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変わらない、変えられない (1)


夜闇に、シャンフの格闘術に圧されているアルヴィンの姿が見える。


「ちょっと。腕はちゃんと持っておきなよ。失くすとくっつけられなくなるんだから」


フェルゼンの前に立ち、ヒスイがぽいっとフェルゼンの腕を放り投げてきた。

フェルゼンが反応するよりも先にヒスイの姿が消えたかと思うと、アルヴィン目掛けて閃光が駆け抜けていく――ヒスイとシャンフの連携は完璧で、アルヴィンは防戦一方だ。


「袋叩きは卑怯ですよ!」


さすがのアルヴィンも、二対一は厳しいらしい。いつもの余裕はなく、声に焦りが感じられる。

それもそのはず。戦を終えた直後なのは同じでも、ヒスイやシャンフには宿主がいる。宿主のいないアルヴィンとは、使える力の差が違う。

……しかも、二対一なんて可愛らしいものではなかった。


シャンフの格闘術とヒスイの刀をかわし、二人の猛攻で警戒が手薄になる背後を、セレスが襲っている。


あたりは暗く、アルヴィンの動きは素早い。一歩間違えれば同士討ちとなりそうな状況だが、長い付き合いの三人は、千里眼で見通したかのように互いの動きを把握し、自分の動き方を理解していた。


