断頭台で祈る王女は女神になる
断頭台に向かう王女へ、群がる民衆どもが思いつく限りの罵声を浴びせる。
「まぬけー!」「でべそ!」「ぶーす!」「くそびっち!」「ばーかばーか!」
まあなんともおぞましい光景である。相手は若く可憐な王女ではないか。これほどまでに下品で幼稚な悪口をなげつけまくってよいものであろうか。
そんな屈辱的な光景の中にあっても王女は気品高く、すました顔で歩いていく。周囲のやかましい民衆どもをちらりと横目に見ると、溜息をついた。
――はあ。本当に、なんて低能な連中なんでしょう。教養というか語彙力が無さすぎじゃなくて。
しかし、
こんな低能な連中に負けたのだ。
怒れる民衆は恐ろしい、そして強かった。民衆は王国の圧政に怒り狂って決起した。国中の民衆が団結した。
革命である。
国王軍だってそこそこ頑張りはしたのである。しかし一部の貴族が民衆側に寝返ると、国王はあっさり降伏した。それはもうあっさりと、王のプライドもろともかなぐり捨てて。
民衆側が降伏を受け入れる条件として要求した事は2つ。王族と主要貴族を国外に追放すること。それと、王女メアリアンの公開処刑である。
国王はそれまたあっさり受け入れて、王女を民衆側に引き渡すと、自分はさっさと国外に逃げていったのだ。
それにしても、なんとも哀れなのは王女。
いったいなぜ王女メアリアンは処刑されねばならぬのか。それは……
〝すごく嫌われている〟からである。
彼女の民衆をバカにしくさった発言の数々が民衆を決起させたと言っていいくらいに。民衆は彼女に一泡も二泡もふかせたくて剣をとったようなものだ。
王女の公開処刑。
民衆にとってそれは革命の総仕上げ。今日この時こそ、民衆の勝利の瞬間となるのである。
王女がステージに登り、断頭台の前に立たされた。ワーワーと民衆の盛り上がりが一段と高まる。生卵を投げつける者すらいる。王女はステージの上で金色の長い髪を風になびかせ、集まった民衆を一望した。遠くの方まで続く、うごめく人間の群れだった。
――ほんっと気持ち悪いわ。まるで蟻の群れね。だいたいさっきから卵が一つも当たってないじゃないの。私は決して間違っていないわ。こいつらはクズなのよ。クズ。
王女は息を吸って、民衆に向かって最後の思いを吐き出した。
「よく聞け愚かな民衆よ! お前らは! 本物の悪が見えていない! 本物の美しさが見えていな…………うっせえぼけえ! だれがヒンニュウブスじゃはげぇえ! 上がってこいや! おう?!」
民衆が王女を罵る声は増すばかりだった。誰も王女の言葉をまともに聞いてやしなかった。
民衆にむけて唾を吐きつけている王女の体を処刑人が力づくで抑える。王女の体はついに断頭台に押し付けられ、手と足、そして首が固定された。
その首の真上には、ロープに吊るされた大きな刃が鈍く光っている。
さあ、いよいよである。
――おお、神よ。私が何をしたというのでしょう。美しく、気品高く、教養を備えた私が何ゆえこのような無残な姿をさらさねばならぬのでしょうか。願わくば。来世では優れた人間だけの世界に、いえ神の国で女神に生まれたいのです……
+ + + + +
一面に広がる芝生が、春の午後の日差しを照り返すなか。この穏やかな広場に似合わぬものものしい馬車が列をなしてやって来た。
一際目立つ大きな白い馬車が降りてきたのは、王女メアリアン――後に断頭台に固定される女――
であった。ここは人が集まれる大きな広場なのであるが、王女様が来るような所ではない。ここに集まるのは庶民たちだ。小さな商店がたくさん並ぶ区画にあって、日頃から庶民の憩いの場になっている所である。
それは国王からの命令であった。
普段は王宮から一歩もでない王女様がわざわざこんな所までやってきたのは、広く庶民の意見を聞いてあげようという国王の粋な計らいに従ったためであった。
護衛の騎士たちに囲まれ、場違いに目立つ真っ赤なドレスを身にまとった女性、これが王女である。当の王女はなかなかやる気になってこの任務にあたっている。庶民らを教育せねばと使命感に燃えていたのである。
