目的はここでの沐浴でして……」
「そういう事はわしに早く言うべきじゃない? わし、何を糧に生きてると思ってんの」
「マーミィのメシ」
「そうね! 最近のお気に入りはチキンのトマト煮込みね。あれがあるとパンが進んで進んで。でも、口の周り真っ赤になって……って、ちがーう!」
キュービが前脚でラクトの膝を殴った。
もちろん、ノーダメージである。
「わしが存在出来てるのは、霊力! この聖水にたんまり含まれた、霊力だし!
てことで、遠慮なく……」
キュービはそろそろと泉に移動し、体を聖水に浸した。「くぅぅぅ」とか「かはぁぁぁ」とか声に出てるのが、オヤジ臭い。
「はああああ。極楽、極楽」
「……キュービの沐浴、見たくない」
「やだ、そういうこと言わないのー。
あ、これすごいね。わし、力すぐ戻ってきたわ」
「キュービの力って、なんですか?」
「マーミィ、いい質問! すごくいいよー。うん。こういうね、細やかな質問できる子が将来伸びるわけ」
「どうでもいいから、答えろよ」
「ラクトは地獄行きね。
じゃ、ちょっと本気出しちゃおっかな。
いよっ」
キュービの体が巨大化し始めた。仔犬のようだった顔がどんどん伸びる。脚は太く、体躯は長い。九本の尻尾が変形し、徐々に肩の近くに移動した。
白く長い体毛はそのままに、体長五メートルほどの翼の生えた生き物だった。
「……キュービ、ですか?」
「そうだよー。わしよ。わしの本性ね。
ね、カッコイイ? ねえ、わしモテる? モテ期到来?」
「というか、その姿……」
「ホワイトドラゴン……」
ラクトが呆然としながら呟いた。
聖なる獣の頂点に立つ、神の遣いの姿だった。
キュービはにんまり笑って二人を見下ろしている。
「いーい反応だね、二人とも!
もっとビビっていいから。もちろん崇め奉って祈り捧げて、明日から聖獣キュービ様と呼んでくれて構わんから」
「……よし、もう一回祠に埋めよう」
「おまえっ、ラクトっ、そういうこと言うなよ!
さすがに祠はしばらくいらんわ!」
「前から言ってるけど、キュービは聖獣のくせに言葉軽いから。まったく敬う気が起きないから」
「わしの根本を否定するでないわー」
キュービがバサリと翼を羽ばたかせた。
風がマーメリズとラクトを通り過ぎた。
「とはいえ、本気出すのもこの聖水があるから出来るわけで」
キュービが太い足で泉から出てきた。
途端にするすると元の仔犬サイズに戻ってしまう。
ブルブルと体を震わせ水滴を払った。
「ちょっとやん事ない事情があって、身体を維持するための霊力を保てないんだよね」
「……てことは、ホワイトドラゴンの姿でいられるのは」
「うん、この泉がなきゃ駄目」
「何に使えるかはともかく、お前、使えねえな」
「うるさいうるさい。事情があるって言ったでしょうが。
でも、せっかくだから聖水、空いた酒瓶に詰めて持っていこう。帰ってちびちびやろう」
「聖水の使い方が、酒と変わんねえじゃねえか……」
呆れた口調で、ラクトが聖水を汲むキュービを眺めていた。
そんなラクトを、キュービは振り返った。
狐に似た顔が、呆れた顔をしていた。
「ところでさあ、君たちいつまでそうやってくっついてるの? くっついてる理由を勘ぐってもいいの?」
ラクトとマーメリズは顔を見合わせた。
マーメリズは、ラクトの腕の中のままだった。
二人はそろそろとお互いから離れ、それぞれ別の場所で沈没した。
妖精の笑い声が聞こえた気がした。
□ □ □
マーメリズは無事改宗できた。
本名はそっと胸の中にしまって、マーメリズ・オクロード・エルフィス男爵令嬢という、戸籍と身分を手に入れた。
新しい立場を得たマーメリズが最初にしたこと。
大量のお肉を買い込んで、屋敷にタインを招待して唐揚げパーティを開いたことだった。
みんなでおいしく、ご飯を食べること。
それが今、マーメリズにとって一番幸せなことだった。
連続投稿できたぜ。
やったね!




