ちびっこ迷探偵 (1)
ユーリがラングハイム城へ赴いている頃、グランツローゼの城では入れ違いのかたちでディートリヒが戻ってきていた。
隣接国ライスの荒廃で西側は治安が悪化しており、その平定のためについにディートリヒが直接兵を率いて赴くことになってしまったのだった。
ある程度治安も回復できたので、報告も兼ねて帝都へと帰還し、ユーリに会いに来たのだが。
「ユリウスは不在?ラングハイムって……思いっきり真逆のほうへ行ったんだな」
執務室を訪ね、宰相ノイエンドルフからユーリ不在の理由を聞かされたディートリヒは、残念そうに呟く。
何かございましたか、と宰相が尋ねた。
「うん、ちょっとな。ライス王国はカルタモに吸収されるかたちで消滅したも同然の状態になったんだが……それで、ちょっとカルタモが調子に乗ってるような雰囲気があって。他にも色々気になることがあって、ユリウスに話したいことが」
「ラングハイム城の一件は、大したことではあるまい。ほどなくお戻りになられるでしょうから、その時に改めて報告を。お戻りになられたばかりですし、いまはごゆっくりお休みください」
「そうさせてもらう。大した戦果にはならなかった……」
重苦しいため息を吐くディートリヒの顔には、疲労の色が濃く浮かび上がっている。
荒廃した国から逃げ出すことになった人々を追い返し、逮捕するのが主な役目――敵を倒して勝ち誇れるようなものではない。
宰相が薦める通り、部屋に戻って休もうとした。
「……ん。あれ。エルメンライヒ、おまえの化神は?」
執務室で宰相と共に書類を片付けているマティアスを見て、ディートリヒが声をかける。彼のそばには、化神のシャンフがいない。
もっとも、シャンフはよくマティアスのそばを離れて、城の探検に出かけることも珍しくなかったりするのだが。
「リーゼロッテ様について、町に出ております。セレスやリンデンベルク伯も不在なのでリーゼロッテ様の護衛を優先するようあれには言いつけてありますので」
「そうか。リンデンベルク伯がいないってことは、あいつの化神もいないんだもんな。リーゼロッテの護衛役になれるやつが他にいないのか」
でも町か、とディートリヒが眉を潜める。
「化神がついてるなら滅多なことは起きないと思うが、大丈夫なのか?」
「私も、そろそろ問題視すべきだと考えている」
宰相ノイエンドルフが口を挟んだ。
「なんでも最近、毎日のように一人で町へ出ているとか。あまり感心できぬことだ。幼い内は影響を受けやすい――皇族でないとはいえ、リーゼロッテ様は陛下に最も近い御方だ。妙な影響を受けて、偏った思考に育たねば良いが」
「別に、俺はそういうことを心配したわけじゃ」
辛辣な宰相に、ディートリヒも引いてしまう。ディートリヒも、ルティが気楽に町へ出て行く危険性は考えていたが、ちょっと意味が違う。
そんなルティは、ミーナに髪を結ってもらい、動きやすい服へと着替えていた。
ミーナがきっちりまとめてくれた髪に、少年服。姿見で出来栄えを確認し、ルティはご満悦だった。
「ありがとう、ミーナ。これで私も、立派な名探偵ね!」
「ふふ。とっても可愛らしい探偵さんです」
着替えを終えたルティは、隣の部屋で待っていたシャンフに声をかける。じゃあ出かけるか、とシャンフに抱きかかえられ、本日も町へと脱走していく。
……よく考えてみれば、脱走せずとも表から堂々と町へ出かければいいのではないか、とも思うのだが、なぜか脱走となっていた。
町へ降りると、赤烏新聞社……ではなく、少し薄暗い路地を通って、あえて人通りの少ない通りに入る。そして、物陰に隠れているクルトを探した。
「今日も来てる。よく毎日飽きもせず、やってられるわね」
クルトに近づいてこそこそと話しかければ、おまえもだろ、とクルトがムッとして返す。
今日も彼は、一人の男を尾行している。物陰から、男の働く銀行を見張っていた。
「根気がなくちゃ、記者はやってられないんだぞ。地道な調査と粘り強さで、スクープが生まれるんだ」