「これこれ、庶民たちよ。身の回りの生活に関して意見のあるものは申してみよ。この教養高き王女である私が答えてみようぞ」
王女は庶民に向かって語りかけた。
ポッカーン……
しかし庶民にしてみれば、高貴な御人にそう簡単に話しかけられるものではない。みな一様に珍しいものを見るように呆気にとられていた。
さすがにこれでは、我らが王女様が広場の真ん中で大きめの独り言を言っていることになってしまうと、護衛の騎士たちがいそいそと庶民に発言するよう働きかけ始めた。
騎士たちに促されて、ようやく一人の中年の庶民が意見を述べ始める。
「えっと……、最近ですね、パンの値段が高い気がするんですけど。何とかなりませんですか?」
「パンがだめなら、お寿司を食べればいいじゃない? もっと柔軟に考えなさい。食べ物は一つではないのです。私は最近東洋の料理が気に入っているぞ」
「…………」
王女は満足げにうなずいた。庶民たちはあいかわらず呆け顔で王女を眺めている。
「次っ」
「あのー。おらの給料が少ないんですけんど。なんとかならんもんですかえ?」
「給料が少ないなら、もっと働きなさい。努力が足りないんでなくて? あなたの努力が。私は寝る間を惜しんでダンスの練習をしているぞ」
「…………」
「次っ」
「王女様のようなお洋服は、どうしたら手に入りますか?」
「これは、私専属の仕立て屋が持ってきますの。だから諦めなさい。それにしてもあなたの洋服はセンスがないわね。私を見て勉強なさいな。ふふっ」
「…………」
王女は気分が高揚してますます舌が乗ってくる。庶民どもを教育をすることに王族としての誇りを新たにしていた。一方庶民の方は……、王女の高等すぎる理論をいまいち理解できていない様子であった……。
「次っ」
「……えと……えっと、あ、近頃さ、サイコロで勝てねんだけど、なんでかなあ?」
「ん? サイコロとは何なのだ?」
「楽しいですよ、サイコロ遊び。王女様でも知らねえことあるんだな。あは、あはは」
「貴様。おちょくっておるのか? 私は歴代の王の名前と誕生日を全部言えるのだぞ。調子にのるでない。よいからそのサイコロを説明しなさい」
その庶民は王女にサイコロ遊びを説明してさしあげた。
六面体の面にそれぞれ1から6の数字をあてているものがサイコロ。遊び方はいくつもあるらしい。1個で出来る単純な遊びから、8個も使う高度で戦略的な遊びもある。
「なるほど。なかなか面白そうではないか。どれ、その遊びに付き合ってやろう」
王女はくいついた。好奇心旺盛なのはよいことだ。
さすがに無知な庶民といえど王女様にこう言われて断れるわけがない。あんたは一体ここへ何しに来たんだという言葉を抑え、庶民は王女の気まぐれ付き合ってやることにした。
王女は庶民とがサイコロ遊びで対戦を始めたのであるが、この王女なかなかやる女のようだ。
「わあ!やったわ!」「また私の勝ち!」「あはっ、まだまだねっ、ふふっ」
結果は10回対戦して、王女が8勝2敗。さすが親ガチャで大当たりを引いた女である。
うまいこと勝てたので王女は機嫌を良くした。
「おーっほっほ、私は教養深くて数字にも強いのですぅ」
などと調子づいて勝ち誇っていたら、庶民たちの間から一人の男が歩み出てきた。そして不躾にも高笑いをしている王女に向かって話しかけていくのだ。
「王女様。いくら勝ったところで、本当の勝負に勝たなきゃ意味はないぜ」
身分差を考えればそれは不敬な態度だった。ムッとする王女ではあったが、それよりも本当の勝負とやらが気になった。
「どういう意味なのだ。本当の勝負とやらは?」
「賭けるのさ、大事なものを。それが本当のサイコロの勝負さ。右手につけているその指輪を賭けるのなら、俺が本当の勝負の相手をしてやるが……。怖いかい?」
王女は「ムッ」と口で言った。怖いですと? 庶民の分際で。
その男はどう見ても庶民だった。無精ひげをはやし、髪はぼさぼさ。どうして教養高き王女様がこのド庶民を怖がるというのか。
この男には王女直々に教育が必要だと思った。しかし、彼のその目だ。
