想いが通じ合っても (2)
お菓子を食べた後、屋敷の中を自由に見て回ってもいいと言われて、ルティはマティアスと一緒に部屋を移動する――急な訪問だったから、今回は掃除が間に合ってない、とシャンフはちょっと気まずそうだ。
ルティが最初に向かったのは、初めてここに来た時にも行った場所。図書室にも似たラウンジ。ユーリと一緒に、ここで本を読んでマティアスの帰りを待った。
……ユーリお気に入りの長椅子がない。
「陛下が城で暮らすようになって、そこの長椅子はそちらへ移動させました。ユリウス様が、どうしても欲しいとおっしゃられて」
きょろきょろしているルティを見て、マティアスも察したらしい。
そっか、あの長椅子はユーリの部屋に移して……。
「私、いまのお城にあるお姉様のお部屋、行ったことない」
唐突にその事実を思い出し、ルティは言った。
行ったところで不在というのもあって、ルティはいまのユーリの部屋を訪ねたことがなかった。思い返してみると、巻き戻り前の世界でもほとんど行かなかったかも。ユーリの部屋がどんなだったのか、まったく記憶にないし。
いつもユーリは忙しくて、城にいたら政務室を始め、あちこちを移動して回っていて。戦に出ている期間も長かったから、城そのものから不在な時も珍しくなかった。
ルティはいつも、待つばかり。姉が、自分の部屋に会いに来てくれるのを……会う場所は、ルティの部屋がほとんどだったような。
「マティアスは、お姉様のお部屋に行ったことある?」
何気ない質問だったが、一瞬マティアスが目を泳がせるのを、ルティは見た。
巻き戻り前の自分だったら気付かない程度の、わずかな動揺。ポーカーフェイスを見抜くコツを、ルティもだんだん身に着けてきたような気がする。
「陛下に呼ばれ、何度か」
大した質問じゃないはずなのに、この動揺っぷり。
……さては、普通のお呼ばれじゃないな。
ストイックに仕事に打ち込んでいるものと思ってたけど、意外と二人は、ちゃんといちゃいちゃもしていたらしい。
「ルティがこれからもこの屋敷に遊びに来てくれるなら、新しいの買ったほうがいいかもな。できるだけ同じやつ」
言葉に困っているマティアスをフォローするように、シャンフが言った。
シャンフの提案に対し、そうだな、とマティアスも頷く。
「だが、かなり古いものだ……同じものが手に入るかどうか」
「今度商人呼んで、ルティやユーリにも見て選んでもらえばいいじゃん。二人が気に入れば、前のと違っててもいいわけだし」
「私、一緒に選びたい!」
シャンフの言葉に、ルティも急いで乗っかった。
ユーリと一緒に、新しい長椅子選び。マティアスとユーリが一緒に過ごせる口実も得られる。
椅子選びは後日に、ルティは本棚を眺める。前の時にも並んでいた絵本――前回読み残したものも何冊かあり、その中には、いまのルティでは読めない外国語の本もあった。
気になっていた本を一冊取り、おずおずとマティアスに近づく。
「あの……読んでくれる?」
「もちろん――私でよければ」
マティアスと並んで長椅子に座り、ぴったりくっついて彼に本を読んでもらう。
ポーカーフェイスの彼は、物語を読む口調も淡々としたもの。でも、語り聞かせの時は、それぐらいのほうが相応しいかもしれない。
たった一輪のバラを大切に愛おしむ不思議な王子様の物語を読み終えた後、ルティはじっとマティアスを見つめた。
何か、とマティアスが首を傾げる。
しばらく沈黙が落ち、ルティも何度か大きく息を吐き出した後――ため息を吐いたようにも見えたみたいで、マティアスがますます不思議そうにしている。
ルティは、意を決して口を開いた。
「……お、お父様」
ポーカーフェイスのマティアスが、衝撃に目を見開く。それは、感動とか、喜びではないことだけはルティも理解して、思わず身を竦めた。