「ふーん」
しらーっとした口調で相槌を打ったが、それなりに根気強くやっているな、ということはルティも認めていた。
初日こそルティも張り切って尾行に参加していたが、あの男は職場と家と、日用品の買い足しのために多少店に買い物に行くぐらいで、まったく面白味のない観察対象で。
二日目にはルティは飽き、三日目も惰性で付き合ってみたが、四日目の今日はもう見張る気ゼロになっていた。
そんな有様だが、クルトはまだ彼を張っている。その根性は立派だと思う。
「でも、こんなに見張っててもおかしなところはないんだから、やっぱりあなたの勘が間違ってるんじゃないの?」
「その結論を出すのは早いっての。まだ一週間も経ってないんだぞ。そんなにすぐに結果が出るかよ」
「……スクープも大変ね」
心から、ルティはそう感じた。
クルトのことを認めたわけではないけれど、記者も大変な仕事だ。
こうなった経緯は四日前――ユーリがラングハイム城へ向かうことが決まり、それを見送る前日のこと。
ラングハイムで起きた事件のことは話せないが、ラングハイムのことやオルキス人のことを何か知れないかとルティは町に出て赤烏新聞社を訪ねた。
この事件のことをフェルゼンに相談したかったけれど、フェルゼンは姿が見えなくて。
それで……なぜか、記者の人たちに頼まれ、似顔絵を描くことに。
「頬はもっとこけてて……目は三白眼で……そうそう。そんな感じ」
記者からの指示を受け、その通りに顔を描いていく。描き上げたものを見せ、似てる?と尋ねてみれば、記者たちは大喜びだ。
「よく描けてるぞ!これはいい出来だ!」
よく分からないけれど、今度新聞に載せる似顔絵が欲しかったのに、新聞社の似顔絵師は利き手を負傷してしまって困っていたらしい。
それで、ルティが訪ねてきたのを幸いに、似顔絵の作成を依頼してきた。
「ありがとうございました、リーゼロッテ様。これは報酬です」
「うん、期待に応えられたのならよかったけど……本当に、これで大丈夫なの?」
銀貨が数枚入った小さな袋を受け取りつつ、ルティは不安そうに言った。
みんな褒めてくれるけど、自分の絵がお金をもらえるほどの出来栄えかと問われると……。いいのかな、という思いは拭えない。
「素晴らしい出来栄えですよ。リーゼロッテ様の絵は、芸術よりも写実寄りなので、新聞の挿絵にはうってつけです」
「そっか」
役に立ってるのなら一安心だ。
詳細を聞けば、行方不明の男だそうで、彼の家族に頼まれてお尋ね人として新聞に掲載する予定らしい。この新聞社の記者にも顔見知りがいたから、彼に特徴を聞いて。
ルティは、お礼代わりの紅茶を飲み、新聞社を見回した。
「あの子は今日はお休み?」
いつもちょこまかと雑用を引き受けて働いているクルトの姿が見えないことが気になって、ルティはイザークにそっと聞いてみた。
ああ、とイザークがルティのためのお菓子を用意しながら頷く。
「張り込みに行ってますよ。なんでも、最近起きた事件の犯人を見つけたと言って、その男を尾行しに」
「えー……それ、大丈夫なの?」
巻き戻り前の世界で、ユーリのことをろくに調べもしないで根も葉もないゴシップ記事を書き立てた有様を思い出すと、ルティは不安にしかならなかった。
思い込みで犯人を決め付けて、迷惑なデタラメ記事を書くつもりなんじゃ……。
「いくらなんでも、いまのあの子は記事を書けるほどの立場にありませんよ。ただ、真犯人が放置されてるなんて許せない、と言って、個人的に追いかけているだけです」
真犯人……。
どんな事件かは分からないけれど、本当に犯人が野放しになっているのなら問題ではある。尾行ってどんなことをするんだろう、という純粋な興味もあり、ルティはイザークからクルトが張り込んでいる場所を教えてもらい、そっちへ向かった。
――そして合流し、今日に至る。
「近所では評判の社交的で明るい奥さんだったらしく、毎日派手な衣装を着ていたって噂だ。銀行家の旦那がいるから周囲も不審には感じていなかったけど、あいつの役職じゃあそこまでの稼ぎはない。浪費家の嫁さんに愛想を尽かして……それが動機だ!」
