第三の男 (2)
食事の後、ユーリとナーシャは休むことになった。
当然だ。二人とも、一夜をほとんど眠らずに過ごしているのだから。爆睡しまくって、お目々ぱっちりなルティが寝すぎなのである。
「セレス、ボクについていなくても大丈夫だ。ルティも遊びに出たいだろうし、彼女を優先してあげてくれ」
「私、お部屋でちゃんと待てるわ」
そう答えたものの、一時間もすればルティも退屈を持て余すようになってしまった。
最初は窓から外を眺め暇をつぶしていたが、やっぱりだんだん飽きてきて。
部屋の中を、意味もなくうろうろと歩き回る。
「城の中、見に行ってみる?僕が案内してあげようか」
なんでか自室に戻るナーシャについて行かずに客室に残っていたヒスイが、にっこり笑って言った。
即座に、セレスが疑いの眼差しを向ける。
「何を企んでいる」
「ひどい言い草。君はユーリのそばを離れられないだろうから、僕が気を遣ってやってるのに」
だから怪しんでいるんじゃないか。
セレスの目は、そう言いたげだ。
「基本的に面倒くさがりな君が、自発的にそんなことを言い出すなど――何か裏があるに決まっている」
セレスに問い詰められても、ヒスイは素知らぬ顔だ。
二人に挟まれてルティもちょっぴりおろおろしてしまうが、ヒスイの誘いはとても魅力的で、結局彼と一緒に城の探検に出かけることにした。
「ルティを連れ回し過ぎるんじゃないぞ」
二人を見送り、セレスはため息をつく。それから、ベッドで眠るユーリのそばに戻ってきた。
すやすやと眠るユーリの寝顔を見つめ、知らず口角が緩む。
顔にかかる前髪を、そっと梳いた。
成長と共に赤みがずいぶん増したが、華やかな金色の髪。生まれた頃は、いまのルティと同じ、淡いストロベリーブロンドだった。柔らかくて、艶があって……こうして彼女を見守るのも久しぶりだな、と一人笑う。
セレスの使命は、宿主たるユーリを守ること。化神にとって宿主こそが己の存在意義であり、すべてである。
そんなユーリにとって、我が子は自分の命よりも大切な相手だ。だから、ルティが生まれてからは、ユーリの頼みでルティを優先するようになっている。
そのことに不満はないが……こうしてゆっくりユーリのそばにいられるのは、セレスにとっても幸福な時間だったりする。
……そんな時間に水を差す、無粋なノック音。
不快な気持ちは胸の奥にしまい、セレスは扉へ向かった。
「誰だ」
問いかけても、返事はない。
ナーシャではないだろう。ノックがずいぶん粗っぽくて、ナーシャではあり得ないような音だった。
扉の前に、人の気配はする。それも複数。
眉を潜め、セレスはそっと扉を開けた――途端、ごつい手が扉をガっとつかみ、無遠慮に開けてきた。
扉の前には、まったく見覚えのない男たち。ニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべ、品定めするようにセレスの身体を見ている。
「部屋を間違えているぞ」
そう言い捨て、セレスは扉を閉めようとする。でも男の一人が扉をつかんだまま離さず、閉めることを阻止してきた。
セレスは冷ややかに男たちに視線をやる。
「そうつれないこと言うなよ。あんた、そういう女なんだろ?レナートだけじゃなく、俺たちにもサービスしろよ」
男の一人がそう言うと、他の男たちも同意するように大笑いする。
……眠っているユーリが、目を覚ましてしまうじゃないか。セレスは眉間に深い皺を寄せつつ、部屋を出て扉を閉めた。
男たちと、改めて向き合う。
「なんだか美味しそうな匂いがするよ」
ヒスイに案内されながら城を探検していたルティは、ただよってくる甘い匂いに心躍った。
ヒスイが、意味ありげにニヤっとしている。
「ナイスタイミング。ほら、行くよ」
自分をぐいぐい引っ張ってくるヒスイについて、ルティは匂いのもとを追跡する。
向かった先は食堂……の裏にある厨房。料理人たちが、厨房の一角に集まっている。こっそりと覗き込むルティに、料理人たちはすぐに気づいた。
……ヒスイは、まったくこそこそしてないし。
「お、坊主か。相変わらず目ざとい……もとい、鼻ざといな」
どうやらヒスイは、しょっちゅう厨房に侵入しているらしい。料理人たちは慣れっこといった様子だ。
