旅立ち (1)
翌朝。いつもより早い時間の起床だったからちょっと眠かったけれど、ルティは言われた時間に頑張って起きて、なんとか一人で着替えをしようとした。
中身は十年分の記憶と経験を持ってるから大丈夫……と思ってけど、身体はルティの思い通りに動いてくれない。
すぐに体力が尽きてしまうし、十分休んだつもりでも、しゃきっと起きれなくて。
結局、セレスに手伝ってもらいながら、寝惚け気味にモタモタと着替えることになってしまった。
着替えを終えたら軽い朝食を取り、ルティたちは馬車に乗った。
「それでは皆の者。帝都へ行ってくる――世話になった」
別れの意味も込め、ユーリは見送る召使いたちに短い挨拶をする。
いささか奇妙な挨拶だというのに、召使いたちは表情ひとつ変えることなく頭を下げ、静かにユーリたちを見送った。
馬車の中。
ルティは、小さくなっていく城をじっと見つめていた。
「結構大きなお城だったんだね。それなのに、お世話してくれる人はとっても少ない」
「人が多いと、目が届かなくなる――最低限の人数にするよう、マティアスに頼んでおいたんだ。キミが生まれてからは、ボクも安易に人を近づけることに抵抗があってね」
何気ないことのようにユーリは話すが、ルティは黙り込んでしまう。
辺境に追いやられ、国中からすっかりその存在を忘れ去られた皇子……でも、皇位継承権を持つ皇子なのだ。父親が先の皇帝だったから、本来なら、いまの皇帝よりも順番は上。
そんな皇子が生きている――それだけで、疎ましく感じる人間も大勢いる。
帝都から遠く離れた辺境地……何が起きても、誰も気付かないまま、知らないままで、すべてが闇へと葬られてしまう。例えば、ユーリが突然病死してしまっても……。
「あのお城の人たちは、マティアスが雇ったのよね?だから、信頼できる人ばかり……だったのよね?」
「マティアスが裏切るとは思っていないが、マティアスとて千里眼の持ち主ではない。自分が雇った人間が、正しくここで働いているかどうかを常に監視しているわけではない――信頼するのと、任せきりにするのは、話が別だ」
ルティは、じっとユーリを見つめた。
いつも自信に満ちて、豪胆に我が道を進んでいるように見えて、ユーリは深慮なところがある。あまり、そんなふうには見せないが――見せないのか、普段があれ過ぎて見えないのかは分からないけれど。
やっぱり、皇子という地位はユーリを平穏から遠ざけてしまいがちだ……。
「……私、お母様がいてくれればそれでいいわ。豪華なドレスも、綺麗な宝石もいらない。お母様と……あのお城でひっそり暮らす生活も、悪くなかったと思うの」
言いながら、隣に座るユーリにぎゅっと抱きつく。ユーリも、娘を優しく抱きしめた。
「そうだね。ボクも……キミとセレスと、あの城で静かに暮らし続けるのも楽しかっただろうと思うよ。リーゼロッテという最高の財産を手に入れて、これ以上を望むのは強欲というもの――そうと分かっていても、ボクが皇子としての道を降りることはないのだが」
皇子としての、ユーリの道。
きっとそれは、彼女の意思で降りれるものじゃない。彼女は嘆く選択肢を捨てて、自分の足で歩くと決めているだけ。望んで選んだ道ではないと、言い訳することなく……。
だからルティも、逃げる方法を考えるのはなしだ。考えたところで、彼女がそれを選ぶことはあり得ないのだから。
馬車に揺られて数時間。
座席の上で、ルティはもぞもぞとしていた。
辺境だから道はあまり整備されておらず、ガタゴトと揺られ続けて、ずっと座っていたルティは……ちょっと、お尻が痛い。
だから、御者を務めていたセレスが休憩にしようと声をかけてきた時は、ものすごく嬉しかった。
「休憩をするのに、なかなか良さげな場所だ。外でお昼にしよう」
セレスに言われて外に出てみれば、そこは美しい花々が咲く野原だった。見晴らしもよくて、馬車を降りると心地良い風が吹き抜けてゆく。
ルティは思いきり伸びをして、野原を軽く駆けた。
そんな自分を見て、ユーリは笑っている。セレスは、せっせと昼食の準備をしていた。
お腹がぐうと鳴り、ルティはユーリたちのところに戻って、持ってきたパンを食べることにした。作ってからだいぶ時間が経ってしまったから、パンは固い。
「今日は、馬車の中で野宿?」
パンをもぐもぐしながら、ルティが尋ねる。馬車の中で寝泊まりすることが、果たして野宿の定義に当てはまるのかはさておき。
「そうだね。今夜は馬車で寝泊まり――明日はベッドのあるところで休めるから、今晩だけの我慢だ」
うん、とルティは素直に頷く。巻き戻り前の幼い自分だったら嫌がっただろうが、いまなら馬車で寝泊まりぐらい平気だ。
……でも、明日はちゃんとベッドのあるところで寝られたらいいな。
二人で並んで座ってパンを食べていると、足元に小鳥が数羽飛んできた。
じっと、ルティたち……ではなく、ルティたちが持っているパンを見上げている。
ルティが食べていたパンをちょっとちぎって投げてみれば、たちまち飛んで逃げていく――少し翼をバタつかせたが、一羽だけ残って恐るおそるパンのかけらに近付いた。ちょんちょんとつついた後、パンのかけらを食べ始める。
すると、他の小鳥たちも戻ってきて、パンの奪い合いを……。
