「私」が見た、最初の結末
処刑台に、一人の罪人が姿を現す。
ボロをまとい、牢での生活で身なりを整えることもできない彼女は、みすぼらしくも無残……であるはずだった。
少なくとも、人々が期待したものはそれだったと思う。
「はあー……あんなボロボロの恰好をしてても、やっぱり皇帝サマってのは俺たちとは違うものなんだねぇ……」
悪虐帝と呼ばれ、帝国を腐敗させた張本人として処刑台に引きずり出された憐れな皇帝。
でも、処刑台に立つ彼女からは、そんな雰囲気は微塵も感じさせなかった。皇帝らしい、堂々とした出で立ちで……貫禄すら感じてしまう。
貴族皇族の処刑は、庶民たちにとって大きな娯楽である。
今回の処刑にも、見物しようと町中の人間が集まっているのだが、見物客は皇帝の姿に感心するばかり。
一部、彼女の姿を見て驚いているが。
「お、おい……いまの皇帝って、女だったのか……?」
髪は短く、立ち振る舞いも女らしい淑やかなものではないが、粗末な囚人服は女性特有の身体のラインをしっかりあらわしていた。
誰がどう見ても……皇帝は、女である。
「ああ、おまえ、知らなかったのか。割と有名な話だぞ。皇帝ユリウス三世は男と公称されているが、肉体的な性別は間違いなく女ってやつ」
「なんでそんなことになってるんだ?」
「さあねえ……偉いやつらの考えることは、俺たちには理解できんね」
罪人として処刑台に立つ皇帝に、男が近付く。憎しみに満ちた目で皇帝を睨むその男は、どこか狂気すら孕んでいる。
「貴様に、最後のチャンスを与えてやる――懺悔するがいい。己の愚かさ、悪虐さ、傲慢さ……悔い改めれば、神も憐れみ、多少の慈悲を施してくれるかもしれぬぞ」
「神に慈悲を乞う必要はない。ボクこそが、ローゼンハイムの全権を委ねられし皇帝――神そのものなのだから!」
不敵に笑い、美しき皇帝は言ってのける。
男――ディートリヒは、ギリと歯を食いしばった。
この状況になっても、この女は不遜な態度を改めようとしない。
ローゼンハイム帝国第十三代皇帝、ユリウス三世。傲慢にして不遜なこの女は、今日までローゼンハイムの支配者であった。
そしていまは、惨めな敗北者。死を待つ死刑囚……そのはずなのに。
この女は怯えも見せず、慈悲を乞うこともしない。彼女の惨めな姿を嘲笑ってやるはずだったのに……。
「……貴様に、人の心などというものを期待するのが間違いであった。執行人!」
ディートリヒが呼び掛けると、処刑執行人と、皇帝の逃亡を防ぐために待ち構えていた兵士が彼女に近づく。
彼女を力づくで抑え込み、首を斬り落とす。頭は獄門台に晒し、頭を喪った身体は裸にして打ち捨て、野良犬にでも食わせてやろう。死してもなお、彼女にはその傲慢に相応しい報いを――。
「生憎と……ボクは、そんな美しくない最期は御免だ」
ぽつりと彼女はそう呟き、警備の兵がさっと身構える。
だが、彼女が取った行動は、彼らの予想の斜め上を行っていた。
――皇帝の身体から、火が!
成り行きを見守っていた観衆がどよめき、悲鳴や驚愕の声を上げる。
処刑台の上で突如火の手。それは、まぎれもなく皇帝の身体から。
両腕を拘束され、ボロの囚人服以外何も持っていないはずの彼女が、突然なぜ。
処刑台の兵たちも驚き、戸惑っている。彼らにも予想外の事態なのだ。
先ほど皇帝と話していた男だけは、この炎の正体を理解しているようだが……。
「マティアス――おまえは、どこまで……ユーリを……!」
「ねえ、待って!セレス、お姉様が……!」
自分の手を引っ張る女騎士に、少女は必死で呼びかけた。
なんとか止めたくて抵抗してみるけれど、彼女の力に自分は全く歯が立たない。でも……姉を見捨てられなくて。
「無駄なんだ、ルティ。あの炎は……骨も残さず、ユーリを焼き尽くす。万一に備えて、マティアスが遺しておいたものだ。彼女が敵に敗北した時……どのような末路を辿ることになるか、奴には分かっていたからな」
「そんな……!そんな――お姉様!お姉様ぁ……!」
自分は何も知らなかった。強大な皇帝の力に守られて、与えられる幸せに浸っていた。
その力を得るために……得たために、彼女がどんな道を歩むことになったのか、知ろうともしなかった。
――お願い、神様……私、今度は良い子になるから……!