王女を真っすぐにとらえるその野蛮で自身に満ちた眼差しに、王女は一抹の不安を感じていた。
「いいわよ。かかってらっしゃい」
王女は右手にはめている特大の宝石をのせた指輪を威勢よく外し、対戦台の上に叩きつけた。
「その意気だ」
庶民の男と王女は対戦台の両側に立った。男が勝負の内容を説明する。
一発勝負。ゲームは単純、サイコロ4つを振って、数字の合計が大きい方の勝ち。
ところで、王女はプライドが高いのか世間知らずなのか、男が何も賭けていない事には無言であった。
王女、振る、「20」。
庶民の男、振る、なんと6が4つで「24」。
負けた。
「じゃあな」
男は指輪を台から取り上げてポケットにしまうと、勝負の余韻もなしにすぐに去っていく。
「待ちなさい! もう一回やりなさい!」
王女のプライドに火が付いた。
遠ざかろうとする男の背中に、台を叩いて叫びつけた。
「しゃあねえな」
男は振り返るとニヤリと口元を緩めた。緊張感のない歩き方で戻ってくると、再び勝負の席についた。
勝負。
ダメ。今度もやはり王女の負け。
「もう一回よ!」「しゃあねえな」
「あん! もう一回!」「つきあってやるよ」
もう一回、もう一回と積み重ねて気づけば王女の10連敗。
王女が負ける度に聴衆は大いに沸いた。その歓声が響く度に広場に人が集まって来た。
続々と、人、人。
もはや民衆の群れは広場を埋め尽くし、道路の奥の方まで民衆が溢れる有り様だ。熱気と興奮が広場を覆っていた。
一方の王女。指輪に始まって、装飾品は全て奪われ、従者に持たせていたバッグの中身も全部男にとられてしまった。もう賭けるものが無いのである。歯ぎしりしたところで、どうしようもない。
そして頭に血が上った。
「全然おもしろくないわこんなの! 禁止よ! 禁止! サイコロは教養が低いから禁止!」
最初は楽しそうにやっていたのはどこの数字に強い女だったか。
「サイコロは禁止しにしますから!」
広場を埋め尽くす民衆がわーわーと騒ぎ出した。王女の情動的で自分勝手なサイコロ禁止宣言に対して、さすがに教養のない民衆もそのおかしさが分かったようだ。
喧騒の中、近くにいた民衆の一人が王女に進言した。
「でもそれだとよ、王女様はつい今まで悪い事してたってことになりやすぜ?」
「うっ――。ん、なら! 1日1時間までってことにするわ! いいわね。サイコロは1日1時間。以上。帰ります!」
王女はぷんすか鼻息を荒くして足早に馬車へと乗りこんだ。そして護衛の騎士らと共に王宮へと慌ただしく去って行った。
駆ける馬車の背後のからは、民衆どもの不穏な大合唱が聞こえてくるであった。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
王都の中心にそびえ立つ王宮の中。
歴代の王の肖像画が壁に並べられたそこは、王宮の最上階にある王の間。
王冠をかぶった初老の男性と、冷たい目をした細身の中年の男。
この広い空間の中で、宰相とたった二人で何やら相談をしているのがこの国の王である。そして王女メアリアンの父である。
「で、メアリアンは庶民の聞き取りに行ったのか?」
「はい。なかなか乗り気でございました。護衛の騎士どもには一切口を出さぬように指示しております。うまく民衆のヘイトを集めてくれるでしょう」
「そうか。あの王女なら大丈夫だ。世間知らずだからな。どうせトンチンカンなことを言うだろ。……問題は……いつ追放するかだな」
「ふふ。おっしゃる通り。次の増税のタイミングがよろしいと思います」
・・・
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勢いよく王の間の扉が開く。
年若く可憐な王女が元気よく王の間に入ってきた。やや眉間にしわを寄せているのが玉に傷ではある。
玉座に腰掛けていた国王は、となりにはべらせていた巨乳の侍従を一旦下げさせた。
「お父様。戻りました」
「おう、よく戻った愛しの我が娘よ。メアリアン、どうじゃった? 庶民の様子は」
