第三の男 (1)
馬で走ること数時間。ルティのお腹の虫がよく鳴くようになった頃、ようやくドルトラウム城に到着した。
ドルトラウム城は帝国東部の国境を警備する軍隊の駐屯地でもあるから、男ばかり。女子供のルティたちは言うまでもなく浮いた存在で、周囲も遠慮なくじろじろと見てくる。
ルティは思わずユーリの服の裾を握ったが、ユーリは動じる様子もなかった。
「すぐに食事にしよう。でも、食堂は落ち着かないかな。僕の部屋で――」
「レナート!」
ルティたちを案内しようとするナーシャを、男の声が遮る。
偏見だけど、なんだか嫌味っぽい声だった気がする。
背は高いけど、痩せて、威厳があるというより滑稽な感じに髭を生やした壮年の男性がこちらへやって来る。着てる軍服から察するに、かなり階級が高い人。
明らかに友好的ではない空気をまとっていて、ルティはちょっとだけユーリの後ろに隠れてしまった。
「貴様、軍隊長たる私の許可もなく勝手に城を出たであろう」
「バルリング隊長殿――休暇を申請したはずですが」
「私は承認しておらん!」
理不尽気味に怒鳴る軍隊長に対し、ナーシャは落ち着いた様子であった。
ルティの頭の上で、ヒスイがイライラしているのを感じる。
……きっと、これが初めてではないのだ。
ナーシャはよく自分たちに会いに来てくれていたが、そのたびにちゃんと休暇を取って。でも、戻ってきたら軍隊長から叱責されてしまう。休暇を認めた覚えはないと、そんな言いがかりをつけられて。
この軍隊長は、そうやってナーシャに罰を与える口実を作り出しているのだ。
いまも、どのような罰を与えるか、それを考えるのが愉快でならないという表情をしている。
周りをそっと見まわしてみるが、周囲の人間が助け舟を出す様子は一切ない。ナーシャも罰を受けるのは慣れっこといった様子で……。
「おまけに……今回は女を連れ込むだと――私に無断で無関係の人間をこの城塞に招き入れるなど」
軍隊長が視線を移し、ユーリとルティを見る。
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた顔が、ユーリを見てふと変わる。言葉を切り、じっと凝視して……次第に、不健康そうな顔から血の気が引いていった。
「もしやおま……あ、いえ、あなたさまは……ユリウス皇子殿下?」
懸命に礼儀を取り繕い、軍隊長が尋ねる。
なんだか、急に彼の身長が縮んだような気がした。偉そうにふんぞり返っていたのが、おどおどと猫背気味になってしまったからだろう。
ユーリは、にっこりと美しく微笑む。
そう言えば、ユーリは父親――先のローゼンハイム皇帝にそっくりらしい。地方勤めであっても、軍隊長クラスになればさすがに皇帝ユリウスの顔ぐらいは知っている。
だから、皇子ユリウスのことも気付いたようだ。
「バルリング軍隊長殿、キミの采配は実に素晴らしい」
満面の笑顔でユーリが言えば、おどおどとしながらも、軍隊長は目を瞬かせる。
「ボクが帝都へ向かうと聞き、護衛役にレナートを派遣してくれたのだろう?おかげで、こうして窮地を救われた――ご覧の通り、道中で盗賊に出くわしてね。キミがこういった事態を予期してレナートを向かわせる判断を下していなければ、ボクたちはいったいどうなっていたことか……」
どこか芝居がかったような口調で、ユーリは大仰に話す。悲しげに、ため息までついて。
それを呆然と見上げ、ルティはぱちくりと目を瞬かせていた。
彼女が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
だって、いままさに、軍隊長は自らの口でナーシャの独断であったことを喋ったばかりだし。どう考えても、そんな話にはならないはず。