「あ、あの――」
「誰からそれを?」
咎めるような口調。ルティは涙目になり、ごめんなさい、とわけもなく謝罪する。
「よ、呼んじゃ、いけなかった?」
「……いえ、そういうわけでは」
さすがのマティアスも、涙目となったルティに狼狽している……ように見える。ルティもマティアスもおろおろとし合う中、スパーンと小気味良い音が響いた。
シャンフが、本でマティアスの頭を叩いたらしい。
「違うだろー!」
叩かれた頭を押さえ、マティアスは恨みがましそうにシャンフを睨む。
……感情を失ったが、痛覚が失われたわけではない。
「ルティが、意を決しておまえのことパパって呼んでくれたんだぞ!それが娘にかける言葉か!?」
マティアスは無言でシャンフを睨み続けた後、ルティに視線を戻し……少し困ったような表情をする。
「申し訳ありません……責める、つもりはありませんでした」
ルティは、じっとマティアスを見つめた。
「怒ってない……?」
「もちろんです。本当は……リーゼロッテ様にそう呼ばれたいと、思ったこともありました。明かすことのできぬ、愚かな身ではありますが」
ぐすっとルティは鼻をすする。まだちょっぴり怖くて、涙は目尻にたまったままだ。
「私、マティアスがお父様だって知って、とっても嬉しかったわ」
「そのようにおっしゃっていただけるなど――私も、リーゼロッテ様のような御方の父親になれて、とても幸せです。騙していて、申し訳ありませんでした」
ぎゅっとマティアスに抱きついてみると、彼もルティを抱きしめ返してくれた。とてもぎこちない動きだったけど、ルティにはそれで十分だった……。
「ルティ、迎えが来たぞ」
マティアスと二人で本を読んだり屋敷内を見て回っていたりして過ごしていたルティを、シャンフが呼ぶ。
「夕飯作っちゃったしさ、食べて帰っていけよ。あいつも誘ってさ」
「あいつ……?」
誰が自分を迎えに来たのだろう。ルティは窓から外を見て、門に着けられた馬車に目を丸くした。
「お姉様!」
馬車は、皇帝のためのもの。あれに乗れるのは、ユーリただ一人。
ルティの予想通り馬車からユーリが降りてきて、ルティは急いで玄関へ向かって駆けた。
「やあ、ルティ。ボクが迎えに来たよ」
嬉しくて、ユーリに思いっきり飛びつく。まさか、ユーリが自分を迎えにきてくれるなんて思わなかった。
忙しくて、ルティを迎えに来る余裕なんてないはずなのに。
――分かってる。
皇帝ユリウスには、幼い妹の遊び相手をしている暇なんてないのだ。だから、遊びに行きたい――ユーリと一緒に、という自分のワガママが、通るはずもない。
でも、ユーリはわざわざ自分でルティを迎えにきてくれた。人に任せてしまってもいいのに。
それが嬉しくて堪らなくて、何かが、胸の奥から込み上げてくるような気がした。
「お姉様。お夕食、食べていこうよ。シャンフが作ってくれたって!」
ただでさえ忙しいユーリに、これ以上のワガママは気が引けるけれど。
ユーリも、困ったように笑っている。
「食べていけよ。マティアスのやつ、美味いもマズいも言わないから、作り甲斐がないんだ」
「……分かった。シャンフの料理はたしかに美味だ。せっかくの機会ならば、ボクもご馳走になりたい」
ユーリと、マティアスと、三人で食事。
実際には、給仕をするシャンフとか、それを手伝うセレスとかいるけれど、彼らも身内みたいなものだし。
三人で一緒にと言うのも嬉しいし、何より、ユーリとゆっくり食事をするのもずいぶん久しぶりで。
ユーリとマティアスをくっつけるのが自分の役目のはずなのに、ルティは自分のことばっかりお喋りしてしまった。
デザートを食べる頃にはそのことに気付いて、ルティも焦った。二人の仲はちっとも進展してないのに、帰る時間が迫っている。
