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黄金のバラより愛をこめて~傾国の女皇帝と彼女を愛した私の、巻き戻りキセキ~  作者: 星見だいふく
第四章03 シュラー島への船出
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海の怪物 (2)


ユーリの腕をしっかり握り、絶対に手放さないようナーシャはしがみついていた。

少しでも力をゆるめれば、ユーリと引き離され、もう自分では追いつけなくなってしまう。


ユーリは下腹部を鮫に食いつかれ、逃げ出すことができずにいた。

咄嗟に氷で身体を覆ったから食いちぎられてはいないが、鋭い牙は硬い氷をがっちりつかんで離さず、海中を猛スピードで移動する鮫にユーリは振り回されている状態だ。


鮫は、ユーリが力尽きて氷を解く瞬間を待っている。

突然襲われたから、対応しきれていない――鮫から身を守るので精一杯で、息がかなり苦しそうだ。かくいうナーシャも、長くはもたないと感じていた。


ユーリの腕をつかんで鮫に近づき、腰に提げていた剣を抜いて鮫の口の隙間に差し込む。てこの原理を利用して、鮫の口を開かせることができないかと。渾身の力を込めるが、やはり化神相手ではびくともしない。

水中で、しかも鮫はユーリを弱らせ、自分を振り落とすために猛スピードで移動している最中。片手でユーリの腕をつかんだ自分では、とても鮫の力に敵いそうもなかった。


この鮫のスピードに、セレスは追いついていた。

ユーリが鮫に捕らえられる直前、彼女は手を離してしまっていたが、鮫にさらわれた宿主を追って、いまは鮫にしがみついている。背びれに捕まって、無防備な鮫の背中に剣を降ろす。

この鮫、手触りはそうでもないのに、意外と硬い。


セレスはサポート向きの化神で、純粋な攻撃力はそう高くない。この鮫に攻撃を食らわせられるとしたら……。


ナーシャは左手を伸ばし、セレスに向かって無言で訴えかける。

――ヒスイを連れてくるしかない、と。


セレスは険しい表情でナーシャを見、それからユーリを見た。

セレスも、いまは一刻を争う時だと分かっているはず。ためらったり迷ったりしていたら、ユーリの命が危うい。


鮫の背から離れ、目にも止まらぬスピードでセレスが泳いでいく。

おそらくは船に戻り、ヒスイを連れてくる――それまで、ユーリが耐えられるかどうか。




ルティたちの乗っていた船は、海賊船の船首に激突し、まるで食いつかれたかのように傾いていた。

傾いた慣れない足場に水夫たちは戸惑っているが、海賊たちは慣れた様子で飛び移り、攻撃してくる。


カルロフはフェルゼン、バックハウス隊長と共に海賊船に乗り込んで宿主と舵を狙いに行った――こちらの船はもう、まともに動かせない。海賊船のほうを動かして、こちらの船から離れてもらうしかない。


