黄金の絆 (2)
シェルマン内親王ヴィルヘルミーナ。
先の王の長女ロスヴィータとその婿フランツとの間に生まれた長子。
母ロスヴィータは生まれてきた娘を見て、非常にがっかりした――シェルマンは男系相続の王国であり、男児を望んだ誰もが落胆したのである。
翌年には男児が生まれたこともあって、ヴィルヘルミーナは母から顧みられることなく、孤独な王女として育った。
成長するにつれ、ヴィルヘルミーナは兄弟で誰よりも才能に恵まれていることが明らかになっていったが、それも彼女の孤独を深めた。弟――未来の国王より優れた王女など、疎ましい存在でしかなかったのだ。
そして事故で足に難を抱えることになった彼女は政略結婚の駒になることもできず、母親から完全に見捨てられ……唯一の理解者であった父が亡くなると、ヴィルヘルミーナは宮廷から追放されることになった。
王家の恥と言われ、父の葬儀に出ることすら叶わなかったヴィルヘルミーナは、ローゼンハイムのユリウス三世に嫁ぐよう命じられ、帝国へと差し出された……。
「君、小さくなれないの?そんなでかい図体してたら全然隠れられないし、邪魔じゃん」
ひょっこりと、フェルゼンの頭の上からヒスイが顔を出す。
人形サイズになり、大聖堂の影から成り行きを見守るフェルゼンの頭に、いつの間にかちゃっかり乗っかっていた。
「あんた、その兜の下、骸骨なんだって?」
左肩にはシャンフが。
シャンフの問いかけにフェルゼンが頷くと、シャンフは目を丸くする。
「でも、あんた、飯食えるんだろ?この間、菓子をプレゼントしたってルティが話してたぞ」
「元は人の形をしていた――骸と化したのは、顔だけなのだ。首から下は、おまえたちと同じ人の姿をしている」
そう言って片方の手甲を外して見せる。中からは人間らしい肉を保った手が現れ、へえ、とシャンフはますます目を丸くしていた。
「化神って、ホント謎だらけの存在だよな。ここにいるオレたちだけでも、こんなに違ってるしさ」
右肩に乗っているセレスが、静かに、と口を挟む。
大聖堂に、荘厳な音楽が響き渡る――ヒスイとシャンフもぴたりとお喋りを止め、入ってくる人々を見た。
音楽に合わせて入ってくるのは、エンデニル教団の使者たち。清廉な衣装を身に纏う助祭たちが先導し、一際威厳ある衣装を身に纏った枢機卿ローヴァインが歩いてくる。
金襴のマントが嫌味なく似合っていて、大きな存在感がより際立っている。
「帝国のゴリラより強いだけあって、やっぱり威厳はあるね」
ヒスイが、彼にしては珍しく素直に褒める。
……ヒスイにしては、本当に素直な褒め言葉なのだ。素直とか、褒め言葉、の定義を問われると首を傾げてしまうけれど。
「お。ルティだ」
使者たちの入場に続くのは、裾の長いマントを付けた小さな少女。宝石で飾られたドレスは重いが、きちんと裾をさばいて歩いている。
「めっちゃめちゃ緊張しているね」
ヒスイが言い、仕方ないって、とシャンフがフォローする。
「帝国側の先頭で歩くんだぜ。泣きもせず音楽に合わせて胸張って歩いてるだけでも大したもんだよ」
「ディートリヒを差し置いての先頭だからな。大役だ」
セレスも、ルティを見守っている。
皇帝の妹とは言え、皇族ではないルティが、皇族のディートリヒより先に歩く。
ユーリの贔屓による並びではあるが、皇后ヴィルヘルミーナも強く賛同し、リハーサルでルティが見事に大役を果たして見せたことで貴族たちも納得した。ディートリヒ自身も特にこだわりがないから、あっさり賛成してたし。
ルティの後ろから、ローゼンハイム皇族を象徴するマントを身に纏うディートリヒ。
さらにその後ろに、宰相ノイエンドルフと、顧問官マティアス・フォン・エルメンライヒが続く。帝国の二大名門大貴族だ。
その後は将校――近衛騎士隊のバックハウス隊長、皇帝付きの騎士レナート・フォン・リンデンベルク……。
「前から思ってたけど、ナーシャってああいう品のある衣装が似合うよな。ディートリヒより王子様感ないか?」
「ふふん」
ナーシャを眺めてシャンフが感心していると、なんかヒスイが自慢そうな声を上げていた。
