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帝国の後継者 (1)


春も終わりが見え始めた暑い日の朝。ユーリとミーナの三人で朝食を取っていたルティは、ユーリからある提案を聞かされた。


「今年の夏は、みんなで避暑地へ遊びに行くことにしよう。南にあるカリラ湖は美しくも大きな湖だそうだよ。帝国で最も人気のある場所らしい」

「国境付近なので、シェルマンでも人気なんですよ。私は絵で見ただけですけど……大きな湖の上には、花の島があるとか」


楽しそうに話すユーリとミーナに、ルティはぱちくりと目を瞬かせる。戸惑っているルティに構わず、ユーリは話を続けた。


「人はできるだけ遠慮してもらうことにしよう――ボクたち三人だけなら、世話をする人間は少なくても問題ない。セレスがいれば、だいたいのことは任せればいいのだから」

「私たちだけ?」

「そう。家族水入らずのバケーションだ」


ユーリの提案を理解して、行きたい、とルティは目を輝かせた。


グランツローゼの城での生活にも慣れた。人に囲まれていることも、人に注目されていることも。

でも、時々辺境地の城で暮らしていた頃も恋しくなるのだ。ユーリを独り占めして、大好きな人たちと誰の目も気にせず過ごしていたあの日々。

だから、そんな時間がまた過ごせるのなら、とても嬉しい。


「ユーリ様。せっかくですから、マティアス様もお呼びしてはいかがでしょう。セレス様お一人では大変でしょうし、シャンフ様が作るお料理はとても美味しいですから」


ミーナが提案し、ルティはさらに目を輝かせた。

マティアスも一緒に来てくれる――もちろん、ミーナはルティが父親ともゆっくり過ごせるよう、そう提案してくれたのだろう。


マティアスも一緒がいい。

自分もそう返事を仕掛けて、ふと口ごもる。


……ナーシャも一緒に、は難しいだろうか。

カリラ湖へ避暑をしに行く展開は、巻き戻り前の世界ではなかった。当時のユーリは忙しくてルティに構っている暇なんてなかったし――たぶん、ディートリヒの裏切りもあって戦後処理に翻弄されていたのだと思う――ミーナとルティの仲は険悪だったから、家族で遊びに出かけるなんてあり得なかった。


巻き戻り前とは明らかに違う展開……もしかして、これがフェルゼンの推測していたことなのかも。だったら、これにナーシャを誘ってみればいいのかな。

でも、ナーシャとマティアスの関係を考えると、ちょっと誘いにくい。


マティアスは……というか、割とナーシャが一方的に、だけど、二人の間には複雑な感情があるみたいで。

かといって、マティアスに遠慮してもらってナーシャを誘うのも変な話だ。ルティもそれは嫌だし。


それでも誘ってみるかどうか、朝食をもぐもぐしながら、ルティは考えていた。




食堂を出てすぐ、ルティたちはナーシャに出くわした。件の人にいきなり会えた、とルティはナーシャをじっと見上げる。

おはよう、といつもと変わらない笑顔で挨拶するナーシャに、おはよう、とユーリも答えた。


何気ない挨拶と世間話の後、いつものようにナーシャもユーリも各々の仕事へ向かおうとしたのだが……今日はちょっと、様子が違った。


「ヒスイ。今日はユーリと一緒にいるのかい?」


ユーリと会うなり彼女の頭に乗っかって離れようとしない自分の化神に、ナーシャは苦笑しながら言った。

人形サイズになったヒスイを頭に乗せたまま、ユーリは政務室へ向かう。


そんなユーリを見送り、ルティも授業へ向かった。途中までナーシャと一緒だ。


「ナーシャが仕事をしてる間、ヒスイは城のあちこちに行ってるんだよね」

「うん……だから、ユーリについていくのは別に珍しくもないんだけど……あそこまで誰かにべったりになるのは珍しい」


そんな話をして別れた後、ルティは授業に向かい、それが終わるとユーリのいる政務室へ向かった。


カリラ湖に避暑をしに行く計画について、もっとユーリと話がしたくて。マティアスにも計画を話し、彼も一緒に行くことが決まった頃だろうか。やっぱり、ナーシャも一緒がいいと子どもの特権を使ってワガママ言ってみようかな……。