「やはり庶民は無知でした。努力もせずに遊んでばかりおります」
「うん、そうじゃろそうじゃろ」
王女は用意してきた書類を王に手渡した。
「私の名義で法律を出します。サイコロ遊びは1日1時間にすべきです」
「おう! それはいい。ぜひやってくれ。ははは」
二人は親子で楽しそうに笑いを交えて新しい法律の内容を話し合った。
王女は、自分のアイデアが国王に受け入れてもらって満足だった。
国王も王女が自らヘイトを集める提案をしてきたことに大満足だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2日後、件の法律が発行した。その知らせが国中を回る。
知らせを受けた町では、民衆が外に出て集まりを開いた。そして例の大合唱が始まるのだ。ウーウーアーアーオレオレ……とかいういかにも教養の低い民衆の歌だった。
知らせを受けた町から順に、同じ歌が、一つ、また一つ。国中の空に響き渡った。
そして火の手が上がった。
各々の町の近くにある軍の詰所に民衆が殺到した。怒り、憎しみ、熱狂だった。
破壊、略奪、暴力、暴力、暴力。
勢いにまかせて、民衆の行進が始まった。
ここに国中の民衆は決起した。目指すは王宮である。
あの歌を誇りにして。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
びっくり腰を抜かしたのは国王と宰相。
民衆が決起する前に、王女を追放してヘイトをそらそうとしたのが裏目にでてしまった。むしろ民衆の決起を大きく促してしまったわけだ。
自分達のばかさ加減を省みることなど決してないが、何とかしないわけにはいけない。わらわら慌てながら国王軍を出して鎮圧に乗り出した。
しかし、民衆のぶち切れ具合は凄まじく、国王軍の被害ばかりが増えていく。
自分達のばかさ加減を省みることなど決してないが、軍の長官を叱りつけたりしているうちに、さらに国王軍の被害が増えていく。
国王と宰相は焦りに焦って、民衆側に和解を提案するのであった。なんと、美しき愛娘の王女メアリアンを引き渡す事を条件にして。
だが、民衆はそれはもうイケイケどんどん。王国からの和解の提案に乗ってこず、民衆の行進は続く。国王軍はだらだらと被害を増やしていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて王女である。
教養高く美しき彼女は、あいかわらず王宮の中で親ガチャ大当たり生活を満喫していた。この先の悲惨な未来など夢にも思わずに、軍艦巻きという新しいお寿司のスタイルを試食していた。「イクラってネタはサイコロの1の目みたいだから禁止!」などといつも通りの天真爛漫なご様子で、まことに結構。
王女が王宮から外に出ることなど滅多になく、先の庶民への聞き取り以来ずっと王宮で過ごしている。欲しい物があれば、定期的に面会にやってくる王女御用達の商人らに言えばすむのである。欲しくなくても薦められるままに注文してしまう王女ではあるのだが。
その日、面会にやってきたのは外国の珍しい品を扱っている商会の代表だった。
「ご機嫌うるわしゅう、王女様。お目にかかれて光栄にございます。あのぉ、日頃の感謝のお印と言ってはなんなのですが、……」
代表は連れてきていた男性の従者に「これ、例のものを」と指図すると、従者は王女の前でひざまずき、お椀を両手に持って、それを丁重に王女に差し出した。お椀の中には、根菜を薄く切ったようなものが盛られていた。
「こちらをどうぞ。〝ガリ〟という東洋の食べ物にございます」
代表がそう説明すると、王女はガリの入ったお椀をもの珍しそうにのぞき込んだ。
「ほお。珍しい食べ物だのう。ちょっと待て、ワリバシを持って来ておるぞ」
こんなこともあろうかと、用意していたワリバシをポーチから取り出し、ガリを一切れつまんで口に運んだ。
「ん? (ごりごり) ん! (もぐもぐごっくん) ああっ。なんだこれは? 辛くて変な匂いだぞ?」
と無理やりガリを飲み込んだ王女はほほを膨らませる。代表は顔色を変えず王女に説明を加える。