帝国貴族も、全員が入場行進に加わわるわけではない。観衆となっている貴族のほうがほとんど。行進の列に入るのは、選ばれた者だけ。
枢機卿ローヴァインは高座にて皇帝と皇后を待ち、ルティたち帝国側の関係者は左右に分かれて最前列で観衆に加わる。
彼らの列が終われば、いよいよ皇帝と皇后の入場だ。
大きなマントの裾を、従者に運ばせ。総量数十キロはあろう豪華絢爛な衣装を身に着けたユーリがローヴァイン卿のもとへと歩く。
その重みは、皇帝として背負うものの重み。それを感じさせることなく、ユリウス三世は堂々とした態度であった。
自分より五十センチ以上背の高いローヴァイン卿を前にしても、ユーリは小ささを感じさせない。その迫力だけなら、大柄なローヴァイン卿にも劣っていないだろう。
その姿には、ヒスイもシャンフも、軽口を叩くことなく見入っていた。
皇后は皇帝の後から進み、先にローヴァイン卿の前で跪いたユーリが王冠を戴く。
その後、白地に金糸の刺繍が施された美しいドレスと、皇帝と揃いの大きなマントを身に纏うヴィルヘルミーナ。
暗めの茶色の髪をしっかりと結い上げた彼女もまた美しく、皇后らしい威厳があった。
ユーリの隣で彼女も戴冠を受け、二人で並び立つ。
皇帝陛下万歳、という掛け声がわき、ユーリとミーナは外へ向かう――大聖堂の外で、戴冠した皇帝夫妻の姿を見ようと民衆が詰めかけているのだ。彼らの期待に応えるべく、ユーリたちは表へ出ないといけない。
「やっぱユーリは綺麗だなぁ。見た目が良いってだけでも、皇帝としては得だよな」
シャンフがしみじみと呟き、まあね、とヒスイが同意する。
「アホの子なぐらい自信家なところも、皇帝としては悪くない資質だよね。ユーリって、皇帝としての才能には十分恵まれてる」
ユーリの姿に感心している二人に対し、セレスは黙り込んでいる。彼女の鋭い視線は、高座にいるローヴァイン卿に向けられている――フェルゼンはそう思った。
ユーリを見るローヴァイン卿を、彼女は睨んでいる。
ヒスイやシャンフにも、ユーリがローヴァイン卿に何をされたのか、話していないらしい。
……話したいことではないか。
もちろん、フェルゼンも誰にも話していない。
美しくも多くの才能に恵まれた皇帝――しかし、男に生まれなかったユーリは完ぺきではなかった。
女として生まれたばかりに抱えることになってしまったもの。それが、ユーリを破滅へと導く。
いまのユーリが、今後どのような選択をするか……。
戴冠式が終わると、一同は城へ戻り、正式な皇帝就任を祝って、そして、エンデニル教団の使者たちを労って、今月何度目になるか分からない盛大な宴が開かれた。
今回は、ユーリがごり押しする余地もなく、ルティは宴の参加を拒否した――部屋でゆっくり休みたい。それ一択だ。
「疲れたぁ……」
部屋に戻るとすぐにゆったりとしたドレスに着替えたルティは、長椅子でぺしょりと横になる。
緊張と重いドレスから解放された途端、ドッと疲れが襲ってきた。
そんなルティを、シャンフとヒスイが労う。
「お疲れ。立派だったぞ」
「君にしては頑張ったんじゃない?」
セレスはユーリについて宴に出ているから不在だ。褒められて、えへへ、と照れながらも疲れ果てたルティは長椅子から起き上がらない。
「お姉様もミーナもマティアス達も、みんな綺麗な衣装着てて、みんな素敵だったけど、じっくり見てる余裕もなかったの」
「まさに壮観!って感じだったぞ。ちょっと役得だったな、オレたち」
完全に観衆に徹していたシャンフは、楽しそうに言った。いいな、とルティが呟く。
「宴に出たら、みんなの綺麗な衣装見れるのかもしれないけど……今日はもう、お部屋でゴロゴロしてたい」
皆の盛装姿が観察できるのは心惹かれるが、さすがに好奇心よりも疲労のほうが大き過ぎて。
ユーリとミーナは、もう簡略な衣装に着替えてしまっているだろうし。
近くのテーブルに置きっぱなしになっていたスケッチブックを手繰り寄せ、横になったまま、ユーリの豪華絢爛な衣装を思い出しながら描いていく。