「くっ……!」


猛攻も見事にかわしていたアルヴィンが、初めて動きを乱した。フェルゼンの目にも、それははっきり映った。

手にしていた紋章球がその手から零れ落ち、慌ててそれをつかもうとして、完全に隙を見せた。


ほんの一瞬だったと思う。それでも、いままで隙を見せなかったアルヴィンが、初めて犯した失態。

落ちかけた紋章球へと伸ばされた腕を、セレスがつかむ。アルヴィンの腕は手首から凍り付き、白いものがアルヴィンを包んだ。

白い少女が、小さな手でアルヴィンの顔を鷲づかみにする――彼女は、皇太后ドロテアの化神だ。


次の瞬間、あたり一帯が白い霧に覆われてホワイトアウトし、視界が戻った時には、少女の手に両手で抱えるほどの大きさの、氷のカゴが。

鳥かごのような形をしているが、完全に氷で覆われていて、中は見えない。カゴには、氷の鎖が絡みついていた。


「……やった、のか……?」


斬り離された片腕を持ち、立ち上がろうとする。足にまったく力が入らず、倒れそうになったフェルゼンを、駆け寄ってきたシャンフが支えた。


「アンタなー、無茶し過ぎだっての!」


ヒスイも刀を収め、シャンフとフェルゼンのもとに寄ってきた。


「あいつの相手をしてる間に、カルタモ軍にはすっかり逃げられたね。ディートリヒは仕留めておいたほうがよかっただろうに」

「いまの私たちに、追撃している余裕はない。これで引き上げよう」


セレスが言い、仕方ないね、とヒスイが肩をすくめる。少女の姿をした皇太后の化神も、化神を閉じ込めたカゴを抱えたまま、大人しくセレスたちに同行していた。

……フェルゼンが意識を保っていられたのはそこまでで、シャンフとセレスに身体を支えられているのを感じながら、視界は暗闇に閉ざされていった……。




陣を引き払って帝都への帰路に着いたローゼンハイム軍の一部は、近くの町に到着していた。

ユーリはその町で宿を取り、ルティと同じ部屋で休んでいた。


大人が五、六人は横になっても余裕がありそうな大きな寝台で、自分にぴったりくっついて眠るルティと共に眠っていたが、ぱちりと目を開け、ユーリは起き上がる。

ユーリが起き上がったことでルティもわずかにもぞもぞと動いたが、目を覚ますことはなく、ユーリはルティの髪を撫でた。

……元気そうに振舞っていたけれど、やはり、とても疲れていたのだろう。


ルティを起こさないようそっと寝台を出て、バルコニーに向かう。

風の音が、どんどん強くなっていく。一際強い風が吹いた時、バルコニーにペルが飛び込んできた。セレスとドロテアの化神、ぐったりとしたフェルゼンを背中に乗せて。


「毒矢を受けたらしい。化神のフェルゼンならば、自力で回復できるとは思うが……とりあえず、腕の治療を」

「奥の部屋に運んでやってくれ――ペル、キミは休むといい。ご苦労だった」


ユーリが撫でると、ペルは嬉しそうに尻尾を振り、すっと小さな姿となって、ルティが眠っている部屋へトコトコと向かって行った。

それから、ユーリはセレスの肩に乗っている人形サイズのシャンフを見た。


「キミもミーナとマティアスのもとに戻ってくれ。二人を頼む」


ユーリたちも気を付けてな、と手を振り、シャンフはひょいっとバルコニーから飛び降りる。すぐに姿は見えなくなり、もう少し先の町に滞在しているマティアス、ヴィルヘルミーナのもとへ向かって行ったようだ。


セレスが奥の部屋へとフェルゼンを連れて行く間、皇太后の化神ルナが、ユーリに向かって静かに紋章球を差し出す。両手に氷のカゴを抱えながら。


「それは母上に預けることにしよう。その紋章も……母上に考えがあるというのであれば、それも構わないと伝えてくれ」


ユーリがそう言えば、少女は小さく頷き、手に入れた紋章を懐にしまい、カゴを持ってバルコニーからふっと姿を消す――皇太后ドロテアは、同じ宿の別の部屋に滞在している。

持って帰ってきた紋章を見て、母がどのような反応を取るのか……考えるのは止め、ユーリはフェルゼンのもとへ急いだ。




意識が戻った時、自分はどこかの部屋の寝台に横たわっていることを理解した。身体は重く、指先すら動かすことができない。

なんとか顔を動かしてみれば、そばのサイドテーブルに、人形サイズで爆睡しているヒスイを見つけた。


「ヒスイも今夜はそうとう疲れているようだ。宿主のいないキミの消耗は、彼の比ではないだろう」


ユーリの声に、今度はそちらへ顔を動かす。

彼女も、もともとは休んでいたのだろう、薄手の寝衣姿で、心配そうにフェルゼンを見下ろしていた。


「ルティから、キミが戦を終えたその足で、どこかへ行ってしまったと聞いてね。セレスに頼んでシャンフたちも呼び寄せ、キミの援護に向かってもらった。無事で良かった」


フェルゼンが問いかけるよりも先に、ユーリがフェルゼンの疑問に答える。


「毒を受けたそうだな。こればかりは、キミの体力で回復するしかない。腕のほうは問題なさそうだ。ゆっくり休むといい」


ユーリが自分の手を握っていることに気付き、斬り落とされたはずの腕を、セレスの力で治療している最中なのだと気付いた。

……ユーリとて、とうに体力の限界のはずなのに……。


「私のことなど放っておけ……おまえも、今日はもう、力を使うべきではない……」


これ以上、力を使わせるべきではないのに……他ならぬ自分が、ユーリに余計な消耗させてしまうなんて。

なんとかユーリを止められないかと、無事なほうの腕を伸ばしてみようと試みるが、持ち上げることすらできない。


そんなフェルゼンの心情を察したように、ユーリが不敵に笑う。


「ボクはキミの消滅など認めないぞ。ローゼンハイムの皇帝たるボクがそう命じているのだ――大人しく治療されていたまえ」


口調こそ不遜極まりないものだが、フェルゼンに触れる手は優しく、甲冑越しにフェルゼンの額に口付けて来る。

ふわりとした冷気に包まれ、それがやたらと居心地よく……何かしたな、とフェルゼンはユーリを見上げた。


「自分を粗末にし過ぎるキミには、荒療治が必要だと判断した。その氷を自力で破れるようになるまでは、眠っていてもらおう」


そう言って笑うユーリの左手の紋様が、かすかに光を放っている。どうやら、紋章を使ったらしい。

抗いがたい睡魔に、意識が遠のいていく……。


「ユリウス……」


疲れ果て、ユーリの紋章で凍り付けとされた肉体の影響で、どんどん眠くなっていく。ぼんやりとした頭で、フェルゼンはユーリに話しかけた。何を話したかったのか、その時の自分は、よく分かっていなかったと思う。