それは向こうも感じているのだろう。こびへつらうような笑顔を取り繕いながらも、軍隊長の顔は引きつり気味だ。
「――これほどまでに優れた人材を、地方であそばせておくなどもったいない。帝都へ着いたら、ぜひ叔父上に進言しよう。バルリング軍隊長殿に、その能力に見合った地位を与えるべきだと」
軍隊長が短く息を呑むのを見て、そういうことか、とようやくルティも納得した。
皇子であるユリウスが彼の手柄にしてしまえば、軍隊長はそれを否定するわけもないし、ナーシャを軍規違反で罰することもできない。
しかも、言い方も絶妙だ――ユーリに人事について皇帝に進言するほどの立場はないが、これならどんな結果になっても問題ない。
……遠回しな嫌味でもある。
ガバっと、軍隊長が頭を下げた。腰が九十度ぐらい曲がっている。
「は――ははっ!殿下がご無事に到着され、私も胸を撫で下ろしております!ようこそ、ドルトラウム城へ!」
「うむ。明日の出発まで、世話になる。帝都へ赴く際には、引き続きレナートの護衛がつくのだな?」
当たり前のような口調でユーリが言えば、頭を深々と下げたまま、はい!と軍隊長が答えた。
「それは、もちろん!レナート、ユリウス殿下をしっかりお守りするのだぞ!」
「はい」
苦笑しそうになるのを堪え、ナーシャが頷く。
そう言えば、ナーシャというのはレナートの愛称だ。物心ついた時からユーリが彼をそう呼んでいたから、巻き戻り前のルティは結構長いこと、彼の名前を知らなかった。
「殿下、長旅でお疲れでしょう――狭苦しい部屋しかご用意できず恐縮ですが、どうぞこちらへ――お食事もすぐに用意させます」
へこへこと揉み手をしそうな勢いで丁寧に案内し始めた軍隊長について、ルティたちも移動する。軍隊長は薄っぺらい美辞麗句を並べてユーリを褒め称え、ルティはそれを、少し離れて後ろから眺めていた。
「分かりやすい男」
ルティの頭の上で、ぽつりとヒスイが呟く。その声は、軍隊長への嫌悪感がまったく隠れていなかった。
客室に入り、温かい食事が運ばれてきて。ユーリの機嫌をうかがう軍隊長も部屋を出て行った後、ルティは大きくため息をついた――ようやく、落ち着いた。
「さあ、食事にしよう。ナーシャも一緒に食べるといい」
「ありがとう。ちゃんと僕の分も指定してくれたんだね」
真っ先に水をごくごく飲んでいたルティは、そんな二人のやり取りに気付いた――ナーシャだってずっと食事をしていない。
でもユーリが言い出さなければ、あの軍隊長はナーシャの食事を許さなかったかも。だからユーリは、ちゃんとナーシャの分も言いつけたのだ。
三人でテーブルに着き、ルティはスープを食べる。
温かい食事は一日ぶりだ。お腹が満たされるだけでなく、なんだか気力のようなものもわいてくる。残ったスープをパンに漬けて食べながら、ルティは自分をじっと見てくるヒスイを見た。
「ヒスイも食べたかった?」
「うーん、いらない。ここの食事、そんなに美味しくないし」
「化神は食べなくても平気だろう」
ヒスイの答えに、セレスが呆れたように言った。
平気だけどさ、とヒスイが反論する。
「食べなくていいのと、食べないは別だから。食べることはできるんだから、美味しいものはナーシャに独り占めさせないで、僕も食べてるよ。セレスだって食事はしてるくせに」
「ユーリが誘ってくれるからな。だが、彼女たちの食事を横取りすることはないぞ」
やいやい言い合う二人を眺めながら、パンをもぐもぐする。
ユーリも、スープを食べながらナーシャに話しかける。
「……どうやらキミは、ここではなかなか理解を得られない身のようだな」
「誤魔化しようもないぐらい、その通りだね。僕の身の上を考えると、遠巻きにされるのも当然なんだけど」