「そこが良いんですよ、王女様。辛くて変な匂いなのが〝ツウ〟なのです」
「そうなのか? 辛くて変な匂いなのが……?」
「ええ。それがツウで、オツで、ワビで、サビなのです。それを極めてこその〝ヨコズナ〟なのです」
「そうか……。ヨコズナへの道は険しいのだなあ」
とまあこんな感じの楽しい商談がつづき、一通り商品の紹介と注文を終えた後のことだった。
ガリを王女に手渡してからはずっと代表の後ろで書類を書いていた従者の男が、王女に向かって歩みでてくる。そしてこう言った。
「王女様、こちらを後でお読みください」
従者の男は王女に手紙の入った封筒を渡した。
封筒には『誰にも見せないで下さい』と書いてあった。男はさらに王女の手を取ると、何かを王女の手に握らせた。
王女はその手を開いてみた。それはサイコロだった。
はっと思った王女は顔を上げ、従者の男の顔をよく見てみた。
あの目だ。
ぱっと見は精悍な男に違いない。ひげの無いきれいなあご筋、髪もオールバックに整えられていた。でもその目は、紛れもなく脳裏に焼き付いていた目だった。王女を10連敗させたあの庶民の男だった。
思わず「あっ!」と声が出た。
男は口元に指を立てて「しーっ」と片目を閉じながら小声で合図をする。
「王女様。これからがあなたと私の本当の勝負です。では、失礼します」
呆然とする王女を残し、商会の代表と従者は退室していった。
しばらくして、王女は気を持ち直すと、手紙とサイコロを服の内側に隠すようにしまい込んだ……
その夜。
寝る時間を過ぎてから、
王女は一人自室で、あの手紙を開いた。
驚きの内容だった。
手紙を渡した男は民衆を束ねる立場にあること。民衆は王女の処刑を要求していること。国王は早くから王女の処刑を受け入れていること。そして、その男が必ず王女を助けるので何もせず待っていてほしいということ。
――お父様が? ……いや、それは信じられない……。だいたいあの男の言うことなんか信じてはいけないわ。
言い聞かせるようにそう思いつつ、
手紙とサイコロを鍵のついた私物用の箱に、大切にしまった……。
明くる日。
朝の日差しを浴びて目を覚ました王女の心は晴れなかった。昨晩はベッドの中でいろんな事を考えた。この国のこと、父のこと、あの男のこと……。あまり深くは眠れなかったらしく、体が重かった。
ベッドにもぐり込むと、また同じことが頭の中をめぐる。あの男はなんなのだろう。民衆とはいったいなんなのだろう。王女のわたしに何ができるのか。この教養は何のためにあるのだろうか。
わたしは王女。王の娘。民衆を教育すべき教養を備えた貴人の中の貴人。
為すべきことがきっとある。
王女は意を決した。ベッドから跳ね起き、最高級の真っ赤なドレスへ着替えるために、侍女を呼びつけた。
王の間の扉が勢いよく開かれた。
王女メアリアンだった。いつになくキリッと力のこもる青い瞳で玉座へと進んでくる。
「おおさまだ~れだっ――オホン……き、きみ、下がってなさい」
玉座に浅く座って身を乗り出している国王は、となりでクジの棒を持ったフリフリミニスカートのメイドを退室させた。
「オッホン。ワシの可愛い可愛いメアリアンよ。どうしたこんな朝早くに?」
「お父様……あ、あの…………」
さっきまで力の入った表情は消え、王女はうつむいた。
王女は、やはりまだ若く。そして国王は、やはり偉大だった。
実の父にして、歴代の王たちに連なる唯一の継承者。その威光を目の前にして、自分の未熟さを思い知らされた。
言葉につまった王女に勇気を与えたのは、床に落ちていたクジの棒だった。さっきのメイドが慌てて退室するときに落としていったものだ。その棒の先には〝庶民〟と書かれていた。
王女は自分の為すべきことを思い出し、決意を改めた。
「お、お父様! 民衆との交渉について教えていただけませんか?」
国王は驚きを隠せなかった。この世間知らずな小娘が民衆との交渉の話を持ち出すなど予想もしていなかったからだ。
「メ、メアリアンよ……、どうしたのじゃいきなり……」
