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黄金のバラより愛をこめて~傾国の女皇帝と彼女を愛した私の、巻き戻りキセキ~  作者: 星見だいふく
第七章01 我が道を振り返って思う
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開きかけた蓋


ユーリからの支援をこぎつけて上機嫌のフランツが部屋を出て行ったあと、改めて寝室に行き、ルティはむう、と唇を尖らせていた。


「フランツ様ったら。本当にちゃっかりしてるんだから」

「たしかに。ちゃっかりしていて、どこか憎めない御仁だ」


クスクス笑うユーリの言葉に、ルティはぷくっと頬を膨らませる。認めるのは癪だが、ユーリの言う通り、憎み切れない愛嬌のある男だった。

でも、やっぱりちょっと鬱陶しい人。


「しかし……彼が聖職者の道を定めてしまったのはいささか残念だな。ルティの最有力婿候補だったのに」

「えっ、やだ……」


突然の情報に、思わず拒絶の言葉を漏らしてしまう。ユーリは吹き出し、盛大に笑った。


「いまのは本気の拒絶だったね」


ユーリに笑われてしまって、ルティはまた、むうと唇を尖らせる。


言われてみれば、フランツと自分の縁談が持ち上がるのも当然だ。

化神持ちの紋章使いであるルティは外国に嫁ぐなんてあり得ないし、シェルマンの王弟なら、有用な婿入り先は大歓迎だろう。

二人が結ばれれば、ローゼンハイムとシェルマンの繋がりもいっそう強くなるし……帝国のため、母がどうしてもと決定したのなら、ルティも覚悟を決めるが……。


「私はニコルがいいもん」

「ふむ。彼はキミのお眼鏡には適わなかったか。ならば仕方ない」


からかうようなユーリの言葉に、ルティは眉間に皺を寄せる。それから、自分のご機嫌取りをるすように抱き寄せる母の胸にもたれかかり、母を見上げてルティは尋ねた。


「お母様は、私ぐらいの年には、もう好きな人いた?」


ルティの問いかけに、ユーリが意味ありげに笑う。声を落とし、内緒話をするように答えた。


「――ボクの初恋は、マティアスだ」


ぱちくりと目を瞬かせた後、ルティはにんまり笑って、ユーリにぎゅっと抱き着く。

優しく自分の髪を撫でてくれる母の指にウトウトとなり、やがてルティは眠りに落ちていった……。




ユリウス三世の政敵ディートリヒがグランツローゼの城に入って数日。

不安と恐怖に怯えて自分の部屋に籠っていたルティも、その日、ついに耐えきれず部屋を抜け出していた。


向かった先は食糧庫――ディートリヒは、ルティのことを完全に放置していた。

皇帝に溺愛される妹ではあるが、血の繋がりはなく、ユーリがいなければルティには何の力も価値もない。

悪虐帝を討つという大義名分を掲げている以上、いたいけな少女を虐げるわけにもいかず、ディートリヒにとっては扱いづらい相手であった。



そういった事情から放置というか空気扱いが最善と判断され、ルティはディートリヒから直接危害を加えられることはなかったのだが……ディートリヒが城の主となったことで、ルティにとっては天地がひっくり返ったような状況となっていた。


