春が来た (3)
ペルが目を覚まして三日後、旅の準備をしっかり整えて、ルティはグライスナー参謀と共にユーリたちと出発の挨拶をかわしていた。
「気を付けて、ルティ。グライスナーたちがついているのだから、万一が起こるはずもないと信じてはいるが、自分でも用心することは大切だ」
ユーリの言葉に、はい、と元気よく頷いて彼女とぎゅっとハグをする。それから、ミーナともハグをした。
「無茶はなさらないでくださいね。コンラート様、シャンフ様、それにペルも、ルティをお願いします」
「命に代えましても、殿下をお守り致します」
ミーナの言葉にグライスナー参謀も頷き、マティアスもシャンフに声を掛けている。
「リーゼロッテ様のおそばを絶対に離れるな」
「分かってるよ。オレの役目はルティ第一だ」
出発を待つ裏庭に、兵に案内されてクルトがやって来る。さすがのクルトも、城に入ってくることになってちょっと気が引けてるようだ。
ルティの姿を見つけると、そそくさと寄ってきた。
「クルト、重大な任務だが、しっかり励むように」
ユーリが激励すると、城の重鎮たちに囲まれて委縮しながらクルトが頷く。
「これでみんな揃ったから、出発だね。クルトも乗って」
「は?」
人を乗せられるほどの大きさになったペルの背に乗り、ルティが言った。クルトは目を瞬かせ、困惑している。
「い、いや……いくらなんでも、まずくないか?おまえ、皇女だし……」
「何を言ってる」
ぴしゃりとグライスナー参謀が言い捨てる。
「おまえはこっちだ」
参謀がそばの馬を指し、クルトは困惑したまま馬と、ペルに乗るルティを交互に見……ルティの後ろにシャンフが乗るのを見て、ようやく合点がいったように脱力していた。
参謀が馬に乗り、クルトはナーシャに手伝ってもらいながら彼の後ろに乗る。
行ってきます、とルティがユーリとミーナに向かって手を振ると、参謀の乗った馬が走り出して、ペルも軽快に後を追って行った……。
「陛下、議会場への移動をお願いいたします。皇女殿下の身を案じるお気持ちは分かりますが、こちらも取り掛からねばならぬ課題が山積みでございますゆえ」
ルティたちが見えなくなった後も、彼女たちの去って行ったほうをいつまでも眺めるユーリに、宰相ノイエンドルフが声をかける。
ああ、と答えるが、ユーリは上の空。そんな彼女の背をマティアスがそっと押してユーリはようやくその場から動いた。
「……分かっている。教団と共に、カルタモ、プラドン、バルタークが手を組んでローゼンハイムを攻めてくる――何よりも優先すべき課題だな」
カルタモ公国はもはや説明不要の隣接国。プラドン王国も隣接国の一つであり、なかなかの規模の大国だ。ルドルフ帝の時代には何度か小競り合いの戦争があったが、ユリウス三世の治世になってからは大人しくしている。
ローゼンハイムに化神持ちの皇帝が登場したことで、気楽に戦を吹っ掛けられなくなったからであろう。
しかし最近、同じく隣接国のカルタモ公国が力を持ち始め、プラドン王国は焦ってきているような様子があった。
それでエンデニル教団がローゼンハイム帝国を敵対視していると聞き、共闘を申し出てきた。
一方のバルタークは帝国とカルタモ、プラドンに挟まれた小国で、どちらかと言えば帝国寄りの中立国。小国にありがちな生き延びる知恵として、大きなものに寄り掛かる傾向があった。
最初の世界では、ローゼンハイムと共に教団、カルタモ・プラドン連合軍と戦う側であったが……枢機卿ローヴァインの立ち位置が変わったことで、この国が取る立場も変わったようだ。
会議に加わり、各国の戦力について報告するバックハウス隊長の説明を聞きながら、フェルゼンは最初の世界の差異を思い返していた。
「……誰もが予想しているが、やはり問題になるのは枢機卿ローヴァインだろう。彼を止められるかどうかで、勝敗が決すると言っても過言ではない」
バックハウス隊長の報告を聞き、ユーリが結論を述べる。誰もが同意するしかない、完璧な答えだ。
最大の問題点であり、論ずる気にもなれない課題。
……あの男を、どうにかできる方法が思いつかない。
「一従者の身で出過ぎた真似だとは承知しておりますが、宰相殿が期待されているようなので申し上げておきます」
ナーシャの従者として会議に参加しているオレーク・カルロフが、口を挟む。
「宰相殿は私と奴との相討ちを望んでいらっしゃいますが、私には、相討ちに持ち込む自信すらありません。右腕だけでも道連れにする決意ではございますが」
枢機卿ローヴァインの大紋章は、右の肩にある。それはフェルゼンも知っていた。
右利きにも関わらず、利き腕に紋章を……あまりにも戦績豊富なため、隠すこともできぬほど有名になった情報だ。それでも、いまだに彼の右手は健在である。
つまりは、どれだけ狙われても勝ち抜いてきたということ。
宰相がオルキスの将軍を生かしておいたのも、この男と戦わせるためだったことは周囲も理解していた。皇帝の命を脅かした大罪人でありながら宰相の独断で放免されても、誰も異議を唱えなかった。
いまは、少しでも戦力が必要だ。
