【17】聖域の森の神殿 1
ラクトー、頑張れ!
強くなんないとね。
タインと共にマーメリズに関する手続きを続けていたコーキが、難しい顔で屋敷に戻ってきたのはそれから数日経った頃だった。
久々のマーメリズの食事をあどけない満面の笑みで平らげたあと、また難しい顔をしてテーブルに顎を乗せている。
マーメリズははらはらしていた。確実に自分のことでコーキが悩んでいるのが分かっているからだ。
ラクトがそんなマーメリズを見て、コーキに声をかけた。
「……なんか、上手くいってねえの?」
「んー、今んとこ順調なんだけど。教会のやつらが頭固い」
「教会? 改宗って、そんなに大変なのか?」
「一般人は簡単。司教が法具で頭触れるだけ」
「マーミィは一般人じゃない、ってこと?」
コーキはテーブルに顎を乗せたまま、目だけラクトに向いた。
「正解。
聖女っつっても見習いだったんだから、一般人扱いでもいいのになあ」
「……私がハーヴィ教会の上位者扱いになっているということですか? なんて恐れ多い!
私、カカルス教会に直談判しに行きましょうか?」
「えーとね、ややこしくなりそうだから、やめてくれる?」
「別宗教の上位者だと、何か問題あるのか?」
コーキは顔を上げて口を尖らせた。さすがに顎が痛くなったらしい。
「聖域の森の奥にある古い神殿の地下に、聖水が湧き出てるんだと。そこで沐浴して、カカルス神に仕える清い身体になってこい、という面倒なしきたりがあるんだな」
「なんだ、それ」
「なー、ラクトもそう思うだろ? 沐浴なんて、その辺の井戸水でいいじゃん。なんなら、うちの風呂でいいじゃん」
「風呂はどうかと思うけど。
でも、その神殿に行ってくればいいんだろ?」
「それがなあ……」
コーキが目を半目にして愚痴った。
ものすごくどうしようもねえや、という顔になる。
「ここ数十年、別宗教の上位者の改宗なんてなかったわけ。なんせ、カカルス教って国教だから。別宗教入り込む余地ないじゃん?
そのせいで、神殿もノータッチで」
「……そんなの、ありか?」
「そーゆーとこ、杜撰なんだよなあ、あそこ。
だから、ちょっと調査入れてみたんだけど。
神殿内に、モンスター湧いてるみたいなんだよな」
「「はあっ?」」
ラクトとマーメリズの声が重なった。
神殿に、モンスター。
神殿とは、聖なる場所では無かったか?
「神殿に、モンスターって湧くのかっ?」
「野生動物みたいなもんだよ。棲みついて繁殖したみたい」
「嘘だろ」
「報告受けた時には、おれも思った」
コーキがわしわしと頭を搔いた。
淡い茶色と炎色の髪が混ざりあった。
「神殿に入れるのは、本人とその護衛一名までと決められてるからさ。おれが行ければいいんだけど」
「コーキがいれば心強いですねっ」
「場所が聖域だろ。たぶんおれ、血反吐吐きながらの護衛になる」
「あー……コーキの呪いか」
「口から血だらだら流しながらの護衛と共に改宗って、あんまり気分よくないよね」
「やめましょう。バチが当たりそうです」
マーメリズがぶるりと体を震わせた。
そうすっとさあ、とコーキが再びベタっとテーブルに顔を付けた。テーブルに茶色と炎色の髪が散らばっている。
「信頼出来る護衛がいなくてなー。聖騎士のやつら、おれへの信頼は厚いくせに、他宗教への偏見強くて。ちょっと任せられないな」
「そうなのですか……」
「宗教関連の奴ら融通効かなくて嫌い」
「コーキ、元聖騎士じゃないですか」
「昔はおれもそうだったかと思うとぞっとする」
「あらあ……」
「……コーキ、俺は?」
ラクトがコーキをまっすぐ見据えていた。
青い瞳に緊張感が漂っている。
覚悟を決めたように、もう一度言った。
「マーミィの護衛に、俺がついたらよくないか?」
「……ラクト、か」
コーキが値踏みするように、ラクトを眺めた。
幼い表情に凄味が加わった。聖騎士として過ごした経験が、ラクトを評価しようとしていた。
コーキは、剣聖と呼ばれた元聖騎士だ。
「お前にはまだ早い」
「……!」
「……早いけど、実力を底上げすればなんとかなるかな」
コーキがじっとりとした目付きで、息子を眺めている。ラクトは息を飲んでコーキを見返した。
コーキは神経質そうに指でテーブルをトントンと叩いた。
「……杜撰な魔力消費改善とか、魔法コントロールの緻密性高めるとか、場を見極める速度向上とそもそもの踏み込みの俊敏性を上げて……」
ラクトはちょっと後退った。
コーキが上げる、課題の羅列が容赦ない。
そして、課題に対して身に覚えが無くもない。
自宅の特訓で、コーキにダメ出しを受けている部分であった。
コーキがマーメリズを振り返った。
「……マーミィ、一週間もらえる?」
「私は、大丈夫ですけど……」
「この屋敷で一人は不用心だから、マーミィは呪術研究所に一室用意する。しばらくそこで過ごして。さすがに王宮内にはハーヴィ教も手出しできないだろ。
んで、ラクトは五日でなんとかする。聖騎士の訓練所に放り込むから、死ぬ気でやれ」
「はい」
「げっ……」
素直に頷くマーメリズと、瞬時に青ざめるラクト。
マーメリズが様子を窺うと、ラクトがかくかくと首を動かして、マーメリズに向いた。血の気が引いている。
「……聖騎士の訓練は、容赦なしで有名。血反吐吐くのは当たり前。死にかけることもままあるくらい。訓練についていけなくて、辞めていく騎士多数……」
「……!