船に残ったグライスナー参謀は、乗り込んできた海賊たちへの対応と水夫への指示に追われていた。


「海賊共はシャンフとヒスイに任せて、船を動かせるよう急げ!」


慣れない足場で、こちらはまともに戦うことすらできない。

海賊たちは、いつもこういった戦い方をしているのだろう、傾いた船に動じることなく動いているというのに。


海賊の相手は、身体能力の高い化神たちに任せるべきだ。

ヒスイとシャンフは傾いた足場でも体勢を崩すことなく、時には船に張り巡らされたロープを飛び移って乗り込んできた海賊たちを撃退していた。


ルティはマティアスと共に船室に入り、安全は確保されている。

……ただし、船がこのままでは。


ザバッと大きな水音が聞こえ、参謀はぎくりとした。またあの鮫が船を狙ってきたのかと思って――もう一度襲われたら、この船は耐えられない。

だが水しぶきと共に海中から飛び出してきたのは、セレスだった。


高くジャンプして船に飛び込んできた彼女は裸で、水夫たちがにわかに動揺するのが見えた。

すぐに、彼女の裸よりも足の状態に目を奪われて、気にする者もいなくなったが。


「ヒスイ!来い!あの鮫は君でなければ倒せない!」


船に飛び込んできたセレスは上半身は人間の姿だが、下半身が魚の尾びれのようになっている。おとぎ話に出てくる人魚のように。

恐らくはユーリの力――水中で移動するなら、たしかにあの姿のほうが動きやすそうだ。


「僕、泳げないよ」

「分かっている。しがみついていろ」


セレスのそばに降りてきたヒスイは水中戦を強いられるのが嫌なのか、すごく気が進まない、という顔をしている。

それでも彼女の背におぶさり、セレスと共に海へと飛び込んで行った。




ユーリがもう限界だ――苦しそうに何度も泡を吐き出す彼女に、ナーシャは悟った。


すぐにでも海上に連れ出さないと。

それに、溺死よりも先に、ユーリの力が尽きて鮫に身体を食いちぎられる恐れもある。ナーシャも何度か鮫の口を開かせようと試みてはいるのだが、やはり自分だけではどうにもできない。


セレスがヒスイと共に戻ってくるのを待つしかない。

自分の左手の紋様がかすかに光っていることに気付き、ナーシャは振り返った。


ヒスイを背に、半身が魚となったセレスが猛スピードでこちらに泳いでくる。ヒスイは片手でセレスの背にしがみついたまま、もう一方の手で刀を抜いた。


迫る鮫の巨体をしっかり狙い、セレスによって放り出されるようにしてヒスイは鮫の背中に飛び移る――同時に、ナーシャは左手を掲げた。左手の紋章が強く光り、ヒスイの刀はそれに共鳴するように眩い光を帯びて、雷の力をまとった刃は鮫の背を深々と貫いた。


音も聞こえぬはずの水中で、ナーシャは鮫の悲鳴を聞いたような気がした。

苦痛に開かれた口からユーリを引っ張り出し、そのまま海上へと急ぐ。セレスも泳いできて、ユーリを連れてもたもたとしか泳げないナーシャを引っ張った。


ヒスイは鮫に突き刺した刀にしがみつき、鮫はヒスイを背にしがみつかせたまま、ヒスイを振り落とそうとまた猛スピードで動き出す。

鮫の気が逸れている内に、ナーシャたちは海上へ出た。


水から顔を出したユーリは大きく息をした後、激しく咳き込む。ナーシャも、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら、船に向かって泳いだ。


「セレス……ヒスイのフォローに行ってくれ」


ユーリはまだ自力では泳げず、ナーシャとセレスに支えてもらってようやく海の上に顔を出している状態であったが、セレスを軽く押してそう指示を出す。

セレスはユーリのことが心配で離れたくなさそうにしていたが、鮫の化神をどうにかしないことには、結局ユーリは危険に晒されたままだ。


「ナーシャ、ユーリを頼む」


セレスは海中に潜り、ナーシャはユーリを連れて改めて船へ向かった。

船は海賊船の船首に側面から突っ込み、傾いた状態だ。周囲には船の残骸や落下した荷物が無数に浮かんでおり、頑丈そうな板にユーリをしがみつかせ、ナーシャはそれを押して泳ぐことにした。

意外と、人を連れて泳ぐのって大変だ。


「ユリウス陛下!」


バックハウス隊長の声が頭上から聞こえてきて、ドボンという派手な水音と共にユーリのしがみつく板が大きく揺れる。

少し離れたところから顔を出したバックハウス隊長が、豪快にこちらに向かって泳いできた。


「ご無事で何よりです!肝心な時にお守りできず、申し訳ございません!」

「心配をかけた」


少しぐったりした様子だが、それでもユーリはバックハウス隊長に笑顔で応える。


「船は……」

「海賊共が乗り込んできておりますが、シャンフたちが撃退しているところです!リーゼロッテ様はエルメンライヒと共に船室に避難し、カルロフ、フェルゼンと俺で海賊船に乗り込んであの鮫の宿主を探しておりました――海賊共、身体のあちこちに刺青があるので紋章が見分けられず手こずってしまって」