ワガママも言わない。豪華なドレスも、綺麗な宝石もいらない。ちゃんとお勉強もする。
――だから、お姉様を助けて……!
観衆の目前――処刑台の上で、第十三代ローゼンハイム皇帝は炎をまとい、自分を抑え込もうとした兵士を蹴り飛ばしている。
男女の体格差、武装した兵士と装備を持たない囚人……本来ならば有り得ない状況なのだが、炎の熱に怯み、兵はまともに戦うことができない。
皇帝と話していた男が、剣を抜いて彼女にトドメを刺そうとした。振り下ろされる刃を、腕の拘束具で防ぐ――ユリウス三世はその治世の大半を戦場に出ていたから、武術の心得があった。
炎が、ディートリヒの身体にも食いつく。それでも、彼も退かなかった。
ディートリヒは、彼女を睨んだ。
炎は熱く、激しい痛みを与えてくる。全身を炎に包まれた彼女も、それは同じ。驚異的な精神力で、いまだ絶命することなく……それどころか、自分たちに反撃してくる始末。
どうしても、いまここで自分が彼女を仕留めなくては。
確実に殺す。どうやってもこの女を殺せないような、そんな不吉な思いを振り払うように、ディートリヒは手にした剣を握り締め、女の首を狙う。
今日は朝からよく晴れていたのに、わずか数分の間に空は暗くなっていた。
真っ黒な雲が急速に青空を覆い隠していき……雷鳴が轟き始める。
音が近い――次の瞬間、耳をつんざくような音が鳴り響き、稲光が落ちた。
雷は処刑台に直撃し、木でできた処刑台は木っ端微塵になって吹っ飛んで行く。集まっていた観衆も、衝撃に飛ばされていく。
気が付いた時には、わずかに残った処刑台は落雷と皇帝ユリウスの発火の影響で激しく燃え上がっており、周囲を巻き込んですべてを焼き尽くしていた。
焼け跡には、何も残らなかった――罪人の遺体すら。
これが、壮絶なる、ローゼンハイム皇帝ユリウス三世の最期である。
そんな彼女の最期を、自分はただ見ていることしかできなかった。
何もできない、無力な自分――。
ユーリの膝の上で、ルティはハッと目を覚ました。
自分の膝を枕にして昼寝をしていたルティの顔を、ユーリが覗き込んでいる。
「ルティ、大丈夫かい?うなされていたようだが」
懐かしい声――懐かしい姿。
……会いたかった。もう一度。
昔みたいに、また抱きしめてもらって……今度こそ、彼女を守る。いつも守られてばかりだった自分が、今度は……あんな、恐ろしい結末にならないように。
「うう……うっ……うわああああぁぁぁん……!」
「おやおや」
泣きじゃくるルティを抱き起こし、ユーリは優しくあやす。
まるで、幼子をあやすように――幼い彼女が起き抜けに泣き出すことには慣れっこだ。この子が生まれた時からずっと、世話をしてきたのだから。
「怖い夢を見たんだね。大丈夫。ボクやセレスが一緒だよ。ボクがいれば、悪夢も美しい夢へと変貌するさ」
トントンと、ユーリが優しく背を叩く。ルティが落ち着くまで、ずっと。
世の人は彼女を悪虐帝だなんて呼んで後ろ指をさしたけれど、ルティが知っている彼女はいつも優しくて、暗い空気も吹き飛ばすかのように力強く笑っていて。
――世界で一番、大好きな人。
作中に登場する国は、なんとなくのモデルはありますが、
作者の気に入った部分だけ抜き取って独自アレンジした世界観・文化設定なので
真面目な歴史考察は非推奨です