「お?その子があれか――噂の皇子様」
ルティを見て、料理人が言った。若い別の料理人が、え、という顔をしている。
「ど、どう見ても、女の子ですけど……?」
「ん?ユリウス皇子って、女だろ?」
「いやいや、年齢が合わなさ過ぎるって」
別の中年料理人が苦笑いで首を振る。やいやいと喋る料理人たちの隙間をすいーっと抜け、ヒスイの姿が見えなくなってしまった。
「おい、こら――」
「いいじゃん。今日ももらってくよ――あ、今日は五人分ね」
人だかりで、ヒスイが何をしているのかは見えない。ただ、料理人と何か言い合う声だけが聞こえてきて。
ふらっと戻ってきたヒスイは、手に焼き菓子を持っていた。
マフィン……というには適当感がだいぶ強いが、甘い匂いを放つ焼き菓子。ぽんと一つ、ルティにも渡してくれた。
「ありがとう!」
「――んん……仕方がねえな……」
ルティが目を輝かせるのを見て、髭の生えた料理人はぽりぽりと頭を掻く。
お姉様たちに持って行かなくちゃ、とルティが言った。
「僕らだけで食べようよ」
「えー。お姉様たちの分ももらってきたんでしょ?じゃあ、みんなで食べなくちゃ」
ちっとヒスイが舌打ちする。
……もしかして、皆の分とうそぶいて、ヒスイは一人で食べ切るつもりだったのかも。
まだほかほかしている焼き菓子を持って、ルティは急いで客室へ戻る。ユーリも、もう起きているだろうか。
でも部屋に入るより先に、ルティはユーリと出くわした。ナーシャも一緒だ。
「お姉様!ナーシャ!もう起きてたのね――お菓子もらってきたの。みんなで一緒に食べましょう」
「ヒスイ。また厨房に侵入してたのか」
ルティの持っている菓子を見て、ナーシャがずばり言い当てる。やっぱり、ヒスイはいつもお菓子をもらいに行ってるらしい。
ルティは、ユーリのそばにセレスがいないことに気付いた。
「……ああ。そうなんだ。ボクが目を覚ました時には、セレスがいなくてね。呼びかけてるんだが戻ってこないし、ナーシャにいま相談してたところで」
きょろきょろとしていると、ユーリがルティの内心を察して答える。
セレスが、無断でユーリのそばを離れるなんて珍しい……。
「それで、僕も呼びかけてたんだが――ヒスイ。セレスがどこにいるかわかるかい?」
ナーシャが、自分の化神であるヒスイに向かって言った。
化神同士なら気配を探れるから、ヒスイなら見つけられるんだっけ。ルティがヒスイを見ると、ヒスイは黙り込んでいた。
セレスの気配を探しているのかな……?
「ユリウス殿下、ゆっくりお寛ぎ頂けましたでしょうか!ご不足の品などはございませんか」
ヒスイが答えるより先に、やたらとよく通る声で呼びかけられる。
バルリング軍隊長だ。
タイミングを見計らい、ユーリのご機嫌うかがいに来たらしい。この人、意外とマメなんだな、とルティはちょっとだけ感心した。
「キミの気遣いに、ボクは大いに満足している。あまり大仰に構えないでくれ。キミたちの本来の仕事の邪魔をするつもりはない」
「ははっ!殿下の寛大なご配慮!私、感服でございます!」
腰を九十度ぐらい曲げ、軍隊長がガバっと頭を下げる。
ユーリにせっせとゴマをする軍隊長をルティも苦笑いで見ていると、廊下の向こうからセレスが戻ってくるのが見えた。
片手に、うす汚れた風呂敷包みを見って。
「お帰り、セレス。姿が見えないから心配したよ」
「すまない。すぐ戻るつもりだったんだが、思ったより時間がかかってしまった――バルリング軍隊長殿」
セレスに呼びかけられ、軍隊長が顔を上げる。
格下と見なしている女に気安く呼び掛けられるのは不愉快らしく、露骨に嫌そうな顔をしていたが、セレスは構わず持っていた風呂敷包みを突き出す。
「……なんだこれは」
汚らしい風呂敷に、ますます嫌そうな顔をする。乱暴に包みを開け……中を見た瞬間、声を裏返して悲鳴を上げた。
風呂敷包みを放り出し、腰を抜かして。包みの中身が、ゴロンゴロンと転がる。
「きゃあっ!」
自分の足元に転がって来たものを理解した瞬間、ルティも悲鳴を上げて思わずヒスイにしがみつく。ルティの足元に転がってくるものを、ヒスイはボールでも蹴飛ばすように足で追い払う。
……風呂敷の中身は、人間の首。たぶん、男の人……恐ろしくて、しっかり確認することができない。
