帝国の後継者 (4)
「それから、私、皇女になることが決まったの。赤ちゃん生まれたら、私とお姉様の本当の関係も公表されるんだ」
ルティの話に、クルトがぱちくりと目を瞬かせる。
しばらく黙って考え込んだ後、やっぱりそうなのか、と呟いた。
「おまえ、陛下の妹じゃなくて実子だったんだな」
「あまり驚いていないようだな」
参謀の言葉に、驚いてはいるよ、とクルトが反論する。
「でも、言われて納得もしてる。おまえと陛下はたぶん、血が繋がってるだろうなと思ってたから。それでわざわざ、実の姉妹であることを隠す理由なんてないし、母娘関係を隠すためだったって言われた方が納得」
「クルト、私とお姉様の関係、気付いてたの?」
「前にさ、俺と一緒に尾行をした時、髪をまとめてただろ。その時に耳が見えて、変わった形してるなって思ったんだ。それである時、おまえが描いたユリウス陛下の姿絵を整理してて気付いた――おまえと陛下、特徴的な耳の形が同じだって」
ルティは思わず自分の耳を触った。自分の耳に触りながらちらりとグライスナー参謀を見てみれば、参謀は髪をかき上げて、自身の耳を見せている。
彼の耳と比較しながら自分の耳を触って確かめてみると……変わっているような気もする……。
「お姉様と一緒かぁ……ユリウスおとうさまも同じ耳だったのかしら」
「いいや。ユリウス陛下……親父さんのほうのユリウス陛下の絵も見たことあるけど、その形じゃなかった。母方の血筋じゃないか?」
クルトの言葉にもう一度グライスナー参謀を見れば、参謀も頷いた。
やはりこの耳は父親の血筋ではなく、母親の――ドロテア皇太后も、同じ形の耳なのだろうか。
「クルトは、ドロテアおかあさまのことってどれぐらい知ってる?ナーシャとの関係とか……」
好奇心から思わず疑問が口をついて出てしまったが、ちょっとだけ後悔した。
ドロテアとナーシャの関係――気にはなっていたけど、はっきり聞くのは怖いかも。
「皇太后とリンデンベルク伯の関係ってあれか?愛人関係っていう噂」
拙い手つきでお茶を飲みながら、クルトはこともなげに言った。
「有名な話だけど、信ぴょう性はないぞ、あれ。だって皇太后が陛下と死別して尼僧院に入った時、リンデンベルク伯って十歳ぐらいだろ?」
不思議そうにするルティに、クルトが説明を続ける。
「皇太后の人柄は知らないけどさ、少なくともリンデンベルク伯は尼僧院で情事に耽るような男じゃないってのは分かるよ」
「ませた子どもだ」
十歳にもならないくせに情事などという単語を使うクルトに、参謀は笑った。
「でも、じゃあなんでナーシャとドロテアおかあさまの醜聞が……?」
「そりゃ噂話をするなら、愛人ってことにしたほうがスキャンダラスで面白いからさ。ゴシップってのは、より悪いほうの話をしたがるもんだぜ」
なるほど、とルティは納得した。
言われてみれば、年齢には思い至らなかった――ナーシャの年齢を考えると、皇太后と愛人関係というのは無理のある話だ。
ナーシャが成人した頃には、皇太后はとっくに尼僧になっていて。クルトの言う通り、ナーシャが尼僧とそういう関係になるとは考えにくい。
「……そうですね。私も、リンデンベルク伯と皇太后陛下が……というのは、所詮ただの噂話かと。あまりにも信ぴょう性が薄い」
「そっか――そうだよね。ドロテアおかあさまとそういう関係なのに、お姉様とまで男女の仲だなんてあまりにも不誠実だもの。それは良くないわ」
ルティが一人でうんうんと頷きながら話すと、クルトがティーカップを手に硬直していた。
「……陛下の子の父親って、リンデンベルク伯なのか」
「あ」
うっかりバラしてしまったことに気付き、ルティは目を泳がせる。グライスナー参謀も苦笑していた。
「リーゼロッテ様は素直でお可愛らしい方だ。危ういとは思いますが……変わってしまうのも残念というか」
「皇女になるなら、もっと注意深くなってもらわないと困るだろ。危なすぎるって」
自覚はあるので、ルティもしょんぼりと項垂れた。
ユーリの体調を考え、ラヴェンデル尼僧院へ馬車で向かうことになった。
護衛はナーシャだけ――もちろん、化神のセレスとヒスイも一緒ではあるけれど。
とても身軽な旅を、ルティはとても喜んだ。
馬車にガタゴト揺られてお尻がちょっと痛くても平気。ユーリをゆっくり独占できて、とても幸せな旅であった。
二人で馬車からのどかな風景を楽しんだり、立ち寄った町でミーナたちへのお土産を選んだり。
なんてことない時間を楽しんで、三日ほど過ぎた。
明日にはラヴェンデル尼僧院へ着くという夜。
ユーリたちは宿に泊まり、ルティの就寝後、ユーリも長椅子に座ってゆったりと寛いでいた。
朝早い出発になるから、自分も早めに寝るつもりではあったが……旅の間にルティが描いたスケッチをぼんやりと眺める。よく描けている……。
静かな部屋にルティの声が響き、ユーリは顔を上げた。そっと寝台に近づいて確認してみるが、目を覚ました様子はない。
むにゃむにゃと、寝言らしきものを呟いただけのようだ。