どうして、と問いかけたかったけれど、口いっぱいのパンを咀嚼するのが精一杯で、ルティは口を挟めなかった。口に物を入れてお喋りするのは、お行儀が悪いってユーリに注意されちゃうし。
「僕は外国人だから。それを、ドロテア様のコネで軍隊に入って……あの軍隊長殿でなくても、歓迎するはずがない人間なんだ」
ルティの言葉にできない疑問を察したように、ナーシャが説明する。
ドロテアって誰だっけ――説明を受けて、真っ先にそんなことを考えてしまった。
「名前しか聞いたことがないから、きっとルティには分からないはずだ。ドロテアとは、ボクの母上のことさ」
ユーリが説明を付け加え、なるほど、とルティが大きく頷く。
名前しか知らない、ユーリの生みの母。ルティにとっては祖母。先のローゼンハイム皇帝の妻……つまり、先の皇后。
巻き戻り前の世界でも、彼女に直接会ったことはなかった。肖像画とかもほとんどなかったから、いまも彼女の顔を知らない。ユーリは父親似だから……どんな姿なのか、想像もできない。
「ドロテアお義母様は、どうしてナーシャを軍隊に入れたの?」
「僕が頼み込んだからさ。ユーリがあの城へ移動させられることになって、どうしても彼女の近くにいたくて。本当はユーリの近侍になれれば良かったんだけど、そこまで厚顔にはなれなかったから、せめてドルトラウム城に配属してもらおうと」
「うん……そういうことじゃなくて、どうしてナーシャは……」
言いかけて、ルティは口を噤んだ。
どうしてナーシャは、皇后のコネが使えるのか。皇后に人事を口出しさせるほど……二人の間に、どんな関係が。
それを尋ねかけて、一気に思い出した。
皇太后の情夫レナート。女のスカートに入るのが、彼の得意技。
そんな下卑た逸話は、ルティの耳にも届くほど有名であった。
真実がどうだったのかは知らない。ドロテアなんて名前しか知らない女性だから、巻き戻り前の自分にはどうでも良かったのだ。
ナーシャは自分に親切で、優しい人。それでルティには十分だった。
自分のわがままも嫌な顔一つせず聞いてくれるし、彼の地位がどうやって築かれたものかなんて興味がなかった。
「……ルティ。なんだか、急激に成長したね。ずいぶんしっかりしたと言うか」
黙り込むルティを見つめ、ナーシャが言った。
ルティは自分を見つめるナーシャから視線を逸らし、もう一度パンにかぶりつく。パンをもぐもぐすることで、ナーシャの追究から逃れたくて。
「子どもの成長は早いのさ。ルティも、あっという間に美しい淑女へと変身することだろう。可憐な姿を、いまのうちに慈しんでおくといい」
気まずくなってしまったルティをフォローするように、ユーリが口を挟む。ユーリの言葉に、ナーシャはくすくすと笑った。
いまから十年後に起きること――ルティが見たこと、知ったこと……経験してきたこと。
巻き戻り前に何が起きたか、ナーシャに話すべきなのだろうか。知らずパンをもぐもぐする口が止まりながら、ルティは考え込む。
結局、ユーリにもすべては語らなかった。
すべてを説明するには長すぎるし、自分も順を追って一つひとつ思い出さないといけないから、時間が必要なのはある。
でもそれ以上に……どうやったら変わるかも分からないのに、不用意に話してしまっていいのかという疑問もある。
ユーリの皇帝即位は止められない……たぶん。いまのところ、巻き戻り前と同じ道を辿っている。運命が変わっている様子はない。
このまま同じ運命を辿れば、ユーリは皇帝になり……ナーシャはいずれ、ユーリから離反する。
そして、ユーリにとって最悪の敵と化す。皇帝ユリウス三世が敗北したのは、ナーシャとの戦いで大きな痛手を負ってしまったから――彼は、ローゼンハイム帝国衰退の原因を生み出した一人だ。




