長寿番付
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらやくんもこのコースを使っていたか。
いや、一念発起して運動を始めたんだが、なかなか坂道がしんどくてね。
ロコモティブシンドローム、だっけ? 身体を動かす機能が衰えてしまう症候群。あれを防ぐには、運動が効果的というが今まで動かなかったつけが、どうしても出てきてしまって。
どうだい、キリよければそこら辺で水分補給しないかい?
年とってから、ミネラルウォーター飲む機会が増したなあ、と感じるな。
これまで通りの甘い飲み物もいいが、舌とか喉の奥にひっつきやすくてね。それがくどさにつながり、どうも多くを飲む気にならない。やれやれ、これも歳かな?
あ、そうそう歳といえば。つぶらやくんは、どうして歳をとると刺激の強いものを、身体が受け付けない人が増えると思う?
――体の臓器が自分の衰えを悟って、できる限り楽な方へ流れようとするから?
ははは、なんともつぶらやくんらしいたとえだ。要は縁側でぽかぽか、ひなたぼっこをする老夫婦って感じかな。
だがね、ひょっとすると身体は休もうとしているのではなく、若い時以上に気を張らされているのかもしれないよ。
私の地元に伝わる話なんだが、聞いてみないかい?
江戸時代のあたりまで、私の地元には「長寿番付」なるものが存在していた。その名の通り、長寿である者の順番付けを行う催しものだ。
その発端は、書物さえ残っていない昔にさかのぼる。
当時は狩猟が主な生活手段。そこでの負傷は、そのまま死に直結するケースが多い。もちろん、病気などもしかりだ。
適切な薬、養生の環境を整えることも尋常ではない難しさで、現代よりもぐっと平均寿命が短かったことは、周知の事実だろう。
働けないこと。そこまでいかずとも、他の若者たちのパフォーマンスに追い付けないことは、共同体においてマイナス。それも狩猟以外に仕事が限られるとなれば、なかなかのお荷物案件となる。
ゆえに長く健康であり続けることは、貴重なことであるとして、その「長寿番付」の前身というべき祭りが行われるようになった。
口伝されている限り、当初の祭りは齢35歳以上の大人たちによる相撲や狩猟だったという。特に狩猟に関しては数日がかりで行われ、それによって仕留めた獲物は、村のみんなに振る舞われた。
その祭りに参加し、成果をあげ続けることが年長者の誉れとされて久しかったんだが、一時期、奇妙なできごとが起こるようになったらしい。
祭りが定例の行事化して数十年。
すでに70を迎えているにもかかわらず、村で一番の俊足を誇っている男がいた。彼はその年の狩猟にも参加し、足腰の衰えなどで脱落していく同期をしり目に、その時も兎の群れをひとりで執拗に追い回していたという。
ひと晩かけて追い詰めた兎たちを、正確無比な投石で5羽ほど仕留め、洋々と集合場所へ引き返すまでの間、彼の身体から汗が引かなかった。
棒に吊るしながら肩に担いでいた兎たちだが、いざ皆の前で下ろす段になって、どっと老人の汗が噴き出す。
水袋を仕込んでいたのでは、と思うほどの滝汗が、どどっと兎に降りかかった。さすがにこのまま下ごしらえにかかるわけにもいかず、かといって決まりごとゆえ、捨てるわけにもいかず。
よく洗ったうえで調理をされたんだが、鍋で煮込む直前、それらの肉が一瞬、黄金色に光ったのを多くの人が見たという。
その効果は、すぐに知れるところとなった。
足腰を弱らせ、寝たきりになっていた老人たち。彼らが自力で立ち上がれるほどに、急激な回復をとげたんだ。件の金色に輝く兎肉の汁を飲んだためだ。
これまで不可逆であった足腰の衰えの跳ね返し。これは革命的なできごとだった。
回復したものが祭りの狩猟に参加し、人数が増えれば獲物が増える。そしてまたあの治癒効果のある肉を作っていく。
当初はかの老人のご利益と思われていたが、他の者の汗にも同様の効果が見られることが、回数を重ねるごとに判明した。ただ、長く生きている者の汗ほど、効果が現れることは確かで、ゆえに長く生きる者をありがたく思う精神がはぐくまれていったという話なんだ。
え? それが続いているのなら、世の中もっと丈夫な年寄りばかりのはずだって?
ご明察。この効果に関しては、およそ200年ほど経ったときに契機が訪れることになる。
当時はまだ厠が存在しておらず、多くの人は川に排泄を行っていた。
かの村でも生活用水に使うものとは別に、もっぱら排泄に使われる川があったそうでな。そこでみんなは用を足していた。
残っている話から察するに、かの汁には利尿作用があったらしくてね。食べた日の翌日にかけ、村人たちはおおいにその川で用を足したようだ。「絶え間なく流れているはずの川の面が、かすかに色をたたえたような気さえした」というから、いちどきに流れたものの量はとてつもないものがあったのだろう。
その年の料理の後も、子供から大人まで、川にはずらりと人だかりができていたという。
その流れがひと段落したころ。
下流で大きな爆ぜる音がし、皆がそちらを見やる。
優に木々を越える水柱が、あがっていた。この川の下流は、もう少し歩くといくつかに枝分かれをするが、水柱があがった方角を見て顔をしかめるものもいる。
そこは「溜まり」だった。流れを迎え入れる大きな池となっており、逃げ場を失った水は、自然に乾くのを待つ身となっていた。村人たちが含ませた、大量の排泄物をたたえたままに。
ゆえに好んで近づこうというものはおらず、そのままになっていた地点。そこに立った水柱が、ばしゃんと流れ落ちると、一本の長い長い、木のつるのような影が夜空にうねった。
踊るような仕草を見せたそれは、やがてすとんと背を引っ込めたが、一部始終を見守れた者は少ない。
ひと呼吸遅れて、どっと逆流してきた水に気を取られていたからだ。
例の汚物の溜まった水と察し、勢い余って飛び散るしぶきたちから、村人たちはあわてて距離を取る。そして顔をあげた時には、先ほどの奇妙な影はもはやなかったからだ。
ほどなく、結成された捜索隊が現地へ向かったところ、池は水がすっかりなくなっていたらしい。今も川から届く水が、すり鉢状であることをあらわにした池の底へ流れ込むが、そこに人がすっぽり入れてしまいそうな大きさの、穴が開いていたんだ。
底は深く、誰も降りて確かめようとする者はいなかったらしい。土をいくら集めても、穴は埋まる気配を見せなかったとか。
以降、肉が黄金色に輝くことはなくなり、回復の効果も見られなくなっていく。江戸まで続いたのも、住民たちの奇跡への未練もあったのかもしれない。
あの穴へ引っ込んでいったと目される、水柱の主。あれは高齢者の体液が作り、それを取り入れたものだけが育める、栄養を求めていたのかもしれない。
そしてそれが十分に得られたからこそ、自分が「仕込み」をするのをやめてしまったのではないかと、私は考えているんだよ。