秘密の花園 (4)
大広間を離れると、人形サイズになってどこかに隠れてしまったセレスとシャンフがすぐにやって来た。
特にセレスは、マティアスに支えられているユーリを心配そうに見ている。
マティアスは、ユーリを貴賓用の控え室へと連れて行った。
広い部屋で、奥には寝室もある。ユーリは寝台へと連れて行かれ、横になって休むことになった――大袈裟だな、とユーリは笑う。
「ボクだって毒に多少の耐性はある。たった一口で効果が出るほどの猛毒なら、すでにボクは冷たくなっていることだろう――大丈夫さ」
ユーリはそう言うけれど、ユーリの顔色は悪くなっているし、息をするのも苦しそうにしている。
横になっているユーリの手を、ルティはぎゅっと握った。
「陛下が……私に、毒を……」
寝台そばに跪き、ユーリを気遣いながら、マティアスが呟く。
大きく胸を上下させて呼吸を繰り返しながら、ユーリはじっとマティアスを見つめる。
「叔父上に毒を盛られる心当たりは」
「シャンフが話していたぞ。ルドルフ帝は、おまえに対して被害妄想を抱いていると」
ユーリがマティアスに問い、セレスが言葉を続けた。マティアスはシャンフを見たが、シャンフはわざとらしく視線を逸らし、何も知らないふりをしていた。
「……私に復讐されると、そう思い込んでいるらしい――エルメンライヒ家は、先の皇帝ユリウス陛下が原因で一族が死に絶えてしまったから」
淡々とした口調で、マティアスが答える。
でも、予想以上に重い内容で、ルティは言葉を失い、ユーリも問い返す言葉が見つからないようだった。
そんな彼女たちの反応に、マティアスがわずかにため息をつく。
そして、紋章の紋様が描かれた左手を見せた。
「過去、私の一族に紋章使いは出ておりません。紋章の適正は、遺伝的要因が大きい――例外はいくらでもありますが。少なくとも、私の父母に紋章の適正はなく、私にもその才能はないものと思われていました。ユリウス陛下は紋章に並々ならぬ関心を抱いておりまして……しかし、本人に適正はなく……それを克服する方法を探していた。我が一族は、ユリウス陛下の研究対象となった」
教科書でも読み上げるかのような事務的な態度だが、かなりきつい過去を語っている……はず。
研究とは……要するに、人体実験の類ではないのか。それを確かめるのは恐ろしくて、ルティはユーリの手を強く握りしめたまま黙り込んでいた。
ユーリもきっと、ルティと同じことを考えているに違いない。握った彼女の手から、ユーリの動揺も伝わってくる。
紋章は、適性のない人間が使うと悲惨な結果を招くことが多い。
ルティも紋章についての知識は乏しいが、それぐらいは知っている。化神が出る大紋章レベルになると、それこそ命を落としても不思議ではない――周囲を巻き込んで。
一族が滅んだって、つまり……そういうことなのでは……。
「研究の結果、私一人だけが、なぜか紅蓮の紋章――これを完璧に使いこなすことができるようになりました。多くの命と、自身の感情を引き換えにして」
自身の紋章に触れながら、マティアスが語る。ユーリが、わずかに目を見開いた。
「……一族を滅ぼされた過去を打ち明けているというのに、淡々と語る私が、ユリウス様にはさぞ薄気味悪く映ることでしょう。私は十三歳でこの紋章を身に着けて以来、人間らしい感情を失ってしまったのです――これだけの目に遭いながら、ユリウス帝に対して憎しみを抱くことすらなく、父母の死を悲しんだこともない」
ルティと繋いだ手で、ユーリがマティアスの手に触れる。マティアスの手に小さなルティの手が重なり、二人の手ごと、ユーリがぎゅっと握った。
マティアスが顔を上げ、ユーリをじっと見つめている。
「それで叔父上は、一方的にキミを恐れているというわけか。先の皇帝への復讐心を、弟の自分に向けるのではないか――いまは感情を失っていても、いつか何かの拍子に取り戻してしまうかもしれない」