どうやってユーリを引き留めよう――ルティが悩んでいると、要領よく片付けを終えたシャンフが、なんだか企み顔で声をかけてきた。
「ルティ、ユーリ。帰る前にさ、ちょっとこっち」
シャンフはどこかへルティたちを案内したいらしい。
マティアスは図々しく引き留める自身の化神に眉を潜めていたが、ルティはすぐにその誘いに乗って、シャンフについて行く。ルティが行けば、当然ユーリもついてきて。
シャンフに連れてこられたのは、マティアスらしくない雑多な部屋。
放置された物置小屋、というわけではなさそうだ。人が出入りしているような雰囲気はある。
布を掛けられた何かがたくさん……。
「ほら、これ」
布をめくって、シャンフが中身のひとつを持ってくる。小さいけれど、キャンバスだ。
キャンバスということは、絵が描かれているわけで。
絵を見つめて、ルティは息を呑む。
「これ……私?」
いまより若い……というか、あどけないユーリと、彼女の手に抱かれた小さな赤ちゃんの絵。ユーリが抱いているのだから、この子は、ルティ以外にあり得ない。
ユーリを見れば、ユーリも絵を見つめ、微笑んでいた。
「そうだよ。これはキミだ……生まれて間もない……世界一愛らしい姫君。ボクの人生で、最も幸福な瞬間だ」
赤ん坊のルティを抱くユーリの絵を見ている間にも、シャンフが次の絵を持ってくる。
布の中身を、次々――どれもこれも、ユーリの絵だ。絵によって、年齢が違っているように見える。
「この絵、誰が描いたの?」
たくさんのユーリの絵。作風は、みんな同じ……たぶん。
でも、辺境のあの城でユーリはずっと暮らしていて、気楽に絵描きが訪ねてくるような場所ではない。
何より、ユーリとルティの関係は秘密なのに……この絵を描いた人は、その秘密を知っていることになる。いったい誰が――というルティの疑問に、ユーリはあっけらかんと答えた。
「マティアスさ――驚くことはない。あれで、マティアスは芸術に秀で、絵はもちろん、楽器だって演奏できるんだよ」
驚いてマティアスを見るが、マティアスは特に反応を示さなかった。淡々とした口調で、空いた時間の手慰みに、と答えるだけ。
「あ、私……」
シャンフが、布のかかった別の荷物の中からルティの絵を持ってくる。
でもその絵は明らかに描きかけで、途中で絵の具をぶちまけたような状態になっていた。
明かな失敗作というか。
「ああ、それはキミの仕業だ。マティアスが描いている途中で、幼いキミが悪戯をしたのさ」
「そんな絵、いつまでも置いてなくても」
記憶にない自分のやらかしにちょっと赤面しながら、ルティが言った。
それは無理だ、とユーリは笑う。
「この絵は、キミの成長の証でもあるのだから。キミの愛らしい手形がついたものを、処分なんてできるはずないだろう」
ユーリに言われて、改めて絵を見て。
絵の汚れの一部が、手の跡のようなかたちをしていることに気付いた。ぺたぺたと……どうやらあれは、いまより小さいルティの、絵の具をべったりつけた手の跡。
ルティは手を伸ばし、昔の自分の手形に触れる。そんなルティの手に、ユーリもそっと手を重ねてきた。
「……こんなに小さかったんだな。とても懐かしい……」
そう呟くユーリは、何かを思い出している。とても幸せそうに。
それが何かなんて問いかける必要もなくて、ルティはユーリの手をぎゅっと握った。ユーリがくすりと笑って、ルティを抱きしめる。
――巻き戻り前の自分にも、教えてあげたい。
自分の両親が誰なのか、そんなことを悩み続けて、寂しさを募らせて。
でも、彼女たちはずっと自分のそばにいて……こんなにも、自分は愛されていた。
遠い空想の人を求めるのではなく、すぐ目の前にいてくれる人たちを大事にすれば良かったのだ――いまようやく、ルティもそのことをはっきりと理解した。