ラクト、あの、今なら辞退してもよいのではっ?」
「……や、やるよ。ちょっと、心の準備が整ってなかったけど」
「やるよなあ、ラクト」
コーキはラクトの肩を組んで、獰猛な笑みでラクトを眺めた。元聖騎士団長を務めたコーキは、ラクトがこれからどんな目に合うか、具体的に知っていた。
獲物を捕らえた肉食獣の笑みだった。
「さあて、お前の本気を見せてもらおうか」
□ □ □
マーメリズとラクトは神殿の入口に到達していた。
聖域の森自体は特にトラブルなく進めた。
問題は、この神殿の中がどの程度モンスターに侵食されているか、だ。
聖騎士の訓練所から戻ったラクトは、有り体に言えばボロ屑であった。まず、自力で歩行できずに、聖騎士たちに運ばれて帰宅した。
コーキが呑気に付いてきて、連れ帰ってくれた聖騎士に「ごくろー」と労っている。元剣聖に声をかけられた聖騎士たちは、顔を上気させて騎士の礼をしていた。恐らく、ラクトをボロ屑にした人達だろう。
声をかけるコーキも薄汚れていたので、マーメリズは首を傾げた。コーキも訓練に参加してたとは、聞いていない……。
訝しげなマーメリズに気付いて、コーキが肩をすくめた。
「ラクトの訓練の見返りに、おれは聖騎士幹部に訓練つけてきたから」
「は、はい? 幹部さんて、聖騎士の中でも偉い人たちですよね?」
「悪魔の呪い以来、聖騎士屯所は近づかなかったからさあ。なんせおれ、腕力は子供レベルに落ちてるし。
だけど顔見せたら久々すぎて、幹部の方が盛り上がっちゃって。あいつら元同僚だから」
「はあ……」
「タイマン勝負するだの今ならぶっ飛ばせるとかうるさいから、魔法だけでよければ相手するって言ったら、思いのほか食いついてきて」
「えええええっ!」
「ガチで来たから、ガチ返ししたんだけど。あいつら、業務大丈夫かなあ」
「あの、コーキ?」
「聖騎士幹部が産まれたての子鹿状態じゃ、信用おけないよねえ」
のほほんと語るコーキが、心底恐ろしかった。
その後、ラクトはひたすら寝た。一日半、ひたすら眠り、起き出してからはひたすら食べた。
マーメリズは家中の食料がなくなるのではと、冷や冷やした。
そしてもう一度睡眠を取ったラクトは、辛うじていつものラクトを取り戻していた。
「……ラクト、もうちょっと回復してからでも良かったんじゃないですか?」
「大丈夫。
全身筋肉痛で全身打撲だらけだけど、骨は折れてないし。折れた所はヒールで治したし」
「……それって、あんまり、大丈夫じゃないですよね?」
「マーミィは心配しないで。やれることはやってきたから」
ラクトが剣の柄に手を添えた。前より様になっているような気はした。
神殿の中はうっすらと明るかった。
神殿内に人が入ると明るくなる様な、そのような仕組みになっているのだろう。
石造りの神殿内は埃と砂塵に塗れていた。壁の所々にカカルス教の紋様のレリーフが施されている。
暫く進むと広間があり、祭壇らしきものがあった。
かなり年季が入っており、法具らしきものは使えるとは思えないほど埃が積もっている。
そして、その先に――
モンスターの群れがいた。
ワニ型のモンスターだ。十数体。
マーメリズとラクトは、一瞬目を合わせて無言で戦闘態勢に入った。
ラクトが先頭のモンスターを切り下げた。
魔法を伴わない剣だけの攻撃だ。
マーメリズはおや、と思った。
今までのラクトの一撃目は、大抵魔法剣から入っていたからだ。
マーメリズは右に、次いで左に炎による広範囲攻撃を仕掛けた。致命傷には至らないが、しばらく足止めにはなる。
ラクトはその真ん中を、剣だけで進む。剣さばきが以前のラクトではない。素早く切り下げ移動し次々とモンスターを倒していく。
ラクトがマーメリズに目配せをした。マーメリズはちょっと目を見張って、頷いた。
マーメリズは右方向の敵集団に向けて、風魔法による各個撃破に入った。ラクトは左に移動している。
対多数の攻撃に移り、ラクトの剣が火を吹いた。モンスターを易々と切りさいていく。
以前の狐の杜での戦い方とは全く違う、ラクトがいた。
全ての敵を殲滅し、マーメリズは息を吐いてラクトを振り向いた。
ラクトはちょっと呆然としたまま、剣を鞘に収めていた。
「ラクト、すごいです! 以前と全然違います!」
