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「私」が見た、新しい結末 (2)


「ユーリ様はもう政務に戻られたのですね。もっとお休みになっていてもよろしいのに……」

「じっとしているのが苦手な性分だからな。その気持ちは私にも分かる」


セレスは皇后の政務室にいた。

ユーリが政務に復帰し、バックハウス隊長が護衛を務めるとなると、セレスの役目はミーナの護衛役となる。本当は……ユーリを守る役目を他の者に譲らなくてはならないのがちょっぴり残念なのだが、ミーナもユーリにとっては大切な家族だ。彼女のことも、命を賭けて守る対象だと認識している。


「しばらくは、私もまた君の護衛に専念だ。よろしく頼む」


はい、とミーナも笑顔で頷いた。


政務室に、ノックの音が響く。どうぞ、とミーナが答えれば、書類を手に財務官ザイフリートが入って来た。

ザイフリートは、人形サイズとなってミーナの机にちょこんと座っているセレスを見つけると、ニヤけそうになる顔を懸命に抑えて平時の笑顔を装った。


「先ほど叔父上を訪ねたら陛下がいらっしゃったので、セレスさんもこちらにいるのではと思っていましたが……元気になったんですね。良かった」

「心配をかけたな。不在の間、キーゼルもよく城を守ってくれたと聞く。君たちがいなければ、どうなっていたことか……」


言いつつも、セレスはザイフリートの肩に乗るネズミを見つめて黙り込む。むむ、とユーリによく似た仕草で何やら思案していた。


「本来の姿は人の形だそうだが……」

「あれ以来、また普通のネズミのふりに戻ってしまいまして。私もすっとぼけられてます」


ちゅう、とあざとくネズミのふりをしている自分の化神を見下ろし、ザイフリートが笑う。

ザイフリートは改めてミーナと向き合い、持ってきた書類を手渡す。


「陛下より、自分が戻ったのでヴィルヘルミーナ様もご自身のお仕事に戻るよう言伝を頼まれました」

「ミーナの仕事というと……病院訪問や公共施設の視察か。私という護衛も戻ってきたことだし、すぐに向かえるぞ」


人形サイズのままミーナの机の上でセレスがすくっと立ち上がり、ミーナがクスクス笑う。セレスも、本当はじっとしているのが苦手な性分だ。


「そうですね。では、町の状況を確認するためにも先に視察に行くことにしましょうか。ルドガー様、同行をお願いしてもよろしいですか?」


はい、と財務官は返事をし、セレスが首をかしげる。


「町の被害状況確認ならば、造営官や監察官の仕事ではないのか?」

「本来はシュミット様たちのお仕事ですが、今回は私の個人的要望ですから」

「ああ……君も、ずっと城に閉じ込められていたようなものだからな。気分転換は大事だ」


セレスは納得したようだが、本当はセレスと一緒にいたい自分の気持ちを汲んでくれたのだろうな、とザイフリートは思った。

皇后の気遣いをありがたく感じながら、財務官も喜んで視察へ出かけるミーナたちに同行させてもらった。




コンラート・フォン・グライスナーは町へ出て、赤烏新聞社のイザークのもとを訪ねていた。


イザークから、城の様子や皇帝はどうしているのか情報を求められてはいたが、ユーリが完全に回復するまでは記事を出すことを控えてもらっていたのだ。

そんなものを出しても、宰相ノイエンドルフがありとあらゆる手を使って握りつぶしただろうが……赤烏新聞社の記者たちは、ルティのこともよく知っている。彼女を傷つけるようなことはしたくなかったのもあるだろう。

グライスナーから情報がもたらされるまで、無用な記事を出さずに沈黙を守っていた。


そして今日、ようやくグライスナー参謀は新聞社に記事の許可を出しに来た。


「陛下が健在であることは、できるだけ大きく取り扱ってくれ。ローゼンハイム帝が無事と知れば、諸外国の余計な勘繰りも抑えられる」

「分かりました――それにしても、陛下がご無事で本当に良かった。やはり、あの御方は我々の偉大な守護者ですから」


メモを取りながら、笑顔でイザークが話す。


「クルトもホッとするでしょう。お母上に何かあれば、皇女殿下が悲しむと……個人的にとても気にしていましたから」


イザークの言葉に、グライスナー参謀もかすかに笑った。


新聞社での用事が終われば、さっさと城に戻って自分も軍の編成と準備に専念しなければならない。

その前に、と。念のため、町へ出ているルティの様子をうかがう――もう危険はないはずだが、ルティの町への外出を、今回はムートに見守らせていた。


紋章を宿した右手で右目をふさぐ。暗闇が別の景色へと変わり……人形サイズになって、建物の上にとまっているはずのムートの隣にでんと座り込んでいるシャンフの姿が視界に飛び込んできた。