「私に勝負を挑んできたのだが、思っていた以上に弱くてな――これほど腕がないと分かっていたら、もっと手加減したのだが。仮にも自ら挑んできた人間が、ここまで雑魚だとは思わなかった」
平然と言ってのけるセレスに対し、おやおや、とユーリが呆れたように口を挟む。
「人間はキミたちよりずっとか弱い存在なのだと、前から何度も話していただろう。生身で勝負をするのであれば、思いきり手を抜かなくては」
「すまない。修行不足だった」
転がった首をセレスとナーシャが集めてもう一度風呂敷に包み込み、軍隊長に差し出す。
腰が抜けたままの軍隊長は、自分の目の前に置かれたものからわずかに後ずさった。
……生首が恐ろしいのか、それを前に平然としているセレスたちが恐ろしいのか。
「とは言え、任務外で兵士が命を落とすというのは、あまりよろしくないことだな。軍隊長殿、キミの権限で上手く処理してもらえないだろうか」
「そ、それは……」
軍隊長は青ざめたまま、目を泳がせる。
不祥事をもみ消せと、命令されている――否、脅迫されている。軍隊長は、きっとそう感じていることだろう。ルティですら、遠回しな脅迫に感じるぐらいだし。
結局、軍隊長は頷くしかなく、彼が頷くのを見たユーリは清々しい笑顔で軍隊長を残し、さっさと部屋に入った。
「食べないの?」
持ってきた焼き菓子をもぐもぐしながら、食べようとしないルティに向かってヒスイが尋ねる。
ルティは眉を八の字にした。
丸くてふわふわなこの焼き菓子……さっきの首にも見えてしまって、なんだか食べづらい……。言われてみると、色も絶妙に見ているような気がするし。
「本当にすまなかった、ユーリ。無断でそばを離れたばかりか、君の手間を増やしてしまった」
「気にすることはない。よほどのことがあったのだろう?」
謝罪するセレスに対し、ユーリは笑いかける。
セレスは答えなかったが、訳知り顔でヒスイが口を挟んだ。
「どうせ、女のセレスを襲おうとしたんでしょ。あいつらがやりそうなことだよ」
「……やはりそうか。男ばかりの集団だから、その危険は僕も考えていたが」
ナーシャも表情を曇らせる。
ぎくりと、ルティも身体を強張らせた。
男ばかりの集団の中に、女の自分たち。それがどれほど危険なことか、まったく自覚していなかった。
セレスやナーシャたちが守ってくれるから、自分の身に降りかかる危険について、かなり無防備な自覚はある。
急激な不安に襲われるルティの手を、ユーリが優しく握ってくれた。
「大丈夫だ。明日の朝には出発する。セレスもナーシャも、ヒスイもいる。何よりボクがついてる。危ないことなんて、何もないさ」
自分を励ますユーリの手を、ルティもぎゅっと握り返した。
「そうそう。あいつら、ここでもかなり最低な部類に入るから――いいよね。ユーリなら罰せられることもないから、好きに反撃できるし。セレス、ついでに何人かウザいやつ片付けて行ってよ」
「こら」
物騒なことを話すヒスイの頭を、ナーシャが小突く。
二人のやり取りを見て、もしかしたら、ナーシャもセレスに殺された男の人たちに、何か迷惑なことをされていたのかな、とルティはこっそり考えた。
でも、ヒスイはやり返せない――やり返してしまうと、かえって、ナーシャの立場を危うくしてしまうから。
皇子の地位を振りかざせるユーリだからこそ、自分の化神が相手を死に至らしめてしまっても、お咎めなしでいられるのだ。
「しかし、理解できないな。化神に欲情するなど」
ぽつりと、セレスがため息まじりに呟く。人間ってバカだからね、とヒスイが言った。
「すぐ見た目で判断する――僕のことも、普通の子どもと思って侮ったバカがたくさんいたよ。僕で懲りたかと思ったけど、やっぱりバカはどこまでいってもバカ」
「その言い草はどうかと思うが、同意せざるを得ないな。人間の姿をしていても、我々は人間ではない……」
ヒスイとセレスの会話を聞き、ルティはじっと黙り込む。
ぱく、と。ごく自然に、冷めてしまった焼き菓子を食べる。
姿は人間と同じでも、化神は人間ではない。人間らしい感情を見せてくれるけど、でもどこか人間とは違っていて、彼らの感性は異質だ。
……知っていたつもりだけど、あらためていま、それを思い知らされた。