ただ、頭に浮かんだことを取り留めもなく……伝わらないかもしれない、と思いながら。


「俺はいつも……何もできない……何も変えられない……」


彼女を失いたくないのに。ユーリを守る――たったそれだけのことが、いまも自分は成し遂げられないまま。今回も、結局何もできず……。


「――人にはそれぞれ、与えられた運命がある」


甲冑で覆われたフェルゼンの頬を撫でながら、ユーリが言った。


「その運命をどう生きるか……選ぶことはできても、変えることはできないのかもしれないな」

「だとしたら……地獄だな……」


どう足掻いても変えることはできないのに、変えることができるかもしれない力を与えられて、諦められない自分。


――ユーリを取り戻してこい。それが私の復讐だ。

セレスの言葉が、いま、闇の中で響く。時を巻き戻る力のせいで、終わることのない自分の運命。

人智を超えた力など、人間にとって不幸な存在でしかない。




戦を終えて帝都グランツローゼに戻り、ルティたちには大きな問題がひとつ、残されていた。

机の上に置かれたそれを前に、ルティもじっと見つめる。


「これが、聖女を自称してた人の紋章?」


鳥かごのような形をしているが、完全に氷に覆われ、中は見えない。ルティは隣に並ぶ母を見上げた。


グランツローゼの城の一室。

ここにいるのは、ユーリとルティ、マティアス、宰相ノイエンドルフに、皇太后ドロテアとナーシャ。宰相以外は全員、化神持ちの紋章使いだ。

万一に備え、各々の化神を待機させている。


「紋章球を封印し、化神もこの中に閉じ込めてあります。この状態であれば、この化神は特に害のないままですが……」


皇太后ドロテアが説明する。皇太后の手には、凍り付けになった紋章球が。


「夜闇の紋章と呼ばれる、かなり特殊な紋章です。教団にあることは知っていましたが、実際に目にするのは私も初めてです」

「フェルゼンがめちゃくちゃそいつを警戒してたぜ。それを壊したくて、一人でカルタモ軍の陣営にまで乗り込んで行ったぐらいだし」


シャンフが言った。


翌朝になってからルティは知ったのだが、戦が終わった直後、フェルゼンはカルタモ軍に向かったらしい。

そこでこの紋章の化神と戦って、負傷した――いまはユーリの紋章の力で深い眠りにつき、しっかり回復するまで目覚めない状態だそうだ。


「この紋章の宿主だった人、死んじゃったんでしょう……?」


恐るおそる、ルティが尋ねる。


フェルゼンがカルタモ軍に乗り込んで行ってから半日後、ヒスイと小部隊を連れてナーシャが改めて偵察に向かった時、カルタモ軍はすっかり退去してしまっていたが……一人、遺体が遺されていた。


最初は何者なのか分からなかったが、衣服や紋章をえぐり取られたような痕から、これが噂の聖女なのだとナーシャたちは察した。

ユーリの妹を自称したぐらいだから、若い女性のはずなのに、百歳を超えた老婆のように衰えた姿。連れ帰ってドロテアに見てもらい、力を使い過ぎて衰弱死したのだと結論が下された。

……とても恐ろしい話だ。


「化神側がまったく宿主のことを考えてあげなかったってことだろうね。宿主が力尽きようがお構いなしに、自分の力を使った」

「ただの人間の私からすれば」


ヒスイの言葉に、宰相が続ける。


「化神が大人しく宿主のために振舞うほうが不思議でならぬ。人間を超越した力を持ちながら、それを人間のために使い、そのことに疑問すら抱かない」

「――実に不思議ですよね」


宰相に相槌を打ったのは、人間ではなかった。

氷で覆われたカゴの中――封じ込められた化神が、そこから話しかけてきたらしい。


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