「……どうしてお前がそこに」

「おっ。グライスナーのにいちゃんのほうに切り替わったか」


ムートからグライスナーの声が聞こえてきたことに気付き、シャンフが反応する。

てっきりマティアス・フォン・エルメンライヒについて、城にいると思ったのに……。


「オレも、マティアスからルティを見張れって言われたんだよ。クルトがちらとでも何かしたら、焼いてこいって。まったく。ルティを可愛がるのはいいけど、過干渉は嫌われちまうっての」


自身の宿主について呆れたように話すシャンフに苦笑しつつ、グライスナー参謀は改めてルティの姿を探した。


ムートは間違いなく、ルティを追っていたはず――いた。ペルだけを連れて一人で。

復興で忙しい町の人々は、こんな場所に立ち止まっている余裕もなく、ルティの近くを忙しなく通り過ぎていくばかり……。


「リーゼロッテ様はお一人なのか」

「さっきまでクルトと一緒だったんだけど、あいつもそろそろ新聞社に戻る時間だからって。ルティも城に戻るって言って別れたんだよ。その後で、ルティがここに来て立ち止まった」


参謀の疑問に対し、シャンフが答える。

ルティたちがいる場所は近い。グライスナー参謀は、直接そこへ向かうことにした。


ルティがいるのは、町の中央にある広場。

――つい先日、ユーリの処刑が行われようとした場所。ガランとしたそこには、まだ、聖騎士団によって運び込まれた処刑台が、半壊状態のまま残っていた。


「リーゼロッテ様」


参謀が到着しても、ルティはまだ処刑台の前に立ち、それをじっと見つめている。呼びかけられて、ハッとしたように振り向いた。


「コンラート様」

「私も、ちょうどイザークに会いに来ておりました。リーゼロッテ様は……」

「さっきまでクルトと一緒だったの。それでもう、お城に帰ろうと思って……途中でこれが見えたから、つい」


帰りが遅くなったことを咎められていると思ったのか、少し気まずそうにルティが言う。グライスナー参謀は笑い、ルティに手を差し出す。


「帰りましょうか――あれは、明日には撤去させます」


うん、とルティは頷き、グライスナー参謀の腕に手を伸ばす。

てっきり手を繋ぐものと思っていただけに、参謀も内心面食らった――ごく自然と腕を組むルティに、認識が甘かったのは自分のほうだな、と反省した。

――いつまでも、可愛らしい女の子扱いをしていてはいけないな。


ルティはもう一度処刑台に振り返り、じっと見つめる。

初めて会った時よりもずっと成長した彼女の横顔を静かに見つめて待ち、処刑台に背を向けて歩き出した彼女に合わせて、コンラートも城へと帰っていった。




日は暮れて夜も深まって来た頃。フェルゼンはユーリの自室に呼ばれ、落ち着かない気持ちで彼女の呼び出しに応じた。


ユーリの部屋を訪ねるのは初めてではないし、呼ばれた理由も何となく察している。

……ディートリヒの顔を取り戻してから、彼女とまともに顔を合わせるのは初めてであった。さすがの彼も、それは非常に気まずくて……先延ばしにしてしまった。


「フェルゼン、こっちだ」


すでに寝衣に着替えたユーリは、自身が腰かけている寝台の隣をぽんぽんと叩く。そこに座れということか――内心の動揺をなるべく表に出さないよう努めながら、フェルゼンはユーリの隣に座った。