もう一度パンをちぎり、かけらを投げる。小鳥たちは忙しなくパンをつつき、中には図々しくルティの足にまでちょんと飛び乗ってくる子もいた。
ルティはくすくすと笑い、隣に座るユーリを見上げた。ユーリも笑っている。
そんな少女たちを、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて眺める男たち。
木陰から少女たちをずっと観察していたのだが……。
「馬車には他に誰もいない――どうやら、女子供だけの旅らしい」
手下の報告を聞き、ならず者たちのリーダーは大声で笑い出しそうになった。
ろくな護衛もなしに、女子供だけで旅。なんとも無防備で、愚かなことだ。自分たちのような人間にとっては、非常に都合の良い存在だが。
「馬車も身に着けてるものも、このあたりじゃ滅多に見かけない上物だ」
「そいつはいい。最高だな」
いままでで一番、有難い獲物かもしれない。偵察を切り上げて、男たちは仕事にとりかかることにした。
そんな男たちの前に、セレスが立ちはだかる――ドカッと木を蹴り、行く手を遮るかのように。
「このまま、何も見なかったふりで立ち去るといい。そうすれば、私も君たちを見逃すことにしよう」
セレスの言葉に男たちは目を瞬かせ、一拍間を置いて全員が笑い出した。中には、腹を抱える勢いで大笑いする者もいる。
「それはなんのギャグだ?ふざけるのは恰好だけにしておけ」
軍服をモチーフにしたような衣装だが、丈の短いスカートに……男たちならば片手でひねり潰せそうなほど、華奢な身体。しかも、こちらが複数に対し、女騎士は一人。
この圧倒的な戦力差で身の程知らずな発言をするのは、勇気ではない。ただのバカだ。
嗤う男たちに、セレスも笑みを崩さなかった。
「こんな場所でも働かなくてはならないとは、盗賊業も楽ではないな。そんなに儲からないのか?」
「いいや。意外とこのあたりは稼ぎがよくてね」
女騎士に思い知らせるように、ならず者のリーダーは今日の稼ぎを見せびらかす。
ずっしりと重い財布は、そのほとんどが銅貨である。だが、労力を考えれば十分な報酬だ。
通行料を払うのを嫌がった旅行者が、迂回をして自分たちの縄張りにノコノコと。
こんな辺境では、治安を守る兵もろくにいないし、なかなかのボロ儲けである。
そんなことを自慢げに話せば、セレスも笑った。
「そうか――それは助かるな」
昼食を終えた後、ルティはもう少しだけ野原を駆け回り、新鮮な空気をめいっぱい堪能して、ユーリと一緒に馬車に戻った。
……でも、御者をするセレスがいない。
「セレス、どこ行っちゃったんだろう?」
不安になってきょろきょろと辺りを見回すが、ユーリはあっけらかんとした様子だった。
「もう戻ってくる頃だ――ほら、あそこ」
ユーリが指差すほうを見れば、片手に巾着を持ったセレスが。
ぱんぱんに膨らんだものを見つめ、ルティは首を傾げる。
「なに持ってるの?」
「路銀を補充して来た」
巾着の中を開いて見せながら、セレスが言った。
「帝都までの道のりは長い。資金は、多いに越したことはないだろう」
「ふーん。なんだか汚れてるみたい」
銅貨はところどころ泥にまみれてるし、巾着も……使い古した布という感じで、あちこち黒ずんでいる。
そうだな、とセレスが笑った。
再び馬車に乗り、ガタゴトと揺られていく。日が沈んで暗くなってくると、ルティの瞼は自然と重くなって。
こっくりこっくりと舟を漕ぎ始めたルティを、ユーリが抱き寄せる。
大丈夫、と自分でもよく分からない返事をしつつ、結局、ユーリの膝を枕に寝てしまった。
眠るルティの髪を撫で、ユーリは大きくため息をつく。ガタゴトと揺れる馬車の座席にゆったりともたれかかり、自分も仮眠を取ろうと目を閉じた。
――すぐに、馬車の外からセレスが声をかけてきた。
「ユーリ。この先に、どうやら民家があるらしい――灯りのようなものが見える」
「こんなところに?」
ぱちりと目を開け、窓から外を確認する。
たしかに、林の隙間から家の灯りのようなものがぼんやりと見えるような。御者席のセレスに視線を移した。
「どうする?もう少し進んだ先で休息を取る予定だったが、寄ってみるか?」
「そうしよう。宿が取れるなら、やはりそちらのほうがいい。帝都への旅は、始まったばかりなのだから」
ユーリが同意すると、セレスは進路を変えて民家のある方向へと向かった。
――それにしても、こんなところに民家が建っているとは。
少しずつ近付いて来る灯りを眺め、ユーリは考え込む。
帝都へ赴くのは、これが初めてではない。城には、過去にも何度か呼ばれたことがある。
片手で数えられる程度だし、最後に行ったのは五年ほど前――父帝の十回目の法要に呼ばれて以来。
それほど間が空いていれば、見知らぬ建物が増えてることぐらい、特に不思議なことでもないのかもしれないけれど。
馬車が止まり、目的地に着いたことをユーリは察した。
ルティはすやすや眠ったまま、目覚める様子はない。娘を抱きかかえ、ユーリは馬車を降りた。
馬車の扉を開けたセレスは、ユーリに抱きかかえられたまま眠るルティを見て、くすりと笑っている。
「どうやら、小さな村だったらしい。あの家は宿屋をやっているようだ」
荷物を持ち、セレスが宿屋へと案内する。
こぢんまりとした宿屋では、にこにこ笑顔の女将がユーリたちを出迎えた。