「そうなのかなぁ」
クルトの推理を聞き、ルティは首を傾げる。
地道に聞き込み、彼なりに情報を集めてはいる。彼の推理も、納得できないと突っぱねるほど素っ頓狂なものでもない。
だから、ルティもこうして尾行に付き合っているのだが……生憎と、成果は芳しくない。
「でもあの人、仕事と家以外どこにも行かないし、誰かと会うってこともないよ。真面目な仕事人間って感じ。誰かを殺すような怖い人にも見えないし、もし犯人でも、それが証明できる気がしないけどな」
「だからこうして張り込んでるんじゃないか。どんな人間だって、どこかで必ずボロを出す。その瞬間をおさえるための尾行だ」
「あんたも気が長いねえ」
少し離れたところに座り込んで、シャンフが言った。ルティも彼の言葉に同意で、ため息を吐く。
ルティはシャンフの膝に座り、持ってきていた教科書を読み始める――クルトに付き合うために授業をお休みしているので、空いた時間は自主学習だ。
クルトは、そんなルティたちに構わず見張りを続行していた。
「坊主、見張りはいいけど自分の身なりにももうちょっと注意払えよ。あんまみすぼらしい格好してると、疑われるぞ――ほら、上着貸してみ。ボタン取れてる」
シャンフに指摘され、え、とクルトが視線を下にやる。シャンフの言ったとおり、ベストの前を留めるボタン――上から三つ目のところの糸が緩み、ぷらぷらしていた。
「オレ、ソーイングセット携帯してるんだ。急な繕い物もバッチリだぜ」
「オカンかよ。助かるけどさ……」
ベストを脱いで渡し、シャンフも暇つぶしに繕い物を始める。
時々ルティが教科書のページをめくる以外、音もなく……あたりは静かで。
……ぐう、とクルトのお腹が鳴った。
「腹が減っては戦ができぬ――てか。ほら、ちゃんと軽食も用意して来たぞ」
持参したバスケットを取り出し、蓋を開ける。中は、ミーナと一緒に作ったサンドイッチ。
ルティも一つ取って、もぐもぐした。
クルトは少し戸惑っていたようだが、もう一度お腹が鳴り、空腹に勝てずにサンドイッチに手を伸ばしていた。
「……おまえ、サンドイッチの語源って知ってるか?」
「サンドイッチさんって人でしょ。何かの試合で優勝した人。えっと、試合の合間に食事が出るけど、用意された食事を全部パンに挟んで食べて、休憩を全然取らなかったってことで一躍有名になったんだよね」
なんて答えてみたけど、今日知ったばかりのことだったりする。一緒にサンドイッチを作ってた時に、実は、とミーナが教えてくれた。
食べ物としてのサンドイッチをよく知っているだけに、サンドイッチという名前の人間がいるなんて、なんだか面白い。
「へへ。その試合を記事にして、サンドイッチの名前を一躍有名にしたのがうち――赤烏新聞社なんだぜ。それまで名前のない料理だったけど、赤烏新聞でサンドイッチって名付けられて、市井に広く知らしめたってわけだ」
「ほー。つまり新聞が、トレンドを生み出したわけか。マスメディアの影響力は侮れねえな」
ちょっと感心したようにシャンフが相槌を打つ。
ルティは素直に頷く気分になれなくて、返事の代わりにもう一つサンドイッチを頬張った。
彼らの記事が、民衆に大きな影響を与える――それは、ルティも分かっている。
だからこそ、彼が無責任な記事を載せたことでユーリは悪虐帝などという悪名を背負わされ……ルティは、クルトという記者をひどく恨んだ。
いまの彼はペンを取ることもできない記者見習の卵だが、いずれ記者となって、巻き戻り前と同じようなことをするかもしれない。
そう思うと、やはりいまこうやって、彼を見張るのは重要だ。
あの愚かな振る舞いの片鱗が、ここで見えるかもしれない。
……ちなみに、後日イザークにサンドイッチのことを聞いてみたら、もう何十年も前の話で、クルトも最近、自分たちから教えられた由来だ、と苦笑いで打ち明けられた。