「わたしは王女です。それに民衆とも意見交換をしたことがあります。だからお父様と共にこの国の危機に立ち向かいたいのです。どうか、民衆との交渉について教えてください」
その力強い眼差しに国王はたじろいだ。
「――メアリアンよ。そ、それはできない。交渉に関わっとるもの以外は王族でも知らせてはならんのだ」
「なら!」
王女は一歩前へ進み出た。
「交渉の提案に関して私の意見を申してもよろしいか!」
「――う、ん? んー、まあ、よかろう……。聞いてはやろう」
「では申し上げます! 1つ、庶民のために教育する施設を作りましょう。彼らには教養が足りていません。2つ、王宮にある美術品を与えましょう。彼らは美しさを理解していません。教養と美しさを分かっていないから王族の偉大さが分からないのです。3つ、ゲームを教えましょう。トランプにルーレットにチェスにハナフダです。庶民というのは遊びが無いとすぐ機嫌を損ねるのです。もちろん、サイコロは無しですが……以上です!」
若き王女にとってそれは一世一代の大演説であった。その教養を全て使って一生懸命に考えた提案だった。自分が王女なのだと自信を持てた瞬間でもあった。
「……わかった、参考にしよう……。はは、中々よいアイデアじゃ。ははは」
「ありがとうございます! お父様!」
国王はほっと安堵した。内心では、王女が何か感づいたかもしれないと少し焦っていたのだ。しかしどうだ、王女の提案内容を聞けば、相変わらずトンチンカンなことを言っているではないか。国王はそう思っていたのだ。
一方の王女は、大きな達成感と、一抹の不安を感じていた。王国と民衆が手を取り合ってくれれば良いと心から願っていた。国王は、父は、同じ気持ちだろうか。まさか実の娘を……。
いや、やはり父を信じようと自分に言い聞かせていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
国王軍と民衆との戦線は膠着していた。どちらの陣営も手詰まりの様相であった。戦線では、にらみ合いがつづき、罵り合う声が止まなかったが、互いに攻勢に出ることも無し。ひまなので、たまに両陣営から代表者を出し合って、サイコロ遊びなどをしていた。わりと盛り上がった。
和解交渉の方はというと、王女の真剣な提言もむなしく、何も進展しなかった。国王にもプライドがある。その酒池肉林を簡単に手放すわけにいかなかった。
国王軍と民衆がちょっと仲良くなってサバゲ―でもやろうかと言いだしていた頃、情勢が大きく動いた。
自前の軍を持つ有力貴族が民衆側に寝返ってしまったのだ。
これによって、国王軍の前線は一気に崩壊した。そして王都は目前。いよいよ王宮の陥落が現実に迫って来たのだ。
まさかこんなことになろうとは思っていなかった国王と宰相。
さすがに自分の命が危険となってはもう堪らない。意地と欲にまみれた国王と宰相もついにはその地位を諦め、和解ではなく降伏の交渉に入った。自分達の資産の確保と安全な国外脱出のみに絞って、あとは民衆の要求を丸飲みすることにした。
であっさり降伏が成立。
まさに都落ち。なんとも哀れな国王ら御一行はそそくさと国外へと退去していった。もちろん、
王女メアリアンを残して。
酒瓶を片手に王都を闊歩する民衆どもがは王宮に入り勝鬨を上げた。王都はそこら中でお祭り騒ぎだ。
そして、最後は王女の処刑なのである。
民衆どもに捕らわれた王女は、その時やっと理解した。あの男が正しかった。父である国王は本当に王女を民衆に差し出したのだと分かった。
本当に愚かである。民衆も。父も。この国の者どもが、あまりに愚かである。
そして自分は、無力である。
愚か者たちを正すには、あまりにも無力である。
ただ誇りだけは、何者にも奪い得ないと、固く信じた。
もはや無力な王女は急激に進展する情勢になすすべなく、あれよあれよ断頭台まで来てしまった。
さあ、
本当にいよいよである。
+ + + + +
王女は断頭台の中で祈る。