「恐らくは」
いまのマティアスに、ローゼンハイム皇帝への復讐心など微塵もない。
でも後ろ暗い過去を知っているルドルフ帝にとっては、夜も眠れないほどの不安だろう。
いつか、マティアスが復讐に目覚めてしまったら。
それを恐れて、マティアスを閑職に追いやって、ユーリの後見人なんて体のいい理由で遠ざけて……。
「……でも、それならどうして、叔父様はお姉様と一緒にお城から追い出さなかったんだろう?」
何気ない疑問を、ルティがぽつりと呟く。
ユーリには、すぐに答えが思いついたようだった。
「そばに置くには恐ろしいが、自分の目の届かない場所へ行ってしまうのは、もっと恐ろしかったのだろう。マティアスが復讐に目覚めないか、何か企んでいないか、自分の目で確かめられる位置にはいて欲しかったのさ――遠くへ追い払ってしまって、自分の目の届かない場所で復讐を企てられると困る。父ユリウスへの復讐をうたって仲間を募れば、小規模兵団ぐらいなら簡単に結成できるからね」
暴虐帝ユリウス二世。
その悪名は、無知なルティの耳に届くほど有名であった。
ユーリに似て美しく、多くの才能に恵まれた男だったが……とにかくとんでもない男だったとか。彼の唯一の善行は、早死にとすら言われている。
彼がさっさと死んで、堅実な弟ルドルフが帝位に就いたから、帝国は滅亡せずに済んだ――教師ですら、そんな歴史を説いていた。それぐらい酷い男だったそうだ。
「私からすれば……恨みや怒りといった感情を抱くこともできなくなったと言うのに、それを理由にいつまでも危険視され、邪推され続けるのは滑稽というか……迷惑です」
眉間に皺を寄せ、マティアスはかすかに不快そうな表情を見せる。
巻き戻り前の自分が、マティアスを苦手意識を感じていた理由も、これで分かった。
何を考えているのか分からない彼が苦手だったけれど、実際、マティアスは人間らしい感情を抱けず……彼のほうも、ルティのことが理解しきれなくて、適切な距離の取り方を彼なりにいつも悩んでいたことだろう。
感情と共に家族も失ってしまったから、人間らしさを奪われたマティアスに寄り添ってくれる人間もいなくて……マティアスは、ずっと孤独だった。
孤独なことを辛いとか、苦しいとか、そう思う感情もなかったから、誰かに助けを求めることもしなくて……誰からも理解されないまま、巻き戻り前の世界では……。
ゴホゴホ、とユーリが咳き込む声が聞こえてきて、ルティは思考を打ち切った。
咳が収まると、ユーリは大きくため息をつき、改めて横になる。
「……毒が効いてきたようだ。少し休めば、すぐに良くなる――大丈夫。少し休むだけだ。キミはセレスと一緒に、城の中を見て回ってくるといい。このフロアには、マティアスのお祖母様が少女だった頃の絵もあるぞ。せっかくだから、見ておいで」
自分を不安にさせないため、ユーリはさりげなくこの場から引き離そうとしている――ルティはそう思った。
ユーリと離れるのは不安だし、辛い本心を隠す彼女に寄り添いたい……けれど、ここにいると、自分はお邪魔虫かな、とも思った。
ちらりと、ルティはマティアスを見る。
感情を失ってしまったマティアス。でもきっと、ユーリ相手には、失ったはずの感情が揺さぶられている。
……そうでないと、自分の存在に説明がつかないし。
とにかく、マティアスとユーリが二人だけで向き合う時間は必要だろう。ユーリの誘いに乗り、ルティは部屋を出ることにした。
セレスだけでなく、シャンフもルティについて来る。
やっぱり、ユーリとマティアスは二人きりにしたほうがいいと、他のみんなもそう感じたみたいだ。
「この城の中なら、オレが案内してやるよ。マティアスについて、しょっちゅう来てるからさ」
「あまり遠くには行かないぞ。少し休息を取ったら、ユーリは屋敷へ連れて帰る。ここでは落ち着かない」
楽しそうに誘いかけてくるシャンフに対し、セレスが諫める。
