会議は踊る されど (3)
処遇が決まり、皇太后は速やかに尼僧院へと送り返されることになった。
ラヴェンデル尼僧院ではなく、警備の厳重な、皇帝の監視が行き届きやすい尼僧院に。詳細は、皇太后が尼僧院に到着するまで明かされない――彼女の安全のためにも。
護送の馬車に乗り込み、彼女が密かに城を発つのを、ルティは城内から見送った。
皇太后の護送は、グライスナー参謀が担当だ。化神持ちの皇太后を見張るのに、索敵能力に長けたムートは最適だから。
彼女が城を出て行くのを、ユーリは見送りに来なかった。ナーシャも――余計な疑惑を回避するためにも、彼も皇太后に一切近付かなかった。
もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれないのに、ユーリは生母に挨拶もしない。
彼女を薄情だと思っているわけではなく……本来はとても愛情深い女性なのに、情の欠片も示さないようにしている姿が、彼女たちの関係がどれほど複雑なものと化しているか、よく象徴していて。
ルティは、皇太后の後ろ姿を見つめながら考え込む。
それから護送の馬車が出て行くのを見送った後、自分の左手を見た。
――左手の甲には、美しい紋様が描かれている。
「よ、ルティ。今日は一人なのか?」
町へ出て、自分を訪ねてきたルティが一人なのを見て、クルトは目を丸くしていた。
いままでルティは、一人で城を出たことはない。いつだって誰か、護衛役が一緒だった。
それがついに、今日は――ルティが笑顔で左手を見せると、クルトはさらに目を丸くする。
「おまえ、本当に大紋章をもらったのか!じゃあ化神が……どんなやつなんだ?」
化神の話を振られ、ルティの笑顔が引きつった。
思わず目を泳がせてしまって、そんな姿に、クルトが首を傾げる。
「わん」とルティの足もとで可愛らしい鳴き声がして、視線を下ろしてみれば、毛玉のようにふわふわな、ちっちゃな犬が。
愛くるしい瞳をキラキラさせながら自分を見上げる犬を、クルトはじっと見つめた。
「ペット飼い始めたのか?」
「……あの。私の化神なの。その子」
「だよな……このタイミングで連れてるってことは、そういうことだよな……」
反応に困っているクルトとルティの足もとで、犬はふわふわとした尻尾を振っていた。
尼僧院での事件ですっかり消えてなくなったものと思っていた、ルティの大紋章のこと。
ナーシャはちゃんと覚えていて、皇太后が城を出る前日、ルティのためのものを持ってきてくれたのだった。
「白雲の紋章と言って、火を司る大紋章だ。僕個人としては水に属するもののほうがいいと思ったんだが、ルティは火のほうが適正が高いらしくて」
紋章を宿す場には、ユーリとマティアス、それから、それぞれの化神が付き添った。
万一の事態に備えて。
「大紋章……私、本当にいいの?」
「そういう約束じゃないか。このボクが、キミとの約束を違えるはずがない。ありとあらゆる手を尽くし、キミの願いを叶えてみせるさ」
ルティのそのワガママのせいで、ユーリは危険に晒されてしまった。ナーシャだって、隠しておきたかった秘密を暴かれてしまって。
素直に喜ぶことはできないけれど、やっぱり嬉しい。
ルティはわくわくしながら、ナーシャが見せる大紋章の鉱石を見つめた。
「火の紋章だから、エルメンライヒ候に手伝ってもらったほうがいい。火は特に暴走が怖いんだ――シャンフだったら、万一が起きても対処できる」
「分かった。任せろ、ルティ。何があっても、オレたちが守ってやるから大丈夫だぞ」
シャンフが励ますように言い、ルティは頷く。マティアスがルティの左手を取り、手の甲に鉱石を置いた。
鉱石は、ほんのりとあたたかい。マティアスの手のぬくもりだったかもしれないけれど、鉱石はキラキラと光っていて。
一瞬、目が眩むほど強い光を放つ。ホワイトアウトして、視界が戻った時には、ルティの左手に紋様が浮かび上がっていた。
これで……自分も紋章使いになったのだろうか。
「私の化神は……?」
大紋章を宿したのなら、化神も顕著されているはず。でも姿が見えなくて、ルティはきょろきょろとあたりを見回した。
特に、誰かが増えた様子はない。
「ルティ」
セレスが何かに気付いたようにルティに呼びかけ、ルティは振り返った。セレスは、ルティの足元を見ている。
ルティも自分の足もとを見下ろした。
……足元に、ふわふわコロコロしたものがまとわりついている。
「何、その毛玉」
ヒスイが言い、ルティの化神だろ、とシャンフが答えた。そう言いつつも、シャンフも戸惑っているようだ。
毛玉がもふもふと動き、ひょっこりと顔が出てきた。くりくりとした愛らしい瞳でルティを見上げ、尻尾を振っている。
「ルティに似て、実に愛らしい化神だ。ミーナは大喜びで歓迎しそうだな」
ユーリが笑って言った。
「そうだね。危険な感じはしないし、ルティとはいい友達になれそうだ」
フォローするようにナーシャも笑う。マティアスがかがんで頭を撫でると、犬は千切れんばかりに尻尾を振って、喜びを表現していた。
「おまえの化神としては、これぐらいがちょうどいいかもな。警戒心がなさ過ぎるのはどうかと思うけど」
クルトも犬を撫で、寝っ転がって無防備にお腹をさらけ出す姿に苦笑している。
「名前は?つけてやったんだよな?」
「うん。ペルって言うの」
「なんとも……こいつらしい名前」
そう思う、とルティも同意する。
ちょっと……いや、かなり頼りない化神ではあるが、ペルはとても人懐っこく、宿主のことが大好きなのは間違いない。