説明をしながら、バックハウス隊長はユーリを片手で抱えて泳ぎ出す。

人を連れて泳ぐのはなかなか困難な作業であることをたったいま思い知ったばかりのナーシャは、彼のたくましさに苦笑してしまった。


ユーリを連れて泳ぐバックハウス隊長についてナーシャも泳ぎ、船に近づく。

傾いた船から垂れるロープを取り、バックハウス隊長はユーリを自身にしがみつかせたまま軽々と登った。ナーシャもロープを伝って船に登り……甲板に到着した途端、船が大きく揺れて膝をつく。

ユーリも転倒しそうになり、バックハウス隊長が慌てて支えていた。




鮫は背中に乗るヒスイを振り落とそうと、猛スピードで泳いでいた。ヒスイは、背中に刺さった刀にしがみついていることしかできない。振り落とされてしまうと、泳げない自分は海の底へと沈んでいくしかないのだから。

……だから、鮫がルティたちの乗っている船に突っ込んで行くのが見えても、何の対応もできなかった。


船底目掛け、鮫は背中から突っ込んで行く。衝撃とダメージに耐えたが、刀は衝突の弾みに鮫の背から抜け、ヒスイはぶくぶくと海の底へと落ちていった。


何もできない自分を狙い、身を翻した鮫は大きな口を開けて迫ってくる。

一応、ノロノロとした動きで刀を構えてはみたけれど、たぶんろくに攻撃を食らわせることもできない。


鮫の鼻先が目前まで接近した時、ヒスイの視界が反転した。誰かが、自分を引っ張って泳いでいる。鮫にも負けぬ速さで。

誰かなんて確認する必要もなく、ヒスイも手を伸ばし、セレスの背にしがみつく。

――いい加減、この鮫とも決着をつける時だ。




また船が大きく揺れ、転倒しそうになるルティをマティアスが抱きしめる。

船室内は家具や調度品がひっくり返ったり、不安定な状態で傾いたりしていて、あまり安全な感じでもなかったけれど。


この揺れで、倒れず踏ん張っていた家具も大きな音を立てて倒れていく。すでに床に倒れていたものは揺れに合わせて床の上を転がり、小さなルティは家具の下敷きになる恐れがあった。


背の高い棚は壁に固定されているけれど、引き出しは飛び出してきて、中身が降ってくる。

それらからルティをかばうように、マティアスは娘を抱きしめていた。

テーブルが自分たちに向かって飛んできて――大きくなったペルが、その身体でルティとマティアスを守る。ペルも、痛みに耐えているように見えた。


「……リーゼロッテ様、外へ出ましょう」

「で、でも、船室にいたほうが」


マティアスの言葉に、ルティは戸惑う。

たしかに、室内も危険だ。さっきみたいにまた物が降ってきたら……でも、外には乗り込んできた海賊たちもいるし、さっきみたいな揺れで海に落ちてしまうかもしれない。

足手まといにしかなれない自分は、せめてみんなの邪魔にならないようにしているべきではないか。ユーリも、ルティには船室内にいてほしいようなことを言っていた……。


「いいえ。外に出ないとダメです。この臭い……」


マティアスの言葉を遮るように、船室の扉が開く。

海賊が押し入ってきた、とマティアスの腕の中でルティはぎくりとなったが、入ってきたのはシャンフでホッとした。

シャンフは船室の出入り口付近で、ずっと海賊たちを追い払ってくれていたのだ。


「ルティ!マティアス!外に出ろ!海賊共、船に火をつけやがった!このままだと焼け死ぬぞ!」


急いで外に出ると、あたりは熱気と煙に包まれ、船の真ん中に立つ大きな帆は真っ赤な炎に包まれていた。


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