城の人間と打ち解けることなく、癇癪ばかり起こしていたルティは、いまや城中の人間から見捨てられていたのだ。


マティアスにナーシャ……皇帝ユリウスに忠実であったバックハウス隊長や宰相ノイエンドルフもすでに命を落としており、ルティを気にかけてくれるような人間もいない。

職務として仕方なくルティの世話をしていた女官たちは、主がディートリヒに変わるとすぐにルティから離れた。

……彼女たちにも生活があり、自分の命が惜しい。ずっと自分を蔑ろにしてきたワガママな小娘のために命を投げ打てるほど、聖人になれなかった。


そうして世話を放棄されたルティは、日に日に困窮していた。


身なりもみすぼらしくなり、部屋も汚れる一方。何より、食事が届かないのが一番の問題だ。

ディートリヒは何も禁じなかったが、女官たちに命じることもしなかった。


ついに外に対する恐怖よりも空腹に耐えきれなくなったルティは、自ら食べるものを手に入れようと部屋を抜け出して、食糧庫に……。


「おい、見ろ。この立派な城に、ずいぶん薄汚れたネズミが入り込んでるぞ」


聞こえてきた声に、ルティはビクッと身をすくめ、振り返って息を呑んだ。


ニヤニヤと、何だか嫌な笑みを浮かべた男たちがルティを見、近付いてくる。

城の人間と親しくしてこなかったルティだが、彼らが城の人間ではなく、ディートリヒと共にやって来た兵士であることは分かった。


ディートリヒに従う兵士たちは、ルティを露骨に蔑んでいる。

外国人も多く、ディートリヒに言われて帝都での略奪行為や狼藉は控えているが、いまだ大した報酬が得られず、不満も抱いていた。

その憂さ晴らしの対象として、自分は狙われている――甘ったれのルティでもそんな危機感を抱くぐらいには、はっきりとした感情を向けられていた。


咄嗟に食糧庫に飛び出そうとするのを、男の一人が阻む。それで立ち止まるルティを後ろから別の男が引きずり倒し、複数がかりでルティの腕や頭を抑えつけた。


「いやあっ!お姉様――セレス――!」


泣き叫んでも助けてくれる人がいるはずもなく、頭上から下卑た笑い声が響くばかり。

男の手が自分の足をつかむのを感じ――次の瞬間、急に自分を抑えつけるものがなくなった。男たちの呻き声も聞こえたような……。


ぐい、と。痛いぐらいに腕をつかまれて抱き起され、ルティは誰かと向かい合わされた。

さっきまで自分を抑えつけていた男たちは、全員倒れ込んでいる。目の前の……彼がやったのだろうか。


自分を強引に起こした男は……たぶん、男……全身を鎧で覆い、顔も甲冑で見えないが、体格はどう見ても男……。


「――リーゼロッテ」


甲冑越しに聞こえた声は、少しくぐもっているが男のものだった。


「城を出るぞ」




全速力で駆ける馬の上。鎧の男にしがみつき、ルティは遠くなっていく城を見送った。


――この城で、十年間暮らしてきた。

この城を外から見るのは、これで二度目。ユーリに連れられ、初めてこの城に来た日以来だ。

こんな形で、もう一度見ることになるだなんて……。


「待て」


馬がいななく声が聞こえ、急停止に振り落とされそうになってしまった。どうしたの、と鎧男に尋ねれば、馬の前に何かが――誰かが飛び出してくる。

それはとても見覚えのある姿をしていて、ルティは思わず叫んだ。


「セレス!」

「ルティ!?化神の気配を追ってきたら……どうして君が――」


自分に呼びかける声の主に気付き、セレスが驚いている。すぐに馬に駆け寄り、転げ落ちる勢いで抱き着いてきたルティをセレスは受けとめた。


「セレス……お姉様に会いたい……!お姉様に会いたい……」


堰を切ったように泣きじゃくるルティを抱きしめ、大丈夫だ、となだめる。ルティを抱きかかえたまま、セレスは馬上の鎧男を見上げた。


「フェルゼン、君だったのか。ルティを助け出してくれたんだな」


鎧男の名前はフェルゼンというらしい。その時には気付かなかったが、彼は化神で、その気配に気付いたセレスは正体を確かめようとこちらへ来てくれたそうだ――後から、そう聞かされた。


「セレス、お姉様に会わせて……」


その時のルティは、もう限界だった。

ユーリに会いたい。優しくて、自分を守ってくれる姉のもとにいきたい。

怖くて……消えてなくなれば、楽になれるかもしれない……そんな考えまで浮かぶほど、恐ろしい日々だった。


「分かっている。ユーリの命令で、君をあの城から救い出しに来たんだ。必ず、ユーリのもとへ連れて行くさ――もう一度馬に乗って。まだ距離がある」


フェルゼンの後ろに座り直し、改めて彼にしがみつくと、また馬が走り出す。セレスは人形サイズになって、ルティの肩に乗っていた。




「――ルティ……ルティ」


自分に呼びかける声に、ルティは大きく息を吐き出し、ハッと目を開いた。

暗い部屋の中で、間近からユーリが自分を見つめている。


「大丈夫かい?うなされていたよ」


そう言って、ユーリはルティの頬を撫でる。涙を拭っているのだと分かって、ルティは自分が泣いていることに気付いた。

クウン、とすぐそばでペルが鳴く。


「大丈夫……。ペルも……大丈夫だよ。心配かけちゃってごめんね」


言いながらも、ルティの声は震えていた。


しゃくり上げるルティをユーリが優しく抱きしめ、ルティも母の胸に顔を埋めて抱きつく。

ペルが尻尾をふりふりさせながらも、心配そうに自分のそばをうろうろしているのをルティは感じていた。


「怖い夢を見たんだね。大丈夫だ。それはただの夢――どんな悪夢も、ボクがいれば現実になることはないさ」


慰める母に、うん、とルティは頷く。


そうだ、あれは夢だ……。

いまは夢となったルティの経験であり、未来……。


「明日、葬儀に出たら、早めに町を発とう。グランツローゼでミーナたちが待っている。ミーナのお菓子と、ベネディクトの紅茶が恋しいな」


うん、ともう一度頷き、母に促されるまま、寝台に横になった。

すぐには寝付けないルティの髪を、ユーリが優しく撫でてくれる。母にすり寄り、ルティは目をつむった。


――フェルゼンとは、グランツローゼの城で初めて会った。

いつ、どうやってフェルゼンと知り合い、どういう経緯で時を巻き戻る力を教えてもらうことになったのか、すっかり忘れていた……。


たくさん運命を変えて、もうあんな夢を見ることはなくなったと、そう思っていたのに。

事実、巻き戻り前のことを思い出すことはほとんどなくなっていて、泣きながら飛び起きるなんて久しぶりだ。


――ジャザーブは討ち損ねた。ユリウスの状況を考えると、ローゼンハイム側も追撃はできず……向こうも王太子だけは生き残らせようと必死で、さすがに追いきれなかった。


フェルゼンからその報告を受けたから、不意に思い出してしまったのだろうか。

変わってきているようで、どうしても変えられないこともあると、現実を思い知らされたから。


色々なことが変わっているのだから、少しぐらい同じ運命を辿っていても大丈夫だと……そう思いたい。

そんなルティの希望を嘲笑うかのように、あの時の記憶が戻ってしまった。


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