行儀悪いぞ、とシャンフがちょっとだけ注意してきたが、笑ってごまかして、頬杖を突きながら気ままに絵を描いていた。
宴は賑やかに行われ、エンデニル教団からの使者たちをもてなしつつ、皇帝と皇后をみな祝福している。
自分たちを称賛するために近付く人々に、ユーリは笑顔で答える――枢機卿ローヴァインがやって来ようと、その笑顔に変化はない。
ただ……宰相ノエインドルフも、さりげなく近付いて来る。
「ローゼンハイム帝。今日の戴冠式の姿は、実に見事であった。貴公の美しさは、近隣諸国にも広く伝わることであろう」
「恐れ入ります。教団の皆様方も、私たちのためにお越しくださりありがとうございました――戴冠式の成功は、ひとえに、皆様方のおかげ……」
「世辞は良い。ローゼンハイム帝の美しさと輝きを見れて、わしも心が洗われた思いだ」
表面上は和やかで穏やかな会話。
でも、笑顔の下に潜むものを互いに感じ取っていた。ユーリの隣に並ぶミーナも、口を挟むことなく二人の会話を聞いていた。
「……此度は、ゼームリング大聖堂の改修の祝いにも参加したいと思うておる。ローゼンハイムを象徴するあの聖堂も、ついに工事が終わったと聞いた」
「はい。ルドルフ帝の代から始まった改修工事も、ついに終わりました――ローヴァイン卿が参加してくださるのならば、ゼームリングの大司祭たちも喜ぶことでしょう」
ゼームリング大聖堂はローゼンハイムの大都市ゼームリングにあり、叔父ルドルフの命令で、老朽化した建物の改修工事が行われていた。
ついに工事も終わり、美しい姿に生まれ変わった大聖堂のお披露目式が控えているのだが……戴冠式に合わせたのは、エンデニル教団の使者たちを招く意味合いもあった。だから、ローヴァイン卿の参加を本来ならば喜ぶべきなのだろうが……。
「そうか。ゼームリングを訪ねるのが、実に楽しみだ」
ローヴァイン卿が笑い、ユーリにさりげなく手を伸ばしてくる。素知らぬそぶりで受け流そうとしたユーリは、隣から聞こえてきた悲鳴に関心を奪われた。
ミーナが突然崩れ落ち、自分たちのそばを通り抜けようとした侍従と衝突してしまう。ぶつかった弾みで侍従が手にしていたトレイはバランスを崩し、酒の入った杯が派手な音を立てて床に落ちる。
「ミーナ!」
頭上から落ちてきた杯をもろに食らい、ミーナは酒まみれだ。侍従は真っ青になって卒倒しそうな勢いで謝罪してきたが、ミーナの顔色は優れない。
「申し訳ありません……足が痛んで……」
「陛下、皇后陛下を連れて、お部屋へお下がりください。そのようなお姿を晒し続けられては、帝国の威信にかかわります」
宰相がすぐに進言し、分かった、とユーリも同意してミーナと共に自室へと戻る。
枢機卿が不機嫌そうな声を漏らしていたのが聞こえたような気がしたが、気付かぬふりで。
「ミーナ、大丈夫かい?それに――ありがとう。ボクを助けてくれたんだろう?」
部屋に戻ってミーナを着替えさせた後、ユーリは彼女を労わり、礼を述べる。
自分の三文芝居など、ユーリも宰相もお見通し……ミーナは苦笑した。
「ユリウス陛下……。申し訳ありませんでした、差し出がましいことをして」
「キミが謝罪することなど何もないよ。かばわれてばかりなど、皇帝として何たる醜態を晒していることか」
宰相と皇后に守られて、逃げ出すことしかできない自分。自嘲するユーリの手を、ミーナがぎゅっと握る。
顔を上げて彼女を見れば、ミーナは真っ直ぐにユーリを見つめていた。
「ゼームリングへは、私が参ります」
「それは」
即座に反対しようとするユーリに、ミーナも首を振る。にっこり笑って、自信に満ちた態度で言った。
「私なら大丈夫です。あの方……一度も私を見ませんでした。きっと私になんか、何の関心も抱きませんよ。陛下の名代としてゼームリング大聖堂のお披露目式に出席して参ります――皇后としての務めを、しっかり果たして来ますね」
微笑むミーナの手を、ユーリもぎゅっと握り返す。
――この人を守りたい。
自分を家族と言ってくれたユーリのために、ミーナは后としての使命に目覚め始めていた。