「あの枢機卿が相手ではな。万一の奇跡も望めん。部下に死んで来いと言う気にもなれぬ」
バックハウス隊長も、彼にしては珍しい重苦しいため息を吐きながら言った。
フェルゼンは顔を動かすことなく、ナーシャに視線をやる。顔を兜で覆っているから、フェルゼンが自分に注目していることにナーシャは気付いていない。
いくつかの運命の中で、最強とも言われた枢機卿ローヴァインが倒される場面を見たことがある。どれも、ナーシャが倒してきた。
復讐に取り憑かれ、すべてを失ったナーシャによる捨て身の反撃。最期の瞬間、ナーシャの執念が上回って最強の敵を道連れにした。
今回も、勝てる可能性があるとしたらナーシャだろう。
しかしいま、ナーシャは復讐の道を選択していない。それに何より、いまの時点でナーシャに死んでもらっては困る。それでは、ルティまで巻き込んで運命をやり直した意味がない……。
「ローヴァインを撤退させるというのなら、ボクにひとつ、考えがある」
ユーリが静かに言い、全員の視線が彼女に集中した。ユーリも浮かない表情だ。うつむいたまま、誰とも視線を合わせない。
「その方法についてはギリギリまで明かせない――それに、その方法を実行するにはある前提を必要とし、大きな壁が立ちはだかるのは変わらないだろう。最初の日を、帝国側に有利な状態で終わらせなければならない」
ユーリが話し続ける。
「完璧に勝利する必要はない。そこそこの戦果を挙げて、こちらが勝っているような雰囲気を出せればいい。そうすれば……たぶん、ボクならローヴァインを撤退させることができる」
フェルゼンもユーリを見ていた。
枢機卿ローヴァインを撤退させる――ユーリならできること。
その方法には、何となく心当たりがあった。恐らく、セレスと宰相ノイエンドルフ、ミーナなら同じように気付く心当たりだ。
だがその方法が、果たして、いまさら上手くいくのだろうか。ユーリは確信があるようだが。
「無論、ここでも結局ローヴァインが問題になってくる。初日を凌げばローヴァインを撤退させられるが、逆に言えば、初日は彼の攻撃に耐えなくてはならない。誰にその対応をさせるか……向こうも必ず化神を出してくるだろうから、ヒスイとセレス頼りというわけにもいかない」
教団に在籍する化神持ちの紋章使いが全員戦場に出てくることはないだろう。
枢機卿ローヴァインが絶大な権力を握っているとは言っても、聖職者たちの中には戦争そのものに反対している人間も大勢いて、彼らを無視することはできない。
教団の存続がかかっているというならまだしも、国同士の戦いに、教団本来の立ち位置を守らずに一方的に肩入れしているような状態。軍を動かす大義名分も弱いし、初日から全員投入してくるわけもないだろうから、せいぜい数人程度――期待も込めて。
帝国に大紋章を奪われる危険もあるのだから、少数精鋭の編成となるはず。
「ラグランジュの聖女の化神は、必ず出てくる」
フェルゼンが言った。
どう説明すればこの情報を伝えられるか悩んだが、どうやら無事に話すことができそうだ。今度は、フェルゼンに全員が注目している。
「彼女が宿すのは夜闇の紋章――アルヴィンという名の化神で、我々と同じ人型をしている。セレス、グランツローゼの劇場地下で会った化神を覚えているか?私の腕を斬り落としたあいつだ」
「あの化神……ユーリの妹だと言っている女のものだったのか」
驚くセレスに、元は教団の紋章だ、とフェルゼンが説明を続けた。
「エンデニル教団はユリウス二世の落胤、ラグランジュの聖女などとまつりあげてユリウスの正統性に疑念を抱かせようとした。そのために、その女に紋章を与えたのだ」
最初の世界では、あの化神に出くわすのはこの戦争の時。
二年も前に倒すチャンスがあったのなら、倒してしまっておくべきだった。あの時点ならば、宿主もおらず、セレスたちと全員で戦っていれば容易に勝てただろう。大きな戦力を一つ、削ってやれたのに……。
「とは言え、聖女本人は戦の経験もない平凡な女。ユリウスほど紋章を使いこなすことはできまい」
「実に心強い情報だ。これで我が軍が勝てる見込みが大幅に上がったというもの」
宰相が言った。その声には明らかに皮肉が込められていて、一同が顔をしかめる。
「もう一人の妹君は、陛下の血を引く本物の皇女だ。彼女についてはぜひ、グライスナー参謀から良い報告が聞きたいものですな」
宰相の言葉に、ちらちらと何人かはユーリを見た。彼女の機嫌をうかがうように。
ユーリは何も言わなかったが、彼女の機嫌がよろしくないことは周囲にも伝わった。
……ルティが皇太后に会いに行くことを許すしかなかったのは、宰相含む余計な提案者の強い主張があったせいだ。旅をさせて、ルティがどれぐらい大紋章を使いこなせるか試すべきだと――場合によっては、次の戦争に出せと言われて。
ローゼンハイムの皇帝としては、その意見に賛同するしかないと彼女も分かっている。
だが母親としては……到底認められぬ話。
怒りをおもてに出すことはないが、ユーリはいま、おおいに葛藤中である。