――おお、神よ。私が何をしたというのでしょう。美しく、気品高く、教養を備えた私が何ゆえこのような無残な姿をさらさねばならぬのでしょうか。願わくば。来世では優れた人間だけの世界に、いえ神の国で女神に生まれたいのです……
しかし無慈悲にも巨大な刃が王女に向かって、一直線に落下する。
加速する。
誰もが目を見開いて瞬きをこらえた。
ガチン、と大きな金属音がこだました。
・・・
確かに刃は落ち切った。だが皆静まり返っていた。
不思議な事に、王女の首はつながったままだったのだ。
シーンと静まり返る中、断頭台にある王女の首がきょろきょろと動いている。
パーン! と、
花火が上がった。
唐突に上がった花火を皆が見上げる。
パーン!パパーン! と10輪の大きな花火が続けて上空に舞った。
「王女がいない!」
誰かが叫んだ。ざわつく民衆。
さっきまで断頭台に体ごと固定されていたはずの王女がいない。これはいったいどういう事か。ざわつけるだけざわつく民衆。
それを黙らせたのは女の声だった。
「気高き民衆たちよ!」
断頭台の上、その天辺に女が立っていた。
王女だ。
民衆はあっけにとられた。
「よく聞け! 見たかこの奇跡を。私はお前たち民衆の〝女神〟だ。お前たちを導くために王女に扮して降臨した〝女神〟なのだ」
王女の姿をしたその女は、手に持った紙と民衆とを交互に見ながら力強く声を張る。民衆はみな口を半開きにして断頭台の上に立つその女を見上げている。
「気高き民衆たちよ! よく考えよ! お前らに、王族の傲慢さを分からせたのは誰か? お前らの心を一つにしたのは誰か? 軍資金となる宝石を与えたのは誰か? 遊びを制限して行軍の時間を与えたのは一体誰か?」
ポツカーン
民衆はだらしのない顔つきでただその奇跡の女を見上げていた。
「お前らを導くのは〝民衆の女神〟であるこの私だ!」
女神を名乗るその女はやり切ったような表情で民衆を見下ろした。名演説は終わったようだ。
民衆は相変わらずのポツカーンぶりである。
「ちょっ。聞いてんの?…………返事しろぃ!」
「「「「「 オオオオオオオオーッ! 」」」」」
沈黙はは一転して怒涛の歓声に変わった。
民衆は「女神だ」「奇跡だ」と口々にその女を称えた。こうして公開処刑は女神降臨祭りに変わり、民衆たちはヤイノヤイノと騒ぎ始めた。
また花火が上がった。パーンパパーン……
自称女神の女は急いで、断頭台の柱を伝って降りる。ステージに降りてくる彼女を抱えたのは処刑人だった。
「何よこのセリフ。女神って。でも上手くやってくれたわね」
自称女神は処刑人にセリフの書いた紙を返した。
「いい演説だったよ。俺は手品師で、そして勝負師さ。俺はあんたの強運に賭ける。サイコロの勝負も、本当は全部あんたが勝ってたんだ」
自称女神と処刑人は互いに何かを確かめるように見つめ合っている。
民衆はまだ上空の花火を見上げていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王宮あらため民衆議会堂の隣にある女神の館には、女神がいる。愚かな民衆は、誰かに叱って欲しい時に女神に会いに行く。大抵、バカなあなたが悪いとか努力が足りないと叱られる。もしくは、トランプゲームの相手させられる。トランプは1日2時間までやってよいことになっている。
「はあ。ほんと民衆というのは愚かね。どうしてわたしに相談しに来るのかしら」
ガチャッとノックも無しに扉が開くと、入って来たのは民衆議会の議長だった。
「報告だよ。女神様。この館の予算削減が決まった。残念だったな」
「ふーん。ちょっとは愚かな民衆も利口になったのかしら」
「女神様は厳しいねえ。それから……はいこれ」
議長は開いた手を女神に差し出したが、その手のひらには何も乗っていなかった。一度握ってクルッと1回転させ、もう一度開いて見せた。手の平の上には銀色に光る指輪が乗っていた。
「いつかのお返しだよ。メアリアン」
「…………このイカサマ師め!」
<了> 蜜柑プラム
お読み頂きありがとうございます。
作者マイページから蜜柑プラムの他の投稿小説をご覧頂けます。よろしくお願いします。