「……あー、うん。
なんか、分かった」
「何がです?」
「えーと……狐の杜の時、俺はマーミィに勝たせてもらってたんだな、って」
「そ、そんなことないですよ?」
「俺、頭使って戦ってなかった。目の前の敵を片っ端から片付けようとしてて、初っ端から全力出して魔力切れて」
確かにその通りだった気がして、マーメリズは目を泳がせた。
ラクトは少し恥ずかしそうに苦笑した。
「聖騎士の訓練所で、散々言われたんだ。コーキはそこの隊長に俺を任せていなくなったから、そりゃボロクソに。
頭使え小僧! とか、その魔力の使い方、何様だ! とか」
「はわわわわ」
「ホント、そのまんまだな。
気絶しては水ぶっかけられて立ち上がって、魔力切れて昏倒しても無理矢理立たせられて」
「……よく生きて帰ってこれましたね」
「でも、立っている時間が長くなったのは、魔力の使い方と、戦う筋道が見えてきたからかな。
だから、マーミィの魔法の意図が、今日よく分かった」
ラクトがやはり恥ずかしそうに、マーメリズを見て笑った。マーメリズを見る瞳が優しい。
「君は、すごい魔法使いだね」
「そ、そんなことないです! できないことの方が多いです!」
「できる範囲で最善が尽くせるんだろ。俺はまだ、そこまで達していない」
だけど、とラクトはマーメリズに頷いた。少し自信を付けた笑みが浮かんだ。
「前よりマーミィを、守れるような気がしている」
マーメリズはラクトの笑みを見て、目を逸らした。
ラクトの目がやけに甘い気がして落ち着かなかったのだ。
なぜだか胸がざわざわしたので、危険と判断した。ざわざわする胸は、止まることがない。
おかしいな、私。
恋をしている相手は、ラクトではない、のに?
その後も幾度かモンスターとの戦闘があったが、無事に切り抜けた。ラクトの戦闘能力は確実に上がっていた。魔力切れも起こさず、悠々としている。
地下への階段を見つけては、神殿の深部へと降りて行った。
地下五階に差し掛かって、ようやく泉を見つけた。小さな祭壇と泉があるだけの空間で、泉の表面は湧き出すように揺れていた。常に水が湧いているようだった。
「……これが、聖水か?」
「そうですね。間違いないです」
「普通の泉にしか見えないけど」
「すごく霊力が高いです。これはすごいです」
「……そのさ、霊力ってどんなもんなの?」
マーメリズは首をかしげた。どう説明したものかと考える。
「皆さんも、持っていると思うのですが」
「いや、全然分かんねえ」
「ラクトは魔力を持ってるでしょう? その先にあるというか、並行してあるというか」
「ますます分かんねえな」
「聖女教育は、霊力があること前提で話が進んでましたからねえ。説明が難しいです」
「そりゃ、俺には理解不能だな」
ラクトがぼんやり考えてると、マーメリズがちょっとそわそわしだした。
何度かラクトを見ては、目をそらしている。
手もモジモジ動いていた。
「あ、あの。ラクト?」
「ん?」
「ここには、その。沐浴に来た訳ですから。
ちょっとの間、向こうを向いていただけると……」
「あああああ! ごめん!」
「すいません、面倒かけてすみません!」
「気の利かない俺が悪い! 絶対振り向かないから!」
完熟トマト色に染まったラクトが、泉と反対方向を向く。体がギクシャクしている。
先程までスムーズにモンスターを倒していたとは思えない、体の動きだった。
マーメリズは着ている物をすべて脱ぎさり、畳んで泉の傍に置いた。
そっと泉に足を入れた。
「ひあっ」
「どうしたっ?」
「いえ、なんでもないですっ。ものすごく冷たいだけですっ」
「ああ、えっと……頑張れ」
「頑張りますぅ」
マーメリズはゆっくりと泉に身を沈めた。全身鳥肌が立っている。
だが、霊気が高いことはよく分かった。感覚が研ぎ澄まされるような気がする。
聖女教育の一環で集中力を高める訓練をした時、何度かそういう感覚になったことがあった。たまたま深く集中できた時だ。
この感覚は覚えておこう、とマーメリズは思った。
頭の先まですっぽりと聖水に浸かり、マーメリズは水から上がろうとした。
上がりかけて動作が止まった。
キョロキョロと辺りを見回した。
そして確信した。
――畳んで置いていたはずの、黒ローブがなくなっていた。