くすりと笑い、ユーリは優しくルティの髪を撫でる。幸せそうな寝顔が、愛しくて堪らなかった。
――お寂しいのだと思います。ルティ様はとても辛抱強く振舞っておいでですけれど……まだお母様が恋しいお年ですもの。
ルティが沈んでいるような気がする、とユーリが相談した時、ミーナはそう答えた。
やはりそうか、と納得するしかない。
幼い娘に、たくさんの我慢を強いている自覚しかない。
もっと子どもらしく甘え、ワガママを言って大人を振り回すのが当然の時期に、ルティは聞き分けよく振舞ってくれている。そんなルティに甘えているのは、むしろ自分のほうであることも……。
――ユーリ様。私でできることでしたら、何でも申しつけてくださいね。ルティ様と共に過ごす時間を作るためでしたら、喜んで協力させて頂きますわ。
気遣ってくれるミーナに感謝をし、ユーリもルティのため――自分のため、ルティと時間を過ごす手立てを考えた。それで思いついたのがカリラ湖にある城へ遊びに行くことだったのが、思いもかけず、別の予定に割り込まれてしまった。
……どちらにしろ、ルティが喜んでくれているみたいだからいいか。
ルティの隣に入って、ユーリも寝台に横になる。
ルティがもぞもぞと動いてうっすらと目を開けたが、ユーリが瞼にキスすれば、すぐにもう一度眠り始めてしまった。
寝惚けながら自分にすり寄ってくる娘を抱きしめ、ユーリはルティと並んで眠った。
「眠ったみたいだね」
隣の部屋が静かになったのを察し、ヒスイが言った。手紙を読んでいたナーシャも顔を上げ、隣の様子を探って、そうだね、と相槌を打つ。
「君ももう寝たら?明日は朝早いんでしょ。手紙も来たんだし、今日はもうすることもないよ」
ヒスイの指摘に、ナーシャは苦笑する。
手紙は、ラヴェンデル尼僧院にいる皇太后ドロテアから。
ユーリが妹のルティに大紋章を与えたいと望んでいる――適性はあると思うので、少女のために一つ、譲ってもらえないでしょうか。
そうしたためたナーシャの手紙に対し、ドロテアからの返事が来た。
――こちらで決めたものでいいのなら、一つ、譲っても構わない。
「良かったね。あっさり了承してもらえて。正直、ものすごく意外だけど」
ヒスイの言葉に、そうだね、とナーシャも言った。
どんな反応が返ってくるのか、ナーシャも恐れていたが……思ったよりあっさりしたもので、ナーシャのほうが拍子抜けしてしまった。
「楽に片付くなら、それに越したことはないんじゃない。別に僕、戦闘狂ってわけじゃないし。のんびり旅も悪くない」
「……そうだね。護衛も少ないから、平穏に旅が終わってくれたほうがいい」
「護衛のことは大丈夫でしょ。あいつもついて来てるし――まめだよね、彼。僕も素直に感心する」
ユーリはちゃんと彼の分の部屋も取ろうとしたのに、勝手についてきただけの自分に気を遣わなくていいと、いまも宿の外。
最初の頃はその正体や真意を訝しんだものだが、ユーリとルティを守るため、献身的なフェルゼンを、ナーシャもすっかり信頼していた。
灯りが消えた部屋の窓をじっと見上げ、フェルゼンはユーリたちが就寝したことを察した。
――明日にはラヴェンデル尼僧院に着くのだ。今夜はしっかり休息を取ったほうがいい。
最初の世界でも、ユーリは大紋章を得るため、生母ドロテアを訪ねてラヴェンデル尼僧院に赴いている。ただし、同行者やタイミング、動機が大きく違う。
先の戦争――ディートリヒが裏切り、カルタモ公国と手を組んだエンデニル教団との諍いの後、ユーリは枢機卿ローヴァインと正式に手を組むこととなり、彼から、皇太后が所有する大紋章を求められた。
教団内での権力闘争でもあったため、ローヴァイン卿も戦力強化を図ったのだ。それで、オルキス王国からの大紋章を所有し続けるドロテアに、白羽の矢が立った。
そしてそれは、悲惨な結果に終わった――ユーリは母親殺しの悪名を背負うこととなり、生き残ったオルキス王国民の復讐心を燃え上がらせ、葛藤を続けていたナーシャに、ついに決意させてしまった。
……ユーリと敵対することになっても、エンデニル教団を討ち取る決意を。
かつての友と殺し合うことになり、ユーリ個人も大きなダメージを受けたが、それ以上に帝国も大打撃を受けた。
味方であったヒスイが敵となり、帝国は彼を敵に回す恐ろしさを知ることとなる。
ヒスイはナーシャの選択が彼を幸せにしないこと理解していたが、宿主の意思に従った。
ナーシャのために、ユーリと……セレスたちと戦った。
フェルゼンは、隣の部屋の窓に視線を移す。
窓からちょこんと顔を覗かせたヒスイがひらひらと手を振り、やがて部屋から灯りが消えた。どうやら、ナーシャも眠ったらしい。
ナーシャが裏切ってしまったらアウトだ。これだけは、最初の世界と同じ結末を辿らせるわけにはいかない。
ただ……このタイミングでルティを連れてラヴェンデル尼僧院へ行くのは、新しい展開だ。これがどうなるのか、フェルゼンにも予想できない。
ユーリは、母と会う。それだけは同じ……。
同じなのは、それだけだ。そう言い聞かせ、フェルゼンは朝を待った。