「ナーシャ!ナーシャもお姉様のところに行くの?」


また途中でナーシャとばったり出くわし、ルティは駆け寄った。ナーシャもユーリのところに行こうとしているから出くわしたのなら、単なる偶然ではない。

ルティの質問に、うん、とナーシャも頷いたし。


「ヒスイがまだ戻って来なくて。僕の仕事が終わっても帰ってこない上に、呼びかけても戻ってこないとなるとさすがにね」

「お姉様のとこかな。ザイフリート様のところに遊びに行ってるんだったりして」

「あはは。たしかにそれもあり得そう」


財務官のザイフリート侯爵。宰相の甥で、気さくな好青年だ。

彼も実は化神持ちの紋章使いで、ヒスイやシャンフは彼の化神と仲が良い。

……仲が良いというか、気前の良いザイフリート侯爵と化神キーゼルにたかっているというか。


けれど、今回は本当にユーリのところにいたらしい。政務室に行ってみたら、相変わらず人形サイズのままユーリの頭に乗っかっているヒスイがいた。

宰相ノイエンドルフとマティアスが入ってきた人物を見、ユーリも顔を輝かせた。


おいでおいで、とルティを呼び寄せるのだが、マティアスがわずかに顔をしかめたような気がする。

ルティが近寄ると、ユーリは自分の膝に座らせる――マティアスが今度はホッとしていた。


「さすがにリーゼロッテ様は敵意の対象外か」


宰相が呟き、ナーシャが目を瞬かせる。


書類を手にマティアスが立ち上がり、それを手渡そうとユーリに近づく。

……途端、ヒスイの周囲でバチバチと稲光が発生し、マティアスは急いで手を引っ込めた。


「先ほどからあの調子だ。私やエルメンライヒ候……陛下に近付こうとすると相手を威嚇し、放電してくる」

「ヒスイ」


ナーシャはヒスイを咎めたが、ヒスイは知らん顔で目を逸らし、ユーリから離れなかった。


「ヒスイ、何かあったの?」


ユーリの膝に座ったまま、ユーリの頭上を見上げてルティが言った。

ルティにはバチバチしてこないということは、相手を選んで、意図的にやっているということだ。

いったいどうしてヒスイはそんなことを――ルティの問いに答えたのは、ヒスイではなかった。


「オレ、分かるぞ。オレにも身に覚えのある感覚だから」


同じく人形サイズになってマティアスの机に座っているシャンフが、ヒスイの様子を観察しながら言った。全員の視線が、シャンフに集まる。


「ユーリがルティを妊娠した時のオレも、あんな感じだった。ユーリに近付く人間を酷く警戒して、ちょっとした危険にもガルガルやってたよ」


その答えに、場がシーンと静まり返る。

ルティはあんぐりと口を開け、ユーリを見上げた。


「ユーリ。アンタ、妊娠したんだよ。誰の子かは、ヒスイの反応見れば分かるよな」

「お姉様、赤ちゃんできたの!?」


シャンフと同時に、ルティが叫んだ。

さすがのユーリも、困惑した表情で自分のお腹に手を当てている。




あの後、割とすぐにルティたちはユーリの部屋に帰された。

ユーリのほうが平然と仕事を続けようとしていたのに、宰相とマティアスが仕事を取り上げ、ユーリを政務室から追い出してしまったのだ。


それから、ミーナとミーナの護衛役をしていたセレスが帰ってきて、二人にも改めてユーリの妊娠のことを説明すると、セレスは特に驚く様子もなく……。


「ああ。ユーリは妊娠している――自分の宿主だ。宿主の体内に別の命が生まれていることは、化神の私も察知できるようになっている」

「なんて素敵な知らせでしょう。ルティ様、お姉様になられるんですよ」


ミーナは自分のことのように幸せそうに笑って言い、ルティもニコニコ笑顔で頷いた。


自分の弟か妹が生まれる。

巻き戻り前の世界ではなかったこと。これがフェルゼンの言っていたことで間違いない。