ユーリは、当たり前のように肌が触れ合うほどの距離まで近付いてきた。


「話には聞いていたが、本当にディートリヒの顔を得たのだな。うむ……」


手を伸ばし、ユーリはフェルゼンの頬に触れる。

そして、初めて気付いた――顔を失っていた自分は、様々な感覚も失っていたことに。食事もできるし、特に不便はないと思っていたが……骸の時には感じ取れなかったユーリの手の柔らかさやぬくもりが、皮膚を通して伝わってくる……。


「……記憶にあるディートリヒの顔と比べてみようとしたのだが、思い返してみれば、ボクは彼のことをほとんど何も知らなかった」


フェルゼンの顔に伸ばした手を降ろし、そのまま抱きついて来る。フェルゼンの胸元に、ユーリは無防備に頭をもたれかけていた。


「もっと彼と話をしてみるべきだったな。彼との時間を作るべきだった。何を思い、何を考え……なぜ、帝国を裏切ったのか。彼はボクをローゼンハイム帝として認めぬと言っていたが、ボクの皇帝就任を勧めてくれたあの時の姿に、偽りはなかったと思うのだ……」


フェルゼンも、そっと手を伸ばしてユーリの肩を抱き寄せる。


「おまえが気に病む必要はない。真実など……存外、大したものではなかったことだろう。おまえが思っているよりもずっと、個人的でちっぽけな理由だった――に違いない。たいていそういうものだ」


そうだろうか、と呟くユーリに、そういうものだ、と同意する。

――本当に。ユーリが思い悩んでやるのも馬鹿馬鹿しい、愚か極まりない理由だった……。


しばらく黙ったままフェルゼンの腕の中に収まっていたユーリが、クスクスと笑う声が聞こえてきた。視線を降ろしてみれば、上目遣いにユーリが自分を見上げている。


「ふふ……いや、キミの表情を見れて、新鮮だなあと」

「……あまり見ないでくれ。久しぶりのことで、私もさすがに気恥ずかしい」

「そう言われると、ますます目が離せなくなる」

「勘弁してくれ。頼む」


いまの自分は盛大に照れていることだろうということを自覚しながらフェルゼンが言えば、ユーリが愛しそうに微笑んだ。


「そう真摯に頼まれては仕方がない。早めに慣れてくれ。これからは、その姿でボクの寵愛を受けることになるのだから」

「善処はする……が、できれば甲冑は直してほしい。あれは人の手でなければ直らないものゆえ……」

「ディートリヒとの戦いで壊れてしまったのだな。新しく作らせておこう」


できれば元の通りに作り直してほしい。フェルゼンは強く主張した。

ユーリ任せにしておいたら、ド派手な甲冑にされてしまう。

……それに、あの甲冑にも思い入れがある。すっかり愛着もわいた。


「でも、それでまた顔を隠すのはダメだぞ」


ユーリの言葉に返事をしなかったが、表情がフェルゼンの内心を雄弁に語ってくれたようだ。ユーリが声を上げて笑っている。


「……冗談だ。半分はね――ボクと二人きりの時は、付けるのはなしだ。やはり……キミのぬくもりをちゃんと感じていたい」


そう言って、ユーリが顔を近付けてくる。フェルゼンも、吸い寄せられるように顔を近づけ、彼女に口付けた。


唇越しに彼女の柔らかさとぬくもりを改めて感じて。

一度取り戻してしまったら、二度と、これを手放す気にはなれないということを思い知らされるばかり。

回された腕が軽く自分を引っ張ってくるのに合わせ、寝台に横たわるユーリに覆いかぶさった。


――本当はただ、彼女を愛していただけだった。

彼女が欲しくて……当たり前のように彼女に触れることのできる男に激しく嫉妬して……自分を見てほしくて……そして、自分の気持ちを正しく理解できず、捻じ曲げてしまった。


あの時、ディートリヒが気付いていれば良かっただけのこと。

真実を知れば、誰もが呆れることだろう。そんなことのために、国を巻き込んだ帝位争いにまで発展したのかと。そんなことのために……愛しているはずの女を、死に追いやったのかと。


「フェルゼン」


呼びかけられ、フェルゼンはもう一度彼女に口付ける。

ずっと欲しかったもの――触れたかったものに、こうしていま、自分は触れている。何度も選択肢を誤り、道を誤り続けた末にたどり着いた……なんとも皮肉な結末であった。


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