自分も新米紋章使いとして、これから多くのことを学んでいかなくてはならない身。
……似た者コンビで、ルティにはペルがちょうどいいかもしれない。
ルティが自分の化神を連れて町へ出ている頃、ナーシャも町へ出ていた。
ユーリたちがかばってくれたおかげで、自分はいまもリンデンベルク伯爵の名を失うことなく、自由を与えられていることは理解している。だから、今後は私的な理由でユーリのそばを離れないよう決めていた。
また疑惑を抱かれるような振る舞いをしたら、かばってくれた人たちの面目を潰してしまう。
しかし今回は、人に呼ばれての外出であった。
「ルティを一人で行かせて本当に大丈夫なのかな。ペルはルティ大好きなのは間違いないけど……いまいち頼りにならない感じだし、すごく不安」
人形サイズでナーシャの頭に乗っかったまま、ヒスイが言った。
「それでも、ペルが一緒ならルティの居場所が君たちにもすぐ分かるようになったんだし……いずれは、あの子もペルに任せないといけない日がやって来る。その練習だ」
帝都グランツローゼは治安も良いし、クルトに会いに行くだけだと約束して、ルティは一人で出かけた。
不安や心配はある――ヒスイだけでなく、ナーシャも大丈夫だろうかと気にはなっているし、ユーリやマティアスも落ち着かない様子だった。
フェルゼンが、こっそりついて行って、離れたところから見守ると申し出てくれたのを、二人とも即答で頼んでいた。
「もらった地図によると、その先の緑の屋根の建物がザイフリート侯爵の屋敷みたいだね」
簡単な地図が描かれた紙を広げ、それを確認しながらナーシャが言った。
今日、ナーシャは財務官のルドガー・フォン・ザイフリートの屋敷に招かれていた。
彼の化神がヒスイと仲良くしているのは知っていたが、宿主同士での交流は特にない。一応、顔を合わせれば挨拶はするけれど。友人と呼べるほどの間柄ではなかった。
せいぜい、大きな共通点のある知人……だから、キーゼルに会いに行っていたヒスイが、財務官ザイフリートからの手紙を持って戻ってきた時には目を丸くした。
――次の休日、ぜひわが家へお越しください。
ザイフリート侯爵といえば、宰相ノイエンドルフの甥。
宰相は前からずっと、ナーシャを好ましく思っていない。
招待というかたちを取って、改めて自分を尋問するつもりなのかな。
ナーシャはそう考え、ザイフリート邸を訪ねることにした。いまは、彼の追及から逃げるつもりもなかったから。
これからもユーリのそばにいるために必要だというのなら、何度だって潔白を訴え続けるつもりだ。
「ようこそ、リンデンベルク伯。お休みの日に、わざわざお呼び立てしてすみません」
屋敷に着くとすぐに財務官ザイフリートがナーシャを出迎え、人の好い笑顔で応接室へと案内する。
愛想というものを振りまくことのないノイエンドルフ公爵とは対照的な青年だ。
「実は、叔父上から頼まれたのですが――」
やはり、宰相ノイエンドルフが出てきた。きっと彼絡みだろうと思ってはいたけれど……いったい何を言われるのか、ナーシャは身構える。
「母との相性がすごぶる悪くて。私個人としては有能だし、このままうちで働いてもらいたいと思うのですが、リンデンベルク伯に引き取っていただいた方が双方のためと判断しました」
「……何の話でしょう」
ペットか何かをすすめられているのだろうか。
化神のペルのことを思い出し、ナーシャはついそんなことを考えてしまった。
「ああ、これは失礼。前置きを省略し過ぎていましたね。叔父の紹介で人を雇ったんです――家を出て行ってもらうしかなくなったので、リンデンベルク伯にご紹介しようかと。リンデンベルク伯は家人を雇っていないと聞いたので」
リンデンベルク伯爵の家名をもらったとき、ナーシャは帝都に自分の家ももらっていた。こぢんまりとした小さな屋敷で、そこに帰ることはほとんどないのだが。
そんな有様だから家人などまったく雇っておらず、週に一度、手入れと掃除のために業者を招き入れる程度。
一人ぐらいは雇っておいた方がいいかとは思っていたが……きょとんとしているナーシャに構わず、ザイフリートは件の人を呼んだ。
主人に呼ばれ、男が一人、部屋に入ってくる。
入ってきた男に見覚えしかなくて、ナーシャは目を丸くした。
かつてのオルキスの将軍オレーク・カルロフは、平然としている……。
「どうして君が――だって、反乱の首謀者として処刑されたはずじゃ……」
ラヴェンデル尼僧院での事件――ローゼンハイム帝襲撃を企てたオルキス人たちは逮捕され、すみやかに処刑された。
それが、ナーシャが聞かされた顛末であった。それ以上は何も聞かず、詮索せず、首をつっこまず……保身のために彼らを見捨てたと言われようとも、ナーシャは彼らと関わらないよう努めた。
だから、オレーク・カルロフの処刑にも立ち会わなかったし、彼らのその後も詳細は知らなかった。
……少なくとも、平穏無事に、ザイフリート侯爵家で働いているのはおかしい。
「色々ございまして。生き恥を晒すことになると分かっていても、私も生き延びることに相成りました」
静かに頭を下げ、オレークが言った。ナーシャはオレークとザイフリートを交互に見やる。
当然、ザイフリート個人で何とかなる話ではない。宰相である叔父から頼まれた、と彼ははっきり言っていたし。
ならば……宰相ノイエンドルフは、わざわざオレークを助命したことに……。
ペルの犬種モデル:ポメラニアン