ナーシャとユーリの子ども。

これで、ナーシャもユーリを選んでくれる可能性がずっと高くなった。優しいナーシャが、ユーリだけでなく自分の血を引く我が子を見捨てられるわけがない。


きっと大きく運命は変わるはずだ。


「カリラ湖行きの話は、先送りになりそうだな。夏だと、まだボクの体調が安定しない。ぬか喜びさせてしまった」


お気に入りの長椅子にゆったりと腰かけ、自分の隣に座るルティに向かって、申し訳なさそうにユーリが言った。

ううん、とルティは首を振る。


「お姉様と赤ちゃんのほうが大切だもん。赤ちゃん、元気に生まれてきてほしい」


ユーリのお腹に触れ、そっと耳を当ててみる。まだぺったんこで、赤ちゃんの気配らしきものは伝わってこない。

ミーナがクスクスと笑い、ユーリも優しくルティを抱きしめてくれた。


「こうしていると、キミを妊娠していた頃を思い出す。マティアスも、まだ何の変化も見えない時からボクのお腹を気にしていて……よくそうしていた」

「マティアスも同じことしてた?私が生まれてくるの、楽しみにしてた?」

「もちろんだとも。ボクもマティアスも、セレスやナーシャたちも、キミに会える日を毎日待ち焦がれ続けていたよ」


ユーリの言葉に、にんまりと顔が緩んでしまう。嬉しくて幸せで、ルティは甘えるようにユーリにすり寄った。


「ところでミーナ。ボクが妊娠したことについて……キミに一つ、頼みたいことがある」


ルティを抱き寄せたまま、ユーリはミーナを見る。はい、とミーナは夫と向き合った。


「生まれてきた子をキミの養子とし、皇位継承権を与えたい。帝国の跡継ぎのこと……実はボクも、ずっと気にはしていたんだ。ディートリヒが裏切った以上、確実なボクの後継者も必要となってしまったし……」


ユーリには子どもがいない。ユーリに何かあった時、帝位に就くのはディートリヒだ。

ユーリのいとこで、ディートリヒだって先のローゼンハイム帝の嫡子。もちろん、彼には正式な皇位継承権がある。巻き戻り前の世界でだって、それが原因で帝国は泥沼の争いになってしまったのだから。


ユーリも、さすがに放置できないと感じ始めたらしい。

解決のため、ミーナにも協力してもらって、ユーリも後継者を正式に決めるつもりなのだ……。


「……お引き受けするにあたって、私から条件がございます」


ユーリのため、帝国のため、てっきり二つ返事で了承するものだと思ったら、意外にもミーナはそう返事をした。

ルティは驚き、ユーリも意外そうにしている。


「ルティ様も、私の子として迎えさせてほしいのです――彼女にも、皇位継承権をお与えください」


ユーリはわずかに目を見開き、すぐに返事をしなかった。そんな反応もミーナは想定済みのようで、落ち着いた笑みを絶やすことなく言葉を続けた。


「ルティ様を過酷な運命に巻き込みたくない陛下のお気持ちは、痛いほど理解しております。私の提案は、ルティ様を辛い目に遭わせるだけのものであることも……。ですが、ルティ様は皇女としての運命に立ち向かえるだけの強さと勇気を持ち合わせていらっしゃいます。彼女にも、皇女としての義務と権利をお与えになるべきです」


ユーリはまだ考え込み、黙っていた。

……いつも明朗快活な彼女の顔に、はっきりと迷いが出ている。


ルティを巻き込みたくない――重荷を背負わせたくない。そんな本音が、ルティにも感じ取れた。

皇女としての地位は、ルティを幸せにはしないだろう。そうと分かっていて、大切な我が子にそんな道を歩ませたいと思うわけがない。


ルティは、じっとユーリを見つめた。


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