案内がなくても、ルティはこの城のことをよく知っているのだが――せっかくの申し出だから、シャンフに任せることにした。
ルティたちが出て行ったあと、マティアスは一人残り、ユーリに付き添っていた。
目を閉じて、静かに呼吸を繰り返すユーリの頭にそっと触れる――ユーリが目を開け、マティアスを見て微笑んだ。
「こうしていると、小さい頃を思い出す。キミが帝都へ帰ってしまうのが嫌で、仮病を使ってよく引き留めたものだ」
「仮病……」
思い出話を語る彼女に対し、マティアスは不思議そうに呟く。
そんなマティアスの反応に、ふふ、とユーリが笑った。
ユーリが笑うと、いつもマティアスは目が離せなくなってしまう――もっとその笑顔を見ていたいと、よく分からない感情がわき上がってくる。
感情を失ってしまったと言っても、元々は当たり前のように感情を持っていた人間だ。嬉しいとか、楽しいとか、腹立たしいとか、そういった感覚は覚えているし、感情の名前も知っている。
でも、感情というものは明朗快活に答えが出るものではないのだと、ユーリと一緒にいると嫌というほど思い知らされた。
いまも……。
「やっぱり気付いていなかったか。真剣に看病するキミを見ていたら、さすがに申し訳なくなってね。大きくなってからは使っていないよ。せっかく引き留めても、ボクは寝ていることしかできないし」
まったく悪びれる様子のないユーリに、マティアスはかすかに笑った。説教すべきなのだろうか、なぜか彼女を叱る気にはなれない。
代わりに、そっと顔を近づける――ユーリが、軽くマティアスの胸を押し返してきた。
「毒がうつるぞ」
「特に問題ないのでは。元々、私が飲むはずのものだったのですから」
「そうならないよう、ボクがわざわざ機転を利かせたというのに――」
ユーリの抗議を無視し、彼女に口付ける。
ユーリが抵抗を見せたのも最初だけだし、別に構わないか、と自分でもちょっと強引な言い訳をして。
「……つまりさ、マティアスの感性って十三歳で止まってるんだよ。なのに身体は立派な大人だろ?そのちぐはぐさが、感情をちょっとずつ取り戻してる途中のマティアスを混乱させまくってて」
案内をしながら、シャンフは先ほどマティアスが語ったことについて、彼なりの見解を語った。
「それで……好きな子を目の前に、暴走しちまったっていうか」
「だから許されると言うことでもないがな。信頼していた人間に裏切られ、ユーリがどれほど傷ついたことか」
マティアスの過去を知っても、セレスが彼への手厳しい態度を変えることはなさそうだ。ルティは二人をおろおろと見やっていた。
「はい、ごもっとも……。アンタが殺意をたぎらせるのも当然だよ。逆の立場だったら、オレもあいつをぶっ殺してると思うし」
「……この話題は、ここまでにしよう。結局何がどうであろうとも、ユーリがマティアスを許している以上、私自身がどうこうするつもりはない。それに……この話題でマティアスを責めすぎると、ルティの存在を否定することになってしまう。ルティは間違いなく、ユーリに望まれ、愛されて生まれてきた」
セレスがルティを見、微笑む。セレスを見つめ返し、ルティは目をぱちくりさせる。
シャンフもルティを見下ろして、そうだな、と笑った。
「あんま間違いを強調すると、ルティを侮辱することになるもんな。ごめんな、ルティ。変なことたくさん聞かせちまって。ユーリもマティアスも、もちろんオレたちも、アンタのことが大好きだぞ。それは本当だ」
ルティはもう一度目をぱちくりさせ……もじもじとはにかむ。
帝都に来て――お城に来てみて、良かったかも。
巻き戻り前と同じ運命を辿っていることに不安を感じていたけれど、ちょっとだけ、ちゃんと変わっている。小さな変化だけど、もしかしたら。
あの未来を変えられるかもしれない。見えてきた可能性に、ルティは顔を上げ、目の前の肖像画を眺めた。




